3話
『世界』のどこか 14:30
『世界』には沢山の物がある。多種多様な『怪物』やそれ以外の意思を持つ者達が自身の好きな物を持ち込み、作り出し、好き勝手に並べていくからこそこの『世界』には多様な物が、多様な時代が、多様な文明があるのだ。
だが、それだけでは道にすら山のように物が散乱してしまう。それを防ぐためか、住人達は皆自らの能力を使い空間を広げるなどの手段を取る事で家に好きな物を保存しておくのだ。それは勿論ジェラルドも例外ではなかった。
「ひどいなこれは……誰の趣味だ?」
ジェラルドの目の前の広場には山のように物が置かれていた。破れた本、割れたディスク、壊れた機械などの「いかにも本来の目的ではもう使えそうに無い物」がそこには散乱していた。
これも誰かの趣味なのだろうとジェラルドがその山の上に目を向けると、そこには一人の女が座って本を読んでいた。静けさを連想させる姿、上半身に和服を、下半身に洋服を着て片手に扇子を持つ女だ。
それはどこからどう見てもジェラルドを斬った鎧武者に立ち向かった女であり、先ほどニルと腕を組んでそこに駿我を加えた三人組で歩いていった奇矯という名の女そのものだった。
その姿を確認した瞬間、ジェラルドは歓喜の表情を浮かべて山を歩み出した。様々な「使えそうにない物」が積もり積もって出来た言わばゴミの山だ、一見するだけでバランスを取る事が不可能に近いほど難しいのは誰の目から見ても明らかだった。
だが、ジェラルドは当たり前のようにその不安定な上にいつ崩落してもおかしくない足場を踏みしめて進んでいた。それは中に浮いているわけでもなく足場を作っているわけでもない、抜群のバランス感覚と優れた目を使い足場を一瞬で見極めるとそこへ足を置くという凄まじい難易度の技による物だ。
そしてジェラルドは山の半ば辺りまで来ると女の方へ得意げな笑みを浮かべた。どうやら自分の技術を見せびらかしたかったようだ。それに気づいたのか、女は微笑を浮かべてジェラルドを見つめた。
反応を見ると嬉しそうにまたその技術を使ってジェラルドは山の上の近くまで登っていた。が、唐突に何かに気づいたように崩落しそうな場所で足を止める。それによって足場は沈んだが、無意識なのかジェラルドは当たり前のように中に浮いた。
先ほどまでの歓喜の表情とは違い、ジェラルドの顔には不機嫌そうな、それでいて懐かしそうな物が浮かんでいる。女は戸惑うように首をかしげてジェラルドを見つめたが、それに惑わされるジェラルドではない。
「どういうつもりかな。罠か? それとも嫌がらせか?」
あからさまに不快感を発しつつ告げられた言葉、それに対して言葉の意味がわからないとばかりに女がわざとらしいほどそれらしい疑問の表情を浮かべ、口を開いた。
「えっと……あなたは確か、鎧武者に斬られていた方ですよね? 嫌がらせとは?」
「ああ、惚けないでくれると嬉しい。私としては姿だけとはいえ『命の恩人』に攻撃するのは嫌だからな。そういうわけだ、さっさと姿を見せろ。なあ『エィスト』」
ジェラルドは山の上を歩く途中、なぜだか急に出会いが嘘臭く思えたのだ。どうにも目の前の女が数日前に出会った者と同じ人間とは思えず、じっと見つめていると唐突にジェラルドは真実に行き着いた。これは本人ではない、『怪物』の扮する偽者である、と。
そして女は浮かべていた疑問の表情を苦笑に、それから楽しそうに笑ったかと思うと姿が消え、ジェラルドの前に現れた。だが、その姿は先ほどまでの女とは明らかに違う何者かだ。
正体不明の虹色に輝く髪、好奇心の塊のようでいて恐ろしい物にも見える濁った目、男にも女にもそれ以外の何かにも見えるその姿。それらの特徴を持つ『怪物』をジェラルドは知っている。それも、とびきりの警戒心を持って迎える対象として。
「うーん、姿だけじゃなくて、中身も同じなんだけどなあ? 肉体も魂もまったく同じになり切ってた。なのに見破るなんて……ジェラルド君は怖いね」
「お前がその気なら最後まで騙されてただろうな、いや、正確には騙されたわけじゃないんだがな。今のは本人なんだろう?」
そう、先ほどまでジェラルドの前に居た女は本人だった。より正確には、『本人とまったく同じ存在となったエィスト』だ。エィストという『怪物』にとっては人間の同一人物になる事など容易かった。当然そうすればジェラルドですら見破る事は不可能だったが、それでも見抜くことが出来たのは女からエィストの雰囲気が僅かに出ていたからだった。
「本当に、私を騙す気があったのか?」
「いや、無いかな。ちょっとした悪戯だから気にしないで欲しいかも」
そう言って笑うと、何を考えたのかゴミの山を踊るような動きでエィストが降りていった。あまりに無意味な動きにジェラルドは呆れて肩をすくめ、自らも降りようと思ったのか先ほどとは違い浮いたまま山から離れて地上へ戻った。
ゴミの山から降りたジェラルドはふと疑問に思ったのか二人が降りた山を見つめた。この『世界』で物を捨てる者は少ない。集めたとしてもこれほどの山にはならないだろう、ジェラルド自身もそうだが、基本的に好きな物は大事にするのが『怪物』なのだ。その視線の理由を解したエィストは得意げな顔になっていた。
