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双子公女の隠し事  作者: 稿 累華
第六章:真実

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6−6

 王都に着いてすぐ向かったのは、アストリーゼに移転したランスリー婦人の店だった。


 この機に作り直した釣り看板には、真珠や襟留めなどの服飾雑貨に針が描かれているのが、婦人のこだわりだ。しげしげと眺めてから、色硝子の扉をくぐった。


 なかは、がらんとしていた。


 虚をつかれたクラエスは茫然と立ち止まった。ランスリー婦人の店は、常に客の気配があったはずだ。ここまでしんと静まり返っている店内を経験したことがなかった。


「アストリーゼに移転してから、この通りです」


 奥から出てきたランスリー婦人が苦笑しながら言った。


「なぜ……」


「出店しているのは一流の老舗ばかり。顧客は新参者には厳しいそうです」


 薄く笑う婦人には、いつもの覇気が見えなかった。夢を叶えたというのに。


 思い返してみれば、婦人は今まで貴族の顧客をあまり持ったことがない。多くが領民の富裕層、商家で、貴族を相手にするとしても男爵家がほとんどだったはずだ。


 上流貴族は、贔屓(ひいき)を大事にする。代々の当主たちは、決まった店で生鮮食品や穀類、服飾雑貨などを注文する。そこに、新しい店が入り込むのは至難の業だ。


「どうにか策を考えよう」


 そういったしきたりを考慮するべきだったのはクラエスだ。失念していたでは、済まされない。


「恐れ入ります」


 あきらかに表情を曇らせるランスリー婦人に、しのびない思いだった。


 *

 

〈王会〉の開会が、帝王の名で通知された。各領主は召集書を持参し、王宮に上がる。


 今上帝(きんじょうてい)が開会を宣言すると、宮宰フェルメによって進行がはじまり、会期中の議案が発表された。


 『豪雪の影響による木材運搬費の高騰について』、『トナカイ及びオリヤナ馬の移送に伴う先住民への施与費について』などさまざまな議案が告げられたが、クラエスにとって専ら重要なのは、『マルヌーシュ領における灌漑農法導入に伴う予算案について』だった。


 シェレーヌと話してから、父に相談し、サロワ領内で導入するにあたって、土地の調査を行ってから議案を提出するまでにここまでかかった。


 カンプラードのおよそ中央に位置するサロワに、灌漑技術を取り込むためには、サユール川の恵みを受ける必要がある。リュメールでは、雪どけ水による増水で、毎年のように洪水が起きることが長年の悩みだった。その増水を利用し、灌漑技術に応用することが、今回の議案の要である。リュメールには治水による恩恵を、サロワ——マルヌーシュには将来的な農地の開拓を保証する。


 議案として、宮宰フェルメが読み上げれば、数人の諸侯が表情を変えた。リュメール委任領サイラーシュ侯、セデレール伯、マルヌーシュ委員領イリギール侯、カルメル侯。


 予想通りの面々だった。彼らの摩擦を解消する形で、言葉運びをしていけば、問題ない。議案の採決は二ヶ月後。それまでに、余裕はある。


  一時もせずに開会式は終わり、父と共に議場を出ると、背後から声をかけられた。振り返れば、亜麻色の髪の青年がこちらへ歩いてくるところだった。


 ゲイシュ伯。マルヌーシュの最南部を与っている。


「マルヌーシュ公、ご子息をかりても?」


 肯いた父は、その場にクラエスを置いて、入口に向かっていった。


「——おもしろいことを思いついたもんだな、クラエス。イリギール侯の顔ときたら! しわくちゃの顔に余計にしわが増えたもんだ」


「めったなことを言うな、イセル。回廊に響くだろう」


「響かなきゃいいんだな?」


「そうともいう」


 にやりと笑うゲイシュ伯イセルに、クラエスもまた口角をあげてみせた。


 イセルとは、ずいぶんと昔から家同士のつながりがある。幼なじみといっても差し支えない。四つ上のイセルは、クラエスにとって兄のような存在であり、友誼(ゆうぎ)にも近い仲だった。


「イリギールのじじいはともかくとして、」


 声を低めて、イセルは続ける。


「サイラーシュ侯なんぞは気を付けたほうがいい。カルメル侯やセデレール伯は、街道の利権によってはいくらでも味方をしてくれそうだが……、サイラーシュ侯は、恨みが深いからな」


「わかっている」


 怨嗟(えんさ)は御しがたい感情だ。


 リュメール最北端のサイラーシュ侯領では、かつて多くの凍死者と餓死者を出した。前年からその年にかけて、帝国全土を通して天候不良による農作物の不足が起きたことがきっかけだった。相次いて各領で備蓄が底をつく騒ぎとなった。


