1-83 屋上、平穏、第一章
「拓生、ハズレちゃん、竜歌、そこのビーチチェア、端に寄せておいてもらえるか。人数分の椅子を置きたい」
「おォ!ボス!任せてくれェ!」
「はーいっ!」
「了解ですぞ!」
――翌日、〈オクタゴン〉・屋上にて。
冬の陽光を受けて、屋上のプールサイドが明るく照り返していた。三ツ星ホテルじみたその空間には、磨き込まれたタイルが整然と敷き詰められ、脇にはグリルやコンロ、食材を広げるための長机まで並べられている。
吐く息は白く、吹き抜ける風には確かに冬の冷たさがある。だが、燦々と降り注ぐ昼の光と、これから始まる騒がしい時間の予感が、その寒さすらもどこか心地良いものに変えていた。
今日は、陽奈乃の歓迎会も兼ねた、〈神威結社〉のBBQだ。
「おにいたま、フランも、てつだう」
裾をきゅっと引かれて視線を落とすと、フランがいつものジト目で俺を見上げていた。今日もフランは可愛い。
「おう、フラン。ありがとう。じゃあそろそろ天音と陽奈乃が買い出しから帰ってくる筈だから、荷物を受け取ってくれるか」
「あい!」
フランはよちよちとした足取りで、だが本人なりに精一杯急いでいる様子で、エレベーター前へ駆けていった。
「ボス!こっちは終わったぞォ!」
「椅子も並べましたぞ!」
「これでばっちりですねっ!」
「――雪渚!ただいま!」
丁度そのタイミングで、エレベーターの扉が開いた。
現れたのは、両手いっぱいに買い物袋を提げた天音と陽奈乃だった。袋の中には、肉、野菜、紙皿、調味料、飲み物――今日を成立させるためのあらゆるものが、溢れんばかりに詰め込まれている。その横でフランが、両腕で豚バラのトレイを一パック抱えて、とことこと後ろに着いてきていた。
「せつくん、ただいま帰りました」
「おう、お疲れ、二人共」
「おにいたま、おにく!」
「フランもお手伝い出来て偉いな」
トレイを受け取って、頭を撫でてやる。
フランは目を細めて、嬉しそうに小さく喉を鳴らした。
「にゃはは~。お邪魔するよ~」
その気の抜けた声に、思わず目線を上げる。
天音と陽奈乃の背後に立っていたのは――猫屋敷だった。〈オクタゴン〉の隣で猫カフェ・〈にくきゅう日和〉の店主を務める女だ。
「おう、猫屋敷か」
「彼岸とはたまたま〈オクタゴン〉の前で会ってね」
「ひなのっちとは〈極皇杯〉の時からのお友達だからね~」
「はい。猫屋敷さんでしたらと思い、BBQにお誘いさせていただきました」
「せつなっち~。いつも〈にくきゅう日和〉に遊びに来てくれてありがとね~」
「ああ、こちらこそいつも楽しませてもらってるよ。猫屋敷も折角だから楽しんで行ってくれ」
「ありがとね~。……って、プールもあるんだね~」
「温水プールらしいわよ」
「猫屋敷さんっ!水着もあるんで後で泳ぎましょっ!」
「にゃはは~。いいね~」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
肉の焼ける香ばしい匂いが、屋上いっぱいに広がっていた。
網の上で脂が弾け、その度にじゅう、と食欲を煽る音が立つ。冬の乾いた空気に、煙と肉の匂いが混ざり合って昇っていく。
一方、女連中はと言えば、正八角形のプールで燥ぎ回っていた。
「おォい!ハズレェ!水かけんなァ!」
「わぁっ!竜歌さんが怒りましたっ!」
「にゃはは~。平和だね~」
フランが浮き輪に身体を預けて、ぷかぷかと水面を漂っている。
そんなフランに手を振りながら、プールサイドでは俺と拓生が肉を焼いていた。コンロの熱で指先まで温まってくる。
「おにいたま、おにく、やけた?」
「おう、フランも食べにおいで」
「あい!」
フランは浮き輪を外し、よちよちとプールサイドまで上がってきた。
俺が箸で摘んだ肉を差し出すと、小さな口でぱくりと食べる。もぐもぐと数回咀嚼したのち、両手を頬に添えて顔を綻ばせた。
「おいち」
「はは、良かったな」
「まだまだ腐るほどありますからな!」
「フラン、沢山食べるんだぞ」
「あい!」