「ああ、これ? 使えなくなった物を色々な場所から集めてタワーにしようと思ったんだけど、骨組みにするよりは山にした方がパズルみたいで楽しいかなって思って」
最初に見た時に呟いた言葉が正しかった事に彼は思わず苦笑を浮かべていた。
ただ彼は趣味に寛容な人物だったので使えなくなった物を集めて山を作るのもまた趣味の一つかと納得している、『怪物』の趣味趣向は多様なのだ。特に目の前のエィストは様々な物に興味を示す存在だという事を彼はよく知っていた。
「まあいいさ、趣味には色々あるんだからな。文句は言わない」
「さっすが世に名だたる吸血鬼狂いのジェラルド君だ! 本当に趣味には寛容だねえ」
エィストからはわざとらしいほどおどけた調子が感じられたが、一方である程度の敬意があった。口調はともかく、話の中身は本当のようだ。前半のバカにするような内容もジェラルドにとっては褒め言葉だったらしく、気を良くしていた。
「その通り、そうだとも。私は吸血鬼が好きで好きで好き何時の間にか自分が吸血鬼になっていたくらい愛してるんだ。わかってるじゃないかお前は」
「ジェラルド君は昔から吸血鬼大好きだったもんねえ。あ、そうだ。読んだ? ほら、最近私たちの間で人気の吸血鬼物の小説」
その言葉に少しばかり考えるようなそぶりを見せたジェラルドだったが、すぐにその小説のタイトルに行き着いたのかニヤりと笑って見せた。
「あれだろう? 吸血鬼と人間がラブロマンスする奴。性描写が過剰な奴だな」
「ああ、それそれ。どうだった?」
顎に手を当ててさするように動かしつつジェラルドはその場で作品を思い起こし、どういう感想を言うべきか悩んでいる。そんな彼の姿をエィストは楽しそうに眺めていた。どうやらどんな感想を言うか楽しみにしているようだ。
「面白い作品だが……視点が人類寄りに過ぎる。もっとこう、吸血鬼視点に立った作品の方が興奮するな。だが」
「だが?」
「吸血鬼物だしまあいいさ。うん、面白かったよ」
そのあまりに適当すぎる結論にエィストは思わず吹き出すように笑ったが、ジェラルドの変な物を見るような視線に気づいて慌てて止めた。
気を良くしてしばらく楽しげな雰囲気で笑みを浮かべていたジェラルドとエィストだったが、この場へ来た本題を思い出したジェラルドが楽しさを振り切るように真顔になるとエィストもまた雰囲気を察して若干楽しげな笑みを抑える。ただ完全に抑える気は無かったのか雰囲気はそのままだった。
「ああ、忘れてた。お前に用事があって来たんだった」
「知ってる知ってる。その用事の内容も当然知ってるから話さなくていいよ」
その言葉に特に呆れるでもなくただ一度肩をすくめて見せたジェラルドに対してエィストはやはり楽しそうな雰囲気で指を鳴らした。すると、先ほどまであったゴミの山は初めから無かったかのように消え去り、その場所にはベンチが一つ置かれている。そしてエィストはそれに座り、話し出した。
ジェラルドはなぜかベンチに座らず、警戒するような目でエィストを見ながらその話を聞き始める。
「鎧武者の正体なら知ってる。カイムのペンダントの話も知ってる。それに」
「じゃあ何故私にココまで来させたんだ?」
エィストの話を途中で遮ったジェラルドは少し怒っていた。彼が来る事をエィストが知っていたのは当然としても、なぜ彼がここにたどり着く前に会いに来なかったのかと考えたのだ。その怒りの理由はエィストにも伝わったらしく、少し慌てるように話を続けた。
「ああ、怒らないでね。君が来る途中でそれを言わなかったのは君にやって欲しい事があったからさ。凄く大事な、ね」
「なんだそれは」
ジェラルドは予想外と言いたげな表情でエィストを見ていた。彼は目の前にいる『怪物』はやろうと思えば何でも出来る存在だと認識していたのだ。それだけにその『怪物』が自らに願う内容はどのような無理難題なのかと想像して彼は思わず冷や汗をかいた。
「おっと。勘違いしないでほしいな、私は何でも出来るわけじゃないよ。『私自身がやりたくない事はできない』んだ」
その認識はエィストにも伝わったのか、エィストは半ば自らが「やろうと思えば何でも出来る」と宣言するような発言を口にする。それを聞いたジェラルドは不快そうに顔を歪めた。
「つまりお前は、あれか? 私にお前のやりたくない事を押し付けたいと。そういうアレなのか?」
「いいや、君にとっても素晴らしい事だと思うよ。ふふふ、私は君『ら』が皆幸せになれる道を目指してるんだからね。私の愛する皆が幸せになれる道を、ね」
言葉だけなら誰かの幸せを自分の幸せと思える善人にでも取れる物だ。もし第三者がこれを聞けば目の前の『怪物』が実は善人なのではないかと考えるだろう。だが、にこやかに告げられた言葉にジェラルドは寒気を覚えていた。言葉と笑みの奥底にある、気味の悪い物を感じ取って。
「遠慮しておきたいな、私は今幸せだ。興味深い女性にも出会ったしな」
「君が言ってるのは静かなタイプの美人さんだよね?」
当然のようにエィストは彼が興味を持った女が何者なのかと言い当ててみせた。だがそれもジェラルドは当然の物として受け止めた。目の前の『怪物』がどこまで知っているかなど考えるだけ無駄なのだ。恐らく目の前の怪物はそれを見抜いた事で得意げな顔をするだろうとジェラルドは予想してエィストの顔を見た。