 慌てた先代マルヌーシュ公が、通行税で蓄えた金子(きんす)で、食糧の買い占めを行い、価格の高騰が起きた。その煽りを一番受けたのがリュメール北部の領民たちだった。前年から続く食糧不足に加え、その年の冬が酷寒だったのが災いし、結果として、最北に位置するサイラーシュでは、領民の三分の一が亡くなった。


 通行税の導入によりただでさえ後ろ指をさされていたマルヌーシュは、非難と怨恨の的となったのだ。


 サイラーシュは、その恨みを忘れていない。


「まあ、お前からしたら、イリギール侯と南部領主の諍いも悩ましい種だろうが……。そのあたりは、俺が上手くやるから、クラエスは議案を通すことに集中してくれ」


 軽口で話すイセルに、クラエスは笑みを深めた。


「ありがたい」


「——少しよろしいか、クラエス殿」


 不意にかけられた声に、クラエスは悪巧みを見咎められたような心地がした。


 そこに立っている赤金色の人物に、目の奥で陽炎がゆらゆらと揺らめいた。


「リリエーシュ伯」


 答えて、クラエスは礼をした。イセルが何事かと目を白黒させながらも、同じように礼を取るのを尻目に、問う。


「私に、何か御用でしょうか?」


「王都に上がる折に、娘が世話になったとのこと。その御礼を」


 ありがとうございましたと頭を下げるリリエーシュ伯に、面食らった。すでに感謝状は受け取っている。そこまでされることをした覚えはなく、丁寧すぎるくらいの対応に不審な念がもたげる。


 何か腹づもりがあるのか。


 そもそもこの男は、自分の娘の付き添いをクラエスにやって欲しいと、父に頼んでいる。


 俺と娘を合わせようという算段なのだろうか。


 それは、クラエスも願っていることだ。適当に約束を取り付けようと口上を述べようとすると、先にリリエーシュ伯のほうが口を開いた。


「ところで、クラエス殿」


「……はい」


「さきほど、フェルメ公が読み上げた議案『灌漑技術導入について』は、貴殿の案かな?」


「そうです。父に相談しながらではありますが、私がまとめあげたものです」


 リリエーシュ伯がなぜこのような問いかけをしてくるのか理由がわからず、いっそう不審な気持ちが強くなった。


 正直に答えつつ、相手の心情がわからなかったので、シェレーヌの名前は敢えて伏せた。


「——とても良い案だ」


 疑心に駆られていたからだろう。クラエスは、一瞬反応が遅れた。


 温厚な笑みを浮かべながら、リリエーシュ伯は続ける。


「まだ骨子しか聞いていないからわからぬが、煮詰めれば良い方策となる。応援しているから、もし私にできることがあるなら言いなさい」


「恐縮です……!」


 言っていることの意味を解すと、クラエスは自身の思考に恥じ入った。同時に、直接的にほめられていることに頭を下げると、リリエーシュ伯はほほ笑んだのち、去っていった。


 貧しい思考をしていたことに、忸怩(じくじ)たる思いだった。


 リリエーシュ伯は政略的な思惑は何ひとつなく、ただ礼儀で行動をしていたにすぎない。のみならず、若者の、つまりクラエスの自尊心が満たされるような言葉をかけていくことを忘れない。


 調停人、という父の言葉がよみがえった。


 その姿を垣間見た気がした。


「お前、あれ、どういうこと?」


 ぽかんとした様子で尋ねるイセルに、クラエスは答える。


「リリエーシュ伯だ。十年ほど前までは、父と交流があった。今回、どうやら協力をしてくださるらしい」


「いや、じゃなくて」


「なんだ?」


 訝しむクラエスに、イセルがじれったいと言わんばかりに叫んだ。


「娘が世話になったってのは、どういうことだ!」


 そっちか、と得心して、溜息をついた。額に手をつきながら、事情を説明してやると、イセルはいつになく楽しげな様子で質問を立て続けた。


「で、どうなの?」


「どうってなんだ」


「その娘、かわいいの?」


「…………」


「沈黙は肯定ってやつだな。脈アリそう?」


「さあな」


「クラエスは、どうなの? 好きなのか?」


「まだそういうわけじゃ……」


「まだってことは、つまりちょっとはそういう気持ちがあるってことだな! なになに、どういうところ? どんなところが好きなんだ? イレイェンちゃんのいいところは?」


「……もうお前は黙ってろ」


 うるさいイセルに、クラエスは、深く、もう一度溜息をついた。


 目の奥で、赤金の光がまたたいていた。

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