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双子公女の隠し事  作者: 稿 累華
第六章:真実

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6−14

 〈冬の訪れの風(ラムザ)〉が吹くと、〈王会〉の閉会が宣言された。


 クラエスたちが進めた『マルヌーシュ領における灌漑農法導入に伴う予算案について』は、決議が来年に持ち越しとなった。結局のところ、サイラーシュ侯によって変えられた局面は、再びクラエスたちに戻ってこなかった。


 廃案とならなかっただけ、ましなのだろう。


 だが、これでマルヌーシュが自分たちの土地を耕す機会が、また遅くなった。すぐにどうにかできる土地でもないが、本来であれば実現できたことが叶わぬのは、口惜しかった。


 せめて、職人たちの保護だけは続けていかなければならない。ランスリー婦人の店は、舞踏会での宣伝が功を奏して、アストリーゼに移ってから一番振作している。協力を惜しまないといった婦人に依頼して、今後、職人の保護策を進めていく必要があるだろう。


 閉会したばかりだというのに、来年の開会に向けて、冬籠り中にやることは山積していた。


「——クラエスさま、お探しの資料が届きましたので、お持ちしました」


「助かる」


 長く考え込んでいたらしい。冷めた甘い茶を口に含んでいると、アルンが書物や書類の束を携えてきた。


 先日、塔にいる母に〈紙〉を飛ばして、用意をしてもらったものだった。王立の図書館から運ばれてきたと思われる資料は年代物で、防腐の術が施されているようでも、黄ばみが見られた。


 母は依頼をすれば、どんな資料でもおおよそのものを整えてくれるから、ありがたかった。そういえば、今年になってまだ母とも、弟とも顔を合わせていない。母は、物心がつく頃から家にいないのが当たり前であったし、十の頃合いに、同じく塔に入った弟が家にいないことも、当たり前だった。


 会いに行こうとも、会いに来ようともしないのが、クラエスと、母や弟との関係だった。ただ、〈紙〉でのやり取りができていれば満足で、母や弟はそのような存在だった。


 茶に入った林檎の砂糖漬けを見ると、イレイェンが母との思い出と語ったことを彷彿した。


 生きているのに母と会おうとしない自分のことを、イレイェンはどう思うだろうか。


 いやがられたくない。


 互いの想いを確認し合ったばかりだというのに、距離を置かれてはたまったものではない。


 今はただただ、彼女との時間が欲しかった。ゆっくりとお互いを知り合う時間が欲しい。


 だから、クラエスは冬にサロワに誘った。


 男が、冬籠りの時期に、自分の領地や家に好いた女を誘うのは、求婚と同義に近いことをイレイェンは知っているだろうか。世間の常識が少し抜けた彼女は、おそらく知らないだろう。その意味を知った彼女は、どんな反応を知るだろうか。


 想像すれば、自然と笑みが浮かんだ。


「あたたかいお茶を淹れ直しますか?」


 近くにいたアルンが気を利かせたように、訊いた。頼むと言って茶器を渡すと、黒い姿は音もなく消えた。


 クラエスは、取り寄せられた資料を手に取る。


 すべて、〈影ノ病〉に関するものだった。伝承や物語、史実に基づく論文、病因究明のための研究資料などだ。


 リリエーシュ伯からの話では、〈影ノ病〉が何たるか分からなかった。あの話を聞いてから、少しずつ情報を収集し、おおよその概要は把握することができた。


 〈影ノ病〉は、魔術因子を素因とし、心的出来事をきっかけに発病する、というのがクラエスが得た概要であった。


 素因となるのが魔術因子ということは、イレイェンにも魔術の素養があるということだが、それはこの国の貴族であれば、ほとんどのものがその血に有している。薄まったとはいえ、かつて貴族は魔術を行使することが当たり前だった。


 だから、イレイェンが魔術因子を持っていたところで、なんらおかしなことはない。それよりも、発病のきっかけとなる心的出来事のほうが、気になった。


 やはり、母親が病死したことが影響をしているのだろうか。それがきっかけだとしたら、なんとかしてやりたかった。あれほど母のことを慕っているというのに、その思いが病によって歪められているような気がした。


 症状として生じるのは、幻影だという。魔術因子の割合が高くなるほど、幻影の知覚は周囲にも影響を及ぼす。何かが揺らぐと言ったリリエーシュ伯の言説から考えれば、イレイェンの病に、周りを呑み込むほどの力はないということになる。


 治療には、病識が必須になるのは、どの研究を見ても共通した内容だった。効果的な薬や、魔術治療が現時点で発見されていないことは、心的出来事をきっかけとする所以だろう。


 影絵芝居での『双子の王子』を聞いた時の動揺や、舞踏会場前でのあの“嘘”は、病識がないことを明瞭に示している。


 であれば、彼女に一番必要なのは、病識を持つことからだ。


 黙々と読み進めているうちに、一時が経っていた。気付かぬうちにアルンが茶を運んでくれていたらしい。あたたかかったはずの茶はすでに冷えていた。冷えた茶は、さきほどとはちがって、苦味を感じた。


