1-1 地下20メートルの戦場
人類は、生まれながらにして戦うことを宿命付けられた存在だ。まだ世界が広大な原野だった頃、石と棒を使って行われた史上初の戦闘行為から数百万年。秩序、正義、あるいは神の名のもとに──知恵という武器を身にまとったこの凶暴なサルは、思いつく限りありとあらゆる理由を並べては同族殺しを続けるという奇妙なライフサイクルを営み続けてきた。
喜ばしいことに今は科学文明の時代だ。誰かを殺すという行為はいとも簡単に行える。街を歩いていて急に殺人の気分になったとしても、もう手頃な石を探してきて相手の頭を叩き割ったりする必要はなくなった。というのも、大きな争いが起こるたび、ヒトは新たに、より効率的な殺しの道具を生み出して文明を発達させてきたからだ。棍棒から剣へ、剣から銃へ──そして飽くなき効率化の果てに生まれた、究極の戦闘機械が二脚型戦術戦闘システム、通称ウォーカーである。
ウォーカー。半世紀以上前、世界統一戦争の泥濘の中で産声を上げた戦場の革命児。車両では突破不可能な地形に対応するために2本の脚を持ち、断崖の登攀から即席爆発装置(IED)の解体まであらゆる任務を単機で遂行するべく2本の腕が装備された。人類が生まれ持った命題である「同族殺しの効率化」への最適解は、生みの親である人類そっくりの姿をとったのだ。こうして生まれたディーゼル・エレクトリック駆動の機械人形達は、今この瞬間も戦いを続けている。廃墟で、密林で──そして、大荒原の地下20メートルに広がる、謎の大坑道で。
「この先の隔壁を抜けると未踏査区域に入る。全機、警戒を厳とせよ!」
黒く湿ったコンクリートの回廊に、鉄人達の足音がこだまする。その数、5機。年式、武装、製造国すらまちまちの雑多なウォーカーで編成された寄せ集めの傭兵部隊。共通点といえば、左肩にペイントされたお揃いのエンブレムだけ。振り上げた拳をかたどった赤いエンブレムは、ベテラン揃いと名高い大手傭兵組織「ローラシア親衛自警団」のものだ。
先頭では巨大な投光機を頭部に据えたウォーカーが通路の闇を照らし、後続のウォーカーは20mm機関砲やロケットランチャーを構えて死角を警戒する。その中の1機のパイロットとして隊列の中程を進むアレクシス・ヘインズは、顔も見たことのない僚機パイロットからのありがたい忠告をインカム越しに聞き流し、はいはいと適当に相槌を打ってからシートに深く腰掛け直した。今日のアレクシスの瞳には、プレアデス星団のような輝きが灯っている。今日は買い換えたばかりの最新鋭機の初陣なのだ。真新しい機内には、新品のウォーカー特有の芳しいプラスチックの香りがまだ残っている。背中に響くエンジンの振動さえも、彼の出陣を祝福しているように感じられた。
「『トーチヘッド』号より後続機へ。隔壁を破壊する。強い閃光に備えろ」
厚さ数メートルはあろうかという巨大な鉄扉を前に、隊列が歩みを止める。先頭の機体は無線通信で後続に注意を促すと、ウォーカーの背丈の半分ほどもある棒状の機材を背部マウントラッチから取り出した。サーマルランスと呼ばれる、強固な障害物を切断除去するための装備だ。圧縮酸素の力で先端から摂氏3000度の高熱を発生させ、鋼鉄すらバターのように両断してしまう。
「総員、本機から目を逸らせ。光でセンサーが焼き付くぞ」
指示に従い、各機が一斉に180度回頭する。トーチヘッドのマニピュレータが器用に先端を扉のラッチ部分にあてがった瞬間、猛烈な火花が上がり、閃光が周囲を真昼のように照らし上げた。そのまま格闘すること僅か数秒。ゴトリと重い金属音が響き、支えを失った扉が自重でゆっくりと手前に開き始める。
この世界の有り様は半世紀以上前の世界統一戦争と、その後の長い暗黒時代で大きく様変わりしてしまった。旧世界の全てが戦火に沈んだ後、焼け跡から生まれた新たな秩序のもとで再編されつつある世界。そうした中で時代から取り残され、忘れられていった旧世界文明の産物は数多い。今アレクシス達が進んでいる巨大な地下坑道もその一つだ。ウォーカーが歩き回ることを想定していたとしか思えない、程良い広さに作られているが、誰が何の目的で作ったものなのかは分かっていない。そこでウォーカー乗り達に調査の依頼が回ってきた、というのが今回の任務のあらましである。
