後編
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早足で門の前に立った俺に、獣人の門番がちらりと目を向けた。
「旅人か」
「あ、そうです。入っていいっすか?」
「どこから来た?」
「え、えーと、ずっと遠くの北の方から旅して回ってるんで、どことは」
「そうか。まぁいい。面倒は起こすなよ。あと、ここは日が暮れたら出入り禁止だ」
「はいはい」
それきり、獣人は俺に興味などなくしたようだ。てっきり身分証明書は、などと聞かれるかと思ったが、そんなものはなかったらしい。
――ないよ。そんなの。
「ぶわっ! <完>じゃなくても出てくんのかよ!」
――突っ込み所があったらね。
「へぇ……」
――今の話に戻るけどさ。だいたい、中世レベルの発展ぐあいで、戦争もあって更には魔物も居てっていう舞台なのに、身分証明を持ってなかったらおかしいとか、間違ってるとは言わないけど、ちょっと不自然だよね? 地区内で教会が管理する戸籍のようなものとかならあっただろうけど、国全体、大陸全体で通用する偽装不可能な証明書なんて、まずないんじゃないかなぁ。せいぜい、誰でも知ってる権力者の一筆が効果を発揮するくらいで。まぁ、商人とか芸人とかの大所帯は別として。
「ふぅん。まぁ、俺には関係ないや」
そして俺は、ウンチクをたれてくる幻聴のような声が聞こえなくなってから、改めて街の中を散策した。
活気がある、とは言い難いが、行き交う人々はそれなりにきちんとした身なりである。無難な地方都市といったところなのだろう。
屋台や食堂の並ぶ通りにさしかかったとき、俺は顔を顰めた。空腹とまではいかないが、ちゃんとした料理を口にしたくなってきたのだ。しかし、金もなければ売れる物もない。
(どーすっかな)
しばらく悩んだ後、思いついたのは日本料理だ。画期的に美味しい料理の発案者としてちやほやされるのもいいかもしれない。
思いついたらすぐ行動。俺はすぐ近くの店に入り、厨房に居る女に交渉を持ちかけた。
「はぁ? 新しい料理を作るから、調理場と材料を貸して欲しい?」
「そうそう! 店の新メニューをただで教える代わりに、ちょっとだけ貸してくれよ」
「そんなこと言われたってねぇ。だいたいあんた何者よ」
「俺? あー……、ああ、故郷でちょっとした料理人やっててさ。食べたくなったんだよね、急に」
急に作った設定はさすがに信じてもらえなかったようで、女はかなりの難色を示した。だが、彼女には都合の悪いことに、ごねる客をつまみ出す役の旦那が不在だったらしい。問答で客を放っておくわけにもいかず、俺はごり押しで厨房と材料を借りることとなった。
「……言っておくけど、ろくでもないもの作ったら、材料費は取るよ」
「へーへーっと」
そう言っていられるのも今の内。すぐに俺を拝むようになるさ。
借りたのは卵と塩と酢とオイル。それに既に刻んであったキャベツに似た野菜。凝ったのは無理でも、マヨネーズくらいは作れる。分量はちゃんと覚えてないけど、なんとかなるだろ。中三のとき、調理実習で作ったから覚えてるってだけだけど。ああそうそう。材料がどんなのかが判ったのは、言語理解能力の一端だと思う。
適当にそれっぽくなるように混ぜていって、そう時間もかからずに作成終了。味見してみたが、そう悪くはない出来だ。
「なんだい、それは」
「いいから食べてみなって」
顔を顰めながら、女がマヨネーズを付けた野菜を口にする。そしてゆっくりと咀嚼した。
「っ!」
「どう?」
「なんだい、この不味いのは!」
「……へ?」
「妙な生っぽさと酸っぱさ……、こんなんだったら塩かけて食べただけの方がましだよ!」
「えええええ!?」
「しかも、どこか遠くの街だけで出された料理に、こんなのがあったねぇ。ったく、何を作るのかと思ったら、こんなしょうもないものを……。材料費払いな!」
ものすごい剣幕である。実のところ、そう大した材料費でもないはずだが、あいにくと俺は無一文。代わりに払えるものもない。
どうしようかとまごついていたら、女の神経の方が先に切れたようだった。
「警備兵! とんだ詐欺師がいるよ! とっ捕まえてちょうだい!」
「ええええええええ!?」
どういう展開だよ!
