機巧士と操縦士
好きなことに打ち込むときの体力は底なしだ。
軍学校のカリキュラムに体力作りのほか悪路走破や匍匐前進のような生身の修練に加え、マギマキカの戦闘駆動を長時間続ける拷問のような時間が過ぎて、体力が底をついたときに政治学や用兵学の講義が行われて、眠ることを許されないのはもはや完全に拷問である。
その地獄の拷問を越えてボロ雑巾のようになったリュウやシジマといった部員は、格納庫までたどり着けるかどうかといった死相を浮かべていたはずだ。
だが、そこに注文した機材を届けるトレーラーが停まっていることに気づいた途端、疲れた体に鞭打って踊りかかるように各員は機体の整備に取り掛かるのだ。体が悲鳴を上げても笑顔で押し殺すその姿はまさに、手足となる兵士を使い潰す決断をして作戦を実行する非情の部隊長そのものである。
格納庫を埋め尽くさんばかりに部品や機材を広げ、配線を撒き散らし、端材をばら撒いて部員たちはおのおのに支給されたマギマキカに、まるで皇子を取り囲み世話をする侍従のように手を入れる。出力制御にとんちんかんなパラメータを入れたのか、マギマキカが酔っ払いのようによたついて歩いているものもいる。
その一角。駐機姿勢を取るマギマキカの肩に腰掛けているリュウは、伏せていた体を起こして手を振る。
「オーライだ。接続できたぜ」
「よし、それじゃあ繋いでみるよ。僕のほうでもモニターしてるけど、コックピットから見ておいて」
「ああ」
器用に手掛け足掛けてシートに飛び降りる。シートに体をぶつけるように着地して予想以上にケツが痛い。リュウはそれを無視して管理妖精を立ち上げる。
追加電装を検知した妖精に接続コードをマニュアルで打ち込み、システムに接続する。プロトコルに記述されるコントロールを同期させていく。
ロッツが首を振った。
「ダメだね、やっぱり動作が重いな。AC製妖精にSF製電装だし、そうじゃないかとは思ったけど」
「ダメなのか? システムのことはさっぱりだ」
「制御方式が少し違うからね。外大陸語と翻訳しながら会話するようなものだよ」
「なるほど」
妖精の機械管理でもなかなか複雑な世界があるらしい。
殊にAC社とSF社といえば老舗大手企業にして宿命のライバル企業同士だ。シェアを奪い合うために多少の不便を作っているのかもしれない。
ロッツはコンソールを叩いて流れる文字に目を走らせながら言う。
「僕のほうで電装のプログラムを少しいじっておくよ。スムーズに同期できると思う」
「そんなことも出来るのか」
「まあ、保障対象外にはなるんだけどね。機械的なことはシジマさんに勝てないけど、システム的なことなら僕もちょっと自信あるんだ」
いつもおとなしそうな顔に少し好戦的な笑みがちらりと牙を覗かせた。ロッツにも対抗心があるようだ。
リュウは苦笑する。どちらも基礎的な知識は備えているつもりだが、こうも一年生にして専門家な者が身近にいると自分がひどく馬鹿に思えてくる。
不意に手を休めたロッツが画面を見ながら、専門家の口調から和らげる。
「SF社か……。リュウ、今朝のニュース覚えてる?」
予想通り技術的な話から逸れた話題が来た。SF社といえば、一昨日にテロの被害を受けた一大情報系企業でもある。被害を受けたのは隣国ウィルデルンにある工場帯で、軍需系の生産工場だったはずだ。頻発するテロは今や他人事ではなく、またぞろいつ起きてもおかしくない。
「ああ。こないだのテロ、ニースヘリア国内に潜伏してるとかなんだろ? そのテロ組織」
「そうそう。犯人を捕まえて身柄を引渡せって求めてるやつ」
ロッツも言いながらため息をつく。
あまりにも不自然に多発するテロは、軍事産業に手を付ける巨大総合企業らが、利益を独占する為に秘密裏に行っている武器の横流しに支えられている。多少なりと軍事系の知識がある者ならば誰もが気づくことだ。
要するに、テロ組織を扇動して利用した、企業間の代理戦争なのである。
国にしてみればテロが起きるなど冗談ではなく、取り締まりを図ってこそいる。だが、温床を身のうちに抱えたままの対処行動で、追いつくはずもない。
政治家の利権も経済物流の根幹も、大企業群がともに支えている。そんな生活母体が傾けば、国民生活の影響は計り知れないものになるだろう。いざ傾けば虫が群がるように中小企業が業務を引き継ぎ、大部分を他の大企業が奪っていく。市場の寡占化はさらに進み、解体された業務はサービスの無数を停止し、国民生活のインフラ以外における利便が崩れる。その結果を盾にして政治家は甘い密を吸う。そのため政府が企業の暗部に手を付けることは決してない。政府にできるのは、何の解決も生まない身内切りだけである。