そして、ジェラルドは硬直する。
エィストの表情は彼の興味の対象を見抜いた事への得意げな顔ではなく、願うような、何かを心から望むような笑みだった。先ほどの底に気味の悪い物を持つそれとはまったく違う、誰かの幸せを本心から願う顔だ。
その純粋すぎる表情にジェラルドは自分が圧倒されている事を感じていた。先ほどまでのジェラルドの警戒心を完全に吹き飛ばすほどの急変。圧倒されるジェラルドの表情に気づいていないのか、エィストはその表情のままで話し始めた。
「お願いっていうのはね、その人の事なんだ。彼女と関わってあげてほしいんだよ。君なら絶対にできるはずだ」
「か、関わる……?」
気後れするように一歩下がったジェラルドに会わせるようにエィストはベンチから立ち上がり、ジェラルドの手を両手で握り締めた。まるで祈りを捧げるように。
「やろうと思えば、私は彼女の意志なんて無視して助ける事ができる。でもそれじゃあ駄目だ。人の気持ちをどうにかするのは嫌だし、何よりそれじゃあ彼女は幸せになれない」
それだけ言うと両手を離し、圧倒され続けるジェラルドの目をしっかりと見ている。思いを伝えるように。
「もしかしたら、君が居なくても彼女は大丈夫なのかもしれない。私の行いなんて全部無駄で、あの素敵な二人があの子を幸せにできるかもしれない」
そこまで言うと言葉を切り、一度息を吸って吐き出すと話を続ける。
「だけど駄目だ。それは私が納得できない。彼女の願いを叶えつつ、彼女を助ける。その安全策のために君に頼みたいんだ」
「……その、『彼女の願い』と『彼女を助ける』とは一体何の事だ」
やっとの事で吹き飛ばされた自身の心を取り戻したジェラルドの口から発せられた言葉にエィストはにっこりと微笑んだ。やはり純粋な、安堵の色を乗せて。
どうやら断られるのではないかと不安に思っていたらしい、その点に気づいたジェラルドは何を馬鹿なと反論しようと口を開いたが、それより先にエィストが話しかけていた。
「そうだね、頼む以上は教えないといけないか。じゃあ、うん。全部話すよ。まず……」
そこまで言うと唐突に言葉を切って、エィストは素早く横を向いた。その先はただの壁だったが、ジェラルドにはその先に居る何者かを見ているのだという事がよくわかった。
そしてまた唐突にジェラルドの方を向くと焦るように彼の手を持って近くにある家の中へと歩き出した。当然慌ててエィストを見るジェラルドだったが、それをまったく気にする事なくエィストは彼を引きずっていく。
「お、おい待て。待て。何だ? 誰が来たんだ?」
「今私がこういう事を考えていると疑われるのはちょっとまずい。思考を弄るのは嫌いだしね。だからここから先は中で話す」
それだけ言うと話は終わりだとばかりにまたエィストは彼を引きずるように家の方へ進んでいく。だがジェラルドはその手を振りほどくと、焦るエィストの前へと向き直り真剣な表情で問い質した。
「お前の頼みとは、本当にあの女性の幸せのためだけなのか?」
その言葉に一瞬エィストは言葉に詰まったが、微笑を浮かべると急ぐようにまた手を掴んで引っ張りながらも言った。「私自身がそっちの方が面白いからというのもあるんだけど! いや実はそっちがメイン!」と。
ジェラルドはその言葉を聴いて同じように微笑を浮かべている。彼は安心していたのだ。目の前の『怪物』は自分のためにしか動かない存在だと知っているのだから、いくら純粋な表情で頼まれたからと言ってもそれを信じる事はできないのだ。
だが、ジェラルドは同時に疑問も抱いていた。彼の知る警戒心を持って会うべきエィストと今目の前にいるそれとの印象が合致しないのだ。彼の知るエィストなら他者を不幸にし、苦しませながらも同時に幸せにするという手を自身の力で無理やり実現させただろう。そう、それこそ他者の意思など無視して自らの欲望のために。
そんな疑問に気づいたのか、エィストは焦りながらも家の扉を開けるとジェラルドの方を向いて、言った。
「きっと、私の家族のおかげですよ」と。
そして、ジェラルドとエィストが数ある家の中の一つに入っていった数瞬の後、そこに膝に少年が現れた。そう、エィストの言う、家族だ。先ほどまで猫を連れていたらしく、肩には猫の毛が付いている。
少年は辺りを見回すと誰も居ない事を知ったのかそのまま目の前にあるベンチに腰をかける。そして息を一つ吐き出すと、幸せそうに一人で微笑んだ。まるで誰かに語りかけるような雰囲気で。
「友達、友達かぁ……ふふ、とってもいい人だなあ……奇矯さん、かぁ……」
頭の中に先ほど友達となった女性の姿を頭に浮かべた少年は恍惚とした笑みを浮かべつつ両手を紅潮した頬にあて、身をよじらせた。
それを終えたかと思うと立ち上がり、辺りをまた一度見回すと鼻歌を奏で始め、恥ずかしそうにスキップまでし、一言呟くと笑顔でその場を後にしようとした。
「また会えるといいなぁ……」
だが、少年の足は止まっていた。いや、止めさせられたのだ。人が一人通れるか通れないかくらいの細い隙間から誰かが少年の前に現れて少年は止まりきれずにその人物の肩にぶつかったのだ。少年はぶつかった人物に謝ろうと紅潮した頬のままで上を向いた。