慌てながら俺は押しかける人を突き飛ばし、脱兎のごとく逃げ出した。しかし、街の警備兵もそれなりに速い。
仕方がない、と俺はスピードを上げ、道を遮る人や物は払いのけ、そのまま門の外へと飛び出した。一旦森の方へ逃げ込もう。
……だがこのときの俺は知らなかった。自分の全速力が、それこそ俺を撥ねたトラック並の速度であったこと。払いのけられた人は間接的なのものも含め数十人に上り、死者もかなりの数になったことを。
そうして俺が国の英雄どころか、凶悪犯罪者として追われるようになるのは近い将来の話である。
<完>
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「な、なんでだよ!」
――日本で一般的なものがどこでも受けるとか、自分が美味しいと思っているものは皆もそう思うだろうってのが幻想。
「マヨネーズはどこでも受けるだろ!?」
――嫌いな人もいるし。だいたい、まぁ、マヨネーズはもともとヨーロッパ方面が発祥って言われてるし、まぁそんなことはどうでもいいんだど。とにかく、日本料理は不味くはないが物足りないって言って、わざわざ油まみれにして調理する国の人もいれば、辛さが足りないって、一味やらを山盛りかけて食べる国の人もいる。なのになんで、異世界で必ず受けるなんて言える? だいたい、日本で食べられる何々国料理とか、たいがい日本人の口に合うように、下手したら元の料理と全然違う味にアレンジされてるってのに、そういうの知らないのかい?
「食べたことない味とか、あるだろ。新発見新食感、みたいな」
――異世界には異世界の食文化がある。それを押しのけて突然地球の料理を入れたところで、突飛にはなるかもしれないが、素人が作るレベルのものがあれもこれも異世界中で大絶賛とか、ないない。どこでも受けるようなものは、どこにだって似たような料理がすでに作成されてるもんだよ。中世レベルに発展してる世界で「食」っていう生きるための基本項目だけが未だに貧しいとか、ないない。
「ハンバーガーとか、世界中に広がってるじゃん」
――あれは食として受けたと言うよりも、販売戦略の勝ちの方が大きいでしょ。
「知るかよ、そんなの」
――ちなみに、娯楽用品に関しても、素人がちょっと頑張れば作れる程度のトランプとかオセロとか、似たようなのは既にあると思うよ。トランプには諸説あるけど、チェスなんて、紀元前に既に原型があったくらいだしね。文明の発達を地球に準じさせるなら、室内娯楽がないほうがおかしいよね。度肝を抜きたいなら、携帯電子ゲーム機くらいじゃないと無理じゃないかな。
「……ちっ。まぁいいや、別に料理得意ってわけじゃないし。とりあえず、店に入るまでに場面戻してくれや」
――自分の能力を暴走させた結果はスルーなんだな……。
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ちゃんとした料理を口にしたくはなったが、とにかく金がない。
(誰か、仲良くなっておごって貰うとか、そういう展開はないのか!?)
