裏切り
ドレグの駆るハーラは、軽く踊りに誘うように腕を向けた。
『本気で来いよ、遊んでやる』
その態度は傲慢なほどで、自身の敗北を一欠けらも考えていないに違いない。
しかし、技量で勝るドレグが次世代の性能を持って、カリオテで勝てる道理はない。
リュウは歯噛みし、動くに動けない。豪雨がマギマキカと廃墟を叩く。
誰よりも先に、マイアの機体が動いた。ゆらりと一歩踏み出す。
『本気で行って、いいのだな』
『ああ』
瞬間、マイアの機体が流れた。
間合いを一瞬で詰め、いつの間に柄に手をかけたのかも分からない抜き打ちを当てる。ハーラは砲身を盾に剣を受けていた。ということは、ドレグは今の攻撃が見えていたことになる。部内の頂点を極める二人の技量は伊達ではないらしい。
ドレグがうめいた。
『容赦ねぇなあ』
『身内の裏切りを許す上官はいない』
マイアの機体からは、蒸気が漏れている。何らかの初速を補佐する魔術式が、搭載されているのだろう。
それを差し引いても、マイアの運用は的確すぎた。同じカリオテベースとは信じられない。
マイアは二本目の剣を抜き放って、勇壮に叫んだ。
『さあ、その機体を返してもらう!』
『断る!』
つばぜり合いを弾き飛ばし、滑るように引き下がる。その姿勢でマイアに砲身を向けた。
追撃を仕掛けていたマイアは、すでに避けられる間合いにいない。
『くっ』
ハーラの砲が火を吹いた。
マイア機は機敏に剣を合わせて受ける。だがハーラの大口径から吐き出された砲撃を、受け止められるはずもない。
剣を砕き、逸れた弾が回避行動を取るマイア機の左足を潰した。
砕かれた剣の魔結晶の欠片がチラチラと輝く。赤いカリオテはつんのめって、爆風で舞い上がるように倒れ込んだ。水しぶきを上げて滑る。
「部長!」
リュウはようやく我に還って、カリオテの足を踏み出す。
『他人を心配する暇はないはずだぜ』
それをドレグが容赦なく打ちすえた。
左肩から叩き落とされた衝撃に、左足が浮き、軸足からヤジロベエのように機体が回転していく。
軽々とカリオテの巨体を吹き飛ばす威力だ。
リュウは咄嗟に左腕を引き上げて回転にカウンターを入れ、左足を地面に向けると同時に右足を抜き、最後に右腕は剣を取って振り向きざまに薙ぎ払った。
じぎ、と剣尖がハーラの装甲を引っ掻く。
『ハ! そこで攻勢に出たのは誉めてやるよ』
だが、ハーラは間合いを詰めてきた。
剣を振り切り、がら空きになったリュウ機の懐を蹴り飛ばす。
尻餅をつくような形で、リュウ機は大きく吹き飛んだ。転倒の衝撃がシートから直接背中を殴り、呼気が漏れた。泥水が跳ね、機体を叩く。蹴りを受け止めた胸部装甲から、剥離した魔結晶の破片が舞っていた。
ハーラは重い機体を素早く動かすため、機体以上の馬力が用意されている。それゆえの蹴りの破壊力だ。
『ボクの"ハーラ"から下りろ!』
シジマが叫び、増幅器が唸りをあげる。魔結晶が輝き、魔術を構成していく。
だが遅い。
魔力が収縮するより先に、ドレグは気づいた。ハーラは素早く身を返すと、即座に電磁砲を構える。
『お前のじゃねぇ。俺のだ』
ドレグは躊躇を見せない。
砲身に巻き付けるように埋め込まれた魔結晶が、煌めく。
ガァン、と雷鳴のような空気を食い破る音と共に、シジマのカリオテの右腕が吹き飛んだ。
咄嗟に身をかわしたシジマは、直撃を避けている。
だが金属片や魔結晶を紙吹雪のように撒きながら、半回転して地面に叩きつけられる。口径が大きすぎ、衝撃が強すぎる。
リュウは機体を復帰させようとするが、どこがおかしくなったものか、機体の反応が鈍かった。
引いても押しても蹴っても、機体は芋虫のように震えるだけだ。
頼みのマイアも、身動きひとつしない。あれだけの衝撃で倒れたのだから、失神していてもおかしくはなかった。
最後に立っているセフィリアが一歩踏み出し、しかしドレグに遮られた。
声だけでもとセフィリアは叫ぶ。
『シジマ、大丈夫か! ぐ、くそっ!』
ハーラがゆったりとした動きで、セフィリア機に迫る。セフィリアは気圧されているのか、一歩後退りして止まってしまう。
「セフィリア逃げろ!」
リュウが叫ぶが、遠話が機能していない。
衝撃で管理妖精の機能に支障が出ているようだった。駆動や制御さえ覚束ない。
舌打ちし、操作モードを全手動に切り換える。記録機の奥深くに眠るマニュアル操作の設定を展開、適用させていく。
『このっ!』
セフィリアが躍起になって剣を抜く。
ハーラに斬りかかるも、容易く砲身でいなされた。二合目は剣の柄を蹴りあげられ、セフィリア機の手から剣がすっぽ抜ける。遊ばれていた。
『どうしたお姫様、そんなもんか?』
