1-12 マザーロマリオ教会
ギルドを後にし、王都・〈王手街エリア〉を散策する。隣で石畳の舗道を歩く天音が、俺に腕を絡めて離さない。目指すは天音が働いていたという教会――マザーロマリオ教会だ。
「ふふ、せつくんとデートしてるみたいで嬉しいです」
――天音は可愛いなあ。
本人へ言えば間違いなく赤くなるだろうから口には出さないが、こうして機嫌良く腕へ寄ってくる姿は、見ていて普通に破壊力が高い。
「天音、教会はこの先か?」
「はい、せつくん。真っ直ぐ行っていただければ」
ギルド本部や巨大な円形闘技場、王城。〈日出国ジパング〉の王都・〈王手街エリア〉中心街は、力と権威と娯楽が剥き出しで並んでいるような場所だった。
だが、郊外へ向かって歩を進めるにつれ、街の音は少しずつ柔らいでいく。喧騒は遠のき、建物の密度が下がり、代わりに風の通りが良くなる。王都の中心が「熱」なら、こちらは少しだけ「息継ぎ」に近い。
軈て西日が傾き始める頃、一際目を惹く白亜の建物が視界に入った。
「懐かしいですね……。こちらが私が働いていた、マザーロマリオ教会です」
尖り屋根の十字架に西日が差す様は、実に幻想的で荘厳だ。身廊と翼廊が交差して十字架を模した、所謂、バシリカ型の教会である。ステンドグラスが鈍く光を返し、風が鐘の余韻を運んでいた。
「マザーロマリオ教会には孤児院が併設されております。身寄りのない子供達を、こちらでお預かりしているんですよ」
天音の言う通り、敷地内には孤児院も併設されているようで、敷地の奥を子供達が燥いで駆け回っていた。その明るさは、「孤児院」という言葉から連想される寂しさとは対極的だ。
「きゃはは!ミナ、次鬼ね!」
「ケンタぁ!待ってよぉ!」
子供達の燥ぐ声、駆け回る足音が響き渡っている。笑い声が風に混じって響く。不条理だらけの新世界の片隅に、こういう穏やかさがちゃんと残っているのかと思うと、少しだけ口元が緩んだ。
「あれ?君達、マザーロマリオ教会に何か用かい?」
背後からの声。振り返ると、丁度そこを通り掛かった一人の男性の姿。俺達に向けられた視線に、声が自分達へのものだと直ぐに理解する。
「はい、私がこのマザーロマリオ教会でお仕事させていただいていたんです。マザー・エニスにご挨拶を、と思いまして」
「へえ。マザー・エニスは凄い人だよ。身寄りのない子供達を一手に引き受けてる。マザー・エニスは俺達の信仰の象徴さ。王都でマザー・エニスを悪く言う人はいないよ」
――マザー・エニス。余程人望があるようだ。
「じゃ。マザー・エニスによろしくね」
男が去り、俺達は敷地へ足を踏み入れる。
その瞬間、小さな悲鳴が上がった。
「きゃっ!」
目の前で三歳くらいの女の子が転んでいた。白ブラウスの上から黒いタータンチェック柄のジャンパースカートを着た、内巻きの銀髪ボブスタイルの可愛らしい女の子。左右のサイドの白いポンポンヘアゴムがやけに目を惹く。
「うう……」
女の子は膝を擦り剥いて泣きそうになっている。天音は直ぐに膝を突き、祈るように両手を合わせた。淡い緑の光が小さな傷口を包み込み、ゆっくりと癒していく。
「痛いの、痛いの、飛んでいけ――」
優しい声と共に傷は跡形もなく消えた。女の子はぽかんと目を丸くし――軈て、微かに微笑んだ。
「あ……おねえたま、あ、ありがと」
「うっ……!」
天音の母性本能を擽ったのか、天音は胸を押さえた。完全に母性へ直撃した顔だった。確かに「おねえたま」は反則級の破壊力がある。
「な、なんですか、この天使は……」
――この子も孤児か。残酷だな……。
女の子はふらりとその場に立ち上がり、小首を傾げ、じっと俺達を見上げてくる。ジト目が印象的で、何故か目が離せなかった。
「おにいたま、おねえたま、まざあにようじがあるなら、あんない、するです」
「そうか。よろしく頼むよ」
撫でた頭は柔らかく、少女は少し照れたように笑った。
「あい!わたし、フラン、さんさい。おにいたまとおねえたまは?」
「雪村雪渚だ」
「私は雨ノ宮天音です。フランちゃん、よろしくお願いしますね」
「あい!がんばる」
小さな手が俺達の手を引く。その力は頼りないほど弱いのに、不思議と温かかった。
フランが俺達の手を引き、そのまま真っ直ぐ、教会の正面玄関に案内される。この教会が立派な部類に属することは、素人目にも明らかだった。
「おにいたま、おねえたま、かいだん、ある。きをつけて」
「ああ、ありがとう。フラン」
正面玄関から教会に一歩足を踏み入れると、神聖な雰囲気が俺達を出迎えた。ステンドグラスから差し込む光が床に色の帯を落とし、静かな空間を神聖な色に染め上げている。装飾は重厚で、長い年月を掛けて積み重ねられた祈りが、そのまま形になったような場所だった。奥には祭壇や告解室も見受けられる。
その祭壇の前に――彼女は立っていた。黒い修道服に身を包んだ脹よかな老女。頬へ刻まれた皺は深いのに、そこに宿るのは衰えではなく慈愛だった。目を細め、両手を胸の前で合わせながら、柔らかく微笑んでいた。
