第9章 尊氏の最期
【摂津国・湊川の戦い】
一度は京を追われ、九州まで落ち延びた足利尊氏であったが、筑前多々良浜の戦いで奇跡的な再起を果たし、数千艘の兵船と陸路の大軍を率いて再び東上を開始していた。
それを播磨と摂津の境、湊川(現在の兵庫県神戸市)で迎え撃ったのが、朝廷の命を受けた稀代の軍略家・楠木正成であった。
陸上を埋め尽くす足利直義の軍勢、そして海上から押し寄せる尊氏の本隊。
圧倒的な兵力差の中、正成とその弟・正季らは死力を尽くして戦い、幾度となく足利の陣列を押し返した。
しかし、数の暴力と時代の巨大なうねりを押し戻すことは叶わなかった。
兵が尽き、傷つき倒れた正成らは湊川の民家に追い詰められた。
『七生報国——七たび人間に生れて、国を滅ぼす賊を討ちたいものだ』
互いに太刀を突き立て合い、自害を遂げた正成の最期。
陣中でその訃報を聞いた尊氏は、正成の首級を前にし、静かに深々と首を垂れた。
「楠木殿……。お主は最後まで帝への忠義を貫き、綺麗な英雄として散ったのだな。……それに比べてわしは、どこまでも泥にまみれ、生き残ってしまった」
尊氏は正成の首級を丁寧に清め、遺族のもとへ送り返すよう命じた。
その瞳から流れる涙は、敵に対する敬意であると同時に、正成のように潔く死ぬことすら許されぬ己の過酷な運命への痛憤であった。
【室町幕府の樹立と、孤独な覇王の黄昏】
京へ入った尊氏は、光厳上皇の院宣を得て光明天皇を擁立。
自らは征夷大将軍に就任し、ついに新たな武家政権——室町幕府を樹立した。
しかし、後醍醐天皇が吉野へ逃れて吉野朝廷(南朝)を開いたことで、日本は北朝と南朝に分かれ、半世紀に及ぶ未曾有の「南北朝の動乱」へと突入した。
武家の頂点に立ち、覇王となった尊氏を待っていたのは、安らぎなどではなく、さらなる身内の血の惨劇であった。
幕府の主導権をめぐり、実弟・足利直義と執事・高師直が激しく対立。
これを人は観応の擾乱と呼んだ。
尊氏は弟・直義と戦わねばならなくなり、やがて直義は鎌倉で謎の急死を遂げる。
一説には、尊氏自身の手によって毒殺されたとも囁かれた。
「進……。わしはまた、身内を殺した」
髪も白くなり、痩せこけた尊氏は、誰もいない二条殿の奥間でぽつりと呟いた。
「北条の一族を滅ぼし、義兄の守時殿を殺し、楠木殿を討ち、帝を裏切り……最後には、わしの片腕であった実の弟・直義までこの手で葬った。……わしが手に入れた『武家の天下』とは、これほどまでに冷たく、惨めなものだったのか」
尊氏は笑い、そして泣いた。
ある時は戦場で敵に寛大さを見せて無邪気に喜び、ある時は深い絶望から「死にたい」と泣き叫び、ある時は冷酷に弟を排除する——。
後世の者が「神のようでもあり、悪魔のようでもある」と評した足利尊氏の二面性。
それは、あまりにも巨大すぎる時代の「業」を一人で背負わされた男の、狂気と優しさの哀しい摩擦音であった。
【尊氏の最期】
背中の腫れ物(背瘡)が悪化し、死床に伏していた尊氏の傍らに、進は静かに付き添っていた。
「進……」
掠れた声で尊氏が進を呼んだ。
「わしは……多くの者を地獄へ追いやった。わしもまた、地獄へ堕ちるのであろうな」
「尊氏様……。貴方様が創られたこの幕府と武士の世が、やがてこの国に新たな秩序をもたらします。貴方様の背負われた苦悩を、後世の誰も笑うことはできません」
進が涙を堪えて応えると、尊氏はふっと穏やかな笑みを浮かべた。
その顔は、すべてを失い、すべての罪を背負い切った者だけが見せる、どこまでも澄み切った静寂に満ちていた。
「もう……よい。わしは、十分迷い、十分に苦しんだ。……これで、ようやく眠れる……」
足利尊氏、享年54。
激動と血塗られた室町幕府初代将軍の生涯は、静かに幕を閉じた。