大概都合良く、襲われている馬車を助けていろいろ教えて貰うとか、困っている人を助けて世話して貰うとか、そういう親切で都合の良い人物がいるものだ。説明役として必須だな。
だが俺の場合、声の主が怠慢なせいか、そんな人物が現れそうな雰囲気もない。
(こうやって道端に座り込んでたら、声かけてくれるとか、ついでに食堂に住み込みで働かない? とか、そういう展開がだなぁ)
――それ、チート能力有りの場合のテンプレじゃないでしょ。
「……またかよ」
――だいたいねぇ、それなりに上手く商売してる飲食店の人が、どこの誰とも判らない一文無しをいきなり雇うとか、なくない? 信用と評判が重要な客商売なんだから、いくら状況的に信用できる出会いをしたとしても、皆に歓迎されるとか、さすがに都合良すぎるんだよね。ついでに、優しい人たちばかりで環境もいいとか、そんなのの働き口が余ってたら、状況も判ってないトリップ者雇う前に、他の現地人が既に雇われているよ。
「じゃあなんで、テンプレなんだよ」
――そう特殊な能力が必要でもないように思える、そこそこ綺麗な仕事、住み込みでも働けそうとか、そんなご都合でしょ。街の住民が忌避する重労働とか劣悪環境での機織りとか、そんなんだったら現実味あるけどな。雇って貰う、働き口を得るってことにちょっと安易なんだよね。
「判った判った。もう黙れや」
声が聞こえなくなったのを確認し、俺は金を稼ぐべく立ち上がった。
確かに、何の特技もない人間がやたら親切でお人好しな人に遭遇して世話になり、やがて評判になってイケメン(ここ重要)と出会うってのは少女向きのテンプレだ。やはり俺みたいなのに向いているのは、異世界で定番の冒険者ギルドで大活躍コースだろう。ランクがF辺りからあって、普通はA、超越者的な存在としてSランクが存在するとか、そういう奴だ。簡単な街の仕事から魔物の討伐まで幅広く扱う何でも屋。
やはり、俺の能力を活かすにはそこしかない。
うろうろと探すという手もあるが、それにしては若干この街は広い。近くを通りがかった、如何にも地元の者という風体の男を引き留め、俺は所在地を尋ねることにした。
が。
「冒険者ギルド? なんだそれは」
「え?」
まさか、ないのか?
「ギルドって言ったら、冒険者が登録していろいろ依頼をこなす会社みたいなもので、ランクがあって……。薬草集めみたいな雑用依頼から魔物の討伐までいろいろ請け負ってる場所で」
「薬草集め? そんなもん、薬屋が専用の奴を雇って栽培したりしてるだろ。だいたい、魔物の討伐は軍の仕事だ」
「え……。街で人手が欲しくて困ってることとかも、依頼受けてますとか……」
「そんなもん、近所とか町内会で声をかけあって助け合うに決まってるだろうが。引っ越しとかなら専門の業者もあるし、なんで見知らぬよそ者に頼む必要があるんだ?」
「この街にないものとかを取りに行って貰うとか」
「商人が持ってくるだろ」
男の顔は、次第に「何言ってんだコイツ」という文字を露骨に浮かべ始めた。そこまであからさまにされては、引き留めることもできない。
男が変人を見るような目のまま去った後、俺は誰もいない空間に向けて怒鳴り声を上げた。
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「なんで定番のギルドがねぇんだよ!」
――さっきの男の人が説明してくれたじゃん。だいたいギルドなんて、もともとはよく言えば商人とか職人の相互協力組織だよ。むしろ素人よそ者お断りのガチガチの閉鎖的組織。
「なっ」
――普通に考えてさ、需要がある事に対して、専門の仕事にしない人がいないわけないってこと。薬草集めをいちいちどこの誰とも判らん奴に頼むより、集めるのに問題ない戦闘力持った人を雇った方が早いし、魔物にしても、いつ誰が討伐してくれるか判らないのに頼るより、国が軍や契約した傭兵で確実に討伐する方が確実だし。仮に冒険者ギルドなんてもんがあったとしても、何の身分保障もない奴を入れるわけないでしょうが。
「なんでだよ!」
――信用問題があるからに決まってるでしょ。働く人ひとりひとりの評判が会社の評判にも繋がる以上、どこの誰とも判らないのをほいほい登録させるわけないじゃん。
「俺は強いし、仕事だって真面目にこなして責任とるつもりだ!」