「ごめんなさ……もしかして、恭助君ですか?」
瞬間、少年は、恭助はその足が凍りついたように止まっていた。悪戯っぽい運命が、どうやら少年の願いを最高のタイミングで叶えたらしい。目の前に居るのは恭助が先ほど会いたいと願った相手だった。
だが、同時にそれは恭助にとってあまり歓迎したくないタイミングでもあった。何せ鼻歌交じりでスキップしながら紅潮した頬でぶつかったのだ。彼にとっては恥ずかしい姿を見られる格好となってしまった。
その為に少し恥ずかしそうに顔を背けたが、やがて嬉しさが勝ったのか奇矯へ顔を合わせると満面の笑みで頷いた。そして恭助は気づいた、彼女の隣に何時の間にか現れた二人の存在に。
その二人にも恥ずかしい姿が見られたと恭助はすこしだけ顔を赤くしたが、それも即座に自分の中で取り払うと三人に対して挨拶をした。二人の友人と友人になれるかもしれない一人への期待と親愛をこめて。
「ニルさん! 久しぶり! はじめまして駿我さん! 今日は素敵な日だね! それに……何十分かぶりだね、奇矯さん!」
『世界』のどこか 14:30
ジェラルドがエィストと吸血鬼小説の話で盛り上がっていたその頃、駿我とニルと奇矯の三人組は相変わらず腕を組んだままで足を進めていた。
中央に居るニルとその片腕を組んでいる奇矯は平然としていたが、駿我は内心居心地の悪さを感じていた。何せ腕を組んでいる相手が相手なのだ。幸い、二人の雑談の内容自体には駿我は絡む事ができた為に三人の間で居心地の悪さは感じなかったが、それ以外の者の視線が気になっていたのだ。
----いつも異常に視線が鬱陶しい。多すぎる。
彼と同じただの人間から猫の姿をした『怪物』まで、様々な存在が彼らへ目を向けている。好奇、嫉妬、疑問、様々な感情が視線を通して奇矯と駿我へと注がれていた。
中でも好奇の目は数多く感じられる。なぜかニルへの視線は少ない事を考えると、どうやら周囲の興味はカイムの娘であるニルと腕を組んで歩く二人へ向けられているらしい。
それに気づいた駿我は少し疲れたような表情をした。同じく視線を注がれている奇矯はニルとの話に夢中なのか完全に気づいていない。ニルも見た所気にとめていないらしく、居心地が悪いのは自分だけかと駿我は溜息をついた。
そんな溜息を聞いて奇矯は駿我から居心地の悪そうな雰囲気が発せられている事に気づいて慌てた。ニルとばかり話をして駿我に嫌な思いをさせたのだろうかとニルの方を見たが、ニルの眼はそれはないと告げている。
「奇矯さん、拙者は別にそういう意味でこんな感じになってるわけじゃないでござるよ」
奇矯の慌てた行動の意味に気づいた駿我は手を振り、彼女の考えを否定して見せた。そうすると奇矯は安堵の顔を見せたが、その後にはいかにも疑問だという表情が残されていた。ならば何故そんなに居心地が悪そうなのかという物だ。
そんな表情を見てとった駿我は黙って周囲を見た。それに会わせて奇矯も視線を二人の居ない方向へ運ぶ、そして奇矯は周囲を歩く者達が自分達二人へとあからさまな視線を注いでいる事に気づいた。そんな奇矯の様子を隣のニルは面白そうに眺めている。
奇矯は視線に気づいて駿我と同じく居心地が悪そうな、それでいて緊張するような表情となった。話に夢中で気づかなかった事を恥じているのか、それとも見知らぬ者達に視線を注がれるのが気になるのか、それはわからなかったがとにかく奇矯が自分と同じく居心地の悪い思いをしている事だけは駿我は理解していた。
当然、付き合いの浅い駿我ですら理解できる事をニルが理解していない筈も無く。
しばらく面白そうな顔で二人を見守っていたニルだったが、やがて飽きたのか数は少ないが自分にも向けられている視線が気になったのか、急に組んでいる腕を外した。
「よしっ、ちょっと視線から外れようか」
彼女はそれだけ言うと、そのまま横に居る二人へ目配せをして細い壁と壁の隙間のような道へと体を滑り込ませた。
明らかに人が一人も入れないくらいの幅の道、というよりただの隙間だったが、そんな事は考えてすらいない。二人もまたニルの行動と思考に気づいていたが、まったく慌てる事無く凄まじい速度で細い道に入ったニルに苦笑して引きずられるようにそこへ進む。
ニルが細い隙間を幅も常識も無視して当たり前のように走っていた。体が壁という物体を無視しているのか、それとも壁がニルと触れようとしないのか、隙間へ入っていったニルを見ていた周囲の者達は一部を除いてそれを理解できていなかった。
二人はそれを理解していたが、いつもの事だと気にも留めない。
「じゃあ、私も行きます」
そして奇矯が何かを思いついたのか壁のわずかな凹凸へ器用に足を乗せて足場にし、まるで空中を浮遊するようにニルを追い越さんばかりの速さでついて行った。それを見た駿我は二人の派手な移動方法に呆れて苦笑を浮かべていた。
「まったく、ニルも奇矯さんも派手で妙な移動方法でござるなぁ。まあ拙者は堅実に……上から行くか」
それだけ小さく呟くと凄まじい速度で壁を『走り』、壁から近場の建物の屋根へと飛び移り今も壁の隙間を走るニルと奇矯を見つけると二人の目的地らしき隙間の出口へと向かえる道を探して即座にその道へと走った。
