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エルレイス  作者: ルト
第五話
22/27

捕囚

 セフィリアは目を醒ました。

 寝ぼけた頭は思考が麻痺して、巡りの悪いことこの上ない。

 小さな窓から差し込む明かりは弱く、石が剥き出しの壁は綺麗に磨きあげられている。上品な寝台に清潔なシーツ、毛の立った柔らかな毛布などに加え、木目も鮮やかな卓台、中身のない衣装箪笥など、素人目にも上等と分かる調度品が並んでいる。


「……王家に連なるものが『素人目』では困ろう、な」


 セフィリアはつぶやいて、毛布を掻き込むようにくるまった。彼女の衣服は薄い肌着一枚で、ヒヤリとした岩部屋の気温には明らかに肌寒い。


「閉じ込められて、二日目、か」


 まだ二日目だ。セフィリアは唇を噛み、胸に手を当てた。そこには彼女の胸以上の物はなにもない。

 セフィリアは顔を上げた。マギマキカの背ほども高い位置に、小さな窓がくり貫かれ、弱い昼の日差しが射し込んでいる。セフィリアでは跳んでも届かなかったし、狭い窓はおそらく腰が通らない。だというのに、ご丁寧に格子まで嵌め込まれている。

 もう一度窓に挑もうか、とセフィリアが立ち上がったとき、扉が叩かれた。

 目を向けるセフィリアにドアノブは見つけられない。内側にはついていないのだ。


「セフィリア様、失礼いたします」


 体を使って重い扉を押し開けるように、老婆が部屋に入ってくる。セフィリアは渋面を惜しみ無く顔中に表した。


「何の用だ」

「日が沈むと冷えます。重ねるものをお持ちいたしました」


 老婆の手には上衣と毛布が載せられている。それを卓に載せると、険しい目でセフィリアを見た。


「セフィリア様、いつも申し上げておりますでしょう、皇女たるもの、いつ如何なる時も礼節を欠いてはなりません」

「皇女を幽閉する逆賊相手に、礼儀を見せる必要はない。王家を舐められてはいけないだろう」

「セフィリア、それは」


 老婆は言葉を切って、苦笑を浮かべた。


「そうヘソを曲げないでください、セフィリア様。私どもとて、決して本意ではないのです」

「お前まで荷担しておいてよく言う。長年私の教師として仕えていたのではなかったのか。私は納得していないぞ」


 セフィリアはそっぽを向く。老婆……セフィリアお付きの教師は、苦笑に慈しむような色を加えて、セフィリアに歩み寄る。


「まったく、セフィリア様は昔から一度ヘソを曲げると、なかなか機嫌を直していただけないのですから」

「分かっているなら、なぜ私を幽閉などするのだ」

「セフィリア様こそ、どうかご理解ください。ことは命が懸かっているのです」

「分かっている」


 壁をにらんでいたセフィリアは、やっと教師の顔を見返した。目があった瞬間、セフィリアの目の色から、教師はすべてを理解した。


「すみません」


 セフィリアは鋭く飛びかかり、教師の足を払って背後のベッドに投げ転がす。


「私には、やらねばならないことがあるのです、先生」


 老体で抗うこともできず、声もあげずにベッドに倒れ込んだ。セフィリアは素早く上衣を取り、部屋を飛び出す。

 監視の兵がいない。セフィリアの身を案じた届け物は、本来許可されていなかったのだろう。だから、何らかの手段で兵を払っていたのだ。

 上衣に袖を通しながら、セフィリアは唇を噛む。


「私はこのまま引き下がりはしないぞ、兄上。いつも仰っていた、『持つものとしての自覚』からな」


 セフィリアは辺りを見渡し、廊下を駆け出した。走るうちに、記憶が鮮明に繋がっていく。同時にあらゆる備えと可能性が頭を巡り、

 最後に、使わなければいいと敷いた手管のすべてを、引き出さねばならない状況に言い知れない悲しみが襲った。


「私がなにもしていないと思ったら、大間違いだ!」


 歯を食い縛る口のなかだけで、セフィリアは振り払うようにつぶやいた。



 この施設はセフィリアにとって馴染み深いものだった。本来主導して管理している兄よりも、深く関わっている自覚がある。

 無論、兄としてはそうなるつもりもなかったに違いないが、彼は多忙に過ぎ、逆にセフィリアは有閑に過ぎた。

 石造りの空間はじきに終わり、舗装された廊下が弱い灯火のみを等間隔に浮かべて暗闇に伸びている。本来ここは地下なのだから、当然だ。

 斜面になっており、あの部屋だけが地表に露出している。外から見たら窓は低いくらいである。

 セフィリアの足は迷わず進み、階段にたどり着く。駆け降りる素足は、床に叩かれ赤くなっていた。

 長い階段を抜けて廊下に飛び出す。

 この通路は今の時間、誰もいないはずだ。正確な時間が分からないことが不安だった。

 仮眠室や給湯室、入浴室の前を駆け抜けて、今までの扉よりやや大きな作りのいい部屋にたどり着く。ノブに手をかけて、軸につけられた窪みに親指を当てる。仕込まれた魔導線に魔力を通す。解錠した。生体認証になっているのだ。

