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リリエーシュ伯領を抜けて、西へ馬車を走らせて半日も経つと、リュメール公領とマルヌーシュ公領の検問所が視界に入るようになった。
おそるおそる窓から顔を出すと、イレイェンは検問所の石壁をながめた。十セイル(約十五メートル)ほど、あるだろうか。高く、立派な城壁がまっすぐと続いている。ごつごつとしたそのさまは、ふたつの公領を隔てているように見えた。事実、ふたつの公領には隔たりがある。父が管理するリリエーシュ伯領は、リュメール公領の西に、マルヌーシュ公領とは近接した位置にある。そのため、検問所で起こる揉め事は、屋敷から出たことのないイレイェンの耳にもしばしば入ってきた。ふだん悠々と過ごしている父が、急ぎ飛び出していくので、印象的だった。
「お父さま、リュメールとマルヌーシュは、どうして仲が悪いのかしら?」
真向かいに座る父は、うたた寝をしていたようで、ほんのしばらくぼうっとしていた。少しすると、イレイェンの問に興味を持ったように言葉を返した。
「それは難しい話だね」
「難しい?」
「イレイェンは、なぜ仲が悪くなったのだと思う?」
「マルヌーシュ公が、むかし、通行税を設けたからだと聞いたわ。そのせいで、リュメールの人間から恨みを買ったって」
「そうだな。では、マルヌーシュが通行税を設けた理由がわかるか?」
問われて、イレイェンは考える。
マルヌーシュ公領は、カンプラード帝国の中央——東のリュメール公領、西のカリカース公領に挟まれている。それぞれの公領の運営は、カンプラード帝王から、公爵として封じられた領主に委任されていた。
三つの公領には、土地の色があった。
西のカリカース公領は、神々が眠るとされるタルタリラ山脈を抱き、その山裾から広大な木々の群れが伸びて、大地をおおっている。カリカースの民は、タルタリラの山を畏れつつ、その恵みに祈りを捧げながら、森であるところの木々を材とし、それを業としていた。
東のリュメールは、険阻なパドイユ山を国境としながらも、牧草でおおわれた平地が続いている。リュメールで木々を見かけるとしたら、トウヒやモミノキ、白樺よりも、蜜が香る林檎だ。リリエ―シュ伯領でも、林檎をよく見かける。屋敷の敷地内には、甘い香りをただよわせながら、赤い実を宿した木が数本あった。南部では、羊の毛がゆらりと空を浮揚し、大地には金の小麦が芳ばしい。焼きたてのガットに、作りたてのマーゼ(チーズ)をのせてかぶりつくと、イレイェンはそれだけで幸せになった。
そして、中央のマルヌーシュ公領では、麦酒とタルス(甘みの強い発泡性の酒)の酒精と、冷えた大地に根菜類の根が張る。マルヌーシュの大地は、帝王の祖の頃から貧しい。家々の骨組みとなる木々もなければ、主食となる小麦も育たず、育つのは質の悪い大麦と、寒さに強い根菜の数々だった。木材や食糧は、カリカースやリュメールから買うことで補い、糊口をしのいでいた。
ふたつの恵まれた土地のあいだで、果たしてマルヌーシュの者たちはどう感じるだろう。妬ましく思うのではないだろうか。どうにかして、ふたつの恵みを自分たちの公領に流すことはできないだろうか、と考えるのではないか。
思い至って、イレイェンは口にする。
「リュメールとカリカースから通行税を取ることで、そのお金をもとにして、木材や小麦を買い占めたかったから……?」
「正解」
父は、にやりと笑う。
「では、どうして、リュメールとマルヌーシュの関係だけが悪化したのだと思う? イレイェンの答えどおりならば、カリカースとの関係も悪くなって良いはずだ」
たしかに、とイレイェンは黙考する。
リュメールとカリカース、両者の違いはなんだろうか。公明で快活なリュメール、堅実かつ朴訥とされるカリカース、領民性の違いだろうか。それとも、特産品の違いが影響しているのだろうか。
あらゆる可能性が、頭のなかを遡行していく。どれも正しく、間違えであるような気がして、これといった答えを導くことが難しい。
イレイェンが頭を抱えて唸っていると、父が面白そうに笑う。
「通行税で得た金で、どれだけのものが買えるか考えてごらん」
どれだけのもの。つぶやきながら、考える。
そういえば、一本の材木を買うのに、いくら金子が要るのだろう。領民の暮らす家を建てるのにも、相当な金子が必要になる。だから、民家はよほどの金持ちでない限り、領主からの貸家が中心だ。領主が金子を払って木材を買い、家を立てて、領民に貸し与える。領民がまかなえないほど金子がかかるということは、一本でも高いに違いない。同じ金子があれば、どれだけの小麦を買うことができるだろう。
頭の中できらりと光がはじけて、イレイェンは、はっとした。
「マルヌーシュは、通行税で木材と小麦を買ったけれど、同じお金でも買える量が違う。カリカースにとって、マルヌーシュに買われた木材の量は痛くも痒くもない量だったけど、リュメールにとって、それは痛手だった。違う?」
イレイェンの問に、父は無言だった。だが、確信を持って言葉を続ける。
「そもそも、通行税なんていう腹立たしいものを払わなければいけないうえに、主食でもある小麦をたくさん買われたら、自分たちが食べる分だってなくなってしまうもの。だから、マルヌーシュがやったことを許せなかった」
一気に吐き出すと、絡み合っていた蔓がするすると解けていった。父の朗らかな笑みが、導き出した答えを正と讃えていた。
「そうだ。痛手だった。だから、リュメールはマルヌーシュを恨んでいる。今もだ」
父の視線が向かった先には、検問所に並ぶ人々の姿があった。ゆっくりと進む列を追い越すようにして、イレイェンたちの馬車は進んでいった。
列のなかには、徒歩で向かう者もいれば、荷車を引いている者もいる。若い者がいれば、老いた者もいたし、男と女が入り混じっていた。彼らは、どこの領民なのだろう。リュメールか、マルヌーシュか、それとも遠くから旅してきたカリカースの民なのだろうか。何を思いながら、この検問を受けるのだろう。どんな目的があって、リュメールから、マルヌーシュに入ろうとしているのだろう。
「お父さまも恨んでいらっしゃるの?」
おだやかな海面のように話す父が、検問所を越えた遠くを見すえているような気がして、不安になった。イレイェンが考えたことを、父も考えているのではないだろうか。
いいや、と父の声は否定する。
「私にとっては、生まれてもいないむかしのできごとだ。恨んだところでどうにもなるまい。それよりも、これからのことを考えたほうが建設的だからね。——イレイェンはどうだい?」
「わたし?」
「マルヌーシュを恨むか?」
形のない不安を抱いていたところに、質問を返されて、イレイェンは問に対する答えを持ち合わせていないことに気がついた 。自分で問うた内容だったが、まるで感じたことも考えたこともない内容だった。
「そんなまさか。深い事情なんて、今知ったばかりだし、そりゃあ、マルヌーシュはなんてひどいことをと思うけれど……、それだけだわ」
イレイェンの返答に、安心したように父がほほ笑んだ。
「今の気持ちを忘れぬようにな」
検問所の石壁をあとにして、馬車が進む。リュメールではなく、マルヌーシュの地に轍を残している。検問という儀式を終えても、進む道のりに変わりはなく、今しがた覚えた隔たりが、まるで幻影のようだった。
隔壁は作り出されているものなのだと、イレイェンの片隅に横たわった。




