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俺の死に様と死神の彼女  作者: 卯月 みつび
第一章 死を乗り越えて
2/19

 悪夢から覚めた後、俺は軽く汗ばんだTシャツを脱ぎ捨てると、そのまま制服に袖を通す。これからまだ伸びるだろうと思われた身長は未だ変わりはなく、すこし大きめの制服は着こなせていない。寝癖がつきづらい少しだけ長めの髪の毛を手櫛で整えつつ、俺はリビングに寄って玄関に向かった。

「行ってきます」

「あら、もうそんな時間? 気をつけていってくるのよ」

 母親の言葉を背中に受けながら、俺は重いドアを開け放つ。外は晴れており、光が視界に飛び込んできた。眩しさに目をしかめつつ、その光の中に自分の身を投じる。

「にゃあぁぁ」

 まだ外の光に目が慣れない最中、俺の足元からは聞き慣れた鳴き声が響いた。

「なんだ、お前か」

 見ると、足元には小さな黒猫が一匹。甘えるような声で鳴いている。

「今日も腹減ってるのか。しょうがないな」

 そう言いながらも、俺はリビングからくすねてきた食パンを地面に放る。黒猫はすぐさま俺の足元から離れると、こちらを警戒しながら食パンを食べ始めた。

「いい加減慣れろよ。何もしないから」

 俺は苦笑いを浮かべて、黒猫が食パンを食べるのを一通り眺めていた。ここ最近の日課のようなものだ。高校入学の初日、始業式のその日に餌をあげて以来、この黒猫は毎日のように餌をねだりにやってくるのだ。

 ひとしきり黒猫の食事風景を眺めた後、俺はゆっくりと立ち上がった。そして視線を家の前の道路に向ける。行きかう人々は見慣れた面々。特に話もしたことのない、この時間、この道を通るいつもの人たちが家の前の道路を通り抜けている。俺は無言でその流れに身を任せた。

 一見すると爽やかな登校風景に見えそうなものなのだが、俺の心は真っ暗なままだった。


 高校に入学して早二ヶ月。別に最近はやりの五月病ならぬ六月病に掛かってるわけじゃない。始まったばかりの授業の内容もついていけないわけでもない。特に問題なしだ。しかし、しかしだ。一個だけ、俺は問題を抱えていた。よくあるだろう……そう、人間関係のこじれ、というやつだ。それが俺の心を真っ暗なままにしている一番の問題だった。

 それもこれも、始業式の日、あの猫に出会って遅刻をしなければ……と思っても後の祭りだろう。

「よう、今日もいつも通り登校ご苦労さん」

 そんな憂鬱な俺が校門にさしかかろうという時、後ろからいきなり肩を組んでくる男がいた。

「とりあえずよ、俺腹減ったんだわ。購買でパンでも買ってこい」

 にやけた顔を浮かべながら、佐立さだちの腰巾着の一人、沼田ぬまたが話しかけてくる。

 佐立というのは人間関係のこじれの中心人物だ。その佐立にべったりしながら、いつも俺になんやかんやと言ってくるのがこの男。細身の身体はお世辞にも腕っ節が強そうにはみえず、茶色く染髪された短い髪や不自然な意地の悪そうな顔は、いかにも成り立ての不良といった体。見るからに虎の威を借っていますという様子が、ひどく俺をいらだたせる。毎日話しかけてくるその内容もとくに変わりばえがなく、数週間前から繰り返されているいつものやりとりだ。

「聞こえてんのか?」

「わかったよ」

「いつも悪いな、へへ。じゃあ、教室に後で持って来いよ」

 そう言うと、沼田はスキップ交じりで下駄箱へと向かっていった。俺はため息をつきながら見送り、そのまま身体を右へ向けた。購買に寄らなければならない。そうしないと、例の如く屋上で殴られるに決まっている。