――はいはい。アンタはね。社会のシステム的なこと話してるのに自分のことを主張するところはさすがだね。でもそれ、どうやって証明すんのさ。
「そんなもん、俺がぱっと行って凶悪な魔物をぱっと倒してんのを確認させりゃ、すむ話だろうが」
――それ、能力しか判らんでしょ。真面目か不真面目かとか、何の保障もできないね。それが本当かどうか確認取れるまで、ギルド職員がついて回って調べるわけだ。すごい手間と労力だね。登録したいって言うゴロツキ全部に同じ事やってたら、ギルドなんて経営できないねぇ。
「難しいことはどうでもいいだろ! とにかく、冒険者ギルドとかランクとかある設定にしろよ!」
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「冒険者ギルド? ああ、この道を真っ直ぐに行けばあるよ」
「なんだ、近くか。ありがとさん」
男と別れ、俺は緩く傾斜のかかった石畳のみちを足早に進む。さすがに、若干の興奮がある。
そうして道の突き当たり、如何にも頑丈さ重視といった無骨な建物を前に、俺は足を止めた。軒下を見れば、剣と楯のオブジェクトが吊られている。これが冒険者ギルドの印か、或いは武器と防具を売っているという意味なのかは判らない。
簡素な扉を開ければ、酒場兼依頼受付所といった雑然とした空間が目の前に展開された。ほぼ、俺のイメージするギルドと同じ構造だ。入ってすぐのところに、依頼が所狭しと張られた掲示板もいくつか存在する。使い古した防具を着けた数人が座っている他は、以外にも閑散としていた。
まだ明るいうちから酒を食らっていた男たちが、一瞬俺に目を向ける。だが、それだけだった。すぐに興味をなくしたように仲間内の会話に戻る。
(ふん、無視してられるのも今の内だ)
内心で嗤いつつ、俺は正面奥のカウンターへと向かった。
「登録したいんだけど」
「紹介状などはございますか?」
言葉は丁寧だが、残念なことに野太い声の男である。まぁ確かに、荒くれ者が集うという設定で、華奢で美人な女の受付って、ちょっと非現実的すぎるよな。いざとなれば奥から用心棒がとかいうなら、そもそも受付強い奴に任せた方が手っ取り早い。
男のロマンとしては、美人で巨乳のおねえさまと仲良くなりたいところではあるが。
「特に紹介もないようでしたら、ランクFからの開始になりますがよろしいでしょうか」
「あー、いいよいいよ」
「では、契約の前に少し説明させていただきます」
言い、男は薄い紙束を取り出した。
「まず初めに、契約の種類ですが……」
これが美人の女なら熱心に見つめるところだが、厳つい男では面白くも何ともない。
それよりもどういう依頼を受けようかと、掲示板の方へ目を向ける。
(俺だったら、細かい面倒くさいの以外なんでも出来るだろうけど、やっぱり魔物討伐だろうなぁ)
だが、金のない現在、あまり遠出するものは困る。最初はさすがに小銭を稼ぐ必要があるかもしれない。
(そんな面倒なの、飛ばしたいんだけどなぁ)
「あ、そうだ」
「はい、どうなさいましたか?」
「魔物の部位とかって、ここで引き取ってくれる?」
「特殊素材ですか。いえ、商品になるものは直接商店で引き取りしております」
「あ、そう」
「では、もう少しですので話を戻します」
男は再び、流れるように話を続けた。
「……つまり、討伐依頼は国が行っており、きちんと管理しております。これで説明は終了となりますが、ご不明な点はございますか?」
カウンターで書類の束を整える音に、俺ははっと意識を戻した。
「よろしければ、契約書にサインをお願いします」
途中から耳に入っていなかったが、別に問題はないだろう。冒険者ギルドのお約束と言えば、ランクアップの方法だったり、ランクによる規制だったり、そんなところが定番だ。
渡されたペンを受け取り、適当にサインをしてギルドカードを貰う。これで俺は冒険者だ。
(ってか、俺もう最強って判ってんだし、いっきにSランクとか、いけるよな)
最弱ランクの者が、高ランクの魔物を狩って戻り度肝を抜く。これも定番だが注目を集めるという点ではこれに尽きる。さらに、魔物被害からこの街を一気に解放でもしてやれば、俺は街の英雄となるに違いない。
(とりあえず、なんか適当に依頼受けて、街の外に出て、強そうなのをぱっと倒してって方向か?)