「あら、いらっしゃ……あなた、天音……?」
老女の声が震えた。十年振りに見る教え子の姿に、目尻に涙を浮かべている。十年ぶりに見る教え子の姿へ、目尻に涙が滲む。
彼女にとって天音は、ただの元職員ではないのだろう。送り出した我が子の一人に近い。
天音もまた、涙を浮かべて恭しく頭を下げた。
「マザー・エニス、ご無沙汰しております」
「まあ……立派になってくれて、本当に嬉しいわ。でも、相変わらず若いままなのね」
「あなたがマザー・エニスですか」
「ええ。福富笑似――マザー・エニスと呼ばれているわ。あなたは?」
「マザー・エニス。こちらの方は私のご主人様であられる、雪村雪渚様でございます」
「紹介に預かりました、雪村雪渚です」
「ご主人様」呼びは未だに慣れないが、ここで訂正を入れるのも違う気がして、そのまま頭を下げる。
「そう。色々話も聞きたいわ。どうぞ、座って――」
促され、長椅子へ腰を下ろす。彼女の笑みは穏やかで、まるで全てを包み込むようだった。
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「そう……雪渚さんが、天音が待ち続けた方だったのね……」
マザー・エニスは穏やかな表情のまま、俺達の話に黙って耳を傾けてくれた。天音が待ち続けた男の子の正体が俺だったこと。天音と共にここまで旅をしてきたこと。マザー・エニスの神聖な笑みは、全てを受け入れてくれる気さえした。
「フランも偉かったわね。お客様をちゃんと案内してくれたのね」
「あい!フラン、えらい、です」
フランは得意げに胸を張る。その小ささと生意気さの混じった表情が、少しだけ可笑しい。
「それでマザー・エニス、あの子達は何処に……?」
天音が問い掛けた。「あの子達」という言い方から察するに、十年前、天音が孤児院で働いていた頃にいた子供達のことだろう。
「ええ、天音。あの子達ならみんな、養子として引き取ってもらったわ。どの家庭も本当の我が子のように愛してくれて、すくすくと育っているはずよ」
「そうでしたか。安心しました」
天音の肩から、僅かな緊張が抜ける。自分がいなくなった後のことを、きっとずっと気にしていたのだろう。
「それで雪渚さん、天音、あなた達はこれからどうするつもりなのかしら?」
「そうですね……。はっきりとは決めていませんが、〈十傑〉を目指そうかと」
「じ、〈十傑〉……!?まぁ、凄いこと……!」
「せつくんは『最期に笑って死にたい』という立派な目標をお持ちです。私は、愛するせつくんに少しでもご助力出来るよう、全身全霊を以てお供するつもりです」
「ふふ、天音は本当に雪渚さんが好きなのね。あなたが心から愛せる人と出会えて、私、本当に嬉しいわ」
「はい、私はせつくんを愛しております」
唐突に向けられた視線が、少しだけ痛い。逃げ場のない問いの前触れだと直感した。
マザー・エニスが穏やかに微笑みながら、俺へと問い掛ける。
「それで、雪渚さんは天音のことをどう思っているのかしら?まだお付き合いはしていないのでしょう?」
「ど、どうって……」
「せつくん……お聞かせください」
逃げ場はない。暫し沈黙し、軈て俺は口を開いた。
「俺も……天音のことは好きですよ。ただ……俺みたいなクズには、天音は勿体ないです」
「――せつくん!そんなことは!」
「おにいたま……?」
――しまった。変な空気にしてしまった。
空気が少しだけ重たくなる。俺は取り繕うように言った。
「ごめん、天音。本心だ。やっぱり俺には、天音の気持ちに応える資格がない」
「……………………」
天音は悲しそうに眉を下げてしまった。その様子を見守っていたマザー・エニスは、何かを察したように、優しい声で口を開いた。
「大丈夫よ、雪渚さん。きっと辛いことが沢山あったのね。でも大丈夫。きっと神様は見てくださっているわ」
その声には、ただ宗教者としての言葉以上の重みがあった。多分この人は、本当にこれまで何人も救ってきたのだろう。優しさを言葉にする技術ではなく、優しさそのものに説得力がある。俺は無宗教だが、常人なら或いは救われていたのかもしれない。
――だが俺の心は、前世で既に死んでいる。海の底で、全部手放してしまった。もう何も、感じないのだ。俺の壊れた心には、マザー・エニスの優しい言葉は響かなかった。
優しい言葉も、信仰も。俺の壊れた心の底までは、届かない。そう自覚してしまうのが、少しだけ空しかった。
「……ありがとうございます。マザー・エニス」
「マザー・エニス、久々にお会いできて良かったです」
「私も会えて良かったわ、雪渚さん、天音。また王都に寄ったら遊びにいらっしゃい。いつでも歓迎するわ」
「じゃあな、フラン」
「おにいたま……うん、バイバイ」
小さな手を振るフランの笑顔は、何処か寂しげだった。――その意味を、俺達はまだ知らなかった。




