19 揺るぎない王子 最終話
アゼリアは城に呼ばれた。
紅茶を飲みバラを愛でながら、王宮の庭園でユーリの訪れを待った。
「アゼリア、待たせたね」
彼の柔らかい声に振り向く。
「いいえ、ちっとも」
アゼリアは笑顔で答える。
一週間ぶりに会う彼は、金糸の髪もブルーグレイの瞳も麗しい。だが、だいぶ疲れているようだ。
人払いをしたため、アゼリアが彼の為に茶を淹れる。
ユーリのために茶を淹れるのはこれが初めてだ。たいてい彼がアゼリアの為に茶を淹れてくれる。
彼は「ありがとう」と言って嬉しそうに目を細め、アゼリアの淹れた茶に口をつける。
「ユーリ殿下、お尋ねしたいことが」
「なんだ」
「マハが役人に連れて行かれたと聞きましたが、彼女の処遇はどうなりますか?」
「心配なのか?」
ユーリが微かに眉根を寄せる。
「ええ、もちろん、幼馴染ですから……」
ユーリがマハに対して怒りを覚えているのは知っている。
「君はマハに裏切られたとは思わないのか? 彼女はすべてを知りながら、君に僕をすすめたのだぞ」
「不思議ですね。それでも彼女が心配です」
と言ってアゼリアは微笑む。
「尋問の上ですべてを話して貰う。その後は牢屋経由で、研究機関へ連れて行かれる。そこで数年間強制労働だ」
処刑ではなくて少しほっとした。
「そうですか」
「彼女の持っている知識は有用でもあり危険でもある。それならば、僕の元で有用に使わせてもらう」
ユーリは無駄なことはしない。きっとマハが殺されることはないだろう。
「それで、ユーリ殿下のお話というのは?」
「兄の王位継承権が保留になった」
「あれだけのことを引き起こして、廃嫡にならなかったのですね」
すごく甘い処置だと思った。彼は今回の騒ぎの中心人物ともいえる。他の貴族子弟には厳しい処分が下っているのに。
そこには王妃とその実家の思惑があるのだろう。
「ああ、それで僕に王位継承権の第一位が回ってきた」
「それはおめでとうございます」
アゼリアが微笑んだ。
「いや、恐らく五年後くらいに兄上が信頼を回復したということで、また継承順位は変わるだろう。だから、今度こそ僕は王位継承権を放棄させてもらおうと思う。もう、王宮の都合に振り回されたくはない」
冷めた表情で言う。だが、継承の放棄などそう簡単に出来る事ではない。それならば……。
「ユーリ殿下、振り回されたくないのなら、いっそのこと国王になられたらいいのではないですか?」
アゼリアの言葉にユーリが、不安そうに瞳を揺らす。
「君はやはり王妃になりたいんだね」
彼は誤解している。アゼリアはゆるゆると首をふった。
「別にそのようなつもりはありません。ユーリ殿下は騒動が落ち着いたら、隣国に行くおつもりですか?」
「ああ、そうしようかと思っている」
アゼリアにはなんとなく彼の考えていることが分かった。
「それは、私がローガン殿下に奪われるのではないかと心配だからですか?」
「ああ、兄はどんな手を使っても僕の大切なものを奪ってきた。手に入らないと分かれば壊すだろう」
暗い顔をする。
「まあ、不思議ですこと。ユーリ殿下は、あの方の何がそれほど怖いのです?」
「え?」
ユーリが目を瞬く。
「ユーリ殿下の方がずっと賢いではありませんか。そのうえ隣国に資産や有用なコネクションを築いておいでかと」
アゼリアのその言葉にユーリが目を見開いた。
「君は僕に国王を目指せと本気で言っているのか?」
彼の言葉に大きく頷く。
「そうです。あなたがならなければ、いったい誰がなるのです? ローガン殿下の治世など世も末ですよ。それとも王妃さえ優秀ならばどうにかなるものなのかしら?」
そう言ってアゼリアが首を傾げる。
ローガンが王になるなど考えられない。王妃になる者と臣下がかわいそうだ。
「本気かアゼリア? それとも、もし僕が王にならないと言えば君は兄について行くつもりなのか? 兄上はリリアがいなくなった今、君を強く望んでいる」
絶望的な表情でアゼリアに縋りつくように聞いて来る。
これではせっかくの美貌が台無し……いや、そうでもない。彼はどのような状況でも美しい。
「まさか、それはないです。どのみち私はあなたについて行きます。ローガン殿下など願い下げです。何度言えばわかってくださるのですか?」
アゼリアが呆れたように言う。おそらく彼は何度言っても理解しないだろう。
自分一人を愛してくれる人の方がずっといい。
「そうは言われても」
煮え切らない人だとアゼリアは思う。
「この国を見捨てて隣国で隠居のように生きるのも、この国を建て直すのも、あなたの自由です。
ただ今回の事で廃嫡された者たちもいるので、後継者を育てるのに時間がかかるでしょう。
それにリリアの強力な魅了とその魔道具により、王族や高位貴族の子弟、その婚約者たちが傷つけられました。
再び、ヒロインと呼ばれるリリアのような邪な女が現れて、多くの者が騙され道を見誤らないように出来るのはユーリ殿下しかいないと思うのですが?」
