↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀盤奮闘記(改)  作者: 左藤
第二章:二〇一三年、秋
PR
8/9

第七話:なあ、リョウヘイ。

ちょっと視点を変えてみました。

 昔、コンパルソリーというものがあった。今のフィギュアスケートは、どの競技も、ショート、フリーの二つで構成されている。でも、その昔はショートプログラムがなく、コンパルソリーフィギュアとフリースケーティングのみだった。


 コンパルソリーは、規定、またはスクールフィギュアとも呼ばれる。つまり、滑りの基本的な技術のみを見る競技だ。決められた図形(フィギュア)をいかにトレースで描き出すか。いかに正確にトレースをなぞるか。そういった技術が評価の対象となる。


 現在は廃止されているが、サガも、もとはそういう時代に選手をしていたのだ。まあアイスダンスの選手だったので、シングルのそれとは別のものだったのだが、その重要性は良く分かっていたから、リョウヘイにも力を入れてコンパルソリーをさせた。サガでなくても、今も練習にコンパルソリーを取り入れるコーチはそれなりに多い。


 だが、例えば小さな子供にコンパルソリーをさせるのは、中々に骨が折れる。何しろ、地味なのだ。子供といえば、小さな頃はやはり、滑って跳ぶことが楽しくて、踊ったり回ったりするのがスケートだと思っている。サガもリョウヘイにコンパルソリーをさせるのに中々苦労した。


 それこそいやいやとむすくれたり、泣いたりして練習にならなかったこともある。でも、大切なことだからと言い聞かせる。しかし子供にそんなことは関係ないので、リョウヘイも、当時まだ健在だった本当の両親に泣きついたりして、妹であるリョウヘイの母親に口やかましく文句を言われたりと、それなりに大変だった。


 今となってはその大変さも懐かしい。


 今季、夏から秋にかけて、リョウヘイには例年より多めにコンパルソリーの練習をさせた。


 ようやくこの年頃になって、リョウヘイはその重要性を感じたようで、随分と熱心にコンパルソリーをする姿も見かけた。


 スケートなのだから、基本の滑りは大切で、当然ながらすべての要素の基になる。滑りが良くなれば、当然ステップも歯切れ良く正確になるし、スピンやジャンプに関しても、前後の流れがスムーズになり、それにより無駄なく安定して実行することが出来る。すべての要素は、スケーティングの延長なのだから。


 しかし、サガの目から見て、リョウヘイは熱心に練習はしていたが、どこか心ここにあらずというか、いや、それより、何かギラギラした、物騒な類の熱心さを見せている気がしていた。


 だが、サガはサガで自分を不器用な人間だと思っていたし、だからと言って直截に尋ねる勇気も今のところ持てず、釈然としないものを感じながら季節は過ぎていった。


 十月に入り、北海道は残暑もそこそこ、冷たい風が吹き始めていた。


「どうだ?」

「変わったような、そうでもないような」

「おい」

「冗談だよ、やっぱり違うなあ」


 サガとリョウヘイはそんなことを言い合う。確かに最近、サガから見てもジャンプの精度が上がってきたように思う。


「そうだろうそうだろう」


 前は散々文句を言っていたことを思い出し、何となく良い気分で言ってやると、


「今日の夜、ブロッコリーね」


 と言い返されどん底に落ちた。にゃろう。


「でもコンパルソリーは疲れるよ。その割りに地味だし」

「馬鹿いってんな。俺が現役だった頃はコンパル出来なきゃ世界で戦えなかったんだぞ」


 だから練習の三分の一はコンパルやってたんだ。


 そんなサガの言葉にげんなりした様子のリョウヘイは、片足でゆっくり図形を描ている。確かに、地味なのだが、滑りのコツを掴むには必要なことだ。滑らかに、確実にトレースを描く。ブレードの一点だけを使って。


 この一点だけを使うというところがミソだ。選手によって違うが、エッジが安定する特定のポイントと言うものが、ブレードのどこかに存在する。この一点が後ろにずれたらバランスが崩れるし、前にずれたら、つま先のトウピック(ギザギザ)が引っかかってしまう。


