二択
朝陽に近づこうと山道を登る。
辺りには基岩が露出し、低めの木々が疎らに生えている。息は切れやすく、気温は低い。
足を早めることに決めてから5日目。ほとんど休まずに進み続けた結果、ついに高所にたどり着いていた。
道なき道を突き進み、距離は短縮されている。ここから一週間も進めばドレスコード領に辿り着くことができるだろう。
「後数日だ。もう少し頑張ってくれ」
俺は足を止め、背中で眠っているミストに語りかけた。
日に日にミストの容態は悪くなる一方である。眠っている時間が増え、背中から感じる体温は常に熱いまま。体力の消耗が激しいことは容易に想像できる。
ミストの真っ白な頬についた土を指で拭き取ると、手を足に戻し、軽く跳んで支え直す。そして、再び前を向いて歩き始める。
そのまま進み続け、日が天辺に登る頃、切り立った崖へと出た。崖沿いに続く細く不安定な道を進むと、途中で俺はあるはずの道が失せていることに気づき、足を止めざるを得なかった。
「どうしたんだクリス?」
クレアに後ろから声をかけられ、問題の箇所を指差した。
「道が……崩れてる」
崖沿いに比較的平坦な細道が続いている。ここを進まなければいけないのだが、途中で崩れ落ちていた。それは、たったの一メートルほど道が欠けているだけであったが、俺の精神を乱すには十分すぎる距離だった。
眠るミストを背負っている状況で、無事に渡ることができるだろうか。一部崩れているということは、地盤が不安定になっているのではないか。
不安が胸中を渦巻き、鈍い頭痛がする。
痛む頭は、回り道をするべきだ、と結論を出す。しかし、回り道するにも地理を知らない。加えて、この道さえ通り抜けられれば、真っ直ぐに進み、川沿いに出ることができる。そこからは、ゆっくりと降っていけば良いだけだ。
この道を進めば即死する可能性が、回り道をすれば山から出られなくなるという可能性が、どちらにせよ危険がつきまとう。
棒立ちになり、どうすべきか考えていると、重さが足にじわじわと伝わってきた。張り詰めたふくらはぎが震えている。
人一人を背負って山道を進み、疲労は溜まっていることは明らかだ。背負ったまま、崩れた道を飛び越えることはできないに決まっている。
横を向くと空だ。足が竦み、震えが増す。
「まさか、たった少し崩れただけで、越えることができないなんてな」
クレアは苦々しく笑った。やはり、厳しいと考えるのだろう。
「回り道するしかない……ね」
「ああ、だがこの崖沿いの道があるだけましだ。この道を見失わないように進むしかないだろうな」
互いに顔を見合わせ頷きあうと、俺はクレアの後ろにいるアリスに目を向ける。
アリスは、顔を苦痛に歪め、息を荒げて立っていた。
元々付いていくのに精一杯であったのに、ペースを早めたことが原因だった。アリスに負担をかけないように、荷は全てクレアが持っているが、それでも厳しいことは見て取れる。
「すぐに休まないと……」
そう言うと、アリスは首をふった。
「まだ、大丈夫。本当にダメになりそうだったら、早めにいう」
息絶え絶えにアリスはそう言った。
まわり道をすると決めた今、さらに急ぐ必要があった。何しろ、一つも道知らぬ山を抜けようとするのである。当然、時間はかかる上に、荷物に入っている食料や水が尽きる可能性が高い。
当初は、果実や野草を手に入れ、飢えを凌ぐことも考慮していたが、今は少しの体力でも残しておかなければいけない。未知の環境を進む上で、不測の事態は起こりうる。対処するための力はどうしても必要になるのだ。
「ごめんアリス、もう少しだけ我慢してくれ」
俺たちは来た道に引き返し、安定した岩場でほんの少しの休憩を取った。そしてすぐに歩き始めた。
山を下り崖沿いを進みつつ、顔を上げる。木の合間から覗く先程の道を捉えながら進む。今度は前を向いて地形を確認し、再び見上げては歩く。
余裕は既に消え失せ、焦燥感に苛まれていた。
誤算だった。上にいた頃は気づかなかったが、目的の道と似たような細道は、崖沿いに沢山あったのである。さらに、似たような光景が広がっており、少しでも目を離せば、どこが目的の道であるのか見失ってしまう。
日は既に下り始め、空に広がる灰色の雲に隠れた。もうすぐ夜になり、暗くなれば完全にわからなくなる。そうなる前に休めそうな場所を探し出し、道が見える角度の目印をつけなければいけない。
だが、今進んでいる道も簡単な道とは言い難く、木の根が剥き出しになり、凹凸な地面、岩が突き出ている。転げれば、ミストも俺もただでは済まないのだ。よって、前を向きつつ、見上げながら進まなければいけない。当然ながら歩みは遅れてしまう。
急がなければ取り返しのつかないことになるが、急ぐことのできない現状に苛立ちが募っていく。
クレアとアリスも同様で、肉体と精神に疲労を溜め込み、一言も発することすらなくなっていた。
前方の地形を観察したのち、道を見ようと顔をあげると、ポタリと冷たい雫が顔に落ちてきた。
「……嘘だろ」
雨だった。
背負っているミストの重さが急に増し、沈んでいく感覚に陥る。瞼が閉じて、目の前が暗くなってくる。
だめだ。このまま雨に降られれば……。
「クリス!! 早く雨を防げる場所に行かないと!!」
クレアの叫び声に引き戻され、失せかけていた気力を取り戻す。
「あ、ああ!! 走ろう!!」
そう言うと、クレアがアリスの手をつかんで走り始める。俺もミストを背負い直し、足に力をいれ走り出した。
ポツポツと降り注ぐ雨の中、木の根を跨ぎ、岩の上を跳ね、斜面を滑って駆け下りる。
次第に雨脚が強くなり、どんどん悪くなっていく視界の中で洞穴の入り口を捉えた。
肺が圧迫され、喉までしかない通らない空気を必死で吸い込む。目が勝手に閉じそうになるくらいの辛さを感じるが、足だけは止めずに走り、なんとか洞穴に駆け込んだ。
奥に暗闇が広がる洞穴に立ち入ると、ゆっくりとミストを寝かせ、壁に背を預けて倒れこむ。岩肌が背を削るが、痛みなんか感じないくらいに、恐慌に陥っていた。
勝手に歯がカチカチとなり、身が震えだす。
無事雨から逃れられた安心感など一欠片もない。ただ、遭難した、その事実に脳内は支配されていた。