「はぁーあ、そろそろ野盗の1機でも出ないかな? 早くこいつの性能を試したいぜ」
扉の前で立ち止まった僚機の背中だけが延々と映し出されるメインモニタを睨みつつ、アレクシスは呟いた。狭いコクピットの中には、アレクシス一人を除いて誰もいない。こうして独り言を言えるのも、最新鋭機ならではの特権なのだ。いまアレクシスと行動を共にしている他の機体も含めて、傭兵たちの間で普及しているウォーカーの大半は2人乗りの第2世代。搭載火器やマニピュレータの操作を担当する砲手と、脚部の操縦を担う運転手が協力して機体を動かす。3人の乗員を必要とする第1世代ウォーカーも、二線級の任務では未だに現役らしいと聞いている。そんな中、アレクシスが乗っているのは1人で全ての操縦をまかなえる第3世代、それも名機の誉れ高い「S-334スヴェトリャーク」。進化したデジタル制御システムでより直感的な操縦を可能にしたハイエンドモデルだ。全身の大部分で内部フレームが露出している細身の機体だが、被弾が予想される箇所には避弾経始を考慮した流線型の装甲が施されている。スポーツバイクを彷彿とさせる流麗なデザインと、完全新規設計のフレーム構造によりこれまでのウォーカーと比べずっとスリムに、人間に近い姿になったシルエットには、これこそが未来だ、我々が先祖代々待ち望んできた巨大人型ロボットだと見る者に訴えかけるような魅力がある。炊飯器から手足が生えたようだった旧世代機とは大違いだ。傭兵達の機材調達元である中古ウォーカー市場に第3世代機が出回る事自体が珍しい上、これほどの高級機となれば傭兵の世界では持っているだけで一目置かれるほどである。こんな機体を未使用同然の状態、しかも破格の安さで見つけられた自分は本当にツイた男だ。アレクシスはそんな事を思いつつ、まだ保護フィルムが貼られたままのコンソールパネルを撫でた。
「ようお前、いい機体乗ってんな! そいつで何体仕留めたんだ?」
隔壁が開くのをすぐ隣で待っていたウォーカーの砲手が、胸部のハッチから身を乗り出して声をかけてきた。やはり人目を引くようだ。アレクシスもコクピット天井のハッチを開き、同じように顔を出す。
「まだ0機! 今日がこいつの初仕事なんだ!」
ウォーカーの背部で唸るディーゼルエンジンに負けないよう、声を張り上げる。
「そうか、敵が出てきたらそん時は期待してるぜ!」
髭面のパイロットはそう言い残すと手を振りながら機内に消えていった。アレクシスはウォーカーから半身を出したまま、インカム越しに違う相手との会話を始めた。
「どうだウィル? 扉の向こうは見えてきたかー?」
交信相手はウィル・C・スチュアート。子供にしか見えない童顔と華奢な身体の持ち主である彼は、ウォーカーを操ることにかけては類まれな感性の持ち主だ。
「まだ何も。……今日の先輩、戦いたくてウズウズしてますね」
アレクシス機の運転手として長年ひとつメインハッチの下で戦い続けてきた唯一無二の相棒は今、アレクシスから見て通路の反対側、隔壁を破壊してくれたトーチヘッドのすぐ後ろの機体の中。機体名は「スーパージャグ」。重装甲、高トルクが持ち味の旧型機だ。元々は二人で乗っていたこの機体も、脚部操縦補助用のシステムを増築されたことで1人乗りとなり、アレクシスが新型に乗り換えるのを機にウィルの専用機となった。
「こちらトーチヘッド、先行して安全を確認する。指示があるまで待機せ」
──よ、と言い終える直前だった。半開きの扉を覗きこんでいたトーチヘッドの頭部が爆ぜたのは。
「なんだ!?」
投光機の明かりを失い、周囲が闇に包まれる。示し合わせたように各機が灯火類を一斉に全点灯する。その時彼らパイロットの目に飛び込んできたのは、扉の向こうに居た何者かからの銃撃を受け、ぐらりと倒れこむトーチヘッドの姿だった。
「て……敵襲だ!」