彼の呟きを聞いていた数少ない者達はこう思っていた。「一番派手なのはこいつじゃないか?」と。当然、駿我にそのような自覚はまったく無かった。駿我自身にとっては地味な部類の移動手段を使ったという認識だった。
そして、三人が周囲の者達の視界から消えると多種多様な姿をしたそれらは好き勝手に話し始めた。どうやらニルから発せられる彼女の父親に似た力の気配が彼らの口を閉ざしていたらしい。
「あれ、ニルさんでしょ? アノ人と腕組んでた二人誰? 知らない?」
「俺が知るか。いや、もしかしたら例の鎧武者じゃないか? で、ニルが捕まえて護送中とか」
「鎧武者は一人で動いてるのにあそこに居たのは二人だったがな」
「にしてもあの上半身和服の奴、持ってる鞘は最高だよな。あれで顔殴られたりしたら俺はもう満足するね」
「鞘に欲情するマゾヒスト……変態かお前は」
「でも僕らのトップって変態だよね?」
「ですわね。前も自分の家族に鉄棒ぶちこんだらしいわ。本人が言ってたもの」
「鉄棒? 何で?」
「聞くなよお前……もしそいつがここに居てトラウマになってたらどう責任取るんだ?」
「結婚する?」
「そういう意味の責任じゃないのは確かだな」
「結婚したい」
「やめろ変態、冗談に聞こえん」
「変態といや吸血鬼マニアの旦那も見かけたなあ」
「ジェラルドか? 誰があんなの連れて来たんだ」
「実はあいつ鎧武者に斬られたらしいわよ」
「え、本当か? お見舞い行くべきか?」
「とっくに直ってるに決まってる。お前の考える部分には綿でも詰まってるのか」
「綿菓子うまい」
「製造機貸してやる、大人しく帰って食え」
今まで我慢していただけに彼らの話は様々な方向へと動いていった。もはや最初の話題が何だったのかすら彼らの大部分は忘れ去っている。覚えている者達も会話に花を咲かせすぎてやはり少しづつ忘れ去っていった。
だが、その話の中へ自然に話題を振った者によってその流れは当たり前のように捻じ曲げられた。そう、彼らにとっても懐かしい、『彼』の声によって。
「それにしても、ニルの奴は相変わらず外見も性格も母親似だな。最後に見た時もそうだったが俺の要素なんて力以外何も感じなかったぞ」
「まあそうだろうな、だがアンタに似たら色々とアレだと思うが。俺は似なくて良かったと思……何?」
「いやー、ニルにゃあんなに仲良い奴が二人も居るけど、あんたにはあんなに仲良い奴居なかったもんな、いいとこ俺らのトップと奥さんくらい……はあ?」
「さっきは見せなかった一面がそっくりなのかもしれないわよ。気を落とさなくていいわ。カイムさ…………え?」
『彼』は最初からその場に居た。ニル達へ視線を向けていた一人として周囲の者達と同じように。しかし、視線の意味は違う。『彼』がニルへ向けていた者は好奇でも疑問でも嫉妬でもない、紛れもなく、父親が娘へ向けるそれだ。
だが、彼らと先ほどまで居た三人は気づかなかった。いや、『彼』が気づけないようにしていた。かなり強い『怪物』達も居るその一団に自らを隠している事にすら気づかせないその圧倒的なまでの力。それは明らかにカイムと呼ばれた『怪物』だった。
それがカイムであると認識した者達の反応は早かった。カイムと初めて会った者達は彼から発せられる正体不明の威圧感のような何かに有らん限りの警戒心を、それ以外の者達は一部の楽しそうに笑う者達を除き、思わず気絶や死んだフリをする者さえ居る。
そんな姿にカイムは苦笑した。それはまさしくニルの苦笑とまったく同じ物だった。幾人かの楽しそうに、または懐かしそうにしている者達はそれに気づいてカイムに教えると、嬉しかったのかカイムはニヤりと笑って見せた。
「そうかい、それは良かった。まあ、あいつにとっては知らないおっさんだろうがな」
「ニルが存在を創める前に行方くらましたんだから当然だろ」
その当然の言葉にカイムは「まあな」と言って楽しそうに笑って見せた。その笑顔に何かを企むような色がある事に気づいた幾人かはそれをカイムから聞き出そうとする。
彼らの質問に対してカイムが返したのは、何かに挑戦するような笑顔だった。言外にこれで充分か? という言葉を聞いたような感覚を覚えた彼らはそれ以上聞いても何も出てこない事を悟って言葉を止めた。
「まあ、今回はお前らが絡む事は無いからな。安心して家帰って寝ろ」
その言葉に死んだフリをしていた者達と彼と初めて会う者達はそれの真偽を見抜こうとしていたが、やがて無意味な事と悟ってカイムの言葉を信じるしか無い事に気づくと一目散に去っていった。
ただ、気絶や死んだフリをしていた去り行く彼らの目には恐怖はあっても怒りや恨み妬みの類は感じられなかった。当然だ、彼らはカイムと仲が悪いわけではないのだから。いや、実の所彼らはカイムに親愛さえ覚えているのだ。
「前回お前らを蹴散らしたのはお前らが立ち塞がったからなんだが……恨まれてるわけでもなさそうだな。ならいいか」
「立ち塞がった連中は皆お前の事を思ってやったんだからな? いい奴に恵まれて幸せだなおい」
