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サロワ伯となって、まず着手したことが領民に顔を売り歩いたことだ。街や村々に顔を出しては麦酒で杯を交わし、気やすい領主を演出した。酒の席で得た情報は侮ることができなかった。そこに、領民たちの生々しい声が表れるのだ。何気なさを装って聞き耳を立て、領民たちの声を拾っていった。
いくつもの声のなかから、噂話として語られていたのがサロワ南部の職人だった。ランスリーというたいそう気難しい婦人で、気に入った客しか取らないものの、その刺繍の腕の良さから、女たちの人気を集めているのだという。
「うちの母ちゃんときたら、許して欲しければ、ランスリーの服を買ってこいだのなんだの」
そんな噂をよく耳にした。
特段、衣服に興味があったわけではないが、こうもあちらこちらで囁かれていると、その技を目にしてみたいと好奇心を持つものだ。
クラエスは南部へと足を向けた。
出会ったランスリー婦人は、たしかに気の難しい女性だった。野心のある女性でもあった。
「私は、アストリーゼ通りに店を出すのが夢なのです。お坊ちゃんにかまっている暇などございません」
サロワ伯だということを偽りなく告げたにもかかわらず、軒先でにべもなく断られた。
何度目かの訪問ののち、やっと店のなかに足を踏み入れることが叶った。そこで見た刺繍の腕前に、額の奥で光るものがあった。
これだ。
サロワ、いやマルヌーシュの強みはこれだ。肥沃な土地を持つリュメール、木々の恵みを受けるカリカースにないものは、人々の技だ。職人たち。これが今後、マルヌーシュの強みになる。
そう考えると、いてもたってもいられなかった。
「アストリーゼに店を出すのが夢なのか?」
「しがない街職人の愚かな夢だとお思いなのでしょう? お貴族さまにはわからぬことです」
さあ出ていってくださいましと追い払おうとする婦人に、クラエスは提案した。
「アストリーゼに、と言うのはすぐには無理だが、帝都であれば店を出すための手助けができる」
「なんですって?」
「帝都に店を構えるために出資をしよう」
クラエスの提案に、ランスリー婦人は初め懐疑的だったが、帝都での賃料を支払うことや、必要となる材料はすべて揃えること、五年を期限に収支に黒字が見られなければ、出資をやめること、ただしその五年のあいだの出資金は返還する義務がないことを伝えると、目の色を変えて飛びついた。
必ずや成功してみせると約束を口にし、気難しいと言われる婦人が頭を下げて礼を言った。しかし、疑問に思ったのだろう。やや気おくれしたように問いを口にした。
「どうして、わたくしにそこまでのことを約束されるのです?」
「貴女に賭けてみたいと思ったからだ」
それだけ伝えると、婦人は腑に落ちないという顔をしながらも、強い目で肯いた。
そこからクラエスは、父に自分の思いつきを伝えて許可をもらうと、ランスリー婦人が店を構えるための準備をしながら、マルヌーシュ領内で婦人のような埋もれた職人たちを発掘するために、厳寒にも堪えうるオリヤナ馬にまたがり、東奔西走した。
気が付けば、あっという間に一年が経ち、越冬の祝いを迎えると、ランスリー婦人は帝都東南区に出店をした。
その年、象牙の塔に引きこもっていたシェレーヌが、農学の分野で論文を投稿して塔から出た。メルニー伯となってデビュタントを果たすと、久しぶりに再会した。数年ぶりに会ったシェレーヌは、こちらがたじろぐほどの美女へとよりいっそう変貌を遂げ、とんでもない性格によりいっそう拍車をかけた。
舞踏の場では美しい衣装をまとっていることが多いが、男装をはじめたのだ。男物の衣装を身にまとったシェレーヌは、あきらかに女なのだが、そこらの男どもよりもよほど似合っていた。
なぜ、そんなことをはじめたのかと訊けば、
「わたしは美しいからな。何を着ても似合うと証明してみたかったのだ。それに、女が男の服を着てはならぬという法もないしな」
といらえがあった。お前も女の服を着てみるかと問われたので、丁重に断った。
さらに続けられた言葉に、クラエスは飲んでいた茶を吹き出しそうになった。
「この格好をするようになってから、男だけでなく女にももてるようになってな。試しに女を抱いてみたら、女の肌は気持ちが良かった」
「は?」
「男どもが女にほだされるのもわかる」
二の句が継げないというのはこういうことだろう。絶句していると、
「お前も試しに男を抱いてみたらどうだ?」
と薦められたので、男色の気はないとはっきりと告げて断った。
そんな奇を衒ったシェレーヌだったが、領地運営の話をする時はまともだった。肘掛椅子にふんぞり返りながら、クラエスが語る内容に耳を傾け、話し終えると前のめりになった。
「なるほど、職人たちか。面白い」
「だろう?」
「たしかに、リュメールやカリカースにはないものだな。衣食住のうち、リュメールは衣食、カリカースは住を担っているが、そこにはないものを持ち込むか」
「難しいのはわかっているつもりだ。だが、土地に期待できぬ以上、別の手立てを講じるしかない。職人たちの技術を売りにして、金を蓄え、その金でカリカースやリュメールから正しく穀物や材木を取り引きすればいい」
「そうだな。通行税とかいう汚い方策よりは妥当だ。だが、クラエス。もし、昔のように飢饉が起きたら、どうする? いかに金があろうと飢饉が訪れれば、人は他者に食べ物を売るまい」
「ああ。職人たちを保護していきながら、同時に期待できぬ土地をある程度はどうにかして、ため込めるようにしておかなければならない。そこで、シェレーヌ。君に願いたい」
クラエスが声をあらためると、シェレーヌが、ほうと楽しげに唸った。
「君が研究していた灌漑農法を取り入れたい」
「なるほど?」
続きを促されて、クラエスは言った。
「サロワで導入し、その効果が試して良ければ、各領主たちを納得させることができる。そのために力を貸して欲しい」
じっと翠玉の瞳に願えば、しばらくの沈黙が訪れた。そして、シェレーヌはにやりと笑って答えた。
「いいだろう」
「ありがたい」
くくく、と笑ってからシェレーヌはのたまった。
「見返りとして、ぜひともランスリー婦人にわたしの衣服に刺繍を施してもらいたいところだ」
「頼んでおく」
これにな、と上衣の裾をひらひらとさせるシェレーヌに、クラエスはげんなりした。
それからしばらくして、クラエスとシェレーヌが頻繁に互いの屋敷を往復するものだから、両家のあいだに婚約話が浮上したが、互いに長子の座を降りて配偶する気はないことから、まもなくして消滅した。