 一呼吸置いてから、呼び鈴を鳴らすとアルンが現れる。


「これから、リリエーシュ伯の屋敷に行く。先ぶれを出しておいてくれ」


「御意」


 約束もなく会えるかどうかは賭けだったが、幸いリリエーシュ伯は在宅だった。イレイェンはちょうど出かけているようで、時宜としては良かった。


「——突然の訪問を失礼申し上げます、リリエーシュ伯」


「構わないよ。王会も閉会したから、暇を持て余していたところだ」


 前回は書斎での対面であったが、机がなく小卓しかあいだに挟まない居間での対面は、どことなく心許なかった。


「予算案だが……、残念だった。良い案だったのだが……。人とは不安を煽られれば理性的な判断が難しくなるものだ」


 世間話といった様子で話をはじめられて、クラエスは落ち着かない心を持て余しながら、話を合わせた。


「いいえ。私の準備不足の結果です」


「……厳しいことを言うが、そうだろう。貴殿は、サイラーシュ侯を甘く見すぎた。急いては事を仕損じるという。もう一度、ゆっくり練り直すといい」


 そうします、と言った声は軽く聞こえたにちがいない。


 リリエーシュ伯は、それで、と言ってから問うた。


「今日の用件はなんであろうか?」


「——先日、彼女に私の心を伝えました」


 先日、というのが王宮舞踏会の日であることは、リリエーシュ伯も想像がつくだろう。伯は、赤金色の頭を縦に振った。


「娘は、それに何と?」


「同じ気持ちだと返していただきました」


「……そうか」


 いらえると、リリエーシュ伯は感慨深げにつぶやいた。一度、瞑目をしてから、穏やかな声が言う。


「そのことを私に報告に?」


「そうです。それに、影ノ病のことをお聞きするためです」


「イレイェンが病であると信じるんだね?」


「そう仮定すれば、これまでの謎のすべてに合点がいくのです。病についても調べました」


「ならば、クラエス殿。お願いだ。娘には、影の病であることを言わないでもらいたい」


 え、とクラエスは言葉を失った。


「娘は、自分が影の病であることを知らないのだ。発症してから十年、体が病弱であると思って過ごしてきた。最近は、クラエス殿のおかげもあって、娘の病状にも変化が出てきている。このまま、穏やかに落ち着くのを見ていきたいのだ」


「……ですが、十年、領地で過ごしていても、完治しないのであれば、別の方法を模索するべきでは?」


「そう単純なことではないのだ。イレイェンにとって、この病は難しいのだ……」


 だからお願いだと父親から言われてしまえば、クラエスに反論の余地はなかった。だが、納得がいかない心は燻り続けた。


 知っているのに黙っているのは、まるで彼女を騙しているようで、心苦しかった。


 ほんとうはいないはずの妹のことを語り、父親がそれに合わせ、数少ない使用人も幻影に同調する。それは、彼女の病の症状を悪化させるのではないだろうか。


 伯爵を戴いている家にしては、異様に使用人が少ないと思っていた。だが、彼女の幻影の辻褄を合わせるために、少なく調整しているのであれば、得心することができる。


 ——歪んでいる。


 ひどく。


 父に調停人と言わしめたリリエーシュ伯のすることだと思うと、嫌気が差すようであった。


 俺は、そんなことは許せない。


 彼女のことを思うなら、正しいことを告げたほうがいい。


 帝都からサロワ領に戻ってしばらくもせずに、同じくリリエーシュ領に帰ったイレイェンから、話がしたいという〈紙〉が来たのは、渡りに船だった。


 おそらく、話の内容は冬籠りのことだろう。


 イレイェンの病のことを考えれば、いびつで甘やかな環境で過ごすよりも、サロワで過ごしたほうがいい。


 その日は、父親もいないという。好都合、だった。


 そして、当日。リリエーシュの領主館を訪れると、銀杏色の衣裙に身を包んだイレイェンが出迎えてくれた。


 久しぶりに会ったから、面映いのだろう。顔を赤らめながら、屋敷内を案内してくれる彼女が、なんとも愛おしかった。


 長椅子に腰かけてから、言葉をつまらせながら話すイレイェンに耳を傾けていると、彼女は意を決したかのように言った。


「言わなければいけないことがあります」


 そう言ってからも前置きが何度かあったのち、彼女は決定的なことを口にした。


「……わたし……は、双子、なの。あの伝承で語られるような双子、なの。

 舞踏会の前に、あなたが我が家を訪れた時があったわね。あの時、クラエスが会ったのは、わたしの双子の妹。ソーニャ。それが妹の名前。あの時のわたしは、わたしじゃない。わたしは……わたしたちは、忌まわしい双子なのよ」


 自分の顔から、感情が失われていくのがわかった。


 まさか、イレイェンのほうから病のことを話してくるとは想像していないことだった。クラエスは、サロワへの招待の理由を聞かれることを予想していた。その返答として、病の治癒という理由を告げようと思っていたのだ。


 想定していなかったことに動揺したが、だが、本来の目的は達することができる。


 だから、クラエスはこう言った。


「——知っていたよ、イレイェン。君の秘密を、知っていた」


 驚くイレイェンに、クラエスは淡々と続ける。


「——そして、もうひとつの秘密も知っている」


 彼女のためだ。


 真実を、告げる必要がある。


「ソーニャという妹が、いないということだ」

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