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ローレル殿下の婚約者候補(ハーツ・イーズ視点)


「……シトラール、すまないな」


連日、王宮へ出仕しているシトラールに僕は声をかける。


本来であれば、彼がここにいる理由はない。

ローレル殿下の側近でもない男が、王太子の執務室で動き回るなど、あり得ないことだ。


「……ハーツ様」


シトラールはわずかに肩をすくめ、力の抜けた声で僕の名を呼んだ。納得しているのだろう。

この状況が例外であることも含めて。


本来、王太子の執務室に出入りできる者は限られている。

いくら王太子妃の兄とはいえ、それは変わらない。


――だが。


大国ゆえに、政治的な均衡は複雑だ。

血縁だけで人を配置するわけにもいかない。


その点で言えば、シトラールは十分に例外になり得る。


(優秀だからだ)


もしメリッサが王太子妃に選ばれていなければ、シトラールは間違いなくローレル殿下の側近の一人になっていただろう。

下位貴族にも関わらず、だ。


今回は、その“例外”として、僕の補佐に入っている。

だが、本来ならシトラールは現在は魔法学園の研究室にいるはずの男。


扉が開いた。


ローレル殿下が入室した瞬間、空気が引き締まる。

しかしローレル殿下は少し浮かれているように見えた。


珍しい。

一昨日のメリッサとの結婚が相当嬉しかったに違いない。


「シトラール。今日も来てもらってすまないな」


「いえ、問題ありません」


殿下は最初にシトラールへ声をかけた。


昨日、シトラールは殿下に食ってかかっていた。

あの男があそこまで感情を表に出すのは珍しい。


――それだけ、納得していなかったのだろう。


今日は落ち着いている。

言うべきことは言い切ったのだろう。


切り替えが早いのも、シトラールの長所だ。


本来であれば。

婚約を経て、準備を整え、時間をかけて婚姻へ至る。

それが定石だ。


だが今回は違う。


先に婚姻。

その後に準備。

そして後日、正式な式を挙げる。


順序が逆だ。

これが自分の妹の話でなければ、シトラールは気にもしなかっただろう。


だが、身内の話だ。

しかも婚約をすっ飛ばして結婚など、常識的な考え方を持つバウム子爵家では受け入れられなかったに違いない。


そして騙し討のように、権力をもってメリッサに婚姻証明書を書かせたこともバウム子爵から聞き及んでいるのであろう。

思うところがない訳がない。


ローレル殿下の側近である僕でさえ、今回のことは強引だと感じたくらいだ。

しかし、それ程までにローレル殿下はメリッサを欲していたのだ。


大国の王太子が婚約もせず、いきなり結婚。

相手は、これまで一度も王太子の婚約者候補に名前が挙がったことさえない無名の子爵家の令嬢である。


当然、噂も立つ。


――妊娠しているのではないか。


根拠のない、下劣な憶測だ。

だが、貴族社会ではそれで十分に広がる。


ローレル殿下が魔法学園時代、メリッサにほとんど接触していなかったのも、本来はこの種の誤解を避けるためだった。

メリッサに瑕疵がつかないように十分に配慮していたのだ。


魔法学園に通っていた3年間。

ローレル殿下はずっと接触は殆どせず、メリッサを見守っていた。


だが順序が違う以上、その手の噂を完全に防ぐことはできない。


(もっとも――問題はない)


事実は一つだ。


そして、ローレル殿下は揺るがない。

ただ、メリッサにだけ、この手の噂を聞かれないように手を回した。

素早い対応に感心する。


今回、ローレル殿下がメリッサとの婚姻を急いだ理由は明確だ。


バウム子爵家。


権力を求めない、稀有な家門。

むしろ、意図的に権力から距離を取ろうとする。


バウム子爵家が権力から遠のく理由も僕は理解していた。

だから全面的にバウム子爵家のことを王家も表に出さない。


ローレル殿下とメリッサの婚姻。

王家にとって、これ以上ない外戚だ。


バウム子爵家はメリッサが王太子に嫁ぐことは、予想外のことだったのだが。

騒ぎ立てはしない。


古い家柄でありながら、領地経営は安定している。むしろ近年は発展が著しい。


報告書を読めば分かる。

異常な伸びだ。


(あれは――)


メリッサの影響だろう。


本人に自覚はない。

だが、結果は出ている。


魔法学園でも同様だ。

成果は残す。

だが、本人は気にしていない。


突拍子もない。

だが、的を外さない。


それがメリッサである。

僕は遠縁ということもあり、幼い頃から彼女のことを知っている。

どれほど優秀なのかも。


そして。


その令嬢が、王太子妃となった。


完璧な王太子の隣に。


――まるで、おとぎ話だ。


自然と、記憶が遡る。


6年前。

あの時が、始まりだったのだろう。



   ■□■□■□■□■□



「やあ、ハーツ」


イーズ侯爵家にローレル殿下が訪れたのは久しぶりだった。


声に覇気がない。

疲れているのが分かる。


「……今日、イーズ侯爵家に誰か来ているのか?」


嫌悪するような声だった。

眉をひそめている。

聡いローレル殿下は全てを見抜いているのだろう。


最近、殿下は連日のように婚約者候補と会っている。

まだ十二歳だというのに。


「はい。遠縁の子爵家の兄妹が滞在しています」


私の返答に、殿下は小さく肩を落とした。

ローレル殿下は諦めにも似た表情を浮かべている。


「どこの子爵家だ?」


「バウム子爵家です」


「ああ……あのバウム子爵家、か」


あのバウム子爵家、が何を指しているのかは分からない。

だが、何かしら認識はあるらしい。


僕はそのまま、目的の部屋へ向かう。

殿下も黙ってついてきた。


足取りは重い。


(無理もない)


王太子である以上、婚姻と子を設けることは避けては通れない。

殿下も、それは理解している。


だからこそ、疲れるのだろう。


「イーズ侯爵家は、ハーツの妹を妃候補に立てると思っていた。正直、意外だったよ」


思い出したかのようにローレル殿下が呟いた。

本来はその予定だった。

僕の2つ年下の妹のヴィオレはとても優秀なのだ。


「はい。最初はその予定でした。ですが、妹以上に優秀な令嬢がいましたので」


僕は自嘲気味に答える。

妹は、とてもメリッサを尊敬しているのだ。

そして妹本人さえも王太子妃にはメリッサが良いと推したのだ。


「へえ。ハーツが他人を評価するのは珍しいな」


殿下の言葉に、わずかに口元が緩む。


「バウム子爵家の末娘が殿下と僕と同い年で、次男が一つ年上です。どちらも間違いなく優秀です」


「……そうか」


小さく呟く声。

疲労が滲んでいる。


(今日の顔合わせは早めに終わらせるべきか)


頭の中で段取りを組み替える。

ローレル殿下の疲労をこれ以上大きくするわけにはいかない。


「殿下のお気に召さなければ、駒として扱えばよいかと」


「……は?」


僕の提案に、珍しくローレル殿下は間の抜けた声を漏らした。

そんなことを言われるとは思わなったのだろう。


「上手く扱えれば、かなり有用です。妹だけでなく、兄も」


自然と口元が歪んだ。

本当にうまく扱えれば、だが。


メリッサもシトラールもとても優秀なことには変わりない。

シトラールはともかく、メリッサは彼女の興味がある方面へと上手く誘導すれば大きな成果を出すことは違いない。


――この時点では、まだ知らなかった。


殿下が。


僕が“駒”になると思っていた令嬢を、自らの伴侶として選ぶことになるとは、思ってもいなかったのだ。

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