38、ピンクローズの髪飾り
深夜のような変なテンションのドレス選びから数日が経ち。
千聖君の誕生日パーティーまであと一週間を切った。
ダンスの練習は一先ず順調だけども、お兄様が言うにはまだまだとの事らしい。
あまり完璧じゃなくても良いんだけどそれだと祥子ちゃんとの遜色が出るし、何より千聖君に恥をかかせる訳にはいかない。
と、自分を鼓舞して頑張ってるんだけど……。
まあ、あと一週間じゃ絶対無理だよね…。
だいたい祥子ちゃんは子供の頃からダンスをやってたわけだし、そのレベルまで持っていくのはまず不可能よ。
あまりにもハードルが高すぎて最近はもう諦めの境地になっている。
もう、ど~にでもな~れ~ってやつよ。
まあ、ダンスの事はさておいて。
私にはもっと差し迫った問題があるのだ。
ここ最近はずっとその事が悩みの種となってしまって、どうしたものかと思案する毎日なのだ。
このままではダンスどころでは無いのではないか。
ひょっとしたらまともに踊る事もできないのではないか…。
そんな事ばかりを自分に問うている。
何故こんな事に……。
何度もそう考える。
しかし答えはいつも藪の中に。
そんな自分でもよく分からない現象に私は参ってしまっているのだ。
その現象とは。
「おはようございます」
いつものように千聖君の車に乗り込んだ私は朝の挨拶をする。
「おー」
それに千聖君はいつものように返してくる。
ここまではいつもと変わらない朝だ。
しかし、ここから少し違う様相を見せ始める。
挨拶を交わし合った後、私は何故か窓の外を見る。
窓の外を見て何を考えているかというと。
ああ、あんな所にあんな店が…とか。
通学中の子供たち可愛い…とか。
犬の散歩してる人がスマホばっかり見てて、犬がつまらなそう…とか。
そんな、どうでもいい事ばっかり考えてしまっている。
これが最近の私の習慣となってしまっているのだ。
何でこんな窓の外ばっかり見ているか…。
千聖君と喧嘩した?
いやいや違う。そんな訳がない。
では何故なのか……。
「祥子…」
「は、はい! なな何でしょう!?」
急に声を掛けられ、吃驚して上擦った声になってしまった。
「今度のパーティーに、一部の女子生徒をお前が連れていくって聞いたんだが」
「あ、そ、その件ですか。えと、汐莉さんとそのお友達の皆さんと一緒に行こうかと思いまして…」
「そか、じゃあうちから車を出さなくてもいいんだな……?」
パーティー当日はクラス全員の家まで橘家の車が迎えに行くことになっている。
しかし汐莉さんたちに関しては、私が貸すドレスの直しに時間がかかるのと西園寺さんの着物の着付けがあったりと、そんな諸々の事情から当日はうちの家から一緒に行こうという事になったのだ。
「え、ええ、そうです。あ、あの、私が責任を持って連れて参りますわ!」
「…………」
静まり返った車内に、静かなエンジン音が鳴り響く。
「な、何でしょう……?」
「…お前、何でずっと窓の方を見てるんだ? 最近ずっと俺の顔を見ようとしないよな?」
ぎくぅ!!
「な、何の事でしょう…? そ、そんな事は…ありませんわ」
「じゃあ、こっち見ろよ」
「み、見ますとも…。見て差し上げますとも……」
私はゆっくりと千聖君の方に顔を向けようとすると……。
そこに。
「何でそんなゆっくりなんだよ」
そう言いながら千聖君が私の顔を覗き込んできたのだ。
「はひゃあ!」
私は奇声を上げながらまたそっぽを向いて、窓の外に視線を移してしまった。
「何なんだよまったく…」
「何と申しましても……」
そう、これが最近の私を悩ませている問題だ。
この間の合宿以来、どうしても千聖君の顔が見れなくなってしまったのだ。
一体どうしてしまったのかは分からないけど、何だか千聖君を見ると顔が熱くなってきて、頭の中がぐるぐるとしてくる。
き、緊張とかでは無いんだけど…。
何というか、恥ずかしくてしょうがないのだ……。
「ひょっとして、何か怒ってるのか? 俺お前に何かしたかな…?」
「お、怒ってないです! 決して怒ってる訳ではないのですよ……」
「じゃあ、何なんだよ?」
「いえ、その……」
ほんと、どうしてしまったのか…。
はっ、これはあれか?
引きこもり時代の私に戻ってしまったのか?
引きこもりの一番の苦手とするところは、人の目を見る事だ。引きこもりという後ろめたさのせいで自分に自信が無くなり、そんな目で私を見ないでという悲痛な心の叫びと共に自然と相手の目を見れなくなっていくのだ。
まったく、何て恐ろしい現象なのだ…。
はぁ、可哀想な私…。
いやいや待て、よく考えたら千聖君にだけこうなるんだった。
じゃあ引きこもりは関係ないか……。
ではこの現象は一体……。
「ちょっと恥ずかしと言いますか…、何と言いますか……」
「恥ずかしいって…。この前まで普通に喋ってただろ、何だよ急に」
「それはその……ごにょごにょ」
私は指をくにくにと弄りながら言葉を濁す。
そんな私を見て千聖君は「やれやれ」と溜息を溢すのだった。
うう、呆れられたかな…?