アゼリアがまっすぐにユーリに視線を向ける。
「僕が王位を目指すならば、妻となる君も命を狙われるかも知れない。それに外交や社交もしなくてはならない。君はそれを望んでいるのか?」
一見立派な王子に見えるが、その瞳は捨てられた仔犬そのもの。
「あなたは、私が誰かに奪われてしまうのかと恐れているのですね」
彼がその美しい顔を歪める。
「僕は君が誰かと親しく口を利くのも、誰かに笑いかけるのも、誰かとダンスを踊るのも嫌なんだ」
そんなこと、とっくに気付いている。
今思うと学園にいる時、薬を盛られ魅了にかかる前、彼はアゼリアのそばから離れなかった。
「存じております」
と言ってアゼリアは艶やかな笑みを浮かべる。
「君は……この国に帰ってきて一段ときれいになった。だから、余計に心配なんだ。パラメーターが視えなくなったことと関係しているのかな?」
「そうですね。視えなくなってすっきりしました。人の好感度なんて視えたっていいことはありませんよ」
アゼリアはそう言って紅茶を飲む。
目の前にいるユーリは苦悶の表情を浮かべていた。心の中でまだ葛藤が続いているようだ。
「アゼリア。君が望むのならば僕は国王を目指そう。だから君は僕から」
「ええ、絶対に離れません」
「いや、しかし、人に絶対なんてないよ。だから……」
彼が頬を紅潮させる。
「まさか、また私に手枷をするだなんて言い出すのではないでしょうね?」
アゼリアがピシリと言う。
「そ、そんなことは……しない」
ユーリががっくりと肩を落とす。仕方のない人。
アゼリアに手枷が出来なくてしょげているだけなのに、その姿はまるで国の将来を憂いているように見え、哀愁漂う姿が秀麗。
――逃げられないのならば、いっそ愛してしまえばいいのかしら……。
♢
三年の月日が過ぎた。
名誉挽回するかに見えたローガンはしつこくアゼリアを望んだ上に、いくつもの女性問題をおこし信用を失った。
これでユーリが次期国王になることはほぼ決定した。
王宮庭園で二人は優雅にお茶を飲む。
今日はユーリからプレゼントがあると言われていた。アゼリアの目の前に差し出されたものは……。
「金の腕輪は初めてです」
恐らくアゼリアがどこにいるか探知出来る魔道具だろう。しかし、それは本当に美しく、宝石が散りばめられ繊細な細工が施されていた。きちんとアゼリアの趣味に合わせてある。
「ああ、つねづね君には金が似合うと思っていたのだが、プラチナほどの強度はないから、君が破壊してしまうのではないかと心配だったんだ」
と言ってユーリが白磁の頬を染める。それが羞恥なのか興奮なのかは分からない。
「ふふふ、ルビーの飾りが美しいですね。ですが、私は、金の腕輪を破壊できるほど怪力ではありませんよ」
「いや、君はとても魅力的で賢い女性だから、いつか僕を出し抜いて逃げ出してしまうのではないかと心配だよ」
と真剣な顔で言う。相変わらず愛が重いし、魔道具だということを隠しもしない。
アゼリアは彼の発言をいつものように軽く流して、話題をかえる。
「そろそろ、ご令嬢やご婦人だけを集めてお茶会をしたいと思うのですが?」
次期王妃になるものとして社交は重要な情報収集の場でもある。
「わかった。僕の目の届かないところで君が食事をして、毒でも仕込まれいたらたいへんだから、従者のふりをして君のそばにいるから安心して欲しい」
と言って美しい面立ちに爽やかな笑みを浮かべる。
何がどう安心なのだろう? 冗談であって欲しいとアゼリアは思う。
「ユーリ様はとても美しいから、そんなことをすれば、すぐに気付かれてしまいますよ」
それとなく本気かどうかユーリに探りを入れる。
「大丈夫、君ですら、いままで気づいたことがないから」
ユーリが得意げに言う。
「え?」
目を見開くアゼリアに、王子は悪戯っぽくウィンクする。
彼は片時もアゼリアのそばを離れたがらない。
ふとユーリのパラメーターはどうなっているのかと思う。
――いや今はパラメーターが視えなくなったことに感謝しよう。あれは100を超えるとまずいのだとマハが昔いっていた。
「そうだ。アゼリア、そろそろ王妃には退いてもらおうかと思う」
と決然とした声でユーリが言う。
「何か掴めたのですか?」
ユーリはずっと母親の毒殺に関わった者達を探していた。
「ああ、兄と王妃が毒殺に関与していた証拠をつかんだ。それに彼らの不正もみつかった」
そう言う彼の顔は引き締まり、毅然としている。不正を許さない一国の王太子のものになっていた。
おかしな執着をのぞけば彼は優秀な人なのだ。
「いよいよ大詰めですね。きっとユーリ様ならば、出来ますよ」
アゼリアの言葉にユーリが美しい顔を綻ばせる。
「うん、頑張るよ。だから、アゼリア、これから先も僕とずっと」
「一緒にいますよ」
――今日も彼の愛という名の執着は揺るぎない。
fin
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