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双子公女の隠し事  作者: 稿 累華
第三章:夏の祝祭

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14/71

3−2

 言われた時のことを思い出して、イレイェンが面映(おまはゆ)い思いで俯くと、きょとんとしたエリエラが首をかしげた。


「どうしましたの?」


「いいえ。なんでもありませんわ」


 エリエラと合流をしてから、父はそそくさと人混みにまぎれてしまった。


 やはり、リュメール公の屋敷は大勢の人で賑わっていた。マルヌーシュ公の屋敷と違うのは、あちらが領主館であったのに対し、こちらはあくまでも街屋敷であるから、屋敷の規模は小さい。それは、マルヌーシュ公の街屋敷も同じであるだろう。けれど、詰めかけている人の数は想像通りであった。


 一階二階は今日のために開放され、華やかな衣装をまとった老若男女が、いたるところで談笑している。人々の話し声の間を縫うようにして、どこからか円舞曲を奏でる音が聞こえる。エリエラと共に、ぶつからないようにして壁際を進むが、ほんの少しの空間を見つけるだけでも至難の業であった。


 壁に手を付いて歩を進めていると、ふと掌のぼこぼことした感触が気になった。目を向けてみれば、木彫の装飾で、それは天井や扉、柱にも続いている。文様は蔦や小麦を中心に、林檎やスズランが彫られ、その細密の巧みさに目を奪われた。


 氷柱が転がる音が胸奥で木霊して、耳の奥で音が鳴る。銀色の月が瞼の裏で輝き、青年の影が瞬いた。


「——そういえば、イレイェンさま」


 エリエラの声で我に帰り、イレイェンは後ろを振り返る。


「のちほど兄を紹介してもよろしくて?」


「お兄さまを?」


 見つけた空間で立ち止まると、エリエラは首肯した。


「領地運営が好きで、こういった会にはあまり顔を出さないのです。兄のおかげでこうしてイレイェンさまと親しくできているので、ぜひ会っていただきたくて。今日は兄も出席していますし、もし良ければ」


 イレイェンが会ったことがあるのは、タルーシャ子爵とその細君であるサリエラ、そして、エリエラだけだ。まだ、兄その人には会ったことがない。子爵やエリエラの朗らかな雰囲気と、領地運営が好きという言葉から、愛想のいい青年を想像した。


「ぜひお会いしたいですわ」


 答えると、エリエラは明るい顔になった。


「そうしたら、兄を探してきますわね。イレイェンさまはお待ちになっていて」


 青い衣装の裾を翻すと、エリエラは人と人との間に消えていってしまった。


 呆気に取られながら、手持ち無沙汰になったイレイェンは、ふいに香った甘い匂いに誘われた。談笑する人々の間をするりするりと抜けていく。まるで道案内をされているような気分になりながら、歩を進める。


 開けたその先には、長卓いっぱいに料理が並んでいた。ガットやマーゼ、肉料理や卵料理だけでなく、焼き菓子や麦酒、タルスも並べられていた。なかには、イレイェンの好物である林檎が、焦がし砂糖にからまって、ふんだんに乗せられたものがあった。


 その焼き菓子を初めて見る。飴色になったものが林檎であるのはわかるが、なんという菓子なのだろう。生地も見たことがない形だが、その匂いから口にすれば必ずおいしいに違いないと思えた。


 食べてみたいという思いが膨れつつ、辺りを窺っても誰も料理や菓子に手をつけていない。夜会では食べ物を口にしないというのが暗黙の了解なのだろうか。もしかしたら、手に取るだけで父の顔に泥を塗るのかもしれない。衆目の的になろうものなら、恥辱(ちじょく)でわたしはもう二度と屋敷から顔を出せない。けれど、砂糖のかおりが誘惑する。


 何が正しい選択なのだろうと懊悩していると、隣からくつくつと笑い声が聞こえてきた。


「——食わないのか?」


 聞き覚えのある透明な声音に、心ノ臓が早くなった。真横に視線を移したところ、銀の髪を結わえて、夜明け前の色を身にまとったクラエスが、こらえきれずに笑っている。


 言葉を失っているイレイェンを尻目に、クラエスは革靴をならしながら長卓の前に出ると、切り分けられた菓子をあっさりと手に取り、そのまま一口に放り込んだ。


「うまいぞ」


 咀嚼し終えると、にっと笑って見せた。


 顔に朱が昇るのを感じつつ、イレイェンもクラエスを真似て、菓子を取る。一口で食べられる大きさとはいえ、優雅にというのを自分に言い聞かせて、そっとかじる。固い生地の歯ごたえと、林檎の芳香が口の中を満たした。目を見開いて、かたわらのクラエスを見上げる。うまいだろと確認をしてくるクラエスに、口元を隠しながら何度も肯いた。


「おいしい」


 食べ終えると、途端に周りが気になった。こちらをちらちら見ながら、ひそひそ交わす声には、サロワ伯、マルヌーシュ、誰かしら、銀、という言葉。イレイェンが鳩尾のあたりにざわざわとする感覚を覚えると、それを察したのだろうか。クラエスにこちらへと促されて、あとに従った。


 案内されたのは、広めの露台だった。高台に建っているからだろう。見渡せば、ほんの少しの緑と家々が勾配に沿って立ち並んでいた。日の入りが近いからか、西陽が切妻屋根を照らし、橙色に輝いている。城壁の外には広大な草原が広がり、遠くには針葉樹の森と街道を眺めることができた。


