1-40 鼻摘み者
――王都・〈王手街エリア〉から歩いて半日。俺達〈神威結社〉は、平原に突如として現れる巨大な円壁――〈神屋川エリア〉の城壁の前に立っていた。
押し付けられるような無風の陽光が、鉛色に燻む石肌を白く焼いている。風景の中に「壁」だけがある、という異様さ。草原の終わりに地平線があるのではなく、そこで世界が遮断されているような感覚だった。
俺はニット帽を押さえながら、天へと突き刺さるような輪郭を見上げる。
「ここが〈神屋川エリア〉か」
「そのようですな……」
拓生の額を伝う汗が、陽光を受けて鈍く光る。
天音は冷静な表情のまま、高さ五十メートルはあろう壁面を観測するように眺めている。
「これは……難儀しますね」
「高いですねーっ!」
ハズレちゃんだけが場違いなほど元気良く手を翳して陽を遮っている。
フランはいつものように俺の背中にしがみつき、親指を咥えたまま、世界と半分だけ関わっていた。
「おにいたま、おっきい」
「そうだな……。ふむ、困ったなこれ……どう入るんだこの中……」
「師匠なら壊せるのでは?」
「いや、拓生……幾らなんでも無理だろ……」
――生物ではない城壁に掟なんて通用しない。この城壁を正面から突破するのはまず無理だ。
「せつくんなら大丈夫ですよ」
「雪渚センパイならできますよっ!」
「ええ……じゃあやるだけやってみるか……?」
周囲には何もない平原が広がるばかりで、門らしい門はどこにも見当たらない。世界の端に線を引くように、ただ巨大な壁だけが屹立している。
俺は拳を固めた。理性より先に、衝動が前へ出る。そして、そのまま城壁へ拳を打ち込んだ。
ゴン。
鈍く、重い反響音だけが平野に響き渡る。手応えはゼロ。いや、マイナスだ。拳の骨が悲鳴を上げた。
「――いっでえ!!!」
案の定、城壁には傷一つ付いていない。無慈悲にも、堂々と、その高い壁はそこに「在る」だけだ。俺は半泣きで振り返った。
「ほら見たことか!」
「申し訳ないですぞ……」
「ごめんなさい、せつくん……」
「てへっ☆すみませんっ☆」
「あのな……」
天音が淡い緑光の癒しで拳をそっと撫でる。温もりと共に痛みが引いていくその感覚が、妙に情けなかった。
「サンキュー、天音」
「いえ。……とはいえどうしましょう。竜ヶ崎さんはこの中にいるのでしょうか?」
「ハズレちゃんの灰色の脳細胞が告げていますっ!竜ヶ崎さんはこの中にいますよっ!」
「とはいえさっき外周を見て回って、出入口らしきものは何もありませんでしたぞ?」
――その時だった。
空を裂く光の尾。高空に、人影があった。
光速に迫る飛行。質量を持つ存在には許されない筈の速さ。眩い光を放つ人影は、凄まじい速度――正に光の速さ――「光」速移動と言って差し支えない速度で、城壁へ一直線に突っ込んでいる。まるで流星が意志を持って落ちてくるみたいだ。
「あ?なんだあれ……」
――アインシュタインの特殊相対性理論によれば、質量を持つあらゆるものは光速に達することは出来ない、というのが現代科学の鉄則だ。仮にそれが可能だったとしても、衝撃波の発生、身体が細胞レベルで破壊されることは免れない。そんな絶対の物理法則を、今この瞬間、真正面から踏み躙っている人間がいた。
金髪ツインテール。桜色の毛先。その女は光を拳に集めると、そのまま拳を前に突き出し、城壁へと降下し――
ドゴォォォォォォン!!!
