花畑
目を覚ますと、瞼の裏に眩しい光が飛び込んで来ていた。
俺はぐずぐずと身悶えしたのち、低木の下から這い出て、立ち上がろうとする。
「ひぎぃ!」
体が凝りかたまっているのに加えて、筋肉痛だったり関節痛だったり、もう何が痛いのかわからないくらいの痛みに、情けない悲鳴が溢れた。
ただただ痛い!
痛みを堪えられず、地面にうずくまる。
原因は容易に理解できた。勿論、限界を超えて体を酷使したからだ。
そのまま長らくの間、悶え苦しみ、体感で1時間くらい経過したのち、ようやく痛みが引き始めた。
俺はうつ伏せでぐったりとしたまま、顔だけをあげた。痛みで滲んだ涙に、視界が霞んでいる。林の中に差し込む日差しが薄黄色の霧のように見え、木々の幹や生える野草はぼやけ揺らめいていた。
一瞬、朝か、と思ったが、次第に鮮明になる視界から、どうやら昼のようだと理解する。
ふと焚き火の方に目を向けると、火は小さいが燃えていた。少なくとも丸一日は経っているのに、まだ燃え残っているなんて、と思い、集めていた薪があった場所を見る。集めておいた薪は、明らかに減っていた。誰かが火が弱くなる度に足してくれたのだろう。
痛みも収まって起き上がり、低木の下を確認する。3人とも、スヤスヤと眠っていたが、ミストとアリスは身を寄せ合っているのに対して、クレアは少し離れている。クレアが火の番をするのに、抜け出したからなのだろう。本当にありがたい。
感謝を伝えたいが、起こすことが躊躇われる。眠りについているのに起こすのは可哀想だ。
そう思いながらぼんやりしていると、アリスがぼそぼそと動き始めた。アリスは何回か寝返りを打った後、低木の下から這い出てくる。
「ぴぎゃあ!!」
そして痛みに情けない声を出した。
元々、気を失いそうなほど疲労していたし、辛さにまともに進めなかったんだ。そんなアリスが、クレアを支えながら森の中を駆け抜けたり、川の流れに揉まれ続けたのだ。想像もつかないほどの痛みに襲われていることだろう。
「大丈夫、アリス?」
「大丈夫じゃない! マジで無理!」
心配して声を掛けたが、言葉が発せる余裕があるなら大丈夫そうだ。
「多分、1時間くらいは痛みが引かないから、頑張って耐えて」
「なんで具体的にわかるの!? クリスがなんかやってるの!? あぐぅ……!!」
アリスは大声を出し、そのせいで痛んだのか、脇腹を抑えた。
「やってないから。できるだけ安静にしてて」
俺はアリスが身悶えしている間に、樹皮で作った鍋に小川から水を汲んできて火にかけた。ポコポコと煮だったお湯が冷める頃になって、ようやく痛みが引いたアリスが立ち上がった。
水を渡すと、アリスは、ぐびぐびと飲み干し、口を開く。
「嘘つき! 1時間くらいじゃないじゃん! 2時間くらいじゃん!」
ぷりぷりと言ったアリスに、そんなこと言われても、と思う。ただアリスの顔を見る限り、本気で怒ってなさそうなので、敢えて悪びれてみる。
「本当にごめん。俺が1時間くらいで治ったから、何の根拠もなくそう言ったんだ。アリスに期待を持たせたとしたら本気で悪いと思ってる」
「え、ちょっと……」
「ごめんアリス。どうして詫びていいか……」
「ま、待って、そんなに怒ってないっていうか、そもそも怒ってないっていうか!」
慌て始めたアリスを見て、自分が仕掛けたことながら罪悪感を感じ、こっちも慌てて弁明する。
「ご、ごめん、嘘。ちょっとからかってみようと思って」
俺が謝ると、アリスは微妙な表情に変わる。アリスは不味くも美味くもない料理を食べた時のような顔をしながら、うぅ、と唸っていたが、耐えきれなかったのか口を開く。