フランはまだ不慣れな箸で一生懸命肉を挟もうとしていた。危なっかしい手つきだが、その真剣さが如何にもフランらしい。
「にゃはは~。フランちゃんはもうお箸も使えるんだね~。偉いね~」
猫屋敷が、水着姿のままこちらへ泳いできた。濡れた髪を掻き上げながら、プールの縁に肘を乗せる。
「ひがんおねえたま」
「猫屋敷、お前も食べにきたか」
「匂いに釣られてね~」
「――ボス!肉の匂いがするぞォ!」
「ハズレちゃんもお肉食べますっ!」
猫屋敷に続いて、竜歌、ハズレちゃん、天音、陽奈乃もぞろぞろと集まってきた。プールサイドに腰掛ける者、パイプ椅子に座る者、濡れた髪をタオルで拭きながら立ったまま肉を待つ者。自然と輪が出来ていく。
「せつくん、汚宅部さん、お任せしてしまってすみません」
「ああ、いいさ。天音達はフランと遊んでくれてたしな」
「小生もその分、肉が食べられますし、構いませんぞ!」
拓生が紙皿を順番に配っていく。
受け取った連中は、思い思いに肉を摘み、遠慮なく頬張り始めた。
「うわっ!雪渚!この肉おいしい!」
「こっちのホルモンもいけますよっ!」
――改めて、不可思議な光景だ。
水着姿の美女達に囲まれながら、屋上で肉を焼いている。前世の俺なら、そんな未来を想像することすら出来なかっただろう。考えてみれば、とんでもなく恵まれている。
「にゃはは~。最高だね~。誘ってもらって感謝だよ~」
「ガッハッハ!うめェ!うめェ!」
「まだまだありますぞ!どんどん食べてくだされ!」
幸せな時間だと思った。蘇ったばかりの頃は、どうなることかと本気で思っていた。新世界に放り出され、何もかもが変わり果てていて、それでも生きろと迫られて。
だが今はこうして、頼れる仲間達に囲まれている。前世の末路を思えば、少し泣きたくなるくらいには、今の俺は恵まれていた。
「そういえばせつなっち~。『NewTube』であれ見たよ~」
「ん?アレって?」
「EMBの決勝だよ~。らいむっちとのバトル、ヤバかったね~」
「そっか。彼岸はお店があって会場に来れなかったもんね」
「にゃはは~。一晩でもう既に二億回も再生されてるよ~」
「せつくんの名が新世界中に更に知られるきっかけになりましたからね。銃霆音さんに勝つなんて、せつくんでなければ土台無理な話ですから」
そう語る天音は何処か自慢げだ。妻として、俺のことが相当誇らしいのだろう。
「それなー。実際アタシもあの動画、カッコよすぎて既に二百回は観てるもん」
「陽奈乃はもっとやることあるだろ……」
「陽奈乃さんは雪渚センパイにベタ惚れですからねっ!」
「もうっ!うるっさいわよ!ハズレちゃん!」
「痛いですーっ!やめてくださいよーっ!」
陽奈乃がツインテールを振り回してハズレちゃんをぺちぺち叩く。
ハズレちゃんも言葉では嫌がっている癖に、表情には笑顔を浮かべていた。
「ですが本当に勝てて良かったですな。銃霆音氏に負けていたら、今頃どうなっていたかわかりませんぞ」
「実際、大接戦だったけどな。最後の判定で雷霧に負けていても全く不思議はなかった」
「でも勝っちまうんだもんなァ。さすがボスだぜェ!」
「まあ何とかな。楽しい勝負だったよ」
――その時だった。
肉をもぐもぐ頬張っていたフランの身体が、ふっと光った。閃光。次の瞬間、そこにいたのは――十年後フランだった。
「――ってあれ?お兄ちゃん!?」
「……おう、十年後フランか」
「わあっ!未来のフランちゃんっ!ご無沙汰ですっ!」
「――おあッ!?フランはどこに行ったんだァ!?トイレかァ!?」
「えっ!?フランちゃんがおっきくなった!?」
「にゃはは~。何これ~」
十年後フランは、水着姿のまま髪を揺らしていた。向こうの時間でも、丁度屋上で泳いでいたのだろう。
「竜歌と陽奈乃、猫屋敷は知らなかったな。これがフランのユニークスキルだ」
「あァ?どういうことだァ?」
「はい。フランちゃんの中位級ユニークスキル・〈青春〉。『十分間、十年後の自分と入れ替わることの出来るユニークスキル』です」