どうしよう、また静かになってしまったよ……。
もう外眺めるのも限界だし、何か話題とか…何かないか……。
あっ!
そうだそうだ!
忘れる所だった。今日はこれを持ってきたんだった。
ある事を思い出した私は直ぐに脇に置いてあった鞄へと手を伸ばす。
ふっふっふ。
私だってこんな事態に何も対策をしない訳じゃないんだよ。
バカにしてもらっちゃあ困るってもんよ。
ええと、何処にいったかな?
あ、あった。
これよこれ!
そう、それは何かというと。
じゃーん、千聖君への誕生日プレゼント~!
この一週間、メイド長の宮入さんとあれでもないこれでもないと選んだ一品よ。
途中から、男性に送る物だからお兄様か別の男の人に訊いたほうが良かったんじゃないかと頭を過ったけど、今更引き返せなくなって宮入さんと選びに選び抜いた一品なのよ。
これで千聖君のハートをがっちりキャッチすれば何らかの突破口になる……はず。
………。
き、気に入ってくれるかな? 気に入ってくれるといいんだけど……。
「あ、あの千聖君。こ、これ……、誕生日プレゼント……です!」
私はドキドキしながらそのプレゼントの入った包みを千聖君に差し出した。
「ん? おお、悪いな……って、せめて渡す時くらいこっち見ろよ」
「そ、そこはあまり気にしないでください」
相変わらず窓の方を見ている私に千聖君は溜息を一つ吐く。
うう、溜息を吐かれるのってちょっとショックだわ。
まあ私が悪いんだけども…。
「……これ、開けていいか?」
「ど、どうぞ…」
私からそのプレゼントを受け取った千聖君は、包装を綺麗に開けて中の品を取り出していく。
「少し早いのですが、当日は渡せる暇が無さそうなので……」
「お、腕時計か」
そう、私は腕時計を千聖君へのプレゼントとして選んだ。
文字盤もベルトも黒で統一された、上品でシックな感じの漂う腕時計。
男の人は割と大きい時計というか、ごてっとしたのが好きな人が多いイメージがあるのだけど、ちょっと千聖君のイメージとは違うような気がするんだよね。
そう思って、大人な感じのものを選んだんだけど……。
気に入ってくれるかな……?
やばい、ドキドキが止まらない。
プレゼント渡すだけなのにこんなに緊張するとは思わなかったな…。
私がそんな不安を抱えていると。
「祥子、どうだ?」
その腕時計をさっそく腕にはめた千聖君が私にそれを見せながらそう訊いてくる。
「凄くお似合いです」
「いや見てないだろ、お前」
にゅう~~~。
だって、見れないんだもの…。
ちょっと千聖君、向こうを向いてくれないかな? そしたら見れるのに…。
いやいや、そんな事言ってちゃダメだ。
ちゃんと見ないと、そのうち嫌われちゃうかもしれない……。
よし、見るぞ!
せーので見るぞ!
せーの……。
………。
そうだ、髪で顔を隠して私の顔が分からないようにしてみようか。
顔を髪で覆ってしまえば直接顔を合わせる訳じゃないし、案外いけるような気がする。
いや、ダメだ。
それじゃ貞子かナッ〇姫じゃん。
ていうか怖がらせてどうすんのよ。
きっとそういう事じゃないはずよ。
ちゃんと千聖君を見ないと、でも見れない、いやでも見ないと、しかし見れないんだって。
ああ、もうどうすれば……。
そうして私が悩んでいるところに、千聖君が意表を突く事を言ってきた。
「おーい祥子。今こっち向いたら良い物やるぞ」
なぬ!?
良いものだと!?
「何ですか良いものとは!?」
「お、こっち向いた。はは、現金なやつだな」
言われた私は顔を熱くする。
「なっ。だ、騙しましのですか!? 人が悪いですよ、もう!」
「ははは、悪い悪い。それよりこれ、どうなんだよ?」
千聖君はちょっと悪戯な笑みを浮かべながら、その腕にはめた時計を私に見せつけてきた。
黒い文字盤の上を、白い針が浮き出るようにして今の時刻を差している。
それはまるで、時間だけが存在する真っ暗な世界に落とされたような、そんな錯覚に陥りそうになるものだった。
見ていると吸い込まれてしまいそうな、そんな雰囲気さえあるその時計は、どこか千聖君の持つ雰囲気とマッチしていた。
「どうなんだって訊いてるだろ」
時計と千聖君を交互にじっと見詰める私に、千聖君は感想を求めてくる。
「た、大変お似合いだと思います」
私がそう言うと、千聖君は上に翳したりしながらその時計を見詰め始めた。
そしてこっちに振り向いたかと思うと――
「そうか、気に入ったよ。ありがとな、祥子」
笑みをこぼしてそう言うのだ。
のーー!!
