鮮血伯爵 2
「戻ったのかウェルター。今回もどうせいつもの通り勝ったのだろう?」
屋敷に戻ると私を呼び止める声。少し疲れたような声で、この私の名前を呼び捨てにするのは、この屋敷にただ一人しかいなかった。
「おや父上、いらっしゃったのですか。ご用でしたらこちらから伺ったものを」
ピエール・ド・ラヴァル。
家督を私に譲って隠居した我が父。彼は壁に体を寄りかからせて疲れたような瞳でこちらを見つめていた。
「少し来なさいウェルター。久しぶりに親子で話そうじゃないか」
父のその言葉に、私は少し戸惑った。
確かに目の前の老人と私は血の繋がった親子だ。しかしその関係は決して良好なものとはいえず、二人で酒を酌み交わすなど覚えている限りしたことはない。
しかし特段断る理由も無い。私は素直に頷いた。
パチパチと暖炉の中で炎が楽しげな音を立てている。
暖炉の側に設置された簡素な机。向かい合うように座った私と父。召使いの女が二人の前にグラスを用意する。
二人のグラスに酒を注ごうとする召使いを、父は手で制した。
「ああ、かまわん。ワシが注ごう。父子二人で語らいたい・・・悪いが君は下がっていてくれるかな?」
父の言葉に召使いは深く礼をすると、その場から立ち去った。父は年代物のワインのボトルを開けると、自身と私のグラスに赤い液体を並々と注いだ。
「お前と酒を呑むのもいつぶりになるか・・・」
感慨深げにそう呟いて、父はグイッとワインを飲む。それにならうように私も自身のグラスに口をつける。
口の中に流れ込んだワインを軽く転がすと、豊潤な果実の香りが鼻から抜けていくようだった。
「・・・ほう、良い酒を揃えているな。流石といったところか」
父が驚いたような声を上げている。
良い酒の収集は数ある私の趣味の一つだ。召使いが持ってきたこのワインも、数年前に遠方から取り寄せた珠玉の逸品だ。
「恐れ入ります。父上の為に、今保存している中でも特別な一品を用意させていただきました」
「・・・口のうまさも相変わらずよな」
何故か少し苦い顔をしながら、父はグラスに残ったワインを飲み干した。私は空のグラスにおかわりを注ごうとするが、父は静かに首を横に振った。
「いや、いい。本格的に酔う前に少し真面目な話をしようじゃないか」
「真面目な話・・・ですか・・・」
父は厳しい目線で私を見据えると、小さな、しかし毅然とした声音でしゃべり出した。
「先の戦はどうだった?」
「いつも通りですね。進軍し、蹂躙し、勝利する。何も特別な事はありません」
「そうか・・・やはりそうなのだな。確かにお前にとってはいつも通りの勝利なのだろう・・・だがなウェルター。その連勝が当たり前といえる人物こそが異常なのだよ」
「・・・?」
父は何を言いたいのだろうか?
「ウェルター、この父の言葉をよく聞きなさい。お前は誰よりも強く、誰よりも優れていて・・・そして誰よりも美しい。本当に我が息子かと疑うほどに完璧な人間だ」
私を賛美する父の、しかしその顔は何故か憂いに満ちていた。
「しかしウェルター知っているか? 領民達がお前の事を何と呼んでいるのかを・・・」
「ああ、なるほど・・・今日はその話ですか」
父の言葉で私はようやく納得がいった。家督を私に譲って隠居していた父が、重い腰を上げてわざわざここまでやってきたその意味を・・・。
「ウィリアムあたりがいいつけましたかな?」
「そうかもしれぬな、 ”鮮血伯爵”よ」
”鮮血伯爵”
休むこと無く数多の戦場に出撃し、残虐なまでに圧倒的な勝利を収めてきた私は、いつしかそう呼ばれていた。
敵の返り血で塗れた無敗の伯爵・・・”鮮血伯爵”の名は、周辺諸国にまで轟いて、恐怖の対象となっているらしい。
下らない呼称だ。だがそれが恐怖の対象になっているという事実は悪くない。恐怖という感情は非常に扱いやすいのだから。
「それがどうしたというのです父上。知っての通り、私は優秀だ。最近の連勝を鑑みても、皇帝陛下から公爵の位をいただくのも時間の問題でしょう。私はアナタから譲り受けた領地を順調に守り、育てている・・・何か不満でもあるのですかな?」
「・・・ウェルター、お前は優秀だ。だが一つだけ致命的な欠点がある。・・・・・・お前は優秀すぎるが故に、他者の心が理解できない。”鮮血伯爵”と恐れられる領主の民に、誰が進んでなりたいと思うのだ?」
父は重苦しい表情で続けた。
「ウェルター・・・家督をウィリアムに譲る気はないか?」
「・・・・・・なんですって?」
ウィリアムは私の実の兄・・・その無能さ故に家督を私に奪われた男だ。
「父よ、私があの愚兄に劣るとでも言うのですか?」
「能力で言えばウィリアムはお前に劣る。しかしウィリアムは凡人が故に民から恐れられる事はないのだ」
「・・・父よ、考えを改める気はありませんか?」
「ない・・・・・・すまんなウェルター。お前が優秀すぎたが故に、いらぬ責務を負わせてしまった・・・これは私の落ち度なのだ」
悲しげな声で謝罪する父に、私は無言で立ち上がると彼の側に歩み寄った。
「・・・人の心ならわかりますよ父上。アナタはただ怖いのです」
「ウェルター?」
不審な顔をする父に、私はあくまでも優しげな声音で続ける。
「アナタは私が怖いんだ。優秀すぎて自分の理解の及ばない領域に立っている私の事が・・・一度も敗北をしたことのない自身の息子が怖いのです。だからウィリアムを領主に置こうとしている・・・凡愚たる彼ならよく理解できるでしょうからね」
そして私は懐から短刀を抜くと、神速の動きで父の喉元を切り裂いた。
信じられないとばかりに目を見開いて喉を押さえる父。その様子があまりにも間抜けで、私は思わず笑ってしまった。
「残念ですよ父上・・・わかっていた事ですが、アナタもまた愚かな存在でした」
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