 転がり込むように、部屋に押し入った。簡素なクローゼットや寝台、机が設えてある。

 閉じ込められていた岩牢より安いこの部屋こそ、施設におけるセフィリアの私室だ。

 ベッドサイドの卓に載せられたボードに、ペンダントが飾られていないことに顔を歪ませる。

 自らとこのボードの二ヶ所以外に、望んでペンダントを置いたことはなかった。

 机の書棚に隠しておいた板鍵は、すでに回収されている。予想の範疇だった。セフィリアはクローゼットに上半身を突っ込み、手を伸ばして裏板に仕込んだ隠し戸を開ける。予備の鍵を取りあげた。

 振り返って、天井を見、卓のボードを見る。まだだ、とつぶやいた。最後の切り札を使うなら、ペンダントをこの手に取り戻してからでなければいけない。

 セフィリアは鍵を握り締め、扉から飛び出した。階段を駆け降りる。


「問題は次だな」


 独語していたセフィリアは、ふと足を止めた。階下から足音がする。上ってきていた。

 見つかったら一巻の終わりだ。セフィリアは大人を伸す技術なんて習得していない。周囲はつるりとした壁が並び、隠れる場所はなかった。

 足音が迫る。

 セフィリアは背を向けた。

 足音を殺して階段を上がる。相手の足音は一定だ。

 セフィリアは踊り場にある鉄扉を開けて、中に飛び込む。顔をぶつけた。真っ暗でよく見えないが、少なくともどこにも通じていない。 

 足音が踊り場を曲がった。

 一刻の猶予もない。

 セフィリアは体をねじ込んで、扉を引き込む。内側にノブなどなく、ちゃんと締め切れない。開いてしまわないよう、指先で押さえ込まなければならなかった。

 足音。

 近かった。階段を登っている。目の前の階段を上っているようだった。

 セフィリアはきつく目を閉じる。カビ臭いうえにホコリ臭い。湿った雑巾を一週間放置して、床が見えないほどのホコリを拭った。そんな悪臭だ。気が遠くなりそうな鼻を突く臭気を必死にこらえる。扉を押さえる指が痛い。第一間接が捲りあげられるように痛み、さらには指の腹に板が食い込んで、切られたように痛む。

 足音は迫る。

 背中にゴロゴロした何かが食い込んで痛む。

 セフィリアはこの場所の正体を悟った。掃除用具入れだ。モップをちゃんと絞らず入れた馬鹿がいたらしい。

 足音が正面から聞こえて、セフィリアの心臓が跳ねた。

 目の前に誰かがいる。

 踊り場を曲がっていく。足音は少しずつ、じれったいほど遅く歩いていく。

 セフィリアは震える指の痛みを必死にこらえた。扉が指先を滑って微かに動く。掴み直す。指が激痛を発した。第一間接ばかりいじめ抜いて、なんの拷問だ、とセフィリアは呪う。

 足音が遠ざかる。

 呪わしい出来事は続く。ホコリが鼻を突いた。

 クシャミ出そう。

 まずい。セフィリアは緊張で体がカッと熱くなった。

 今騒音を起こせばバレかねない。鼻の奥が詰まり、絞り込まれ、胸の奥から込み上げる。込み上げる、込み上げる。

 遠い足音が踊り場を曲がる。

 喉を閉じ、息を止めて必死でこらえる。

 鼻が痛み、涙が出てきた。指先は焼けるように痛い。息を止めすぎて、足の指先がしびれてきた。セフィリアは耳を凝らす。足音は遠い。

 意を決した。

 扉を開け、念のため階段を一気に走り、二つ下の踊り場まで飛び降りる。足をつけた瞬間、


「ぶぇーっくし! えっくし! げほっ、がほっ。ひぃっくしゅ! ぶぁっぐし! ……っくしゅ」


 思う存分クシャミをした。

 息を荒げて、ふと指を見る。真っ赤になり、指の腹は一文字に赤く痕が残っていた。だが皮膚は切れていなかった。

 握り締め、関節から軋むような痛みを覚える。

 垂れた洟を拭い、セフィリアは階段を駆け降りていく。

 この施設は、平たく言えば大規模実験施設だ。

 地表に小さなラボが建てられているが、それはダミーで、実際に運用されている施設は地下深くに隠されている。

 セフィリアは頭の中に、施設の地図を思い浮かべる。ただ一本を除き、ほとんどは深い縦坑を複雑に行き来して地表につながっている。

 その一本を利用して迅速に脱出することは、できない。機密保持のために、もっとも用意に塞ぐことができるよう、様々な仕掛けが作られているからだ。

 だからといって複雑な縦坑なら脱出できるかというと、難しい、というほかない。構造にまごついている間に囚われてしまうだろう。


「なんとか、するしかない」


 胸に手をやり、セフィリアは顔をしかめた。

 長い階段を駆け降りた先の、大きな鉄扉を前にしてセフィリアは立ち止まる。息を整えながら、耳を澄ませた。扉の向こうから、空間を音が叩く気配がしている。少なくない人数が、大規模な作業を行っているようだった。