だめだー!
その笑顔はダメだーー!!
「あ、また向こう向くのかよ」
いやいや無理ですよ。
その顔は普段であっても直視できません。
だいたい眩しすぎるのよねぇ。
陰キャものにはその眩しさは毒なのだ……。
「しょうがない奴だな……」
もう良いんだ…。
陰キャな私は一生この窓の外を眺めて暮らしていくから。
陽キャに憧れたバカな女は、少し焦げのあるたい焼きだったのさ……。
そんな事を考えていると、千聖君は自分の鞄の中をゴソゴソと探りはじめた。
そして何かを取り出してきて。
「ひゃあ!」
私の頬にその何かで軽く触れてきたのだ。
「な、な、何!? 何ですか!?」
セ、セクハラ?
千聖君がセクハラをしたの!?
もっとして!
いやいや、そうじゃない。
一体何をしたんだこの人は?
ちょっと確認の為にもう一回やってみて!
こういうのは中途半端なのが一番いけないのよ!
「はは、良いものだよ」
千聖君がそう言って見せつけてきたのは一本のボールペン。
ピンク色をしたそのボールペンには、ペン尻の部分にリボンが巻き付けてあって、そこにピンク色した薔薇のような造花がくっ付いているのだ。
それを見た私は思わず「可愛い…」と声が漏れていた。
「それは……?」
「良いだろ? フラワーペンってやつだ。この間、親戚の結婚式があってな。そこの受付でこういうのが使われてたんだよ」
千聖君は得意げにペンをくるりと回転させると、続けて話す。
「それでこれを見た時に近ごろ不機嫌な祥子を思い出してな。ちょっと取り寄せてみたんだが……」
そう言うと千聖君の視線がこちらを向いた。
「ち、違うんです。本当に不機嫌とかではないんです。これはその何と言うか――」
その時、私の心臓は止まってしまうのかと思った。
それほど驚く事が急に起きたのだ。
私が言い終わらないうちに千聖君の体が私に接近してきたのだ。
そしてそうかと思うと、私の耳元をその手で軽く触れてきた。
しかも、窓際の方の耳。
つまり千聖君とは反対側だから、千聖君の顔が……凄く……近くに……。
「な、なな、ななな…何を……?」
私の心臓はこれまでに無いくらいに早鐘を打った。
どくどくと五月蠅いくらいの心臓の音と、お湯でも沸きそうなくらい熱くなる顔。
一体いま何が起こっているのか、パニックになる私に千聖君はその答えを告げる。
「ほら、時計のお返しだ」
そう言って離れていく千聖君。
「え…、あ、え? お、お返し…? ……えっ?」
気が付けば、さっき千聖君が持っていたフラワーペンが私の耳に挟まれていたのだ。
そんな私の姿が、車の窓に映って私の目に飛び込んでくる。
まるで髪飾りのように私の髪を彩るそのピンクの薔薇。
私はそれを見た瞬間、本当に薔薇が咲いたようにふわふわとした気持ちになった。
でも、一体これは何?
ひょっとして夢でも見ているのだろうか…?
千聖君の真意が分からない、ときめく想いと一緒に戸惑いも感じていた。
しかしそれは直ぐに分かる事になる。
「ちょっとこっち向いて見せてくれよ」
ドキッとするその声。
そうか。
それでこっちの耳に挟んだのか…。
私が窓の方ばかりを見ているから。
私の為に……。
「こ、こうですか……?」
私は零れそうになる涙をぐっと堪えて、そのバラを見せるように振り向いた。
千聖君の優しい気持ちに何とか応えたくて。
俯きそうになる目を必死に押し上げて。
そこで、ようやく私は千聖君の目を見る事ができたのだ。
深く吸い込まれそうな黒い瞳。
それが真っ直ぐに私を見つめてくる。
ああ、だめだ。
今度はその瞳から。
目が離せなくなってしまう。
そのまま、少しの沈黙が流れた。
その沈黙に堪らなくなった私の口は何故か勝手に滑りだす。
「あ、あの。どう…ですか?」
「あ、ああ。良いんじゃないか…?」
千聖君は少し頬を染めてそう言った。
そしてさらに口が滑って。
「その…。少しは可愛くなりましたか?」
そんな思い切った事を訊いてみると。
「お、おう……。かもな…」
千聖君は照れ臭そうにそう応えた。
そして。
今度は千聖君が窓の方を向いてしまったのだ。
その後、私たちに会話は無かった。
心臓の鼓動の音だけが、妙にうるさい朝の一幕でありました。
いつもお読みいただきありがとうございます(/・ω・)/
久々の千聖君登場です。もうちょっと登場回数を増やしたいのですが、他のキャラも出したい欲求が抑えられないのです(*'ω'*)
そんな訳で、皆さまの応援を期待しつつ次回に続きます('ω')ノ




