遭難
洞穴の中で、雨のけたたましい音を聞いていた。
雨が作り出す真っ白な世界をただ眺める。
「……これからどうするか」
クレアはぽつりとそう溢した。入り口から差し込む外の光が、僅かにクレアの陰りを帯びた表情を映す。
俺はクレアに何も答えられず、外に向けていた視線を地面に落とす。
寝息が二つ聞こえる。アリスとミストのものだ。
熱に苦しむミストは寝ていたままで、アリスは洞穴に入ると安心したのか、すぐに壁に身を寄せて意識を手放した。
二人はもう限界を迎えている。だというのに、最悪の状況に陥っていた。
雨に濡れ、これ以上体温を下げる訳にはいかない。洞穴を見つけ、雨風を凌いでいる今は幸運で、選択肢としても正解に違いなかった。
ただいくら残された選択の中で正解だったとしても、状況を悪くしたことには変わりない。雨が止んだとしても、もう道を見失ったのだ。救助のない今、一歩外を出れば当てもなく彷徨い歩くだけ。
山を降りるか? いや、無理だ。降ってどこに出ようとオラール領。短期間ならば存在はバレないかもしれないが、長期になると流石にどうしようもない。
「気負うなクリス」
クレアに声をかけられて顔をあげる。
すると、クレアは土に汚れた顔を向日葵のような明るい笑顔に変えた。
「どうしたんだ。その泣きそうな顔は?」
クレアは笑顔のまま続ける。
「そこまで気負うこともない。最悪、この山で暮らせばいい話だ」
「なにを馬鹿な……」
「ふふっ。私は案外悪くないと思うがな。遭難したとしても、休めるところを見つけてミストの回復を待とう。それから、私が山菜や果実を採ってくれば生きていける」
クレアの言葉に勇気付けられる。そういった意図で掛けてくれた言葉なのはわかりきっていたが、それでも奮い立たされた。
本当に、クレアはいつも俺のことを考えてくれる。
冷え切った心がじんと温まり、鼻の奥がツンとする。目には熱いものが込み上げてきた。
「なんのしがらみのない山で生きて行くのもそう悪くないと思うんだが、どうだろうクリス?」
「ははっ。それはいいかもねクレア」
「そうだろう、クリス」
「じゃあ、本当にどうしようもなくなったらそうしようか」
そう言って、俺は立ち上がった。
薪になるものを探しにいこう。
クレアの提案は本当に素晴らしかった。でも、まだその時じゃない。それに、こんな環境ではない。
そう考えた時、大きく心臓が跳ねた。訳もわからぬ感情が目をハッキリと覚まさせる。
血が全身に巡る。熱湯に入った時のような神経が鋭敏なる感覚。
何かに気づき掛けた。ただ、正体は未だ靄がかかって見えることができない。
「どこに行くんだ?」
クレアに声を掛けられて我に帰る。
思い出せそうで思い出せない気持ちの悪い感覚を切り捨て、クレアに返事した。
「薪になりそうなものを探しにいこうかと思ってね」
「私も行くよ」
クレアも腰を上げ掛けたが、手で制した。
「クレアはミストとアリスの様子を見ててくれ、何か起きた時に対応できる人がいないと」
俺の言葉を聞くと、クレアは心底嬉しそうに笑った。
「女の子だからじゃないんだな」
「うっ。まあ、そうなんだけど。どうしてそんなに嬉しそうなんだ?」
「いや、色々と嬉しくてな」
クレアは恥ずかしそうにハニかんだ。
それから、薪になりそうなものを集めて帰ってくると、ミストが起き上がり、壁に寄り添うようにして宙を見上げていた。
「大丈夫かミスト?」
心配して尋ねると、ミストは弱々しい笑みをこちらに向けてきた。
「なんとか……ね。それに、無理にでも食べ物を取らないと」
熱を産むため、食べ物と水は必要になる。絶対に摂取しなければいけないのだが、病人に食べやすいものは持ち合わせていない。それどころか遭難しているのだ。これから食糧も尽きるかもしれない。
その事をミストに伝えるのが憚られて、唇を噛んだ。
「何暗い顔しているんだい。大丈夫だよ、私は回復するさ。そしたら、ここで暮らすのも悪くはないね」
驚き、クレアに顔を向ける。するとクレアは、こくりと頷いてきた。
ミストにはもう遭難した事を伝えていたのか。
えもしれぬ感情に喉がつまり、息が苦しくなる。
ミストは遭難した事を知っていて、自分の命が危ないと気づいているのに、それでも責めてこない。どころか気遣ってくれる。
「すぐに火を焚くから待っててくれ」
消えかけた炎が勢いを増す感覚を覚えながら、俺は火を点ける作業に取り掛かった。
***
俺達は雨が止むまで休息を取り、再び歩き始めた。
すでに陽が一度沈み、再び登っていた。ぬかるんだ山道を進む。
道は悪く、あてもなかった。
運だよりで、昨日の道に繋がりそうな方向へとひたすら進む。
脚が重い。疲れた。眠い。
休んだにも関わらず、体の中から悲鳴が上がり続けている。
視界は木々に阻まれ、気を抜けばぬかるんだ地に足を滑らせる。
限界に近い脚の筋肉を奮い立たせ、体重のバランスを取りながら歩く。だというのに、目的地に近づいているのかも話からない。
気が狂いそうになりながら進むと、やがて辺りは生える木が増え、草が生い茂る地へと変わった。
感覚は既になく、降っていることにも気づいてはいなかった。
草木が増え、獣道すらない。伸びたシダのような雑草を踏み、青臭い匂いが充満する道を進む。
ただ何も一言も発さず、休むことなく歩き続けた。気づけば空は、赤く染まっていた。
「クリス、もうそろそろ夜だ。冷えるのはまずい。休める場所を探し始めよう」
「ああ、そうだな。アリスもう少しだけ歩けるか?」
「うん、なんとかね。でも、そろそろダメかも」
「出来れば暮らせそうな所があると良いな」
「そうね!」
クレアの言葉にアリスは明るく同意した。
アリスにも既に遭難したことを伝えてあった。それでも、不平なんて何一つ言わず、冗談交じりに勇気付けてくれる。
消えかけていた灯火は、見る影もないくらいに大きく燃え盛り、それが燃料となって体を動かし続けていた。
ただ幸せな二人の生活が、夢が、精神的な支えになっているのかもしれない。過去に考えていた言葉がふと思い浮かぶ。
「止まってくれ!」
その時、クレアが性質の違う声を出した。何事かとクレアの方を向くと、唇の前に人差し指を立てていた。
黙り、ただクレアの方を見ていると、小さく草が鳴る音が聞こえた。その音は不自然で、風にそよぐ音ではない。草木を掻き分けるような、ひたひたと忍び寄るような囁かなもの。
音の鳴る方に目を向けると、数メートルくらい先の生い茂る草の中、灰色の毛が僅かに見えた。
明けましておめでとうございます。活動報告あげました。
あと、コメディです。正月番組のCMの間にでもどうぞ。https://ncode.syosetu.com/n3916fe/