「日がのびたな」


「ええ……夕陽がきれい」


 一言ずつ交わすと沈黙が下りた。夏の風が編まれた髪を揺らしていく。


 街道のずっと先にリリエーシュ伯領がある。そこから、ここ帝都までの道のりを思い出すと、途方もなく感じて、けれど来たのだという実感が、踏みしめている木床から体の中を通っていった。ふと宿場街でのできごとを思い出し、はっとしてクラエスを見やると白藍の瞳とぶつかった。息を呑んで、目をそらす。衣装を握って言葉をつまらせながら、どうにかして伝える。


「先日は、ありがとうございました」


「たいしたことではない。お父上からも感謝状をいただいたが、気にしないで欲しい」


 やわらかい声音にほっとしていると、だが、と続いて、体に緊張が走った。


「街中では、あまりひとりにならないほうがいい。特に、店が並んでいるような場所には、盗人が横行していることもある。貴族は目を付けられやすいから、注意するにこしたことはない」


「……はい」


 世間知らずだと断じられたような気がして、ふくらんでいた気持ちがしぼんでいった。事実、自分は本当に世間知らずなのだ。この一月で外に出るようになったとはいえ、十年領地に引きこもっていた時間は取り戻すことができない。何も知らないのは仕方がないことであったし、双子であるから致し方なかったのだ。世間知らずの何が悪いのだろう。


 そこまで考えると、違和感を覚えて、イレイェンは頭のなかで立ち止まった。


 今、わたしは、妙なことを考えていた。


 その妙なことの正体がわからない。捕らえようとすると、汚濁(おでい)が這ったような跡が残って、心地の悪さに深追いするのをやめた。


 気が付けば、胸の前で両手を握り込んでいた。その考えている時間は、体感よりも短かったのだろう。ところで、とクラエスが言った。


「さきほどは面白いものを見せてもらった」


「さきほど……?」


「菓子の前で百面相をしていたであろう?」


 クラエスの指摘に、顔に朱が昇り慌てて両手で覆う。食べるか食べないか悩んでいたところをすっかり見られていたらしい。


「林檎は好物と言っていた理由がよくわかった」


「もうっ! やめてください!」


 いたずらっぽく目の奥を光らせているクラエスに、イレイェンは堪えきれずに叫んだ。すると今度は腹を抱えて、クラエスは笑う。


「貴女はからかい甲斐がある」


「……からかわないでください」


「それだけ心が素直ということだ」


 恨みがましく言うと、素直という言葉が返されて、イレイェンはそんなことはないと思う。素直という清潔な言葉とは反対に、自分の心が曲がって汚れていることは、自分が一番よく知っている。


 反応のないイレイェンに、また別の言葉が投げかけられた。


「あの菓子は、メルニー伯が作ったものだから、うまかったのなら聞けばいい」


「メルニー伯って、あのメルニー伯? リュメール公のご嫡出の?」


「俺が知る限りでは、メルニー伯はひとりのはずだ」


 次期マルヌーシュ公が、クラエスが持つサロワ伯なら、メルニー伯は、次期リュメール公のことを指す。つまり、代々リュメール公を輩出するルタナリス家の嫡子である。


「随分と器用な方なんですね、メルニー伯は。領地運営をしながら、あんなおいしいお菓子を作る時間を捻出するなんて」


「器用というよりは……変わり者と言ったほうが正しいだろうな」


 苦虫を噛みしめたように、クラエスは言う。


「メルニー伯をご存知なんですか?」


「少々付き合いがある」


 それ以上は聞いてくれるなという雰囲気に、イレイェンも問うのをやめた。どんな人なのだろうと想像を巡らす。純度の高い金の色に、翠玉の緑の瞳。それが、ルタナリス家の特徴と聞く。偉丈夫が多いとも。金の巻き毛の大柄な男が、菓子の生地を練っている場面を浮かべて、苦味を覚える。菓子職人に対する心象とはかけ離れた場面であった。


 だが、リュメールとマルヌーシュの次期領主同士に交流があるのは、どういう訳があるのだろう。父の話では、リュメールは今でもマルヌーシュを恨んでいるという。確執のある二公が、どのような付き合いがあるというのだろう。考えてみれば、今日はリュメール公の夜会に、クラエスが出席している。父が言うほど、二公の間に隔たりはないだろうか。けれど、マルヌーシュ公の夜会では、リュメールから参加した貴族は、自分やエリエラを含め六家しかなかった。それは、リュメールとマルヌーシュの確執を証明しているのではないだろうか。


「どうしよう!」


 大事なことに思い至って、さっと青褪めた。


 エリエラ。


 菓子に惹かれてふらふらした挙句、こうして歩いてきてしまったが、エリエラにあの場で待つように言われていたのであった。


 イレイェンは思い出して、声をあげていた。


 隣では喫驚したクラエスが、ぎょっとしてこちらを見る。


「どうした?」


「友人に待っていてと言われたのをすっかり忘れていたのです! どうしよう。どうすれば」


「すまない。俺が連れ出したせいだな」


「違うわ! わたしがうっかりしているばかりに。どうしよう。エリエラさまになんて言えばいいか」


 頭のなかが混乱だった。形をなしていたものがばらばらと散り散りになっていく。


 失礼なイレイェンの態度に目をつむり、あまつさえ友達になりたいと言ってくれた初めての人。こうして失礼な行動を繰り返したら、あきれられてしまうかもしれない。もう手紙を交わしてくれないかもしれない。そうしたら、わたしはまた外とのつながりを失ってしまう。


 どうすればと顔を伏せるイレイェンに、 謝ればいいと透明な声が言った。夕陽に余韻がとけ込む。


 イレイェンは、クラエスを見上げる。


「言い訳せずに謝り、礼を失したことを詫びればいい。イレイェン嬢にはそれができるであろう?」


 こくりと肯く。


 そうだ。謝ること。


「行っておいで」


 濁りのない音に、氷の瞳に合わせてもう一度肯くと、イレイェンは踵を返して屋敷の中に戻った。

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