デート回2
大通りを外れ、日の当たらない路地に入る。建物の合間を縫い、奥へと歩いていくと、エールの描かれた木の看板が見えた。看板の下には木でできたボロボロの一軒家。強く押せば簡単に破れそうな扉があり、砂で所々汚れている。扉の向こう側からは下品な笑い声が聞こえた。
うん。いい感じに寂れてガラの悪い酒場だな。こんな所、普通の精神の持ち主なら入りたいと思わないだろう。
一人満足して隣にぴったり並ぶクレアに声をかける。
「ここでお昼を食べようか」
「ああ! 私はこういった所に来たことがないんだ! 楽しみだな!」
クレアは笑顔を見せて頷いた。
は〜ん。その笑顔が店内に入ってまで続くかなあ?
勝手に緩む頬の筋肉に力を入れ、扉に手をかけてクレアをみる。
「じゃあ、クレア店内に入ろうか」
そう言って、俺は扉を開いた。店内は薄暗く、カウンターとヒビだらけの木のテーブルに小さな丸いすが配置されただけでボロい。部屋の隅には蜘蛛の巣が張っており、中央のテーブルにはボロ着を着た男たちが酒を囲んで馬鹿騒ぎしていた。
タチの悪い輩よりは蜘蛛の巣の方がマシだと思い、端っこのテーブルに腰掛ける。
後ろをテクテクと付いて来たクレアは、こんな雰囲気の悪い場所だというのに何にも臆せず、ニコニコと俺の前の椅子に座った。
そんな笑顔を見ているとどっと疲れが湧いてくる。
これでもダメなのかよ……むしろ、少し罪悪感が湧いて来て辛い。
それに、貴族の娘らしく虫が苦手だとか、暗い所が苦手だとか、汚いものが苦手だとかはないのだろう。
何をしても無駄な気がしてして来たと弱気になるが、嘆いても仕方ない。もし、模擬戦が山や洞窟などがある地形で行われたとしても臆しないという事実が判明したとでも思っておこう。
「それで、この店では何を食べるんだ?」
クレアが引き締まった細腕をテーブルについて、身を乗り出し尋ねてきた。目を輝かせてまっすぐに視線をぶつけてくるのでつい目をそらしてしまう。
「あ……ええと、その、お酒とツマミを……」
一瞬、今すぐ外に出てお洒落なレストランへ連れていかなければと迫られたが、何とか飲み込んで当初の目的を告げた。
「さ、酒か……」
クレアは少し言い淀んだ。
流石にデートの昼食を酒に誘ってくる奴なんて嫌だったのだろう。作戦通りに上手くいったようだ。
だが、今までのことを考えるにどうせ今回も何かくだらないオチがありそうだと心配し、疑り深くクレアの動向を見守る。
すると、クレアはすまなそうな顔をして口を開く。
「すまない、クリス。私は酒を飲まなくてもいいか?」
あれ? 本当に嫌がってる?