「なぁ、依頼って事前に受けとかなきゃならんの?」
「いえ。街道で突然襲われることもありますので、丁度依頼が発生している状態でしたら後で受けることも可能です。ただ、先ほども注意申し上げましたが……」
「ああ、いい、いい。判ったよ。説明はもういいよ」
とりあえず、もたもたしていたら、日が暮れてしまう。宿代を稼げる程度の働きはしなくてはならない。
そこまで思い、俺は小さく首を傾けた。
「なぁ、冒険者になったら、どっかの宿が安くなるとか、ツケが利くとかある?」
「いいえ、そういったことはございません。ただ、短期間でしたら、ギルドの二階の部屋を格安でご提供いたします。食事を含めて後払いも可能ですが、その場合、払い終えるまではギルドの本カードを預かり、仮カードをお渡しすることになります」
「へぇ、じゃ、それ頼んだわ」
「かしこまりました」
変わらず丁寧な男の指示通りに手に入れたばかりのカードを交換し、用意された部屋に落ち着き、そうして俺の異世界二日目は終了した。
そして朝。俺は、早速金を稼ぐために街の外へ出ることにした。そのために早く起きたというよりも、時間を報せる鐘の設置場所が近く、煩くて起きてしまったと言った方が正しい。格安の部屋はさすがに快適とは言えず、ベッドの硬さに目覚めてしまったという理由もある。
「ご出発ですか」
「ああ」
「朝早くは障気が多少強く立ちこめます。お気を付けて」
「障気?」
「地方によって言い方は異なるようですが、魔物が糧にしている、人には毒となる気体の事です」
「へぇ?」
「自然に発生して無くならないもので、障気の濃い場所ほど凶悪な魔物が出現します。何もないのに気分が悪くなったりと、そういった変化がございましたら、危険区域に入っている証拠でですので、目安になさってください」
「ふぅん。それ、このあたりじゃどこらへんにあるの?」
「西門を出て平原を過ぎ、森へ入った辺りから、奥へ行けば行くほど濃くなってくると言う報告があります」
つまり、俺が落ちてきた方面がやばいってことか。
「障気の中でもすぐに悪い症状が出るというわけではありませんが、そこには魔物も多く居ります。あまり刺激なさいませんよう、お願いします」
「はいはい」
面倒な説明を始めた男に背を向け、俺はギルドを後にした。ギルド内以外ではツケも利かないため、昼食の購入は出来ないが、昨晩の食事の際にくすねておいた塩があるから、肉は現地調達でもどうにかなるだろう。
勿論、ゆっくりしている暇はない。
仮ギルドカードを門で提示して街から離れ、俺は森の方へと駆け足で向かった。来るときよりもかなり早く平原を抜けたのは、直線距離で進めるほどそれぞれの位置がはっきりとしているせいだろう。
再び森へ入り、障気とやらをさぐる。
「障気って、ただの霧みたいなもんか?」
呟き、違うなと首を横に振る。害はないが、街などの空気とは明らかに違うのだ。だが、身体に影響が出ている様子はない。
「もしかして、初めに大気構成云々で得たチートのせいか?」
充分に納得できる答えだ。毒ガスも食毒も無効となっている俺は、この世界で唯一、障気の中でも変化なく動き回ることの出来る人間となっているのだろう。想定外のことだが、これはもうけものだ。俺の独擅場が増えたと言っても良いだろう。
嬉々として俺は、森の中を歩き回った。森の主のような魔物を葬り、一気に注目を集める。いや、それだけじゃ、なにかと疑う奴がいるかもしれない。
「……そうだ」
街の者へ恩を売る、それがいい。
その為には何が効果的かと頭を捻り、昨日考えたことを思い出す。そうして俺は、素晴らしい思いつきを実行すべく、森の入り口へと引き返した。
夕方。閉門ギリギリに街に戻った俺は、魔物の素材をいくつか売った金で豪勢な夕食を囲んでいた。今日も冒険者ギルド内の食事処であるのは、けして、美人の給仕がどこにもいなかったからとかいう理由ではない。
満腹になるまで食べた後、ソファでくつろいでいた俺の前を、突然ギルドに入り込んできたゴツイ男たちが通り過ぎた。えらく緊迫した顔をしている。それは他の者にも明らかだったのか、昨日と同様に受付カウンターの後ろにいた男が、慌てて立ち上がるのが見て取れた。
「魔物が全部消えているだって!?」
