自分が何をしたか。何をするか
「~♪」
僕の膝に座って、美智果が鍵盤ハーモニカの練習をしてた。それも宿題の一つだった。今月、その発表会があるんだ。
去年も同じ時期にやってたことだった。そこでも鍵盤ハーモニカの演奏を頑張ってた。今年もってことだ。三年生からはリコーダーになるそうだから、鍵盤ハーモニカはこれで最後ということかな。
美智果が使ってるそれは、実は僕が子供の頃に使ってたものだった。実家にまだ残ってて普通に使えたから綺麗に拭いて使ってもらったんだ。
「新しいの買ってあげたら? 可哀想よ」
そんな風に言った人がいた。その人とはもう今では話もしない。
『お下がりを使ってるのは可哀想』
それはつまり、古いものを使うのは惨めとか格好悪いとかみみっちいとかいう意味だよね?
僕は、そういう考え方をする人とは距離を置く。そういう人は普段の態度にそれが出るから。古いものを使ってる人を見下し、蔑み、軽んじてるのが透けて見えるから。
結局、そういうのもイジメに繋がっていくんだろうなとしか思わない。
だからってそれを攻撃しようとも思わない。それもまたイジメに繋がるだろうから。ただ距離を置いて敬して遠ざけるだけだ。そういう人もいるっていうだけで。
僕のお下がりの鍵盤ハーモニカを持っていってても、美智果はそれで何かを言われたことはないって言ってた。
『新しいのが欲しい』とは言わなかった。もしそんな風に思ってたら、この子は言わなくても顔に出る。それがないから大丈夫だ。
壊れているものを使わせるのは確かに良くないと思う。さすがにそれは申し訳ない。だけど、部品の色遣いが今風じゃないっていうだけでそれ以外はまったく機能に問題がないものを大事に使うことをまるで悪事のように見下す方がおかしいんじゃないのかな? そんなことで他人を見下すのを許してるのがおかしいんじゃないのかな。
僕は、美智果がそんなことをしてたら放っておかない。クラスメイトが兄弟姉妹のお下がりの服を着てるとか、お下がりのランドセルを使ってるとか、そんなことで馬鹿にしたり見下したりすることをそのままにはしない。
そういうことで誰かを馬鹿にしたりする方が間違ってるってきちんと諭す。
だけど、幸いにもこの子はそんなことはしない子だった。他人と自分を必要以上に比べて勝ってるとか負けてるとか、優れてるとか劣ってるとか、そういうことに囚われない子だった。
それを、『向上心がない』とか『良いものを手に入れる為に努力する人間にならない』とか言う人がいても気にしない。
大事なのは、『自分が何をしたか。何をするか』だと思うから。