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1-45 インファイト

「……雪村……アンタ……何者なの……?」


「……さあな」


 背後で(うずくま)日向(ひなた)が、驚愕と戦慄の入り混じった視線をこちらへ向けていた。


 天井の(ひび)が遂に堪え切れず崩れ落ち、黒い雲を背景に瓦礫が雨のように降り注ぐ。瓦礫の山を押し退けるようにして、竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)がゆっくりと立ち上がった。雨が事務所内部にまで吹き込み、濃密な鉄臭さが薄闇に満ちていく。


 男は肩を大きく上下させながら、床へ血混じりの(たん)を吐き捨てた。金縁眼鏡の奥、血走った瞳が獲物を引き裂く獣のようにこちらを見据えている。


猪口才(ちょこざい)な……っ!オレが誰だか理解した上での狼藉(ろうぜき)なんか?」


 竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)はスリーピースのジャケットを脱ぎ捨てた。筋肉の盛り上がる左腕と背中に刻まれた龍の刺青が、照明の(わず)かな光を受けて(あや)しく輝く。


「箱庭の王気取りの(がん)だろ?」


 俺は黒のスキニーパンツのポケットから〈エフェメラリズム〉を引き抜き、もう片方の手でパチンコ玉を掴む。ゴム紐を最大まで引き絞り、脳天目掛けて射出。――と思われた瞬間。


 乾いた音を立て、パチンコ玉は空中で止まり、竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)の指の間で簡単に砕かれた。銀片が、虚無の雪のように床へ舞い落ちてゆく。


「こんな軟弱な攻撃でオレを殺せる思うとるんか?」


「プレス機か?お前の指……」


「意識の内にある攻撃は通用せーへん思といてや」


「俺のアッパー喰らって血反吐(ちへど)吐いてたのってお前じゃなかったっけ?」


「アホか。『喰らってやった』ンやろうが」


「お前程はアホじゃねえよ」


「……っ!お前はオレの逆鱗(げきりん)に触れたみたいやな……ッ!」


 刹那(せつな)、世界が縮む。瞬間移動したかのような踏み込みと共に、集中線めいた圧が眼前へ飛び込んでくる。振り抜かれた拳に、こちらも拳を合わせた。


 衝撃音。全身に(きし)むような痛みが走る。


 雨が降る。ザーザーと、ザーザーと、容赦なく。その雨は止む気配を一向に見せない。血で濡れた床に更に雨水が(にじ)み、二人分の血がゆっくりとグラデーションを作っていく。


「舐めるなよガキが!お前(ごと)きに何が為せるんや!?」


「――害虫駆除?」


「――ッ!抜かすなや……ッ!!」


 頬に叩き込まれる拳。視界が僅かに揺れる。その痛みに歯を食い縛りながら、俺も男の頬をフックで殴り返す。


 パンチにキックの応酬。肘、膝、肩。攻防はゼロ距離の殴り合い――超絶怒涛(どとう)のインファイト。両者、一歩も退かない。そんな互角の戦いだった。


 ――俺は、特別喧嘩が強い訳ではない。だから拳を打ち出す角度、タイミング、有効部位、重心移動――あらゆる要素を瞬時に計算して、ただ最善手となる攻撃を繰り出し続けるだけだ。


「――ガキが……!オレに楯突くなんざ百年早いねん!」


「くっ……!英雄級ユニークスキル貰って支配者気取りか。痛過ぎるぞ、お前」


「傷んどるのはお前の肉体やろが……ッ!」


 竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)は額に青筋を浮かべ、息継ぎも忘れたように猛攻を畳み掛けてくる。


 俺も負けじと拳を繰り出す。俺の背後で(うずくま)る金髪ツインテールの女、〈十傑〉・第七席――日向(ひなた)陽奈乃(ひなの)は息を呑んでその様子を見守っていた。


 傷だらけの竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)を視界に収め、俺は脳内で静かに掟を刻む。


『掟:攻撃を禁ず。

 破れば、全身が石化する。』


 ――無力化して、この男に、住民達へ頭を下げさせる。


 掟を定めるのと同時に、俺は拳を引き、両手をぱっと開いた。完全に無抵抗の姿勢となる。


 竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)は一瞬、怪訝(けげん)そうな表情を浮かべるも、繰り出す拳を止めることはない。


 拳が胸を穿(うが)つ。心臓が破裂したかと錯覚する衝撃。


 ――次の瞬間、竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)の身体が、メデューサに魅せられたかのように静止した。皮膚が鉛色に沈み、血色が()せ、石へと変わってゆく。全身が、文字通り石像と化していく。


「……終わったか」


「……石化……したの?」


 日向(ひなた)が赤く()れた腹部を(さす)りながら、ゆっくりと立ち上がった。その表情には困惑の色が(にじ)んでいる。すると、日向(ひなた)が目を丸くして、驚きの声を上げた。


「――雪村っ!後ろ!」


 日向(ひなた)の悲鳴。――車に()かれたかのような、衝撃。身体が後方に吹っ飛ばされ、壁に激突した。ぱらぱらと、壁材が(こぼ)れ落ち、壁に大きな(ひび)が走る。


「石化……?だったらなんやねん?舐めんなや、ガキが……!」


 ――痛え。マジか、コイツ。石化を解いただと……?