「本当です! 隊を組んで方々に向かわせましたが、全く居ませんでした、代わりに……!」
大声がギルド内に響く。
その後も入れ替わり立ち替わり、如何にも腕に自信がありますと言わんばかりのおっさんたちが報告と情報交換を続けた。
曰く、急に魔物が消えた。
曰く、森の一部が消滅している。
曰く、原形をとどめない魔物の死骸に、強烈な魔力の残滓がある……。
皆の驚愕がおかしい。でもそろそろ俺の出番かな。とりあえず、一番最初に入ってきたおっさんはお偉いさんっぽいし、丁寧に話しておこう。
「あのー」
「なんだ、個人的な用なら後にしてくれ」
「魔物、倒したの俺です」
一瞬、マンガのようにぴたりと喧噪が止んだ。
「街道の方にも魔物出てるみたいですしー、ここらへん、それで危ないからあんまり人が来ないんでしょ。だから俺がちょっと綺麗にしておきました」
「冗談もほどほどにしてくれ」
「本当ですよー。ほら、証拠品取ってきましたよ」
袋の口を開けて、魔物から毟り取ってきた体の一部を示す。所謂核と呼ばれる代物だ。このあたりの魔物はどうやらそんなに魔力がないらしく、たいして価値もないものだが、倒した証拠としては納得させやすい。
「ば、馬鹿な……」
「ちょっと大変だったのもありますよー。ほらこれ、奥の方に居たオーガキングみたいなのです」
でもこれで、旅しやすくなりますよね。
そう、続けようとした口は、物理的に塞がれた。色っぽいものではなく、頬に、強烈な拳の一撃を受けることによって。
「ぐ、なっ……!」
町中だと思って、防御結界を解いておいたのは間違いだった。だが、身体能力が向上している俺は、治癒能力も高い。腫れることもなく、痛みもすっと引いていく。
横暴な、そう思い、罵ろうと立ち上がり、――だが、真正面から受ける凄まじい憤怒の気に圧され、俺は無意識のうちに一歩後じさった。
「貴様、なんてことをしてくれた!」
「はぁ!? ここは感謝だろうが!」
「馬鹿野郎! ギルド登録時に聞いただろう! 『魔物は障気を糧に生きている』『障気が濃い場所には凶悪な魔物が必ず出現する』『障気は自然に発生する』これを聞いても判らなかったのか!?」
「って、……何を、だよ」
「……っ、ここまで、考えなしとは」
「なんだよ、言えよ!」
「聞きたくなくとも言ってやるわ! いいか、障気の溜まる所は毒となる。その障気を消費しているのが魔物だ」
「!」
「少しずつ発生する障気は、少しずつの糧にしかならん。だから小さな害の少ない魔物しか生まれない。反対に、濃密な障気のある場所にはそれを大量に消費するような凶悪な魔物が出現する。つまり障気を消すためには魔物がいる。そういう意味で俺たちは、魔物と共存していると言っていい」
「……なんだよ、それ……」
「うまくやっていくには凶悪な魔物は不向きだ。だが、お前はこのあたり一帯の小魔物を駆逐し、障気を溜めてしまった。それを消費させるために、一気に消費させるために、世界は甚大な力を持つ魔物を発生させるだろう」
「なんだよそれ、聞いてねぇよ!」
「知っていて当たり前の常識だろう! いや、冒険者として登録される際に必ず説明を受ける。それを聞き流し、考えなしに行動した。聞いていないでは済まされないんだ! 考えず聞きもせず、身勝手に動いた結果だ!」
「うるせぇ、うるせぇ、うるせぇ! 俺が悪いんじゃない!」
「いいや、お前がひとりでやったことだ」
「うるせぇよ! 責任とりゃいいんだろうが! 甚大な力の魔物とやらを倒せばいいんだろうが!」
「……本気で言っているのか」
呆れたような、しかし完全に見放した目が俺を射貫く。
「倒しても倒しても、世界は障気をどうにかするために魔物を生み出し続ける。お前は一生かけて、延々とそいつを倒し続ければいいさ」
「……黙れ」
「だが、お前が死んだ後は? 誰がお前の尻ぬぐいをするんだ? お前が魔物に負けた瞬間から、この一帯は滅びへと向かうだろうな。お前がしでかしたことは、そこに何の関わりもない何千人もの人間を無惨に殺し、この辺りを人の住めない場所へと変えるんだ」
「黙れ黙れ!」
俺は、宙に向かって叫んだ。
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「うぜーよ、こんな世界! おい、聞いてんだろ!」
――何?
