発見
首を締めていた強い力が緩んだのが分かった。
「その人に、触れるな」
誰の声だか一瞬、まるで分からなかった。
私は開けた視界で、辺りを見回す。大勢いたはずの召使たちが、皆、気を失って倒れていた。死屍累々の中に、一人、ヴィクトールだけが立っているのが分かった。
ヴィクトールはなぜか剣も盾も持っていなかった。ちょうど私を抑えていた最後の一人を、素手で殴っているところだった。
人の骨を殴る、鈍い音がした。
「…ヴィクトール、」
声に詰まった。近い場所に立っているはずなのだが、伏せた顔からは表情が分からない。だが、耳と尻尾の毛をひどく逆立て、怒っているようだった。
「…スズカ、殿」
彼は声を絞り出した。私を認めた瞬間、目を大きく開く。
「ご無事ですか」
私はどう答えて良いか分からず、瞠目した。彼の背中から、血が垂れて草が赤く染まった。いや、それどころではない、いつの間にか彼は、深い刀傷を追っていた。
「ヴィクトール!」
ふらついた彼を思わず抱きとめる。大人の男一人の体重が、どっと肩にのしかかってきた。全身の力を振り絞って、少しずつ身をかがめ、彼の身体を地面に横たえる。彼の意識はやや朦朧としているようだった。
「スズカくん、アンドレくん!」
声がして、私の認識は現実に引き戻された。声をした方を見ると、騎士団の制服をきた一群がこちらに向かってきているところだった。
先頭で私たちの名前を呼んだのは、紛れもなくシリル殿だった。
「エメから報告を受けて馳せ参じた。すべて終わった後のようだが…」
シリル殿はそう言って、倒れた人々をまたいで厩の中を覗いた。
「ひっ」
引きつった声が男の口から漏れ出る。パスカル・メイデンはいまだに腰を抜かしたまま、金庫の前に座り込んでいた。
「これが奴隷商売で儲けた不正収入か」
吐き捨てるようにシリル殿が言うと、ざっと振り返って部下たちに指示を出した。
「1班、当主の身柄を確保。2班、メイデン家他のご家族の身柄を確保しろ、娘がいたはずだ。3班、5班はここで倒れている人々の身柄拘束及び救護に当たれ。6班は少年奴隷の保護だ」
「はっ!」
騎士団の面々が命令に従って散らばっていく。そうだ、少年奴隷の保護。アルノルフくんを探さなければ。だけど、ヴィクトールが。
「手当をします。下がって」
騎士団の人がヴィクトールの服を剥がした。筋張った背中に一瞬躊躇うも、赤い血の痕が目に入った。隊員が血をふき取ると、幸い、傷は背中に一太刀。そんなに深くはなさそうだった。
「スズカ殿!」
見知った声に引き止められる。正門の方から、二人の人物が走ってこようとしているのが見えた。
「アシル殿、アドルフさん!」
「スズカ殿、ご無事で何より」
アシル殿はさっと息子の傷の具合を確認した。手当をしている騎士団員を2、3言葉を交わすと、私に向き直った。
「傷は綺麗なものです。この程度なら直ぐに治るでしょう」
私はほっと息をつく。深い傷でなくてよかった。
「アシル!」
「シリル殿! ご無沙汰しております」
シリル師団長の声かけに、アシル殿は快活に応じる。
「元気そうで何よりだ。しかし、少し痩せたな」
「騎士団の頃のようにはいかないさ。まぁなんとかやってるよ」
アシル殿の挨拶の後、アドルフさんも一歩前に進み出る。確か、アドルフさんは騎士団時代、シリル殿の隊に所属していたと聞くから、昔の上司と部下なのだろう。
「シリル殿、お久しぶりです。アドルフ・ケネル改め今はただのジャンと申します」
丁寧にアドルフ殿がお辞儀をする。シリル殿は元部下の姿をながめて、ふっと顔を歪めた。
「久方ぶりだな、アドルフ。否、ただのジャン。何か言いたげだが」
「えぇ、弟たちを囮にしてくれましたお礼を言いたかったので」
「私ならそうすると分かっていて、弟たちを私に紹介したのだろう?」
にこにこと笑いあう二人に気圧されて、私とヴィクトールは目を見合わせた。
「えっと…?」
「どういうことです、シリル殿」
口を挟んだのはアシル殿だ。どうやらアシル殿も分からなかったらしい。アドルフさんは私たちを振り返った。
「シリル殿はレイモン・フェレの裏切りを分かっていて、メイデン家に踏み入る私たちを囮にしたのですよ」
アドルフさんはため息をつきながら説明を続ける。
「そもそも今回の事件は、騎士団のフェレ家と奴隷商人のメイデン家とのつながり無くしてはできないものだったのです。いくら何でも騎士団師団長のあなたを貶めるだなんてことが、ただの奴隷商人にできるはずがないでしょう」
アシルさんがやや唖然としている。
「騎士団の中に…裏切り者がいたのか」
「…父上はお人好しだから」
アドルフさんが肩をすくめてそう言った。
「すまんな、アシル。どうしても裏切り者をあぶり出したくてね。お前に私怨を抱いているのはラウール・フェレだろうと予想はついていてが、証拠がなくてな。息子さんを囮として使わせてもらった。」
「いや、そんなことでどうにかなるような柔な鍛え方はしていない…はずなんだが…」
困ったようにアシル殿が倒れたヴィクトールを見る。ちょうど担架に乗せ変えられているところだった。
「…次男はどうにも不器用でな。やれやれ私に似てしまったんだろうな」
「ははは、違いない。若い頃の君を見ているようだよ」
ヴィクトールに着いていこうか迷っていると、騎士団員の一人がシリル殿に駆け寄ってきた。
「師団長、少年たちを保護しました」
報告をきいたとき、ケネル家の二人の顔がぱっと明るくなった。
「アルノルフが居るかもしれない」
「私たちもすぐに向かおう」
早く弟に会いたいと、彼らの気持ちがはやるのが分かった。
だが、別の方向から、こちらへ走ってくる隊員がいた。
「…師団長、」
隊員はひどく醜悪なものを見た後のような、暗い顔をしていた。
「どうした、報告しろ」
「……地下室にて、少年の遺体を発見しました。それも、かなりの数です」