『のっ……嘗めるな!』
セフィリアが怒気をはらんだ声で応じ、カリオテは勢いよくハーラに銃を向ける。
合わせるように砲身を叩きつけられ、カリオテのマニビュレータが二つ脱落した。銃が鈍い音を立てて落ちる。
完全に力量が違っている。相手にならない。
セフィリアは焦ったように取り落とした銃に目を向けた。
『しまった……』
『どうした、もう終わりか!』
ドレグの挑発に、セフィリアのカリオテは、重心をやや低くする。雨のしずくが滝のように装甲の端から垂れる。
リュウはそこに声をかけた。
「下がれ!」
カリオテの銃を向ける。
自動照準も弾道予測もない銃口は、狙いが甘く射撃の反動によるブレの補正もできない。とにかくばら撒くことを考えて、断続的に撃ちまくる。
セフィリアもハーラも驚いたように動きを止めた。遠話が通じないのだから不意打ちだ。
吐き出された弾の半分は外したが、半分はハーラの装甲を叩いた。
『ちっ、しぶといな!』
ドレグは弾を避けようともせず、振り返りざまに砲を向ける。
『させるか!』
セフィリアがその砲に飛び掛かるが、わずかに遅かった。
放たれた弾丸はリュウ機の銃を砕き、肩駆動機を粉砕する。リュウ機の左腕は完全に死んだ。
『鬱陶しいな!』
ハーラはリュウ機が戦闘続行不可能と見て取るや、セフィリア機の腕をつかみ、足を蹴り飛ばす。
腕を振り回すようにして、投げ転がした。倒れるセフィリア機の腰に、高く振り上げた砲身を叩きつける。
『うぁっ!』
セフィリアが悲鳴を上げて、プッツリと動きが止まった。
腰は、間接ゆえに衝撃を逃がす装甲が少なく、直線距離で最も搭乗者に近い箇所。つまり弱点の一つだ。そこに強烈な一撃を食らい、衝撃がセフィリア自身に加わって、気絶したのだろう。
「野郎……」
リュウは機体を動かす。
マニュアル操作は煩雑で、お世辞にも機敏とは言えない。起き上がるために、関節の角度、強度、加える力を全関節それぞれにすべて設定を入れていく。ショートカットやマクロを駆使した簡略な入力であっても、一駆動から次の駆動までにどうしても手間取った。
そのリュウの眼前で、ドレグはセフィリア機を仰向けに転がす。
いかにも面倒くさそうに、装甲をねじり壊して胸部装甲を剥ぎ取った。
「なんだ……なにをする気だ? 待て、おい!」
遠話は動かない。
むなしくカリオテの操縦席に響くだけだった。
その目の前で、正面の装甲が取り払われ、操縦席のセフィリアがあらわになる。途端に降りしきる雨に洗われた。
見た限りでの外傷はない。
だがやはり意識はないようで、ぐったりと傾けられた首に力はなく、目が閉じている。瞬く間に濡れそぼち、苦しそうに眉がひそめられていた。微かに胸が上下している。息はある。
しかし、ハーラは無造作に手を伸ばした。
セフィリアの胴にマニピュレータを押し付け、掴みあげる。
馬鹿な、とリュウは背筋が凍った。力加減を誤れば、人間の骨くらいへし折れてしまうだろう。マギマキカの駆動に、生身の人間が耐えられるはずもない。大なり小なり怪我をするのは疑いなかった。
ハーラは騒ぎに紛れるように立ち去っていく。
「待て! くそ、この、動けウスノロ!」
リュウは必死に操作し、ようやく立ち上がった。
ハーラの姿は遠いが、生身の人間を握っているためか、動きは慎重で緩慢だ。
歯を食い縛る。
ダラリと垂れ下がる右腕のバランスに気を配りながら、リュウは後を追う。とてもではないが、走る駆動などできなかった。
「どこに行く気だ?」
さすがにこの襲撃が、完全にドレグのハーラ強奪を支援する陽動だとは、分かっている。
問題は誰が、何のために、どのような手段で実行したかだ。
ハーラは戦火の影を縫うように人目をすり抜け、森へと向かう。リュウは報告に戻るべきか迷ったが、急ぐことを選択した。遠話が使えないのだから、報告に時間がかかりすぎる。だいたい戦闘中の混乱状態で、誰に伝えるべきかも分からない。
だが、そのとき。
キイ、と金属を引っ掻くような音がした。
途端に機体が力を失って膝を突く。
「なんだ?!」
するり、と目の前をよぎった。
顔をあげるそこに、機械仕掛けのヒョウが立っている。
滑るような艶のある漆黒に赤い相貌を光らせて、細かな装甲を重ねた芸術品。雨中の視界の悪さもあって、あまりに自然なその造形は、それが知られていない新たな生命体であるようにすら見える。
ヒョウはリュウの機体を訝しげに眺めていた。
機械仕掛けの、ましてや獣に表情を感じるのも不思議な話だが、リュウは確かにそう感じた。
ヒョウは不意に興味をなくしたように、森へと立ち去っていく。