 大きくため息をつきながら、俺は自分の鞄に視線をおとす。そこには、昨日、道端でもらった運気が上がるキーホルダーとやらがつけられていた。

「やっぱり意味ないか……」

 そんなことを呟きながら、俺は中身の寂しくなった財布に目を落し、購買に向かっていった。


 ◆


「はい、いつものだね。あんた、そんなに大きくないのに毎日よく食べるね」

 購買のおばちゃんに、そんな嫌味だかなんだかよくわからないことを言われながら、俺はパンが入った袋を受け取った。

「どうも」

 そっけなく返事する。まっすぐ教室に戻るのも気乗りせず、俺はそのまま購買の売り物を何の気なしに眺めていた。そんな折、ふとパン売り場に目を戻すと、先ほどまで俺が立っていた場所に一人の少女が立っている。別に朝から購買に来る生徒は珍しくもないのだが、俺はその少女の様相に、つい目を奪われてしまった。

 透き通るような白が目に飛び込んでくる。それも脱色したようなくすんだものではなく、透き通った美しい絹のような白い髪が、俺の視界に飛び込んできたのだ。その圧倒的な透明感に俺は意識を奪われた。思わず口を半開きにしながら眺めてしまっていた。

 咄嗟に視線を落すと、自分と上履きの色が同じなのに気づく。同じ学年だ。見覚えのない同級生は俺に気づく様子もなく、珍しそうにパンを眺めていた。

「この黒ゴマがついてるのがあんパン……」

 そんなことを呟きながら真剣な目であんパンを見つめている。大きく見開かれた目はとても大きく、吸い込まれそうなほどだ。その目は色素が薄いのか、淡いグレーだ。

「そしてこれが牛乳……。高校生の昼食の定番。最高の組み合わせ」

 牛乳とあんパン、二つを見つめ大きく頷くと、どちらも購入して教室棟のほうへ駆けていった。白い髪をたなびかせながら走り去る後姿はどこか神秘的だった。

「変な奴……」

 そんなことを呟きながら、俺はその後姿を見つめていた。そして、その後姿から目が放せなかった。

 ひらひらとはためいているスカートから覗く白い足。足を踏み出すたびに踊りだす白い髪の毛を見るたびに、俺の胸の鼓動が激しく脈打った。

「名前……、なんて言うんだろう」

 無意識にそんな言葉を呟いてしまう。その言葉の意味に気づかない振りをしながら、俺は頭を横に振りながら目をつぶった。 

 ――その時、頭上のスピーカーから鐘の音がけたたましく響く。

「あ、やばい」

 始業開始五分前のチャイムだった。俺は、慌てて踵を返すと、すぐさま教室へと向かっていった。

「あれ? そういえば、あの女の子……」

 ふと白い髪の少女が頭をよぎる。どこか見覚えがあるように思えたが、全く思い当たることはない。

 気のせいか。

 首を傾げつつも、俺はその些細な疑問を振り払った。今から行く先は、俺にとって最悪の場所なのだから。余計なことを考えている暇はなかったのだ。


 ◆


「遅っせぇな」

 教室に行き席に座っていると、沼田が椅子を蹴りながら話しかけてきた。

「ちょっと手間取って」

「ほら、さっさとよこせよ」

 そう言って、パンが入った袋を強引に持って行く。俺が買ったパンを自然と口に運ぶ仕草は違和感がない。入学してから何度も繰り返された動作だった。

「佐立には言うんじゃねぇぞ」

「言わないよ」

 明らかにパシられている自分。周囲の人たちも気づいていないわけではない。しかし、何もいえないのだ。入学当初から目をつけられ、何かとからまれていた俺を、皆は遠巻きに見ながら眉をひそめているだけ。そのこと自体に俺は文句も何もないけれど、せめて同情的な視線だけは向けて欲しくなかった。人間関係のこじれ、もとい、いじめられている、という事実を突きつけられている気がしたからだ。