轟音と共に、五十メートルの城壁が「破壊」ではなく「消失」した。ロケットランチャーでもブッ放したかのような光景。砕け散った石が砂のように崩れ落ち、瓦礫煙が風を裂きながら水平に広がっていく。砕けたというより、そこだけ世界が削り取られたような光景だった。
「マジか……」
余りの驚きに、口を衝いて出た驚嘆は、崩れ去ってゆく瓦礫の音に掻き消された。
――だが、そんな絶対の物理法則すらも土足で踏み躙る人間がこの新世界に存在することを、俺は知っていた。間違いない。あの女は……。
満足そうに腰に両手を据えながら浮遊するその女は、地上の俺達の様子に気付いたらしく、俺と目が合った。女は笑う間もなく急降下し、ふわりと大地へ降り立った。
「アンタたち、何してんの?」
雑誌の表紙からそのまま飛び出したかのようなギャルだった。髪型は毛先にカールの掛かった、ツーサイドアップに近い金髪ツインテール。緩く巻かれた金髪は、毛先へ行くほど美しい桜色のグラデーションに染まり、動く度に光を散らすように揺れている。
――滅茶苦茶可愛いな……。
斜めに流れるような金色の前髪を留めているのは、太陽を象ったバレッタ。両サイドに垂れた触覚めいた髪が、整い過ぎた輪郭を態と崩すように揺れていた。
「危ないから早く帰りなさいよね」
短い白のトップスと黒のレザーショートパンツ。肩とヘソと太腿が遠慮なく晒され、ショートパンツからは「見せパン」の紐が覗く。その胸に輝くエンブレムが、〈十傑〉であることを誇示していた。
――通称、「#ぶっ壊れギャル」――〈十傑〉・第七席――日向陽奈乃――。
日向は両手をすっぽりと包んだ、シリコン製のガントレットを装着していた。 〈キラメキ〉と呼ばれるそれには、大きな太陽の刻印が施されており、今尚光の残滓を燻らせていた。
「〈十傑〉の日向女史ですかな……!?」
「そうよ。見ればわかるでしょ?」
都会の雑踏の真ん中からそのまま切り取ってきたような違和感。だが、その軽薄さと圧倒的暴力が同居しているからこそ、余計に「本物」だった。
「すごいっ!本物の日向さん、初めて見ましたっ!〈十傑〉・第九席の涙さんと並んで、全女の子の憧れですよっ!」
「そ、そんなことないわよ」
日向は僅かに頬を染める。そして俺の背後に立つ天音をちらりと見て、続いて拓生のTシャツに目を留めた日向は、露骨に眉を顰める。
「……って何?アンタ、その服……。ダッサいわね」
日向が毛先をくるくる弄ぶ仕草すら、破壊力を孕んでいる。可愛らしい八重歯が然り気なく覗く。
「ほほう、日向女史、この『マジカル魔法少女☆キューティーミライ』に興味があるのですかな!?」
「……ないわよ」
日向は呆れた様子で吐き捨てると、再びふわりと宙に浮いた。日向のルビーの瞳が俺を捉える。
「アンタたち、見たところ新参クランでしょ?早く帰らないとホントに危ないわよ」
「日向だったか。〈神屋川エリア〉に何か用か?」
「そうね。でもアンタたちに話す筋合いはないわ」
「そうか」
「忠告はしたわ」
金色の軌跡を残しながら、日向は空へ舞い上がり、自ら穿った巨大な穴へと戻っていった。尋常でない速度で。
「日向女史……本物は滅茶苦茶可愛かったですな……」
「お前な……」
天音が、改めて俺に向き直る。
「それでせつくん、日向さんのお陰で〈神屋川エリア〉に入れそうですが、どうされますか?」
「――当然GOだろ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
〈十傑〉が残した巨大な穴から〈神屋川エリア〉に足を踏み入れる。
――そこは「災害後の公営住宅街」のようだった。
一面の白い直方体。無表情なプレハブ住宅が、円形都市の内部をぎっしりと埋め尽くしている。人工的な均質さ。そこに人の生活がある筈なのに、余りにも仮設めいていて、妙に胸が苦しくなった。