リュウは見送ることしかできない。カリオテが完全に沈黙してしまった今、もはや鉄の棺桶と化していた。
「くそ! どうなってんだよ!」
操縦桿を殴り付けるように動かしても、一切の応答がない。どうやら魔動力機そのものをやられたようだった。
すでにハーラの姿もヒョウの姿もない。いつしか砲声も止んでいる。
「……セフィリア」
皇女が拐われた。
これがなにを意味しているか、分からないほどリュウは愚かではない。
豪雨が戦火を叩いている。
その後のことは、さほど問題ではなかった。
戦闘の痕も残る現場を警察が検証し、その警察を護衛する任務に魔動機部は外されている。全員に憲兵から詳細な事情聴取を受け、謹慎処分を言い渡された。
すべては内部に裏切り者を出し、"ハーラ"の奪還に失敗し、挙げ句の果てに皇女をみすみす誘拐させた、という失態のためだ。
営巣入りにならないのが不思議なくらいだ。
特にマイアは、部長としての管理責任を厳しく追及された。これまで彼女の積み上げてきた実績のすべてが、評価として実質白紙に戻ったようなものだ。
リュウは魔動機部のハンガーで、パイプ椅子に腰掛けて目を伏せていた。
本来そこにあるべきリュウのカリオテはどこにもない。深刻な損壊であり、生徒では手に負えない修理のため、専門の修理工場へ送られているのだ。といっても学園内にある支部のようなところだが。
ハンガー内に人の姿はない。
活動停止処分を受け、この場所でのマギマキカの修理改造が許可されていない。たまたま無傷で済んだ機体や出陣しそびれた機体などが、白々と明るい照明に照らされて影を落としている。
一人沈黙して床の一点をにらんでいるリュウのほかに、ハンガーで動くものがあった。
「やあ、そんなところでどうしたの」
「ロッツか。お前のほうは大丈夫なのか」
「僕はただのオペレータだったからね、どうしようもないよ。妨害地波の影響で、監視もろくにできない状況、のはずだったし」
肩をすくめて見せ、ロッツは大きな工具箱に腰掛ける。
「きみこそ、こんなところでどうしたんだ?」
「考えてた。ドレグがなんで裏切ってたのか。少なくとも、今回突然裏切ったわけじゃない」
今回の事件でドレグは、最初から比較的自由に動ける立場として参加していた。ハーラの奪取は計画的な行動だ。
「そうすると、同時にやつらとも前々からつながっていたんだろう。問題は、ハーラを奪って誰が得をするのか、だ」
レボルシオンシリーズ、つまり第五世代型の構造は確かに何処の誰もが知りたい情報だろう。
だが、同時にセフィリアを誘拐しなければならなかった理由が分からない。
セフィリアは皇女ではあるが、ある意味で王宮から排斥された皇女だ。王家に対するカードには弱いだろう。
「でも、ドレグの動きからして、セフィリアの拉致は予定されていたもの……むしろ指示されたもの、って印象がある」
そしてその指示した人物は、機械仕掛けのヒョウを操っている。
追跡したリュウを無力化したのだから、当然だ。
「でも俺はヒョウに殺されなかった。目撃者は消すだろう、そこらじゅう戦闘中だったし。そこもまた不自然だ」
「そのあたりは、僕は直接に見たわけじゃないから分からないけど……」
ロッツは考えを吟味するように唇を押さえた。
「やっぱりウィルデルン公国の手先なんじゃないかな。マギマキカの設計は欲しいはずだし、皇女だって弱くともカードになる。ならなければ、世論に対して王威を示せないだろう。王家ってものは、情勢によっては簡単に切りすてるべき、大したことないものだ……なんてさ」
「そうなんだが……昨日の展覧会は思い切り内地だからな。ハーラ一機のためにここまで侵入できるのか? それができるなら、マギマキカ一機盗むなんてケチ臭いことじゃなく、もっとやれたことがあったんじゃないか? 大体、マギマキカ一機をまた国境まで引き戻すリスクからも、妥当とは思えない」
「そうか……。案外、本当にそこらのテロ組織だったりしてね」
「そんなのにドレグは王家直属の学園を敵に回すリスクを犯して裏切るのか? 考えられないな。有力なバックがいる。でないと、この時期に奇襲できるはずがないだろ」
反論して、リュウは肩をすくめた。
まったく敵の正体は不透明だ。呆れてため息も出ない。
ふとそんなとき、リュウの懐が鳴動した。端末がメッセージの受信を報せている。見ると差出人はマイアだ。
「急ぎ、校舎の会議室に集合……。今後について話があるらしいな」
「分かった、行こうか」
リュウとロッツは立ち上がり、ハンガーを立ち去る。
謹慎処分を受けた魔動機部で、できることを探さなければならない。いい話ではないと分かっていた。
その予想が甘かったことをリュウはすぐに思い知る。