アメ牛仙人
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東京では和の友人を伴って銀座を見に行った。高級ブティックが軒を並べており、街路は電信柱がないので整然としていて綺麗さっぱりという印象を受ける。又、一人で渋谷の忠犬ハチ公を見に行くこともあった。
後日、都内のトウの社宅を訪問。二人はフィンランドの思い出話に花を咲かせて帰路に着いたのは遅い時間だった。駅前のいつもの野原を横切っていると後ろから「もし」と声を掛ける人がいる。
「佳子さん?」
「はい、そうです。宜しければまたぞろの東屋までお越し下さい。料亭をご案内します。」
「そうですね。ちょっと遅い時間ですが、伺わさせていただこうかな。」
「今日は料亭がお休みなんですよ。」
「ちょうど、いい日にお会いしたということですね。」
月光に照らし出された二人は寄り添うカップルのように池沼に向かって歩を進める。例の橋の手前で立ち止まり、佳子が先に歩き出すとギーと軋んだ音がする。すると牛蛙の鳴き声が一旦止んだが、それも束の間で、再び合唱へ。東屋を通る時は牛蛙の鳴き声がピタリと止むが、過ぎると前と同じように鳴き声が騒々しい。橋を渡り終えると竹薮の中に白い光りに包まれた平屋建ての料亭が見える。近づいて窓越しに亭内を覗き込むと暗くて判然としないが、個室の座敷が幾つかあるようだ。
「私の住み込みの部屋はこの向こうの離れなんですよ。」と佳子は離れ屋を指し示す。
数メーター先の古ぼけた小さな家屋は信太を瞬時に「源氏物語 桐壺」の世界へといざなった。
月影ばかりぞ 八重葎にも 障はらず 差し入りたる
「ご一緒にワインでもいかがですか?」と佳子の言葉に信太は我に返る。
「ええ、喜んでいただきます。」
午前零時を過ぎた頃 ―
「今夜は帰るのが遅かったね。」と和が布団の中から目を擦りながら信太に話し掛ける。
「ごめん。早く帰ろうと思ったのだけど、先方と話が弾んじゃって。」
「そうか。」
「ちょっと気が引けて言えなかったけど、この先方と言うのが、ここから、もうちょっと行った料亭で働いているんだ。」
「料亭?そんなものはないよ。」
「あるよ。あの池沼を橋で渡ったところ。」
「それって、アメ牛仙人にでも出会ったのかな?」
「アメ牛仙人?」
「そうだよ。この仙人というのが池沼に住んでいると聞いたことがある。うわさでね。」
「仙人が山から下りて来て世俗と交わるんだぁ。」
「今の時代、何が起こるかわからない。それで、仙人に会えば牛蛙にされるとか。」
「料亭の接客係りと言っていたかな、その人がとても別嬪さんで、話し込んでしまったんだ。」
「そりゃ、わからなくもないけど、とにかく、この土地を直ぐに離れたほうがいいかもだね。僕ももうすぐしたらこの下宿を出るし。仙人は妖怪や怪物じゃないから追っかけて来やしないよ。」
この夜、床に就いて佳子の面影がちらついたが、早朝にここを発って大阪の実家へ帰ることにする。
いよいよ旅も終盤を迎えるが、信太のなんにでも挑戦する気概はこれから先もとどまるところを知らないだろう。
牛蛙