「知ってるさ。ところでお前も立ち塞がったよな? そうか、俺の事を思ってくれるとはいい奴だなお前は」
それを聞いた機械で出来た人型の形の『怪物』の一人は機械だというのに顔を赤くして去っていった。どうやら図星だったらしく、道に転がっている枝に足をひっかけそうになるほど挙動不審な歩き方になっている。
そんな『怪物』が帰った事を確認したカイムは笑っていた。カイムにとっては彼らと話すのも久しぶりだったのだ。つい顔がほころんでしまうのも仕方の無い事だった。
「さて、まあ、帰ってきた俺だが、まだエィストの奴には内緒にしておくからそのつもりでな」
言外に「エィストには気づかせない」と言っている事に気づいたその場に残った者達は疑問に思っていた。深く知るもの以外にはまったく公表されていない事だが、彼とエィストは仲が良いのだ。
そのエィストには知らせないとはどういう事なのかと彼らはカイムへ疑問を投げかけた。すると、帰ってきたのは悪戯を企む子供のような笑みだった。そしてその笑みを浮かべた途端、カイムの姿は彼らの前から完全に消えていた。
「俺の企みに面白い事を期待するなよ?」という、その一言を残して。
「ニルさん! 久しぶり! はじめまして駿我さん! 今日は素敵な日だね! それに……何十分かぶりだね、奇矯さん!」
恭助から言葉が発せられた時、駿我はなんとなくやり遂げた気分になっていた。最短ルートを見つけ急いで走った彼は奇矯には少し遅れたが、何故かニルよりは早く隙間の先へ到着する事ができていた。どうやらニルは駿我が別方向から追ってくる事を察してあまり速く走っていなかったようだが、しかしそれでも先に到着できたのは駿我にとって達成感を覚えるに値する事だった。
その為、見知らぬ少年が何故か自分の名前を含めた三人へと挨拶した事への反応が遅れた。奇矯が喜んで挨拶をしてニルが楽しそうに恭助の頭に手を置いた時にようやく駿我は挨拶を返していた。何故自分の名前を知っているのかという疑問はあったが、ニルの知り合いなら良いかと自分を納得させた。
「あ、なんで名前を知ってるか? ですか? それはねー……内緒っ! じゃなかった。本当はニルさんに聞きました!」
そんな駿我の思考に気づいていたのか、それとも力か何かで読み取ったのか恭助はにこやかな笑みを浮かべつつ話していたが、途中で間違えたのか恥ずかしそうにしつつ真実を告げた。わざと子供らしく振舞っているような気配がしたが、その場にそれを気にする者は居ない。
告げられた言葉に駿我は少しだけニルへと目を向けると、ニルは駿我へと向かって小さく頷いた。嘘ではないようだと駿我は納得し、恭助にそれを告げようとした所で何を思ったのかなんとなく拗ねたような表情でニルの方を見た。
「拙者は奇矯さんの事もそこの少年の事も知らなかったでござるがな」
「教えない方が後々の出会いが素晴らしくなるかなと思ってね、それに恭助は親友ではないし……まあ、それだけじゃないんだが」
ニルの悪戯っぽい笑みと共に告げられた言葉に駿我は苦笑してその通りかもしれないと頷いた、実際に、奇矯とは事前に知らなかったからこそ仲良くなれたのかもしれないと駿我は感じていた。その奇矯もまた駿我の事は知らなかったと言おうとしていたが、ニルの最後の言葉で息を詰まらせたように言葉を口の中へ閉じ込めていた。
そんな奇矯の姿に駿我は内心疑問を感じ、恭助は首をかしげていたがニルはそうなる事を予想していたようでただ苦笑するだけだった。それが数秒間続いたが、やがて我に返った駿我が恭助に話しかけた事でそれは終わる。
「ああ、ところで少年、お主名前は?」
「え? さっき奇矯さんが僕の名前呼んでましたけど……別にそんな、自己紹介しなきゃいけないとか僕は気にしませんよ?」
戸惑いを込めた表情で見つめる恭助に対し、駿我は口元に笑みを浮かべて答えた。
「ああ、聞いたでござるよ。恭助殿でござろう? しかし、拙者はやはり本人から名前を聞くのが良いと思うのでな。その方がきっと」
「きっと?」
「お互いの事がよくわかって良いと思うんでござるが、どうかな?」
それを聞いた恭助は嬉しそうに、本当に嬉しそうにした。彼にとっても駿我は良き友人になれそうな相手だったのだ。あまりに嬉しかったからか、思わず駿我の片手を両手で握って何度も頷いている。
駿我もまたそれが伝わったのか自分の手を握っている両手を残った手で握った。それに対して恭助は一度大きく頷き、彼ら二人は笑い合い、そして改めて挨拶をした。
「はじめまして! 僕は恭助。趣味は……楽しいこと全般です!」
「はじめまして、拙者は駿我と申す。趣味は……こんな格好をしてこんな口調で居る事でござる」
少し自嘲が入った自己紹介をした駿我に対して恭助は首を傾げていた。なぜそのような行動を取ったのか解らなかった駿我も首を傾げたが、隣に居た奇矯とニルの言葉でその疑問は氷解した。
「それくらい普通だと思いますよ? この辺の人たちはもっと凄い格好してますから」
「まあ私たちもこんな感じの格好だけどね」
ああ、と納得した顔で駿我は奇矯に礼を言った。確かにここへ来る前に会った者達の中にはかなり奇抜な姿形をしている者も居た。それに比べれば自分の服装など民族衣装かと彼は苦笑する。