 俺は教室の真ん中で一人、椅子に座っている。後ろでは沼田達の下品な笑い声が響き、あらゆる方向から楽しげな声が響いてくる。そんな中、俺はひたすら待ち望むのだ。先生が訪れて静寂がやってくるその時を。

 ガラリ。

 唐突に鳴るドアの音に顔を向けるも、そこには先生はいなかった。立っていたのは佐立だ。大柄な体格に加え、鋭い眼光は人を威圧するには十分すぎるほどの迫力を持っている。短めの髪の毛は逆立っており、額には数センチほどの傷跡がある。どこで作ったかなんて、誰にも聞いたことはないが想像は容易い。

「おう」

 佐立の席のまわりに集まっている沼田達。必然的にそこに近づいていく佐立は、集まっている仲間達に声をかける。一瞬、ぎろりと睨まれた気がしたが、気のせいだろう。

「あ、佐立。遅かったじゃんか」

「おぅ」

 沼田は佐立に話しかけながら余ったパンを口に頬張った。俺はその様子をただ眺めることしかできない。懐の寒さに心の中で悲鳴をあげつつ、俺はひたすら先生の到着を待っていた。教室の中では、未だに沼田の笑い声が響き渡っていた。


 ◆


「あ? 買ってこれないってどういうことだ?」

 昼休みを告げるチャイムが鳴った直後、沼田は俺に昼食の買出しをしてこいと言い出してきた。佐立は既に教室を出てしまっている。

 またいつものか。と思いつつ、去年のお年玉も毎月の小遣いにもそろそろ限界がくることを思い出す。実際、あと数日もこの調子でパンを買っていたら、俺の財産は枯渇してしまうだろう。

 それを告げたら案の定、沼田はきれはじめ、俺の胸ぐらを掴んですごんできた。

「だから、お金がないんだって! 毎日パン買ってるんだから、すぐになくなっちゃ――」

「うるせぇな、口ごたえすんな」

 ガツンと響く衝撃とともに、俺の頬に痛みが走った。

「いった……」

 見ると、沼田はその細い腕で俺を殴ったようだ。吹き飛ばされた勢いで、周囲の机や椅子が倒れてしまっている。鉄の味がしたので口を拭うと、赤い血が手の甲に付いていた。

「いいから買ってこいって言ってんだろ? ほら、行けよ! 俺らは屋上にいるからよ」

 そう言うと、沼田は殴った右手を押さえながら教室から出て行った。俺は誰が見ても明らかに腑抜けた拳にすら恐怖を抱きつつ、本日二回目の購買に向かった。


 ◆


 なけなしのお金をはたいて、俺は言われた通りパンを買う。購買のおばちゃんには「見かけによらず――」などといわれたが、いつものことなので気にしない。

 屋上まで道のりは遠い。学校を立体と考えて、その対角線に位置していると考えるとわかりやすいだろう。それでも数分で着いてしまう距離なのだが、今の俺にはその時間がありがたかった。

 とぼとぼと歩きながら、明日からの毎日を、変わりのない毎日のことを考えてしまう。夢も希望もない、とはこういったことを言うのだろうか。その事実が、俺の肩に重く圧し掛かる。ついつい猫背になるのも、責められるものではないだろう。

「ちょっといいですか?」

 ふいに俺の横から声がする。ここは購買と校舎を繋ぐ渡り廊下であり、周囲を見回しても誰もいない。誰に話しかけてるんだか。俺を誰かと勘違いしているなら心底やめてほしい。向こうが気づいたとき、ひどく気まずい思いをする羽目になる。そう思って俺は構わず歩き続ける。

「あの、聞こえてますか? ちょっと聞きたいことがあるんですけど?」

 再び俺の横から声がする。さっきと同じ声だから追ってきたようだ。やっぱり誰かと勘違いしているみたいだ。とりあえずその勘違いを払拭するため、俺は声がするほうに顔を向けてみた。

