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イレイェンとダランが昼餉ののち、ふたりで出かけていったことに、クラエスはただならぬ心地を足元に抱いていた。
すでに短い陽は沈み、常闇が訪れる頃合い。もう戻っているであろうに、ふたりの同行が気になって仕方がないのは、ダランのイレイェンへの好意を聞いてしまったからだろうか。
イレイェンを傷付けたクラエスに、ふたりの関係を止める権利はない。
秋のできごとから、クラエスとイレイェンは未だまともな言葉を交わさないまま、なんの終止符も打たれていない。だから、このようなあてどない気持ちを持て余しているのだろうか。
「——クラエス」
立ち上がると同時に、部屋に闖入してきたのは、シェレーヌだった。男装の彼女は豪奢な巻き髪をひとつに結わえた状態で、腰に片手を当てて言い放った。
「わたしは明日メルニーに帰るぞ」
「いきなりだな」
「館の〈風読み〉に聞いたら、数日は晴れるらしいからな。いつまでも、サイラーシュ侯に世話になっているわけにもいかん」
「たしかに、そうだな」
「ここに来た目的は、おかげさまで達成できたしな」
美人がにやりと笑うと、凄みがあった。
「で、お前はどうする?」
「俺は……、マルヌーシュに戻るつもりだ。アルンから報告を受ける必要がある」
ゲイシュ伯イセルからアルンを通して、南部の情勢について報告が届いている頃合いだろう。
ここに留まっている必要は、すでにない。気がかりなのは、彼女のことだけだ。
顔に出ていたらしい。シェレーヌはうんざりした顔で、肩を上げてみせた。
「娘のことは今晩のうちにでも決着をつけておけ。しっかりしろ、腑抜け」
「手厳しいお言葉、ありがたく頂戴する」
クラエスは慇懃に礼をした。
開け放たれた扉から、不意に金色の影がちらついたのはその時だ。
「——失礼いたします」
覗き込むようにして入ってきた姿に、わずかに落胆をしてしまった自分がいた。
現れたのは、フォンヌ家の次子だった。
「おや、エリエラ姫じゃないか」
シェレーヌが途端に蠱惑的に微笑む。
受けたエリエラが、すぐに顔を赤くして俯くものだから、クラエスは横槍を入れた。
「エリエラ嬢、どうしました?」
「ご歓談の折に、失礼いたします。あの……、兄とイレイェンを見かけませんでしたでしょうか?」
「まだ戻ってきていないのか?」
「ええ。暗くなる頃には戻ると言っていましたのに」
不安そうにエリエラがつぶやく。
エリエラが心配するのはもっと尤もだ。暗夜のなか雪路を歩くのは慣れたものでなければ危ない。雪明かりがあるとはいえ、このあたりは斜面が多く、滑る危険性がある。陽が落ちれば外気温がさらに落ち込み、低体温になれば二時で凍死に至る可能性がある。
クラエスはいやな想像をしてしまう。
「捜しに出ましょう」
「やめておけ。逢引だろう。すぐに帰ってくる」
揶揄するように言ったのは、シェレーヌだ。
逢引、という言葉に顔をしかめると、シェレーヌはあっちへ行けと言わんばかりに手を振った。ここがクラエスに与えられた客室であるというのを忘れたかのような態度に、クラエスはさらに眉をしかめる。
「——あっ、お兄さま!」
エリエラが声を上げた。
彼女は廊下のほうに視線をやると、ぱっと姿を消す。クラエスがその姿を追いかけて通路を覗き込むと、エリエラがダランに駆け寄るところだった。
「おかえりなさい、お兄さま」
「……うん。ただいま、エリエラ」
悄然としているように見えたのは、気のせいだろうか。疲れたように笑みを浮かべている様子が見て取れる。
「もう! 遅かったから、心配していたところよ」
「うん……、ごめん」
「イレイェンは、お部屋ですの?」
「え……?」
「お部屋に戻ったのかしら?」
「イレイェン嬢は……、戻ってきていないのか……?」
さっと青褪めたダランを見て、クラエスはざわめく予感を覚えて、身を乗り出した。
「——イレイェンは、どこだ?」
割って入ると、タルーシャの令息は顔を強張らせた。
「……彼女は先に」
「帰ってきてないわ。わたくしたちはお兄さまと一緒にいるとばかり」
「そんな……」
ダランが絶句する。
イレイェンはまだ外にいるということか。
「なにがあった?」
焦燥がクラエスを苛立たせた。詰め寄ると、ダランは目を右往左往させる。真っ直ぐを人型にしたような令息が、このようにうろたえるということは、人の前で語ることのできないなにかがあったという証だった。
怒りと焦りを綯い交ぜにした感情は炎を吹き、今にもクラエスの腕を通して発露する寸前だった。そこに、水を注いだのは第三者の介入だった。
「——どうしたのですか?」
館の主人——サイラーシュ侯だった。曲がって視界に入ってきた様子に驚いたように、目を丸くする。
「イレイェン嬢がまだ帰って来ておらず、行方がわからないそうです」
淡々と事実を述べたのは、部屋から出てきたシェレーヌだ。
それで、クラエスは頭が冷えた。上から下、体の中枢から外側へと、感情が冷えていく。
なにを考えているのだ。
今は感情に振り回されている場合ではない。
「最後に一緒にいたのはどなたなのです?」
「……僕です」
サイラーシュ侯に問われると、ダランが絞り出すように応えた。
「どこで別れましたか?」
サイラーシュ侯は、事情を深くは探らず必要なことを尋ねた。
「城の裏近くにある山道です」
「なんで、そんなところにふたりで行ったのよ」
と、エリエラがつぶやくのは正しい。
妹の言葉に、ダランは応じなかった。
「わかりました。それはいつです?」
「半時ほど前です」
「なるほど、わかりました。この時期に陽が落ちた状態で出歩くのが危ないのはイレイェンもよくわかっているでしょう。すぐに捜索を出しましょう。貴方がたはここで―—」
「——私が行きます」
サイラーシュ侯の言葉を遮って宣言したクラエスに、視線が集まった。
クラエスは、サイラーシュ候を見据えて言った。
「捜索には私が適役かと。サイラーシュ侯は私のあとを追うように手配してください」
訝しげな顔をする老侯の前で、衣嚢から〈紙〉を取り出した。
無言で見つめられるなか七工程ほどで折り上げる。クラエスは近くの二重窓を少し開いた。できあがった雪スズメの紙細工に呪文をささやく。そうすると、皓白の〈紙〉はゆっくりとその翼をはためいて、窓から夜闇へと飛び立った。
「……魔術ですか」
驚いたようにサイラーシュ侯が言うのを、クラエスは苦笑して受け止めた。
「たしなむ程度です。——私はあれを追います。そこに、彼女が」
「なるほど、わかりました。魔術を用いるのであれば、手当たり次第、捜索するより妥当ですね。
——私のほうで追手の準備をしましょう。それから、万が一イレイェン公女が凍傷になっていた場合に備えて、浴槽と湯の準備もしておきましょう」
託すように笑ったサイラーシュ侯に、クラエスは「お願いします」と頭を下げて、身を翻した。
すれ違いざまにダランの姿が、視界の隅に入る。タルーシャの令息は、頼りなさげに下を向いていた。そこに、怒りは湧いてこなかった。わずかな憐れみと同情が過ぎ、残滓だけが底に沈んでいく。
窓外には、山林を目指して遠くなった紙細工が雪片のように舞っていた。