そして恭助もまた奇矯の言葉から駿我の思考に辿りついたのか同じような顔をする。そんな二人にニルは笑っていた。彼女は軍服のような黒い服に赤い飾りを幾つか付けた女性だ、別に軍人でもない彼女だが、なんとなく好みで身に着けていた。そんな彼女からすると駿我の自嘲はよほどおかしな事だったらしい。そう、『彼のそれは趣味で着ている物ではないのだから』。
そんな笑うニルに向かって上半身和服下半身洋服の女である奇矯は思い切り彼女の足を踏みつけようとした。が、その足はなぜかニルの足を通過して地面を踏みつけていた。特にニルが避けたわけでもない。当たり前のように通り抜けたのだ。だがそれにも奇矯は驚くことなく、腰に手をあててニルを注意した。
「まったく、親友の趣味を笑うなんていけません。それに本人は悩んでるんです」
「いやいや、笑った理由が違う。君と駿我はそんな所まで同じかと思い至ってね。駿我は趣味について悩んでるんじゃない。『お前と同じ理由さ』」
一瞬傷口に触れられたような顔をした奇矯に対して視線で駿我の方を見るように伝えるとニルは駿我の方を見た。奇矯もそれに会わせて駿我の方を向くと、隣の会話を聞いていた駿我と恭助がこちらを見ていた。
駿我は苦笑を浮かべていた。ニルの話す内容を聞いた彼は「これは拙者が話す方に話を持っていく気だな」と感づいていたのだ。彼の苦笑の中には真剣な色が混じっている。
「いや、拙者は趣味でこの格好や口調をしているんでござるよ? ただ……やめようと思えないだけで」
「それは一体……なんですか?」
「……中毒、なんでござるかなあ……拙者はこの口調でこの格好の自分が本質に思えて仕方が無いでござるよ。まあ、慌てている時は別でござるが」
最後は面白がるような笑みで告げられたその言葉に奇矯は固まっていた。あまりにも彼女自身と一致しすぎる悩みだ。彼女も自身の本質の事で苦しんでいるのだから。
自然と奇矯から発せられる雰囲気は冷たい物となっていた。その事に駿我もニルも恭助も気づいていたが、駿我と恭助はあえて彼女の傷に触れる事もあるまいと口を挟まず、ニルは訳知り顔で黙っていた。
「まあ、拙者はこの格好気に入ってるんでござるよ? こういうのが好きでこういう格好してるんでござるし、だが……それは演技……の、筈なんでござるがな。いつのまにかこちらの方が本物の自分になっていたのかもしれん……」
「ニルを親友だとする心は拙者がどうあれ変わらんがな」と最後に一言付け足すと駿我は話しを終えた。その一言が嬉しかったのか、ニルは駿我の肩を何度か叩いている。恭助もまた友情っていいなと言いたげな顔で微笑んでいた。
だが、奇矯は最後の一言でまた一層冷たい雰囲気を強めていた。『自分がどんな自分であってもニルは親友』、彼女もそうなのだ。
ニルが出会ったばかりの二人を似ていると笑い転げるのも無理はない、その通りなのだから。彼と彼女はその悩みに至るまで似ていた。
そんな奇矯の雰囲気から逃げる為なのか、恭助が急にニルの手をとって走り出した。
「ニルさん! 偶然出会った事だしちょっと話し合いたい事があったんだ! 僕から会いに行こうと思ってたんだけどね!」
妙に高い調子とわざとらしく少し無理のある行動だったが、ニルはその手を振りほどくこと無く付いていく。そんな彼女に駿我と奇矯は付いていこうとしたが、ニル自身によって止められた。
「君たちは二人でちょっと待っててくれ! 二人とも会ったばっかりだしいい機会だから仲良くなって欲しい! ちょっと恭助と旧交を温めてくる!」
やはり同じような調子で告げられたその言葉に二人は足を止め、互いの顔を見合わせていた。そうやって二人が困ったような顔をしている間にも、ニルと恭助はある家の前までたどり着いていた。
だが恭助がドアのノブに触れる寸前に止まり、何事かをニルに呟くとそのまま別の扉へと入っていく。それこそ二人が止める隙すらないほどの速さだ。
駿我と奇矯に何も言わせずに二人は扉の奥へ消えていった。
二人は困った顔をして互いの顔を見合わせていたが、やがてその沈黙に耐えられなくなったのか駿我は話題を振った。
「なあ奇矯さん」
「どうしました?」
奇矯からは既に冷たい物は感じなくなっていた。ニルと恭助の勢いで吹き飛ばされてしまったようだ。内心安堵しながらも駿我は言葉を続ける。
「その鞘、なぜ空なんでござるか? いやいい鞘でござるが……まさか殴打するとかそういう方法でござるか?」
そう、駿我の視線の先には奇矯の中身の入っていない鞘があった。いかにも頑丈そうな雰囲気を発している駿我の目から見ても十二分に良い鞘だ。
それだけに、そこに刀が入っていないのが駿我にとっては疑問だった。だが、その質問をした瞬間駿我は後悔した。
奇矯からまたあの冷たい空気が発せられていたのだ。駿我は心の中でしまったと自分を罵った。どうやら奇矯の触れて欲しくない部分に触れてしまったようだ。
話さなくても良いと断りを入れようとしたが、それより先に奇矯が話していた。自分を呪うように、鞘を握り締めて。
「私もあなたと同じなんです……」
「同じ?」
思わず返事をしてしまった駿我は奇矯の目を見て思わず息が詰まる思いをした。暗い目だ、底なしの穴のような目だ。