「あ、やっと振り向いてくれました!」

 そういって笑顔を浮かべる少女がそこにはいた。勘違いではなかったようだ。ここ最近、俺に話しかける人がほとんどいない状況のため、こんな事態は考えていなかった。

 その少女を見ると、珍しく白い髪の毛をしていた。肌は透き通り雪のようだ。こちらを見つめる目はぱっちりと開きながら、灰色の瞳で俺をじっと見つめていた。

「あ……えっと、何の用ですか?」

 ついぶっきら棒な言い方になってしまう。初対面の女の子と流暢に話せるほど、俺は器用ではなかった。しかも、めずらしい髪の色とはいえ、とても可愛い女の子相手に。そんなのは無理だ。俺には不可能だ。

「急に呼び止めてすみません。今ちょっといいですか?」

 そんな言葉を投げかけられたら、頷くしかない。俺だって年頃の男子だ。少しくらい役得があってもいいだろう。……決して不毛な期待はしないが。

 俺を見つめながら笑みを浮かべている少女。その笑顔から目をそらすこともできず、ついつい見つめてしまっていた。そのことに気づいた瞬間、咄嗟に俺は視線を外す。

「いいですけど……」

「あのですね、ちょっと聞きたいことがあるんです。変な質問かもですが……なんで、お昼ご飯はあんパンと牛乳じゃないんでしょうか?」

「はい?」

 すさまじい勢いで、俺の頭の中は疑問符で埋め尽くされた。

 何を言ってるんだ、この女の子は。ひどく可愛いがちょっと変な奴なのだろうか。無理やり浮かべた笑顔が引きつっていたのは無理もないだろう。

「だって、あなたが買ったパンって、やきそばパンとメロンパン。あとは大きめの明太フランスですよね?」

 なんで、知ってるんだ? 見てたのか、こいつ。

 そんな疑問を抱きながら、とりあえず俺は質問に答える。

「まあ、そうだけど」

「それはおかしいです! 高校生の最高のお昼ご飯といえば、あんパンと牛乳! この一択って聞きました!」

「まあ、あんパンと牛乳は合うけど、別にそれだけってわけじゃないんじゃない? 俺、あんパンそんな好きなほうじゃないし」

「そうなんですか!? おかしいですね、私が読んだ本では、これがお決まりのはずなのに……」

 そう言いながら、目の前の少女は難しい顔をしてうなりはじめてしまった。いきなり俺に話しかけてきたこともそうだが、聞いている内容からしてこいつは変だ。それは断言できる。

 せっかく可愛いのにちょっと残念な子のようだ。可愛い子と話せたのはラッキーだったが、今はそれどころじゃない。早く行かなくちゃ。

「もし聞きたいことがそれだけなら、俺はこれで――」

「あ、ちょっと待ってください! 最後のご飯にあんパンと牛乳を選ばない理由はわかったんですが、あと一つだけ、一つだけ聞いてもいいですか?」

 まだあるのか。というか、最後のご飯? なんのことだ? 半ば、うんざりした気持ちに鞭をうち、愛想の良い顔を作り出した。

「いいですけど」

「よかった……。なら最後に一つだけ」

 そう言うと、少女は先ほど浮かべていた笑顔をいつのまにか消し去ると、どこか悲しげな顔で俺を見つめ始める。その視線は、憂いを帯びており、深く深く、吸い込まれていきそうな感覚におちいった。

 渡り廊下を吹き過ぎる風は、初夏を思わせないほどの涼やかさだった。唐突にその事実に気づいた俺は、背筋に寒気を感じる。そう寒気だ。巷では既に真夏日になろうかという季節に、俺は何を言っているのだろうか。

 そんな俺の動揺を知ってか知らずか、目の前の少女はゆっくりと、一つ一つ確かめるように言葉を紡いでいく。

「あなたの人生、思い残すことはありませんか?」

 わけのわからない言葉を俺に投げかけ、ぎこちなく笑みを浮かべたのだった。


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