1 小さな封筒の記憶
久しぶりの帰省が17年前の夏に繋がっていたなんて少しも考えてなかった。そして彼女の名前なんてすっかり忘れていた。あの手紙を見つけるまでは。
* *
僕にとって初めての海外赴任が決まり、それからというもの仕事の引き継ぎや渡航手続き、引っ越しの準備と1日たりとも休めない日が続いた。そんな状況のなかで海の日の3連休になんとか実家に帰省できたのは幸運で、後から考えれば何か運命だったような気もする。
僕が、実家に帰省するのはもともと年に1~2回位だった。だから正直、こんな慌ただしい時に新幹線に何時間も乗って帰らなくてもいいかとは思っていた。とはいえ、これからはこんな風に思いつきで帰ることも出来なくなるだろうし、日本を発つ前に親に挨拶くらいはしておこうと思ったのだ。
僕は、正月以来の実家での夕食を両親と3人で済ませた後、母に頼まれていた用事を済ませるために、かつて自分が使っていた部屋に入った。
僕が高校生の頃まで使っていた机や家具等は片付けられていて、今は一応客間にしているのだが、めったに客人など来ないのだろう。しばらく誰も使っていなかったような部屋の匂いに、僕がこの家を出てからの時間の長さを感じていた。
母の頼みというのは、僕の古い荷物の整理だ。要るものは残して、要らないものは処分するから分けておいてほしい、ということだ。どうやら両親も先のことを考えて少しずつ断捨離を進めたいらしい。
僕は押入の中を覗き込み奥のほうにしまってあった古いアルバムを何冊か引っ張り出した。
「いらないとは思うけど捨てるものでもないなぁ」などと思いつつそのうちの1冊を手に取った。それは小学校の卒業アルバムだった。
そしてその紙のケースからアルバムを取り出したとき、小さな淡いピンク色の封筒がそっと床に落ちた。
僕は封筒を拾って中を見ようとしたがその封筒はしっかり閉じられていた。
ー 開けちゃいけない封筒 -
僕は、それを見た瞬間、あの夏の日の記憶を鮮やかに思い出した。そして長い間言葉に出すこともなかった懐かしい呼び名を思わず口にしていた。
「はーちゃん…」
* *
「もうすぐ夏休みだなぁ。」
あの年、梅雨はあっけなく終わり僕たちにとって小学生最後の夏がやってきた。もちろん今までと変わらない毎日がずっと続くと信じていた。
「休みは嬉しいけど宿題がなぁ。はーちゃんは勉強できるからいいけど、オレなんて毎年、最後の日に親に手伝ってもらってやっとだよ」
それは夏休みも近い7月半ば、小学校からの帰り道だった。
「早くやっちゃえばいいじゃん。ちーがすごく頭いいの知ってるよ。本気出せばもっとできるのに」
僕が、「はーちゃん」と呼んでいたハヅキが転校してきたのは3年生の夏休み明け。だから僕たちが出会ってからもう少しで3年という頃だった。
小さい頃から知っているわけではないから幼馴染というわけではないけれど、転校してきてから割とすぐ話すようになった。ハヅキが僕の名前「千裕」から「ちー」呼びに変わったのもそのころだった気がする。
僕も2人だけで話しているときは、大体はーちゃんと呼んでいた。もちろん特別な関係があるはずもなく単に小学校の同級生ではあったのだけど、わりと家が近かった(もちろん都会のような近さではない)こともあって帰り道には二人になることが多かった。
「そうなのかなぁ、はーちゃんがそう言うなら、夏休みに入ったら真面目にやってみようかな。」と言いつつ僕は、ハヅキに調子のよい提案をしてみた。
「そうだ、宿題一緒にやろうよ。はーちゃんは理科得意だから自由研究だって楽勝だろ?去年のアリの自由研究もすごかったしさ。オレの分もちょっと手伝ってよ」
特別な仲ではなかったけれど、帰りにハヅキの家に寄ったことは何度もあった。だから、我ながら良いアイデアだと思った。
しかし、ハヅキの答えは意外なものだった。
「ごめん」ハヅキの表情がすぅっと曇った。
「えっ、なに?」僕はなにがごめんなのか理解できなかった。
ハヅキは少し間をおいて俯いたまま呟いた。
「一学期が終わったら引っ越しちゃうんだ」
「引っ越し?」僕は想像もしなかった言葉を聞いてとっさに聞き返した。
「お父さんが転勤なんだって。私も聞いたばかり…」
「え?遠いの?」
「うん、すごく」
ハヅキいなくなっちゃう?僕は混乱していた。
「二学期からじゃなくて、卒業までいられないの?」
「それ私も言った。みんなと一緒に卒業したいって。でも無理なんだって。ほんとゴメンね」
「はーちゃんのせいじゃない。」
何か言わなきゃと思ったけどろくな言葉が思いつかなかった。
「それにさ、オレ、はーちゃんがいなくたって大丈夫だし…」
強がってつい余計なことを口走ってしまったけれど、それから終業式までの1週間、自分が何をしていたか思い出せないほど、僕の頭の中はハヅキのことでいっぱいだった。
(続く)