「そんなしちめんどうな設定のある世界じゃなくて、俺が強くて尊敬される世界にしろよ!」
――強くて尊敬されて、それでアンタは何がしたいんだい?
「はぁ?」
――ある程度文明の進んだ世界で、ただ漠然と、おもしろおかしく何の努力もせずに目的もなしに思いつきで生きていて、誰しもから賞賛されるなんてありえないんだよ。都合の悪いところだけ適当に直そうとしても、どこかでほころびが出る。アンタが何も考えずにほいほいつけてた特殊能力が、今の状況を生み出したのと同じでね。
「説教はどうでもいいよ、できるのか、できねぇのか、どっちだよ!」
――できるよ。ただ、何の面白味もない世界になるだけだけどね。都合の悪いところはご都合主義でカバー。乗り越えるものもなく、目的もなく、面白そうな部分をつまんだだけの、自己中でくだらない怠惰な日常。問題が起こっても、俺最強! でなんだか全部解決とか。飽きるのも早そうだねぇ。
「飽きたら変えりゃいいだけだろうが」
――で、本気で飽きたらそこで全てなかったことにするんだね。さらに本気でどうにもならなくなったらさっきみたいに逃げる。一貫性や筋がなくて面白くない上についていけなくなりそうだねぇ。
俺は、一瞬言葉に詰まった。
「判ったぞ、お前、異世界トリップ嫌いだろ!?」
――いや、好きだよ。全部読んでるとは言わないけど、有名どころはほぼ目を通してるね。むしろ好物と言えるね。王道もテンプレ小説も好きだよ。
「はぁ!? じゃあなんでこんなに皮肉っぽいんだよ」
――別に。ただ、現実的にはこうなることもあるよね、って言いたいだけ。ご都合主義もいいけど、現実味をないがしろにしすぎると嗤えて困るという。じゃあ、現実味を入れすぎるとどうなるかってやってみたら、話は進まないわすぐに終わるわ、痛々しすぎて読めなくなるわ、気軽に楽しめる内容じゃなくなるわ、要するに、ほどほどって重要だなぁと。
「なんか無理矢理いいようにまとめようとしてるだろ……」
――いやいや、まだ言い足りない、他にも突っ込み所満載のテンプレはあるよ? 真剣なディベートの経験もないような普通の学生が、一国のトップレベルの面々と対等に交渉できるとか。それ、充分普通の学生じゃないよねぇ。就職面接ですら、予想外の質問にはまともに答えられない方が多いってのに。そんなのできてる時点で平凡とか普通ってのはないなぁ。
「……」
――他にもさぁ、十代で死んで転生して成長したから実質精神的には三十歳オーバーだからしっかりしてます! とかも、ないよねぇ。
「え?」
――え、じゃないよ。考えてもみてよ。働き始めて何年も経って社会的な責任の重さを感じたときに「俺って子供だったなぁ。馬鹿したよなぁ」とか思い返すのであって、子供扱いの経験しかない子供が何度同じく子供時代を繰り返そうと、精神的にたいして成長するわけないじゃん。子供の頃多少要領よく出来るかも知れないけど、二十歳過ぎればただの人ってね。
「わ、わかんねーだろ、そんなの……」
――さっきの無責任な展開の直後にそう言えること自体が判ってない証拠だよねー。
「……」
――現実と矛盾する部分を上手く舞台設定でカバーしたりとか、テンプレをちょっといじって主人公に変わった設定加えるだけでもだいぶ印象変わるんだからさぁ。工夫して欲しいよね。ファンタジーの役職と言えば王様と宰相と騎士団長と騎士と神官と領主しか出てこないのとか……。――ああ、ごめんごめん。話逸れてたね。忘れて忘れて。さて、それで、次はどんなご都合主義にするの?
「……もういい。頼むからトラックに撥ねられる前に戻して、俺を平穏な毎日に戻してくれ……」
<完>
重要なので最後にもう一度書きますが、あくまで「テンプレ設定を真面目に現実と照らし合わせるとこういう事も言える」と指摘しているだけで、特定の小説を攻撃しているわけではありません。
もしかしてあの小説のことか? と思ったとしても、それは厳密には間違いです。複数の小説で確認できる展開をその小説も使っていたというだけです。