努力を認めない現実なんて
『努力してる人間が報われないのは納得できない』って?
それって、自分のことを当てはめてるのかな? 自分はこんなに努力してるのに報われないのは納得できない、だから現実なんてクソって言いたいのかな?
僕はそういう考え方には共感できない。だって、<努力してる>って、<何をもって努力してると言えるのか>っていうのがそもそも数値化とかできないと思うし。
まったく的外れな努力を続けててたらそれが報われないのなんて当たり前だよね? むしろ、的外れでも努力さえしてたら報われるっていう方が僕は気持ち悪いと思う。
いわゆる<毒親>とか最近言われるタイプの親が子供の為にと言って必死にやってることを『努力してるから報われるべき』って思う? 自分が共感できてしまう相手が適切な努力してるかどうかなんて、本当に分かるのかな?
勉強を頑張ってきたからって立派になれるとは限らないと思うんだけどね。
実際にいい大学に行った人とかには、努力の<量>じゃなくて<質>を大事にしてたのが多いんじゃなかったっけ。
『自分はこんなに努力してるのに報われてない』
『ポッと出の、何かよく分からない才能持ってるのがいきなり努力を続けてきた人間を超えていくのが許せない』
そんなの、ただの妬み嫉みじゃないか。
僕は美智果オタクだから、自分の人生そのものを美智果の為に捧げてると言ってもいい状態かもしれない。自分の時間を美智果の為に使って、あの子の表情とか仕草とかに意識を向けて、どんな些細な、僕にとっては興味のない話にも耳を傾けてってしてるよ。それも努力の一つだと思う。
だけど、そういうのは決して世間からは評価されない。他人からはよく分からない努力だから。たぶん、僕のやってることがそもそも努力に見えないっていうのもいるだろうね。
そういうものなんだよ。自分がいくら努力してるつもりでも、他人から見ればそれが評価に値する努力とは限らない。
こんな風に言うと今度は『説教くさいのとかウザイ』とか言って逃げるんだろ?。でも、それがもう努力してないとも言えるんだと思うよ。
『自分のやってる努力が的外れなものだと認めてそれを改めていくという努力』をしてないじゃないか。
『努力してるのに報われない』のは、努力の仕方が適切じゃないからだよ。
僕も自分では努力してるつもりだった。でも芽が出なかった。たまたまドロップシッピングって形で仕事を見付けられてそれが自分に合ってたのか生活に困らない程度には上手くいってるけど、それは決して僕がやりたかった仕事じゃない。
でもだからって僕がやりたかった仕事で成功してる人達を妬むつもりはないよ。
『努力を認めない現実なんてクソ』とか言って、成功してる人を攻撃してる暇なんかないから。