 壁に(もた)れ掛かったまま、背後の(ひび)割れた壁を(ひじ)で小突く。すると、壁がガラガラと崩れ、プレハブの街並みが覗いた。


 再び〈エフェメラリズム〉とパチンコ玉を握り直し、その空いた穴の向こう――竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)とは真逆の方向へ、思い切り射出する。パチンコ玉は当然のようにプレハブ街へ、明後日の方向へと勢い良く飛び去っていった。


「……ちょ!雪村、アンタ……どこに撃って……!」


「はっ、頭を打って錯乱したんか?何処(どこ)に撃っとんねん!」


 映画のワンシーンのように、雨が激しく降り注ぐロータリー。その喧騒の中で、俺は日向(ひなた)にだけ聞こえる声量で告げる。


「……日向(ひなた)。逃げてろ」


「逃げないわよ。なんでアンタの指図なんか――」


「――表現が悪かった。邪魔だ」


「……っ!……わかったわ」


 日向(ひなた)の表情が引き締まる。日向(ひなた)は素直に壁の穴から飛び降りていった。


他人(ひと)の女を勝手に逃がすとはどういう了見や?」


「お前じゃ釣り合わねーだろ」


「抜かすなや……ッ!どないな女もオレへの恐怖には抗えへん!」


 ――何故掟が通用しない……?コイツのユニークスキルか?……いや、断定するにはデータの母数が足りない。もう一度試すか。


『掟:怒声を禁ず。

 破れば、全身を骨折する。』


「学生時代モテなかったのか?恐怖で支配しなければ女を抱けないか」


「随分と回る口やなァ!?」


 怒号。直後、バキバキバキ――と、雨音すら掻き消す、骨が砕ける音。


「ぐっ……!」


 全身の複雑骨折――到底立っていることすら困難な(はず)。だが、竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)(わず)かに苦痛に顔を(ゆが)めただけで、()ぐに何かを確信したように、にやりと口角を吊り上げた。


「はっ……理解したわ。お前のユニークスキル……戦闘中のルール……規則……掟を定める。――そんなとこやろ?」


「どうだかな」


 ――たった二回で当てるか……!コイツ……!


「――死ねや」


 ――刹那(せつな)、急速に詰められる距離。複雑骨折した身体でありながら、火花を散らす速度で繰り出された膝蹴りが腹を貫く。


「が……はッ……!」


 ――コイツ……全身の骨が折れた状態で……!


 呼吸が乱れ、視界が白く弾ける。身体が床へと崩れ落ちた。


 見上げた先で、竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)は右手に大量のパチンコ玉を掴み、(てのひら)の上でコロコロと転がしていた。


 ――膝蹴りと同時に抜き取ったのか……。


 竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)は、沢山のパチンコ玉を床に散蒔(ばらま)き、その上にそっと足を乗せた。次の瞬間、銀色の球がその圧力で粉々に砕け散る。足を退けると、そこには金属の粉末だけが残っていた。


 ――パチンコ玉を踏み潰す。炭素鋼やステンレス鋼で作られ、球形故に力が均等に分散される(はず)のそれを。通常の人間には、まず不可能な芸当だ。……化物か。


 立ち上がろうとした瞬間、的確な回し蹴りが側頭部を捉える。視界が弾け飛び、再び壁へ叩き付けられた。全身を凄まじい衝撃が貫く。


「弱い。話にならんで……!その程度でよくオレに刃向かったモンやな……!反吐が出るわ」


 ――何故掟が通用しない?複雑骨折した状態でのこの身の(こな)し……これは気力で補っていると考えるしかない。


 ――だとすれば石化の罰も気合いで解いた?馬鹿言うな……。


「事務所の玄関にお前の首を飾ってやるわ……!覚悟しろや……!」


「やってみろよ」


 ――いや、違う。石化の時間指定をしなかった俺のミスか……!


「威勢だけはええなァ!?」


 ――だとすれば、俺が(ぬる)かった。


 透かさず、転がった〈エフェメラリズム〉を手に取り、ポケットに仕舞っていた「モノ」と共にゴム紐を引き絞る。弾ける音。竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)の金縁眼鏡が片側だけ砕け散った。破片が右眼に突き立つ。


「……なっ!?」


 その隙に立ち上がり、後ろ回し蹴りで後頭部を狙う。竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)の身体が重力に引き倒されるように前方へ倒れ込んだ。


「お前……ッ!」


 竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)は即座に立ち上がった。その右の眼からは、どくどくと血が流れている。


 お互いの身体は、既にボロボロだった。


 短い静寂の中、竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)が低く問う。


「お前のパチンコ玉は全て破壊した(はず)や……!何処(どこ)に隠し持っとんたんや……!?」


「パチンコ玉じゃねーぞ、それ」


 床に転がっている、血が付着した「それ」に目を向ける。「それ」は――赤字で「中」と彫られた、一枚の麻雀牌(マージャンパイ)であった。


成程(なるほど)なぁ、お前……下の階で拾って隠し持っとったんか」


『掟:攻撃を禁ず。

 破れば、自らも同じ傷を負う。』


 ――掟は両者に課される。半端な罰はもう通用しない。なら――互いの肉を削り合うしかない。


「――和了(あが)らせてもらうぞ」


 踏み込み。互いの拳が、再び火花のようにぶつかる。殴れば殴る程、俺自身にも同じ傷が刻まれていく。


 雨と血煙が混ざる中、二人の肉体がぶつかり合う。インファイトは、加速する。

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