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美智果とお父さん  作者: 京衛武百十
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結局は<類に呼ばれた友>

<まんさん>もしくは<ま~ん>という、ネットスラングの一種らしき言葉が僕は大嫌いだ。


妻を馬鹿にされている気分になるから。そして、自分の思い通りにならないことにいちいちキレる甘ったれな性根を見せ付けられるから。


だからといって僕がその手のコメントにいちいち噛み付いていたら同じことをするだけになるからやらないけれど、そんなことをしていて自分の存在を認めてもらえるとでも思ってるのだろうかと情けない気分にもなる。


たぶん、同じような人間同士で寄り集まってお互いに共感し合いたいだけなんだろうけどさ。まさに、<類は友を呼ぶ>ってことなんだろうな。


しかも、そういう人間が自分の周りで見かける不愉快な人間も、結局は<類に呼ばれた友>なんだって思うんだ。自分が他人から見て不愉快なことをしてるから、同じような人間が周りに集まってくるってことなんじゃないかな。


そんな生き方を続けたいのなら勝手にしてくれたらいい。僕も美智果もそういうのとは関わらない、こちらから関わろうとは思わないからさ。


<優しい人>っていうのは、他人を口汚く罵る人間の傍には寄ってこないんだよ。基本的に。


相手を外見でなく内面で見る人は、外面そとづらを取り繕っていても裏では他人を口汚く罵る人間の内面も見てるんだよ。だから近寄ってこないんだ。


精神的に荒れていた小学校高学年の頃から高校の頃にかけて、僕はそれを思い知らされたよ。その頃の僕の周りには、決して人間的に褒められないのがたくさんいたから。


決して自分から関わろうとか思ってた訳じゃない筈なのに、そういうのがたくさんいたんだ。不思議なことに。


でも思えば当然なんだ。あの頃の僕も人間的に褒められたのじゃなかったからね。母に対する鬱屈した気持ちのやり場をどうすればいいのか分からなくて悶々としてて、表面上は大人しいふりをして内心では他人に対して『死ね』とか『殺してやる』とか延々考えてた。


他人の外見じゃなく内面を見る人なら、当然、そんなことを考えてるような人間には近寄ってこないよね。


僕の場合は、幸い、それでも数少ない、いい出逢いから学ぶことができてそんな自分を恥ずかしいとまで思えるようになっていったけど、それがなかったら妻とも出逢ってなかったし、当然、美智果とも出逢うことはなかったと思う。それどころか、ネットで他人を罵りまくってただろうな。


僕は決して立派な人間じゃないけど、それでも『ここから下には堕ちたくない』っていう境界線みたいなものは持ってる。


それを守れなくなったら、僕は美智果とは一緒にいられないだろうなって思うんだ。



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