「何で飲まないの?」
「実は酒を飲んだことがないんだ」
酒を飲むのに特に年齢制限もないはずだ。それに、仮にも侯爵家の娘。高価な酒が毎晩食卓に出てもおかしくない。
「実は、私も父もあまり酒を飲むなとか家臣から言われているんだ」
酒が弱いってわけでもないよなあ。お前のとーちゃん、家臣とうちの店でバカ強い酒飲んでたし。それでも、俺に長話して娘の婚約決めるくらいには頭が働いていたしな。ってあれ?どこか違和感を感じる。
何がおかしかったのか頭をひねっていると、クレアが慌てた様子で俺に声をかけた。
「そ、そんなに悩ませたか!? わかった! 私は飲むぞ! そこの店員、この店で一番いい酒と肴をくれ!」
「え、ちょ!?」
クレアに告げられた店員はぺこりと頭を下げてカウンターの内へと入っていってしまった。
ああ。一番安い酒とツマミを頼んでケチっぷりを見せつける俺のプランの一つが……。
俺が意気消沈しているとクレアはなにも問題がないと胸をポンと叩き、口を開く。
「大丈夫だクリス! 私は飲む! クリスを悲しませることに比べればこんなもの塵のようなものだ!」
クレアは何だか満足そうな清々しい笑顔を浮かべた。
「あ、ああ。ありがとうクレア」
勢いに飲まれ、つい礼を言ってしまった。すると、クレアはどういたいましてとテレテレと自分の後頭部を撫でた。
何だこのやり取りと思っていると、店員が怯える眼差しを向けて、トレイの上に皿とコップを二杯乗せて近づいてきているのが見えた。
店員は俺たちの前に来ると顔を青くしながら口を開く。
「ワ、ワインと生ハムになります」
店員はそれだけ告げるや否や、大皿に乗せた生ハムと木で出来たコップ一杯のワインを置いて、逃げるように去っていった。
そりゃ、こんな変な格好してる男とやたらと美人な女の組み合わせだ。怖いよね普通。
軽く店員に同情しつつ、運ばれてきたものを見る。生ハムはスライスされ、透明感のある桃色をしており、美味しそうだ。ワインの方もこんな寂れた所が出す酒にしては澄んでおり、香りも上品だ。
俺はともかくとして、クレアは明らかに育ちの良いことが見てわかる。下手なものを出せなかったんだろう。
「ワインと生ハムか……クリス。私、一度やってみたいことがあったんだ」
クレアはおずおずとそう告げた。
「やってみたいこと?」
「ああ! 我が家の騎士たちは祝い事があると乾杯と言って、人の器に自分の器をぶつけるんだ。私は酒を飲ませてもらえないから、いつも遠巻きに皆んなを見ていて、楽しそうだと思っていた。だから、一度やってみたいんだ」
そこまで酒を飲ませてもらえないとはな。まあ良いか。それくらいは付き合ってあげよう。
「良いよ。やろう」
俺がそう言うと、クレアは顔をぱあっと明るくさせコップを顔まで持ち上げた。俺もコップを同じ位置に持ち上げる。
「ありがとうクリス! それじゃあ乾杯!」
「乾杯」
コップをコツンとぶつけると、クレアはらしからぬ子供のような純粋な笑みを浮かべた。
乾杯程度でそんな喜ぶかと思ったが、あまりにも嬉しそうなので、こっちまで嬉しくなった。
しかし、また浮ついてしまった事を自覚し、目をさますためにワインをぐっと喉に流し込む。
「ぷはあ」
ワインはこんな流し込むものではないが、そうと思えるほどさらりとして呑みやすかった。口の中が芳醇な香りで満たされ心地よく、アルコールが口の中のワインを掻っ攫いスッキリとした後味である。
しかし、蒸留酒でも混ぜているのかと思うほどアルコールが強く、たった一杯で脳をふわりとさせた。
これは、初めて酒を飲む人間には厳しいだろうな。
心配してクレアの方を見る。するとクレアは優雅な所作でコップに口をつけた。そして、喉をコクリと鳴らし、コップを置く。
「これが酒か? 確かに美味いし、何かほんの少しだけふわっとするものがあるな」
クレアはケロッとそう言ったが、俺は冷や汗が流れていた。
このアルコールがほんの少しだと!? どれだけの酒豪だよ! それなら、俺が侯爵と会うまでの様子を聞けば活路が……いや、俺の方だけが強いと考える方が普通だ!
「クレア! 少しだけくれ!」
「あっ!」
クレアの返事も待たずにコップをひったくり、ワインを飲む。喉が熱くなりアルコールは俺のワインと変わらず強い。
これを飲んでそんな澄ましていられるわけがないとクレアを見る。すると、クレアは酒を呑んだ時のように顔を真っ赤に染めてボソボソと呟く。
「かんしぇちゅきしゅ……」
この顔の赤みは酒のせいじゃないな……。