「見られずに行くことは、できないだろうな」


 ならば、あとは早く済ませるだけだ。

 セフィリアは覚悟を決めて、鉄扉を押し開ける。

 扉の向こうは薄暗かった。暗闇に呑まれて見えないほど、天井が高い。そこには無数のマギマキカが並んで立ち尽くしている。カリオテ、バウンサー、ハーラ、そしてセフィリアも知らない機体。怪力を持つはずの彼らが、死んだように動かず並べられている様は、まるで墓所のようだった。

 整備している何人かが、鉄扉の開く音を聞いて振り返る。

 そのときには、セフィリアはすでに鉄扉を離れ、手近なマギマキカの脇に滑り込んでいた。視界の端に動体を感じた何人かが、訝しげに首をかしげる。


「来るな、来るな、来るな」


 セフィリアの祈るような囁きが届いたのか、あるいは作業を止めたくなかったのか。誰も見に来ることはなかった。

 深呼吸をする。セフィリアは初めて傍らの機体をきちんと見上げた。見覚えがあった。細身の体に足が太く、腕には手甲のような追加装甲が大きく目立つ。"レボルシオン"シリーズの第二弾、レプターだ。機動戦仕様で対戦車兵装を備える、突破力に優れた機体。

 電撃戦や奇襲など一撃離脱の突撃戦を想定したこの機体は、実に打ってつけだった。

 深呼吸をする。

 バレずに起動させなければならない。セフィリアは緊張で青ざめた顔で、胸を押さえる。脈が早くなっていた。口の中でカウントダウンを始める。四、三、二、一。

 行くぞ。

 セフィリアはするりとレプターのシートに這い上がった。

 座席に座り、ベルトを閉め、手足を操縦装置に載せる。妖精が起動した。もたつくセフィリアが搭乗を終えるより早い。カリオテとは比べ物にならなかった。

 その妖精が、機動方式に緊急起動を提示していることに気づいた。やっとベルトを締め終えたセフィリアは、緊急起動を選択する。

 瞬間、魔動機と増幅器(アンプ)が咆哮をあげ、積み込まれたシュマルクが猛烈な勢いで目減りした。各部が暴走しているような駆動を回し、レプターが勢いよく立ち上がる。

 突然の出来事に目を回していたセフィリアは、気づいた。

 起動が完了している。


「誰だ!?」


 整備員が叫んだ。あんな轟音をあげて、バレない方がおかしい。

 セフィリアは戦闘駆動に切り換え、手足の固定器をぶち破った。

 一歩進めた途端、装甲が火花を散らす。整備員が自動小銃を撃っていた。だが訓練を受けていないのか、混乱しているのか、フルオートで乱射しているだけだ。それでは当たらないよ、と、散々教官にどやされた失敗熟練者は笑う。

 腕部の追加装甲に仕込まれた兵科を稼働させる。

 展開し、錐の尖端が顔を見せた。背後を振り返りざまに、大きく振りかぶって、殴り付けるように叩き込む。

 錐が爆発的な勢いで叩き込まれ、仕込まれた破砕術式が起動。叩き破られた内部から魔術による暴虐が蹂躙する。

 マギマキカの装甲より重厚なハッチが、濡れた紙より容易く千切れ飛んだ。

 本来はこのハッチ内部のランチャーを使って、地表に出撃する。だがランチャーの制御室が、セフィリア操るレプターを運んでくれるわけがない。

 だからセフィリアは、備えを用意していた。

 ランチャーの制御系を踏み砕く。

 そして隣の魔導線に機体の手のひらを押し付けた。ここには武器を制御するための魔導線が通っており、それは操縦桿に繋がっている。


「霊人を甘く見るなああぁぁぁぁ!」


 吼えながら、セフィリアは魔導線を通じて、構築した魔術を叩き込んだ。

 ガン、とランチャーが突き上がる。

 制御系が出すはずの命令術式を、手動で構築して、直接流し込んだのだ。組み込み式の術式を再現するなど、魔術に精通する霊人でも限られたものしか到底不可能な芸当だ。

 そのとき、昇降機の下部が火花を散らした。整備兵はマギマキカまで持ち出してきたらしい。


「くっ、まずい」


 昇っている最中は無防備だ。当たらないことを祈るしかない。

 その瞬間、爆風ではない振動が襲ってきた。

 断続的に、遠いところが揺れている。爆発のような。

 警報が鳴った。


『敵襲! 敵が戦争行動のために襲撃しています! ただちに出撃してください!』

「なんなんだ? いや、まさか敵にバレた?」


 考えたくない話だった。セフィリアとて施設の責任者だ。研究を漏らすわけにいかない。

 セフィリアは歯噛みした。

 今はまだ遠い天井を見上げ、次なるルートを策定していく。


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