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02話 ケルベロスがうなる森

 なんとも言えない嫌な臭気がたちこめる。

 雨が降りまくってるせいで血が地面に染みこまず、じわじわと足元に広がっていくし、そこに獣の体臭が混じる。

 ケルベロスは本当に大きい。

 頭から足までの長さがぼくの身長と同じくらい。

 元々10人だった犯罪者が8人にまで減っちゃった。

 次に殺されるのは自分かもしれない。


(今すぐこの場を離れなきゃ)


 頭ではわかってても身動きがとれない。

 だってケルベロスの3つある頭のうちの2つがぼくたちを睨んでるんだから。

 ちなみに、もうひとつの頭は犯罪者の死体をばりばり音をたてて食い漁ってる。

 グロい……。

 いつまでもこの地獄のような光景を見続けなきゃいけないのかなと思ってたら、案外そうでもなかった。


「うわあああ」

「ぎゃっ」

「ぐえええぇぇ」


 ケルベロスが動いた。

 3つの頭が同時に牙を剥いて、一瞬で3人が体を噛みちぎられた。

 えげつない量の血が飛ぶ。

 どしゃ降りの雨よりもたくさん返り血を浴びちゃった。

 セーラー服がずぶ濡れだ。


(これで残りの犯罪者はあと5人……)


 なんて計算してるうちに、


「ぐおっ」

「ぎやぁぁあ」


 今度は爪でケルベロスは2人を殺害した。

 残り3人。

 こんな計算をしてるのは、なにもぼくに余裕があるからじゃない。

 脳が現実から目をそむけさせようとしてるんじゃないかな。

 人間って、土壇場になると案外冷静になるんだと思う。

 こんな状況も恐怖より悔しさの方がたくさんこみあげてきてるのも、そのせいだ。


(かわいそうに……)


 たとえ犯罪者であっても大切な命だ。

 助けてあげられるなら助けてあげたい。

 でも、首が胴体から離れてたり、上半身と下半身がばらばらになってたり、どこからどう見ても救助できないのは明らかだった。

 だったら、まだ生きてる人たちを助けよう。

 ぼくは勇気を振り絞って大声を出す。


「みんな!」

「な、何だよ、女装野郎」

「逃げるよ!」

「でも……足がすくんで……」

「じゃあ、ぼくだけ先に行くよ? じゃあね~。さよなら、よわよわおじさんたち」

「てめっ……待てコラ!」


 煽りに煽った結果、犯罪者2名の尻に火をつけることに成功。

 ぼくたちは走り出した。


「うおおぉぉぉおおお」

「こんなとこで死んでたまるかよぉおぉお!」


 2人は大声を張り上げた。

 たぶん恐怖を振り払うためだ。

 それ、いい考えだね。

 ぼくも真似しちゃおう。


「ぼくは無実だぁぁぁぁあぁぁ」


 森は暗かった。

 まだ夜じゃないけど分厚い雲が空を覆ってる。

 さらに枝と葉っぱが影を落とす。

 無数の草木が視界を悪くしてるし、そもそもここはぼくたちにとって初めての土地だ。

 今日、って言うか、ついさっき来たばっかりなんだから。


 それに対してケルベロスは慣れた様子。

 強靭な脚力で木々の間をするするくぐり抜けてる。

 いや、この目ではっきりと見たわけじゃない。

 音だ。

 ケルベロスの大きな足音にはまったく乱れがない。

 あっという間に距離を縮められるのがわかる。


 次の瞬間――

 右から血しぶきが飛んで、ぼくの頬に届いた。

 左からは悲鳴が。


「うあぁぁっ……助けて……くれ……!」


 ぼくは目を高速きょろきょろして状況確認。

 右側を走ってた人は木の枝にぶらりと垂れ下がってる。

 間違いなく死んでるだろう。

 だけど左側でケルベロスに爪を突き立てられてる人はまだ息がある。


(だったら助けたい。いや、助けなきゃ!)


 躊躇せず立ち止まる。


「待ってて! すぐ行くから!」


 勇気を奮い立たせ、ぼくはケルベロスめがけて駆け出す。

 勝算?

 計画?