「ええ、同じです。私は、私は……刀を持つと、それが自分の本質のように感じるんです、誰かに刀を向けたくなるんです……最初は、ただの憧れだったのに」
奇矯の口調は苦しげだった、もし呪いで人を殺す力を彼女が持っていれば当の昔に死んでいるだろうとすら思わせるほど。
「だから、鞘なんです。鞘無しでは私はきっと自分の本質に近づけない、でも刀を誰かに向けたくは無い……だから……許せない」
最後の言葉を聞いた時、駿我の心には疑問が入っていた。それまでは自分の中にだけ向けていた怒りや呪いをその時だけは他者に向けた気がしたのだ。
そんな視線に気づいたのか、ほんの少しだけ冷たい雰囲気を緩めた奇矯は駿我の疑問に答えるべく口を開いた、心からの、怒りをこめて。
「許せません、あの鎧武者だけは、許せないんです……」
何故? とは聞けなかった。駿我すら圧倒するほどの憤怒の炎が込められた瞳に言葉を封殺されてしまったのだ。駿我は今ここで何を言っても彼女は自分を呪うか誰かを呪うしかできないのだろうという直感があった。
そして駿我は奇矯が落ち着くまで待とうと側にあったベンチに座った。残念そうな、一言と共に。
「ニル……悪いがこの場で仲を深めるのはかなり難しそうでござるよ……」
「ふふっ、安心しろ。奇矯と君は仲良くなれるさ……いや、『ならなければならない』か」
恭助の部屋の椅子に座っているニルはまるで外の駿我の言葉が聞こえているかのように振り向いて丁度駿我の居る方向へと目をやると不敵な笑みでそう呟いていた。隣では恭助が別の椅子に座っている。
「ん? どうしたのニルさん?」
「いや、なんでもない」
苦笑気味に帰ってきた言葉に恭助は首を傾げた、だが、独り言のようなニルの言葉自体は聞いていたのと、『今も見ている』為に駿我と奇矯の二人が仲を深められていない事だけは理解できた。その為か恭助は大げさなほどに大きい溜息をつく。
「あの辛そうな雰囲気を根本的にどうにかするのは僕だけじゃ多分無理だと思ったから、ニルさんと前から聞いてた駿我さんに仲良くなってもらおうと思ったんだけど……」
「あの状態だと駿我は話しかけ辛いだろうな。いつもより奇矯の精神状態が酷い、正直私が居ないといつもあんな感じだとは知らなかった」
まるで見ているかのように話すニルの言葉に、恭助は疑問を持たない。恐らくはニルも自分と同じように駿我と奇矯を『見て』いるのだろうと理解していた。そう、二人は力で彼らの動きを監視するように眺めていたのだ。
「それにしてもさ、これって勝手に覗き見してる事になるよね? 僕、こういうのはエィストさんと違って好みじゃないんだけど」
「私もだ、特にあの二人を勝手に監視してると思うと嫌になる……そうだな、止めるか」
「うん、やめよう。こういうのはよくないね、よくない」
そこまで言うと、二人は駿我と奇矯を見る事を止めていた。が、恭助の言葉はそこから始まっていた。
「で、ニルさんは何を企んでるの? 奇矯さんに関する事だよね? 今ならエィストさんに見られる心配無いよ?」
恭助の言葉に驚いたような顔をしたが、ニルはすぐに笑みを戻した。どうやら見抜かれていたらしい、そう悟ったニルは恭助に全てを話して巻き込む事を決めていた。彼女自身の企みの達成の為に。
ニルは恭助の耳に口を近づけた。くすぐったそうな表情の恭助を無視してニルは言葉を告げる。そして、それを終えた途端、ニルと恭助は心の底から取り出したような真剣な表情をした。特にニルは常にある不敵な笑顔が消えて、真剣な何かが現れている。
駿我か奇矯が見ればあ然とするか、頬を抓るほどの事だ。彼女がその笑みを崩すなど、到底ありえないと思えるほどそれは彼女から離れた事が無かったのだから。だが、いつ如何なる時でもどんな表情にも混ぜられていた笑みは彼女から今離れていた。
「さて、どうする恭助。凄く面倒な問題だ、能力で強引に解決するのはまずいぞ」
「そうだね、それは僕もまずい選択肢だと思う、なら、こういうのはどうだろう?」
「言ってみてくれ、二人で考えよう」
お互いに自分の意見を交わらせ、二人は話し始めた。どこまでも真剣な雰囲気で、一つの目的を果たすために。彼と彼女の目的は今この時同じになった、ある人を生かす。ただそれだけだ、そしてその『あの人』が誰なのかもまた二人は一致している。
二人は考えていた。そう、考えているのだ。『奇矯を死なせずに幸せにする』。そんな方法を。そして、真剣に考え込むニルはまだ気づかなかった。窓から覗く、猫の視線に。
と、言うわけで3話です。いやあ、今回は前半の前半(吸血鬼小説のくだり)まではすらすら書けたんですが、そこから先が地の文何を書いていいか全然わからなくなって大変でした。
そして、今回ついに6万文字を突破しました。多分この作品は10万文字行くか行かないかくらいの文章量だと思います。っていうか多分ラストで大分色々やるのでそれまでがどうなるかがわかりません。
後半のセリフの応酬は実は前からやりたかった事です。ほら、「ヒャッハア!」とかそういう……
っていうか私が言うのもアレですが群像劇形式やるにしては登場人物の人数少なすぎませんかこれ……
2012/3/16/3:35 眠い……




