外野が何を言ってても気にしない
美智果との二人暮らしは平穏だった。平穏でいられるように全神経を傾けた。『ママはもういない』っていう途方もないストレスがかかっているあの子にそれ以上の余計なストレスを与えないように心掛けた。だからあの子も、余計なことに煩わされずに自分に突き付けられた現実に対処することに集中できたんだと思う。
僕は僕で、美智果を守ることに集中してたことで、妻を亡くしたストレスを紛らわすことができてたんだろうな。
入学式の日。お祖母ちゃんに買ってもらった赤いランドセルを背負って、美智果はママの写真に向かって、
「にあう?」
って訊いていた。そして、
「ありがと」
って応えてた。たぶん、美智果の中では『似合ってるよ』ってママに言ってもらえたんだろう。
僕はその姿を敢えて自然なものとして受け入れた。あれはあの子が順序立てて現実を受け入れる為に必要があってやってることだから。
入学式でも、美智果はしっかりと前を見て真っ直ぐ立ってた。他の子と何の違いもなかった。
式が終わった後で、写真を撮った。他の子達はお母さんに写真を撮ってもらったり、お母さんと並んでるところをお父さんに撮ってもらったりしてた。美智果はそれをちらちらと見ながらも、悲しそうな顔をしたり羨ましそうな顔をしたりはしなかった。それはもしかしたら、彼女なりの矜持だったのかもしれない。
学校に通い始めても、美智果は毎日楽しそうに通ってた。
「学校楽しい?」
僕が尋ねると、
「楽しい!」
って笑顔で応えてくれた。
学校には、『死やそれを連想させる言葉とかに強い反応を示すかもしれませんが、それ以外についてはなるべく普通に接してあげてください』とお願いしてた。きっと、それをきちんと考慮してくれてたんだと思う。いい学校に行けたなって思った。
最初の一年はとにかく手探りだった。ママがもういないという現実を美智果が受け止められるようになるのを目指しつつ、同時にそればかりにならないように気を付けた。大事なのは、時間をかけて理解をさせてあげること。焦らなくていい。急がなくていい。慌てなくてもママがいない現実は変わらない。現実が変わらないのなら、こちらがゆっくりとそちらに合わせていけばいい。
甘やかしてるとか、現実逃避してるとか、この子のことを知らない外野が何を言ってても気にしない。僕はこの子の反応の一つ一つを注意深く見ながら美智果に合ったやり方を探っていった。
人は、それぞれ違ってる。誰かのやり方がそのまま誰にでもあてはまるとか考える方がどうかしてる。だから僕は、美智果の為だけのやり方を探し当てていくんだ。