「えっ、ってことはこの子が未来のフランちゃんってこと!?」
「にゃはは~。おっきくなったね~」
「竜歌お姉ちゃんに陽奈乃お姉ちゃん!それに彼岸お姉ちゃんまで!」
「それにしても十年後フランも大変だな……。三歳フランのご機嫌次第で勝手に過去に呼び戻されるんだから」
俺がそう零すと、十年後フランは肉を器用に箸で摘み、頬張って言った。
「そうでもないよ?ほら、一回のBBQで私は二回分楽しめるワケだし」
――成程、確かにその発想はなかった。
だが、その穏やかな空気を破るように、場違いな着信音が鳴った。
ポケットからスマホを取り出す。画面には、「銃霆音 雷霧」の文字。
「……雷霧か」
「銃霆音?アイツ、ホント……空気読めないわね」
「悪い。出ていいか?」
「うん、多分大事な話だと思うし」
「はいっ!」
「雷霧お兄ちゃんかー。雪渚お兄ちゃんを気に入ってるもんねー」
通話ボタンを押し、スマホを耳に当てる。案の定というべきか、受話口の向こうからは、調子の良い声が飛んできた。
『よっ、マイメン・アルジャーノン♪イカした報告だ♪』
「雷霧……お前はまた突然だな」
『つれねーな♪まあいっか♪決まったぜ♪』
「決まった?何がだ?」
『〈極皇杯〉の〈十傑推薦枠〉――今年はアルジャーノン♪俺達〈十傑〉はお前を選ぶぜ♪』
その言葉は、周囲にもはっきり聞こえていたらしい。天音と陽奈乃が俺を見て、小さく頷いた。
「そうか……。〈十傑推薦枠〉か」
『〈十傑〉は全員文句ないっつーからな♪異例のパターンだが〈十傑円卓会議〉を待たずに決定だ♪またブチカマしてくれよ?』
――〈極皇杯〉。去年の総参加者数は四十万人、全世界での生中継の最高視聴率は九割を超えた、〈十傑〉を除いた世界最強――世界十二位を決める超絶ビッグイベントだ。
――予選はクリスマス・イヴ、本戦はクリスマス当日。全参加者は八つのブロックに分かれ、異能バトルによるバトルロワイヤルを戦い抜く。各ブロックで最後に立っていた一名――計八名だけがファイナリストとして本戦へ進み、そこからトーナメントを戦う。
――〈十傑推薦枠〉は、〈十傑〉からそんな〈極皇杯〉の優勝候補に与えられる、最高の勲章だ。名実共に、優勝候補の一人として認められたことになる。
「そうか。わかった。天音と陽奈乃も推してくれたんだ。その期待に恥じない結果を残そう」
『それでこそマイメンっしょ♪』
「――おォい銃霆音!アタイもいるからなァ!ボスが優勝でアタイが準優勝だァ!」
『ドラゴンガールか♪二位狙いとは大した忠誠心だ♪ま、期待してるぜ♪』
「ああ。報告ありがとう、雷霧」
『おっす♪じゃーな♪』
通話が切れる。スマホをポケットへ戻したところで、猫屋敷がのんびりと口を開いた。
「でもさ~、ここに未来のフランちゃんがいるってことはさ~、フランちゃんはせつなっちが〈極皇杯〉でどんな結果を残すのか知ってるってことだよね~」
彼岸の鋭い指摘に、十年後フランが一瞬だけ固まる。
「……うん。まあね」
「おォ!どうせボスが優勝で決まりだろォ!ボスが最高で最強なのは間違いねェからなァ!」
「ふふ、そうですね。せつくんならきっと優勝できます」
「……竜歌お姉ちゃん、天音お姉ちゃん、残念だけど――」
そこで、全員の視線が十年後フランへ集まった。
「――雪渚お兄ちゃんは――優勝できない」
空気が、止まった。
さっきまで屋上を満たしていた笑い声も、肉の焼ける音も、プールの水音も、全部が一瞬遠のいたように感じた。冬の日差しは変わらず明るい筈なのに、その言葉だけが酷く冷たく響いた。
――その道が何処に続いているのかはわからない。それでも、俺達は前に進まなければならない。
――次はいよいよ〈極皇杯〉だ。俺は、絶対に優勝する。
これにて第1章「新世界篇」完結です!
ここまで読んでいただいた皆様、ありがとうございました。
幕間を挟み、第2章「極皇杯篇」が開幕します。
引き続きよろしくお願いいたします!
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