「プレハブ……?なんだこの街は……」
「不思議な街ですね……」
「あんなに派手に瓦礫が崩れたのに、街中に何の被害もないなんてすごいですねっ!さすが日向さんですっ!」
「〈十傑〉である日向女史だからこそ出来る芸当ですな……」
――空を飛び、パンチ一つであの城壁を消し飛ばす身体能力――否、ユニークスキルも脅威だが、それだけじゃない。この密集したプレハブ群に一切被害を出さない精密さ。これが〈十傑〉か……。
プレハブとプレハブの間には車道が敷かれ、横断歩道や信号機もある。だが、走行する車は一台もない。プレハブの街に当然のように敷かれた車道は、却って違和感を際立たせていた。
プレハブから出てきた人々が、唖然とした様子で城壁の大穴を見上げている。
「なんだ?今の爆音は……?」
「城壁に穴……!?」
「な、何が起こったんだ?」
「俺見たぞ!〈十傑〉の日向様だ!」
「日向様が……助けに来てくださったってこと!?」
「嗚呼……遂に俺達はこの支配から逃れられるのか……」
歓喜。
安堵。
涙。
抱き合う者までいる。
――「支配」。
その言葉が重く、都市全体に落ちた影のようだった。
だが、その熱気は長く続かなかった。突如として、街が水を打ったように静まり返る。住民達の視線が一点へ吸い寄せられる。
横断歩道の上に――黒い軽装の鎧、長い黒髪、赤い瞳、二本の黄色い角。――竜ヶ崎。
「うわ……最悪。竜ヶ崎龍帝の妹かよ……」
「ちっ、何しにきたんだよ……」
「中入れ、中入れ。関わらない方がいい」
住民達は蜘蛛の子を散らすようにプレハブへ逃げ込み、扉が次々と閉ざされてゆく。金属音が冷たく街へ響く。取り残された竜ヶ崎の表情には、隠しようのない寂しさが滲んでいた。
二本の黄色い角を生やした長い黒髪の女――竜ヶ崎は寂しげな表情を浮かべたのち、車道の上に立つ俺達をきっと睨み付けた。
「デケェ音がしたと思って来てみりゃァ……なんだァこれはよォ……!」
「おう竜ヶ崎、また会ったな」
俺の声に、竜ヶ崎の顔が一気に歪む。
「――なんで来たァ!?アタイに二度と関わるなっつったはずだろォがァ!」
「ああなに、お前から最初に絡んできたのに『二度と関わるな』ってのが腹立ってな。文句言いに来てやったぞ」
「見え透いた嘘を……ッ!クソが……!なんで邪魔しやがるんだァ……ッ!」
「竜ヶ崎、お前困ってんだろ。力貸すか?」
「……ッ!……お前は強ェよ。アタイなんかよりずっと強ェ。でもよォ……兄貴にだけは……兄貴にだけは誰も勝てねェ!お前らには借りがある。巻き込みたくねェ。帰ってくれ……ッ!」
竜ヶ崎の瞳に、じわりと涙が溜まる。悔恨、怨恨、憤怒、恐怖――様々な感情が濁流みたいに混じり合って、その表情を歪めていた。
「こんな月並みな台詞言わせるなよ。やってみなきゃわかんねーだろ」
「そうじゃねェんだァ!……千回!千回も、アタイは兄貴を殺そうとして返り討ちに遭ってる!兄貴はアタイを殺しやしねェ!兄貴はアタイを都合のいい金ヅルだとしか思ってねェんだッ!ク……ソッ……!!」
「そうか」
千回分の傷。それは鎧の下に隠されていた。見えなくても、声の震えだけで充分だった。この女がどれだけの敗北を飲み込んできたのか、嫌になるほど伝わってくる。
「アタイが……アタイが兄貴を殺すしかねェんだッ!」
「そうか」
「クッソ……ッ!今日こそアタイは兄貴を殺して……ッ!全部……終わらせるんだァ!!!」
竜ヶ崎は叫び、己の恐怖を押し潰すように力強く踵を返した。そしてプレハブ街の中心――「支配者」の鎮座する場所へと颯爽と走り去っていった。
再び、一時の静寂がプレハブの街を包む。乾いた風が、その静寂ごと、この閉ざされた都市を撫でてゆく――。




