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美智果とお父さん  作者: 京衛武百十
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叱ることそのものが目的なんじゃない

子供を叱るというのは、その子を大切に想うことだと僕は考えてる。叱ることそのものが目的なんじゃない。大切だからこそついっていうのが重要だと思うんだ。<叱るという行為>そのものを目的にしてしまうと間違ってしまうんじゃないかな。


モモカちゃんやマサトくんのお祖父ちゃんのように。


あれは、自分の感情をぶつける為の言い訳として『他人の子でも叱ってやってる』ってことにしてるだけだとしか僕には思えない。


他人の子供でも叱れることを持て囃すと、それ自体を目的にしてしまう人が出てきてしまうのかもしれない。叱るのはあくまで手段でしかない。その子を大切に想えばこそっていうのが大前提なんだろうな。


叱るというのは諸刃の剣だ。相手にとってはとても刺さることもある行為だからこそ印象に残るし気持ちを揺り動かすこともある。でもだからこそ悪い方向に働く危険性があることも忘れちゃいけないんだって感じてる。


かえって逆効果になることもあるのを忘れちゃいけないと、僕は自分に言い聞かせてる。


そうなんだ。叱るというのもあくまで自分の言葉を相手に伝えること。自分の言葉を相手に伝える為の方法の一つとしてそれがあるんじゃないかな。


その子のことを大切に想えばこそ、必要な言葉がきちんと届くように。


こう考えると、叱る時こそ、叱る側は冷静でないといけないって気もする。でないと、自分の言葉が相手に届いてるのかどうか、相手に届く言い方になってるのかどうかっていうのが分からなくなってしまう。それこそ、叱るという行為そのものが目的になってしまうのかもしれない。


手段が目的化してしまうと、大体失敗する気がする。


『何の為に叱るのか』


それをきちんと考えれば、叱ることそのものを目的にしてしまわずに済むのかな。


その子のことを大切に想って、その子に届く言葉を掛ける。その為の手段として、叱るという方法もある。僕はそれを忘れずにいたい。余所の子供を叱れる自分に酔ってしまわないようにしたい。そう考えるとやっぱり迂闊なことはできないなあ。


モモカちゃんとマサトくんがこの先どうなっていくのか、心配はある。だけど僕は二人について責任を負うことができない。二人の人生を背負うことができない。


だからこそ、親や祖父母や親戚の存在が大事だと思うんだ。他人が自分の子供を叱ってくれることを期待しないようにするべきなんじゃないかな。特に親には、自分の子供をこの世界に送り出した責任がある。どうしていいのか分からなくなった時には他人からアドバイスをもらいつつも、自分の責任において子供と向き合う必要があるんじゃないのかな。


僕は美智果を、他人に叱ってもらわないといけないような子にしたくないんだ。



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