 ないよ、そんなの。

 死ぬかもしれないってこともわかってる。


「ぬわあぁ!?」


 すっかり忘れてたけど、ぼく運動は苦手なんだよね……。

 ぬかるみに足をとられて勢いよくずっこけた。

 けど、結果的にこれが命拾いになった。


「ふしゅう!」


 ケルベロスが前肢の爪で攻撃してきたんだけど、それはちょうどぼくがこける直前にいた場所に振り下ろされた。

 ひえぇ……。

 こけてなかったら今頃ぼくの体はずたずたになってたはず……。

 ケルベロスは攻撃を外したことに苛立ってる様子。

 3つの顔全部がぼくを睨んでる。

 どうしよう?


「あいたたた……」


 どうしようもこうしようもない。

 転倒した際に足をくじいたみたい。

 立ち上がれないよ。


「えっと……ケルベロスさん。ちょっと話し合いませんか?」

「ぐるるるる!」

「あ! はいはい! 怒ってらっしゃる」

「ふしゃあああ!」

「ひぃぃい」


 相手は魔物。

 そもそも話の通じる相手じゃなかった。

 ケルベロスは3つの口を大きく開けて、ぼくに突進。


(ああ、終わった……)


 人生最期の時に何をしよう?

 お祈り?

 命乞い?

 歌でもうたえばいいのかな?

 死ぬ時ってこんな感じかー。

 走馬灯なんてないんだね。


「ごるう!」


 ケルベロスが跳躍。

 次の瞬間にはぼくの命が儚く散ってるだろう……。

 と思ったら。


「おーい。そこのセーラー服~」


 緊迫した状況に似合わない、ずいぶん呑気な声が聞こえた。


「伏せといた方がいいよ」

「!?」


 よくわからないけど、ぼくは指示に従った。

 誰だろ?

 何にしても、生きてる人の声が聞けて嬉しい。

 しかもこれ絶対に助けてくれる流れでしょ?

 よかったよかった。

 ……でも、どうやって?

 こんな強い魔物を倒すには、それこそ銃とか必要だろうけど、刑務所代わりの島にそんなものあるわけないし……。


 ドドドドド!


「うわああぁぁ!?」


 大きな音と衝撃。

 この島にも銃はあったんだ。

 ……いや、これって銃?

 弾が光ってるんだけど!?

 これじゃまるでビームみたい……。


「ぎゃああん」


 ほら。

 あの強そうなケルベロスの体が弾け飛んでるんだもん。

 普通の銃じゃこうはならないよね?

 知らないけどさ。

 ケルベロスは地面に落ちて微動だにしない。

 死んだんだ。

 ほっと一息ついたところへ、


「どう? 生きてる?」


 遠くから声をかけられた。


「ありがとうございます。生きてます!」

「一応言っとくけど、きみのことじゃなくてケルベロスのことなんだけど」

「あっ……そっち……。えっと、死にました。おかげさまで」


 前方からひとつの明かりが近づいてくる。

 人だ。

 2人の男の人が馬に乗ってる。

 光は……ランタン?

 考えてみれば島流しにされた犯罪者はこれまでにいっぱいいるわけで、その人たちが馬を飼い慣らしたりいろんな文明の利器を生産しててもおかしくはない。


「おい。他に生存者がいないか調べろ」


 髭をたくわえたいかにも強そうなおじさんの方が、金髪の華奢な男の人に命令した。

 金髪の人は結構若い。

 高校生くらいだろうか。


「んー。いないんじゃない?」


 金髪男子は適当に調べて適当な報告をした。

 ちょっと待ってほしい。


「そこに一人生き残りがいるはずで……」

「この死体のことか?」

「あっ……」


 ぼくが助けようとした人は残念ながら絶命していた。

 ってことは……


「生き残ってるのはセーラー服のこの子だけだね」


 金髪男子は事も無げに言う。

 ショックを受けてる表情じゃない。

 こんなことにはすっかり慣れっこらしい。

 でも、ぼくは正気じゃいられない。


「初めは10人もいたのに……たった10分かそこらで……こんなことになるなんて……」

「気にすんな、新入り」

「ぼくは……ぼくは誰のことも助けられなかった……」


 体から力がぬけ、すうっと意識が遠ざかった。

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