「なんて反応していいかわかんないじゃん! からかうなら、からかいきってよ!」
アリスがそう言った後、少し間ができた。そして、二人揃って笑った。
「なんか、懐かしいねクリス」
「うん、そんなに時間は経ってない筈なんだけどね」
遭難し、ここ数日は常に気が抜けることはなく、緊張感にこんな冗談を言えるほどの余裕はなかった。最後にこんな会話をしたのはいつだったか。確か、地下道を出て、2回目の時……。
記憶を振り返っていると、アリスを抱きしめた時の感覚が蘇ってきて、拍動は加速し顔が熱くなる。
「ねえ、クリス?」
「な、何?」
「あれ? 何でそんな顔赤いの?」
「な、何でもないよ」
「そう、それなら良いんだけど……あっ!」
アリスは突如何かに気づいたかのように、口をニンマリとさせた。
やばい、焦って誤魔化したがバレたかもしれない。
内心ひやりとしたが、アリスが浮かべた表情は心配げなものだったので、杞憂だったと安堵する。
「クリス、本当に大丈夫? 私心配だよ。クリスが病気なんじゃないかって」
「それでアリス、何か聞こうとしてたよね?」
アリスは唇を尖らせ「つまんない!」と言って続ける。
「これからどうする? 多分、もう近いよね?」
問われて、どうすべきか考える。
アリスの言う通り、ここからは近い。街へ降りて、ドレスコード領に向かうだけなので、あと数日と言ったところだろう。
一刻も早く、帰るに越したことはないが、ミストの容態が心配だ。今の様子を見る限り無事だが、慌てて体を動かせて、悪化する可能性も十分にある。今は安静にするべきだ。
「後、1日2日は回復に努めようか」
俺がそう言うと、アリスはこくりと頷いた。
「じゃあ、食べ物とかも必要だね」
「そうだなあ。探しに行くか」
俺は腰をあげて、林の奥へと歩み出す。すると、アリスも俺に並んでついてきた。
とにかく今いる場所に何があるのか知りたくて、木々の合間を抜けてどんどん進んで行く。鳥のさえずり、小動物の鳴き声が聞こえる。地面を見れば、食べられそうな野草も生えており、木々の幹の下まで見ながら歩いていく。
ふと、顔を上げると、木々の切れ間から差し込む光が強くなっていることに気づく。どうやら、浅い林らしい。俺とアリスは、そのまま出口に向かって進んだ。
林を抜けると、花畑が広がっていた。若々しい緑の野原に、青い花びらの中心に黄色と白で出来た星が綺麗な勿忘草、ギザギザの緑の葉に太陽のように黄色が弾けた花のタンポポ、クローバーから茎が伸びた先に白にほんのりと桃色が差したシロツメクサが咲いている。他にもピンクや紫の野花が混じり、緑の中に点々と花が彩る光景は美しく長閑だ。
「わあ! クリス! すっごく綺麗だよ!」
アリスは感嘆の声を出し、たっぷりと日光が降り注ぐ野原の中に走って行った。花々と戯れるように野花の中で、楽しさを表現するように、手を広げくるりと回る。金髪が揺れ、日差しを受けて輝き、大輪の花のようだ。可憐で綺麗。
そう思うと、不意に、アリスから想いを寄せられている事が蘇ってくる。そして、誰を選ぶか答えを出す、ということが目の前に迫ってきていることも。
「何してるのよ! 早く!」
そう言ってアリスは、にっと歯をだして笑った。無垢で純粋な少女の笑顔だ。
アリスの笑顔に、考えていた事が泡のように消える。
俺は野花を無邪気に楽しめるような人間じゃないし、急かされても困る。だけど、全く悪い気はしない。どころか高揚している自分がいる。
「今いくよ」
そう言って、アリスの元へと駆け出した。