一市民は己に火の粉が降りかからないことを祈るばかりだ。
ロッツは火の粉を透かして見るように、端末の妖精に表示されるニュースサイトを読んだ。
「さっき暇つぶしに覗いてみたら、なんか変なことになってるんだよね」
「変なこと?」
答えながら、リュウはマギマキカのシートに身をうずめたまま端末を取り出す。家でセヴェリが新聞紙を取っている影響で、リュウもニュースサイトを見る癖が付いている。端末が表示するより先にロッツが答える。
「なんか、強制捜査とかなんとか」
「何だそりゃ」
テロ事件に捜査も何もあるのか。使い捨ての鉄砲玉に証拠など残るものではない。線条痕による銃身分析など、工法が発達する前の遺物である。
詳細を端末で読んでみると、テロ組織が国内に潜伏していたのはどうも本当らしいが、なにやら他のテロ組織と抗争になって壊滅し、一部の残骸と遺体だけが回収できたという。
確かに奇妙だが、ありえないというほどでもない。
ところが国交ということで問題を代行していたウィルデルン政府、正確には政府の委任を受けた公営組織は証拠隠滅であると難癖をつけて捜査を強行しようとしているらしい。なるほどいよいよ奇態であった。
「なんだお前ら、なんか調整で詰まってんのか?」
整備士と搭乗者がそろって端末を見つめて黙り込んでるさまが奇妙に写ったのか、ドレグが鼻を鳴らして声をかけてきた。制服の上着は前を全開にして、いかにも不良ですというポーズを取ってイケていると考えている思春期の少年っぽい格好をしている。
リュウは顔を上げて端末の画面を落とす。
「いえ、テロの続報をちょっと」
は、とドレグは鼻で笑って、なんだそんなことか、という顔をした。つまらなそうに手と耳を振って背を向ける。
「そんなもん部活中に見てんじゃねーよ。整備終わったら来いよ、相手してやる」
「それはありがとうございます、お願いします」
席の上から頭を下げてその背中を見送る。乗ったままだったのは失礼だったかとチラリと頭をよぎるが、気にしていないようだし構わないかもしれない。見送るドレグとすれ違うようにしてセフィリアが歩いてくる。ドレグに一礼する姿は、どう見ても皇女などではなくただの一生徒だ。
リュウが軽く手を上げてセフィリアに挨拶するが、セフィリアは反応を返さず黙ってリュウに歩み寄ってくる。妙に切羽詰ったような表情には、あなたに用事がありますと鮮明に書いてあった。
リュウは内心で首をかしげながらもロッツに声をかけた。
「すまんロッツ、調整任せる」
「ん? ああ、いいよ」
何か電装系のテストをしていたらしく、コンソールとにらめっこをしているロッツは軽く答えた。礼を告げてシートから降りる。
セフィリアは、駆け寄ってきたリュウを真っ直ぐ見て、不意に困惑するような表情を見せた。
正面に立ってもセフィリアはもにょもにょと口を動かして沈黙している。よほど言い出しにくい話なのかと思い、リュウは話を聞くぞという顔を作って水を向ける。
「どうした、何か用があるんだろ」
「ああ、まあ、うん……」
たっぷり十秒は迷ってから、セフィリアは飛び降り自殺でもするような顔で口を開いた。
「その、今日、時間あるだろうか? 少し、個人的な話がしたい」
「いいけど、あー。ドレグ先輩と模擬戦の話があるんだよな。その後でも平気か?」
「もちろん。すまない、ありがとう」
力のこもらない笑みを浮かべてセフィリアは会釈をする。いったいどんな話をしようとしたら、こんな憔悴した表情になるのだろう。まさか今聞き出すわけにもいかず、リュウは言葉に困る。セフィリアも黙り込むリュウの前で、いつまでもぐずついていなかった。後で、と手を上げて歩き去っていく。
酔っ払いのようによたついていたマギマキカが転びそうになり、操縦者が危ういところで持ち直してステップを乱暴に踏む騒音が響く。ドレグが気をつけろと野次を飛ばした。
騒音に顔を上げていたロッツが、マギマキカに視線を戻して開けた装甲から中身を覗き込む。機体の制御系の手落ちがないか最終確認を再開しているようだ。
セフィリアは振り返らなかった。
リュウはその背中を少し見送って、飽きたようにマギマキカに戻る。装甲の隙間から頭を引き抜いたロッツが、顔についた油を軍手で拭いながら笑った。
「大丈夫、とりあえず今することは済んだよ」
「ああ。任せきりにして悪かった、ありがとう」