 それを見つけ出し、身体全体で重心をコントロールすることによって、乱れることなく深いエッジに乗り滑ることができるのだ。


 この動きをプログラムの中でも出来たらいいのだが、一朝一夕ではそうもいかない。


「練習あるのみ、だな」


 鼻で笑って言ってやると、「セロリもつけるからね」と言われ、サガはぐぬぬ、と言葉を詰まらせた。が、


「いいだろう、親切には親切で返さねえとな。今日は気合入れて指導してやる」


 真っ青になるリョウヘイにしてやったりな気分になり、言葉通り指導にも熱が入る。


 こんなやりとりも、いつものパターンと化しているが、冗談抜きでそろそろ追い込みをかけたほうがいいかもしれない。


 夏からの練習で、トリプルジャンプが安定し始め、以前はなかなか決まらなかったフリップやループも、曲をかけた練習でもそこそこ降りられるようにはなってきていた。


 でも、肝心のジャンプが、まだ安定しない。


 今の時点での、トリプルアクセルの成功率は、単なるジャンプ練習で二から三割。曲かけ練習では一割に届くかどうかだった。


「そこでもっと腕を引き寄せろ! 左腕の引き寄せ方が甘いから軸がぶれるんだっ」


 不満げなリョウヘイにさらに怒鳴りそうに鳴るのを飲み込む。


 本当に大雑把な分け方だが、ジャンプを跳ぶ選手には二つのタイプがある。


 まずは、ジャンプ力を生かし、滞空時間を稼いで回るタイプ。滞空時間が長いので、余裕をもって回りきることが出来、勢いもあるので着氷もよく流れるため、決まると評価が高い。ただ、その分しっかりコントロールできないと降りるのが難しい。勢いがついているため、ともすると派手に転倒してしまう。ちなみにこのタイプは筋力に勝る男子選手に多い。


 一方で、回転軸を細くし、高速回転で回りきるタイプの選手。こちらは先述のタイプと比べて、質の面では劣るものの、コンパクトに跳ぶので大失敗につながりにくい。ただ短い時間に回るので、転びはしなくても、回転不足をとられやすいという面もある。こちらは体格の小柄な女子選手に多い。


 ちなみに、この両方を併せ持った選手が四回転なんぞを跳んだりするのだ。


 リョウヘイは、それほどジャンプ力に恵まれた選手とは言えず、どちらかというと二番目のタイプになる。出来るだけ軸を細くしてコンパクトに回るタイプだ。


 でも、それだけではトリプルアクセルは跳べない。アクセルジャンプ、特にトリプルは、半回転多く回るので、他のトリプルジャンプを同じように跳んでいたら、まず降りられないのだ。


 リョウヘイの場合は、それまでよりジャンプに高さを出す必要があった。だが、それが難しい。


 ただ単に高く跳ぶだけではない。これまで通りの回転速度を保ちつつ、高さを出さなければならない。でも高く跳ぶとそれだけコントロールが難しくなり、より繊細な技術が求められる。その弊害として、たとえば跳ぶタイミングであったり、軸の作り方であったり、そういった部分でより高いレベルを求められる。


 基本の滑りにも力を入れたためか、昨シーズンと比べて、ジャンプに入るスピードも速くなり、エッジもぶれずに安定してきたため、良くなってはいる。でも、まだ全く足りていない。


 本日十六度目の転倒の後、もう一度、最早鬼気迫るほどの表情で跳びにいこうとしたリョウヘイに、サガは声をかけた。


「今日はもういい。帰って休め」


 少し頭を冷やせ。表情でそう伝えたサガだったが、しかしリョウヘイは焦りを抑えることが出来ない様子だった。面倒なので、


 ごん。


「痛っ」

「落ち着け」


 悪いイメージが染み付くのも避けたいし、無理を押すと怪我のもとになってしまう。


「でも…」

「いいから。明日また見てやる」


 どうにか言い聞かせてリンクから出しても、どこか、落ち着かない雰囲気が、今のリョウヘイにはある。最近はこういうことが多いのだ。


 今日もそんなリョウヘイの様子を見て、やはりサガは今季ずっと感じている、おかしな感覚に襲われる。そしてそれを問いただそうにも、


「なあ、リョウヘイ」

「何?」


 クールダウンを済ませ、ロッカールームでベンチに座り靴紐を乱雑に解くリョウヘイに声をかけてみるが、続く言葉を発せない。


「…セロリは入れるからね。貰ったの食べちゃわないといけないんだから。前みたいに隠れて残さないでね」

「なっ、お前!」

「じゃあお先に」


 結局そんなやり取りで終わってしまい、スタスタと去るリョウヘイの後姿を見て、サガの口からため息が零れる。


 やはり、どうにも上手くいかない。必要なことだとしても、やはり聞けなかった。


 俺も臆病なもんだな。


 リョウヘイの姿が見えなくなってから、今しがた言えなかった言葉が、喉の奥からせりあがってきた。聞きたくても、聞けない。どんな答えが返ってくるのか、聞くのが怖いのだ。でも、とても大事なことだった。


 なあ、リョウヘイ。


「…お前、今、スケート楽しいか?」


 今になってようやく口から出た、直接ぶつかる事の無かったその質問は、誰もいないロッカールームの空気に溶けて消えた。


 二週間後に迫った、東北・北海道地方のブロック大会。勝負の季節の始まりである。

全日本、凄かった…。


<追記>

作者が勘違いしていた部分を修正しました。ご迷惑をおかけします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。