仁徳御陵
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電車が止まった。ドアが開く。駅に降り立つと故郷の匂いがプーンとする。鼻というのは思ってもみないほど鋭敏なものだ。信太の母が迎えに来ると言っていたが、改札口に彼女の姿はない。そのまま待つのもなんだし、きっと駅に向かっているだろうと思い駅前の道路を実家に向かって進む。見慣れた駅前の商店街が小さく見える。今までずっと大きな空間を見て来たセイもあるのか、ガリバーが小人の国にやってきたような感覚に陥る。ほどなくして道路の向こうから急ぎ足でやってくる母親が見えた。一回りも二回りも小さくなったと思える彼女だが、感動を抑え切れないようで、信太にその気持ちが伝わってくる。父親は夜になって仕事から急いで帰宅し、みんなに「可愛い子には旅をさせよ」と言って憚らない。この晩、無事帰還を祝してすき焼き料理。叔母夫婦も駆け付けてくれて矢継ぎ早に旅行の質問。その後、叔母は得意の演歌をご披露。歓迎の宴は夜半まで続き彼は感激に包まれていた。
翌日から幼友達に会ったり実家の周辺を見て回る。
「あそこにあるこんもりした森は仁徳御陵だよね?」と信太は母親に尋ねた。
「そうよ。」
「自転車で行ってこよかな。」
「ほれ、自転車の鍵。」
この日の夕方は御陵見物だ。三十分もすると正面の前方部拝所に着いていた。しかし、陵墓正面の外観が余りにも質素なのでちょっぴりがっかり。
自転車を止めた信太の真ん前に紺の長いワンピースを身につけ、赤色のリュックサックを背にした三十歳前後の女性が佇んでいる。夕陽がつくる黒い影がこの女性の足元から信太の自転車辺りまで長く地に伸びている。彼女もここにきて何の見るべきものもないと思って茫然としているのだろう。信太は声を掛けてみた。
「なんにもないところですね。」
この女性は驚いて信太を見るが、土地の人だとすぐにわかって安心したらしい。
「そうですね。」
彼女が旅行者というのは一目瞭然だが、主婦という感じもしないわけではない。又、目がパッチリした女性なので顔が小さく見える。
「中に入れないって残念です。」と女性。
「ええ、立ち入り禁止という立て札がありますから。」
「どこがお墓なんでしょうね。」
「御陵は鍵穴の形をしていて、上の真ん丸いところにお墓があると聞いています。僕らのいるところの反対側ですよ。」
「陵墓に沿ってそこまで歩いて行くのはちょっと時間が掛かりそうだわ。」
「ええ、大きいんですよ。外周は三キロぐらいあるそうです。半周するには一時間は掛かると思います。外濠に沿ってずっと歩けないんですよ。一般道路に出たりしますから。」
「そうですか。じゃあ、諦めて百舌鳥の駅に戻って堺東のホテルに行きます。」
「堺東ですか?」
「はい。」
「三国ヶ丘で乗り換えですね。三国ヶ丘はこれから帰る途中の道にあるんですが、なんなら、自転車に乗って外から見物というのはどうですか。駅までお送りします。そこから堺東まで直通です。」と信太は単刀直入に提案する。
「相乗りですか。楽しそう!」と言って、喜びを全身で表す。
「でも、ドレスの裾が車輪に巻き込まれないように荷台に跨りますが。」
「そんなことはわけないです。」
彼女はワンピースをたくしあげて荷台に乗る。明朗でエネルギッシュな女性だ。自転車を漕ぎながら墳墓を左手に見て信太は話し続ける。
「東京からお越しですか?」
「はい、渋谷からです。」
「渋谷?忠犬ハチ公を見に行きました。行ったのは平日の昼頃なんですが、若い人が多かったですね。ハチ公の周りにいました。」
「ええ、待ち合わせの場所として有名なんです。でも、戦時中、八チ公は利用されたのですよ、君に忠と言って。」
「人間が犬扱いされたのですか。ねずみでもよかったのに。」
「ねずみはどうかしら?チュー(忠)と鳴きますが。」
「あはは。これはやられましたね!それで、この後、旅行はどちらへ行かれるのですか?」
「姫路城を見て赤穂まで行こうと思っています。」
二人は三国ヶ丘駅に着く。信太は改札口まで彼女を見送ることにする。
「どうもありがとうございました。」と女性は頭を下げて信太の好意に感謝する。
「お気を付けて。」
「さようなら。」と改札口の向こう側で女性は別れを惜しむようだ。
「さようなら。」
彼女が二、三歩足を進めた時、名前を呼ぼうとしたが、名前が出て来ない。それもそのはずで尋ねてもいないのだから。
彼女の姿はもうその時には人ごみに紛れて消え失せていた。
大阪府堺市にある仁徳御陵、又は、大仙陵古墳の拝所