気にするな、ロッツは手を振る。リュウは機体に乗り込んで起動状態のシステムを再走査する。その過程で各部の接続がアップデートされる。妖精に一部制御を渡し、機体を立ち上がらせながらシートベルトを締める。ペダルを探り、操縦桿を握って体格に合わせて調整させる。右腕を体の前に持ってきて握ってみる。問題ないどころか、さらに動きが滑らかになっている気がする。
少し離れてマギマキカを見上げるロッツが声をかけてきた。
「大丈夫そう?」
「ああ。いい感じだ」
リュウは答えて笑う。本当にいい感じだった。自分の手足のように動かせていたマギマキカが、さらに溶け込んで同化したかのようだ。この状態で日常生活を送れるのではないかと思う。慣性制御や挙動の遅れを見越したいわば先行操縦が、一部の急な動作のときだけで済むようになったことが、これほど楽とは予想外だ。妖精の適正化だけでなく、電装系との調整を最適化したことが大きいのだろう。
揶揄するようにロッツが首をかしげる。
「じゃあ、ドレグ先輩に勝てるかな?」
「さすがに先輩に勝つのは、相当運がよくないとダメだな」
リュウは笑って返す。逆に言えば、運がよければ勝てるかもしれないと思っている。
「それじゃあ、俺はドレグ先輩に声かけてくる。どうせハンガーのほうにいるよな?」
「たぶんね、いつも通りならいると思う。それじゃあ僕はモニタリングの準備してくるよ」
機材を台車に積み込み、ロッツがひらりと手を振る。リュウはマギマキカの腕で手を上げて返し、ハンガーに機体を向ける。
格納庫から半分閉じた隔壁の向こうに、ハンガーがある。ハンガーは待機基地のことで、応急的な整備や補給なども行う。半ばほども解体して組み立てる整備調整が、ハンガーで行われることはあまりない。そうした実戦上の都合を配慮して、ハンガーと格納庫を区切っている。
そのため軍学校のなかではハンガーが整備を終えた機体が待機する場所で、格納庫は調整中または押入れに仕舞うように追いやられた機体が詰め込まれる場所という認識になっている。
実際、軍学校のハンガーは、駐機姿勢のマギマキカが出動を待ち構える兵士のように行儀よく整列している。
その隊列の外、壁際のコンソールにドレグがいた。マイアと並んで何か話している。リュウに気づいたドレグが手を上げて挨拶し、にやりと牙を覗かせた。
「おう、整備終わったか。じゃ、まあそんな感じでいいだろ?」
「仕方ないか。もとより私たちにできることなどないしな」
投げやりに話を切られたマイアは端末に表示された地図のようなものを眺めて、ため息と共に表示を消して端末を閉じた。リュウを見上げてクスリと笑う。
「ああ、心配しなくても聞かれてまずい話じゃない。来週に予定されてる展覧会の巡回任務について確認していただけだ。初任務として新入部員も連れて行くから、詳細が決まったら連絡する」
「あ、はい。分かりました」
返事をして、そんなものあったのか、という思いと、そんな気を使わせるような顔をしていたのか、という不安が頭に湧く。
ドレグはお構いなしに、表で待ってろとリュウに言付けて自分のカリオテを取りに行った。さすがにバウンサーを魔動機部が占有するわけにはいかなかったらしい。
外に向けて歩き出すと、隣にマイアが続いた。彼女はリュウを見上げて声をかける。
「どうだ、機体の調整は進んでいるのか?」
「はい。ロッツ、いえロタールがいい腕の機巧士で、かなりのレベルまで仕上げてくれています」
「確かに、SF製電装を着けておいてスムーズだな。それは、安定装置か。普通ならバランサーと干渉してぎこちなくなるはずだが、制御系に手をつけたのか?」
「そう言っていました」
ほう、と少し楽しそうな声を上げて顎に細い指を当てる。ハンガーから一歩外に出た途端横合いから刺さるやや遠くなった日差しに照らされて、思いがけず整った容貌が輝き、眩しそうに目を艶っぽく細める。目を眇めたまま口もとを緩め、リュウを振り仰いだ。
「なるほど、確かにいい腕のようだ。どこを調整したのだろうな。いくつかやり方はあるが。聞いてないか?」
「いえ、聞いていません。高度なことなのでしょうか?」
「要領を覚えてしまえば簡単なことだ。だが、安易に手をつけられるレベルでもない。非常に複雑だが一度覚えてしまえば、といったところか」
マイアは丁寧に噛み砕いてリュウに説明する。なるほど、と答えて、リュウは口を閉ざす。
いったい、ロッツはそんな複雑なことを、いつから学んでいたのだろう。
ロッツは格納庫のなかで機材を抱えて、遠話の要領で妖精と同期させて状態をモニターしているはずだ。どうやらマイアは観戦するつもりらしく、立てかけてあったデッキチェアを開いて腰掛けた。
ドレグの駆るカリオテがハンガーから追ってくる。