第1章 平城の祈り
【異形の都・平城京】
神亀元年(724年)。
進が目を覚ますと、そこは赤く塗られた巨大な円柱がそびえる、見知らぬ木造の宮殿であった。
肌を刺す冷たい風の中に、沈香と燃えさかる松明の煙の匂いが混じり合っている。
ふと己の身なりを見下ろすと、深緑色の官衣に身を包み、腰には刀を差し、笏を手に握りしめていた。
彼の前に座していたのは、気品に満ちた高貴な面容を持ちながらも、その瞳に深い哀しみと疲弊を宿した若き日の皇子——のちの聖武天皇(首皇子・おびとのみこ)であった。
「……進か。都の東から、また不吉な報せが届いた」
聖武天皇の声は低く、震えていた。
奈良の地を中心としたこの平城京は、表向きこそ唐の長安を模した壮麗な都であったが、その実体は権力闘争と天災、そして人々の怨嗟が渦巻く「業の都」であった。
【政変と暗雲…長屋王の変と、藤原四兄弟の野望】
進の頭の中に、この時代の膨大な記憶が流れ込んできた。
聖武天皇の治世初期、朝廷は血で血を洗う政治闘争の渦中にあった。
皇室の血を引く清廉な宰相・長屋王。
彼は民の暮らしを第一に考え、過剰な権力集中を戒める重鎮であった。
しかし、天皇の母方である藤原氏(藤原不比等の子ら:武智麻呂・房前・宇合・麻呂の藤原四兄弟)にとって、長屋王は己の権力を拡大する上での最大の障壁であった。
神亀6年(729年)、藤原四兄弟は「長屋王が国家を呪詛し、謀反を企てている」という不当な密告をでっち上げ、兵を挙げて長屋王の邸宅を包囲した。
『わしに謀反の心などない……! あるのは、この国の平穏を願う心のみ!』
長屋王は妻の吉備内親王や子供たちとともに毒を飲み、無念の死を遂げた。
進は覚えている。
長屋王が倒れたあの夜、平城京の空がどす黒い紫色の雲に覆われ、不気味な地鳴りが城下を揺るがしたことを。
(権力のために無実の血を流した……。その報いが、これからこの国を襲うのだ)
【疫病(天然痘)の猛威と、絶望の平城京】
長屋王の凄惨な自害から数年と経たぬうちに、恐ろしい災厄が日本全国を襲い始めた。
九州から上陸した天然痘(瘡の病)の猛威である。
高熱とともに全身に凄まじい発疹が生じ、人々は苦悶の叫びをあげながら次々と息絶えていった。
都の街道には行き場を失った遺体が打ち捨てられ、腐臭が平城京を覆い尽くした。
そして、その「祟り」の刃は、長屋王を自害に追い込んだ当事者たちにも向けられた。
「藤原房前様が……お倒れになられた!」
「宇合様も……麻呂様も……武智麻呂様まで……!」
天平9年(737年)、朝廷の権力を独占していた藤原四兄弟が、わずか数ヶ月の間に全員天然痘にかかり、苦しみ抜いた末に相次いで世を去ったのである。
都の庶民は恐怖に慄き、口々に囁き合った。
『長屋王の祟りだ……』
『無実の王を殺した藤原の男たちが、長屋王の怨霊に命を吸い取られたのだ……』と。
【聖武天皇の苦悩】
「わが不徳が、この国を滅ぼすのか」
夜毎、平城宮の奥深くに長屋王の怨霊のすすり泣きが響き渡る。
天候は狂い、夏に雪が降り、激しい地震が幾度も地表を叩き割った。
日照りによって田畑は干上がって米は実らず、疫病と飢餓で人口の3分の1近くが死に絶えるという、まさに地獄絵図が繰り広げられていた。
聖武天皇は、暗い部屋でひとり膝を抱え、ガタガタと体を震わせていた。
「進……見よ。わしが帝位に就いてからというもの、天は一度もわしを微笑んでくれぬ。長屋王の死を止められなかった……藤原の野望を抑えられなかった……。この国のすべての死は、わしの『不徳』ゆえなのか!?」
聖武天皇の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
彼は権力に執着する覇王ではなく、あまりにも優しく、そして人間の業と罪の重さに耐えかねて心を病んでいく、繊細な青年であった。
「わしは……逃げたいのだ。この不吉な平城京から、死の匂いが満ちるこの宮殿から逃げ出したい……!」
聖武天皇の叫びは、夜の闇へと虚しく消えていった。
【彷徨える帝】
都を捨てる旅へ。
怨霊の恐怖と疫病の惨状に耐えかねた聖武天皇は、ついに平城京を捨て、都を転々と変える「彷徨の旅」に出ることを決意する。
恭仁京、紫香楽宮、難波京——。
都を移すたびに莫大な国力が消費され、民はさらに疲弊していったが、天皇の心の平安はどこへ行っても得られなかった。
進は、天皇の傍らに寄り添いながら、権力者の醜い争いが招いた「業」が、いかに無辜の民を苦しめ、そして最高権力者である天皇自身をも狂気と絶望の淵へ追い詰めていくのかを、痛烈なまでの虚しさとともに見つめていた——。