残る4機のウォーカーが一斉に扉から後ずさる。アレクシスは危険を察したヤドカリのようにその身を機内に引っ込めると、操縦桿を握り火器の安全装置を解除した。待ちに待った戦闘だ。アレクシスの胸の高鳴りに呼応するようにエンジンが雄叫びを上げる。S-334スヴェトリャークは血気盛んな若いパイロットの操縦に応え、背中にマウントしていた57mmライフルを取り出してコッキングした。敵が何者で、どれ位の戦力かは不明。だがこの入り組んだ地下通路を通ってきたという事は、敵もウォーカーで間違いないだろう。戦闘車両や歩兵の類ではあるまい。相手に取って不足なしだ。
反対側からの強い力で扉が一気に開け放たれると同時に、鉛弾の雨がアレクシス達の部隊を襲った。咄嗟にフットペダルを操作すると、アレクシス機は人間のように滑らかな動きで扉の脇の壁に貼り付く。第2世代機に乗っていた頃には感じたことのない操縦感覚。まるで自分の手足の延長のようだ。
(凄い……凄いぞ、この機体は)
一瞬前までアレクシスがいた場所に、秒速900メートルで殺意の奔流が迸る。メインモニタを左から右へ、流星群のように飛び交う曳光弾の輝きに見とれつつ、操縦桿を握る彼の手は興奮に震えていた。もし彼が乗っていたのが第2世代以前の機体であったなら、他の僚機達のように弾雨に晒されながら右往左往するしかなかったところだ。
「野盗だ! 第2世代が3機!」
運良く安全地帯に滑り込んだアレクシスの眼前を、敵ウォーカーが機関砲を乱射しながらゆっくりと通過する。サイケデリックな原色の塗装に、極端に短く切り詰められたガニ股の脚部。エンジンを収める背中からはクローム処理された異様に長いマフラーが何本も、インディアンの飾り羽根のように突き出ている。実用性は無いに等しい改造だが、丸腰の近隣住民を脅して金品を巻き上げるには最適だろう。典型的な野盗仕様だ。右腕に携えているのは対ソフトターゲット用火器として普及している20mm機関砲で、軍用仕様のウォーカーを正面から撃破できる威力ではないが、覗視孔や関節部、燃料タンクといった弱点に弾が飛び込んできても無事でいられる保証はない。
「こ、こちらトーチヘッド……!」
ノイズ混じりの声がインカムに響く。確かにトーチヘッドからの通信だが、さっきまでとは声色が違う。
「大丈夫か! 被害は!?」
「砲手の出血が酷い! いま手当てしてやってるが、このまま戦うのは無理そうだ」
声の主は運転手のようだ。こうして会話している間にも、時間は刻一刻と過ぎていく。戦場では生きるも死ぬも一瞬で決まる。
「負傷者が出たぞ! 撤退だ!」
仲間の誰かが通信機越しに叫ぶ。戦闘任務では最後の一兵まで戦うことで知られるローラシア親衛自警団だが、たかが廃坑道の調査で死人を出す訳にはいかない。他のパイロット達もきっと同じ考えだろう。だが彼は違った。
「待ってくれ! 俺に考えがある!」
アレクシス・ヘインズである。
ウォーカー同士の遭遇戦では、基本的に仕掛けた側が圧倒的に優位になる。先攻側がただホースのように弾を垂れ流しているだけで、後手に回った側は次に打つ手の選択を、まさに今攻撃を受けているというプレッシャー下で迫られることになるからだ。しかも、この狭い一本道では打つ手と言ったところで「進む」「下がる」「その場で反撃」程度の手札しか与えられない。歴戦の傭兵達が、明らかに格下の相手に後れを取っているのはまさにこれが理由だった。
だが、アレクシスの機体は今、この戦いの流れから完全に外れている。敵は扉の脇に隠れていたアレクシス機の存在に気付かず、そのまま素通りしていったのだ。結果的にアレクシスは今、背後から奇襲を仕掛けるのに最適のポジションを得た。あと必要なのは、飛び出すタイミングだけだ。
「俺が背後に回り込んで挟撃を仕掛ける! 3カウントで飛び出すから、それまで敵を引きつけてくれ!」
マイクに向かって声を張り上げつつ、思わず笑みがこぼれる。このウォーカーを歩かせて、それから壁に貼り付かせただけでもこんなに楽しいんだ。トップスピードで駆け出しながら徹甲弾をばら撒いたり、急所を撃ち抜かれて崩れ落ちる敵機をモニター越しに眺めたりしたらどんなに気持ちいいだろう? これだからウォーカー乗りはやめられない。天職だ。
「ウィル、お前が先頭に立て! 俺達の中でその機体が一番装甲が厚い」
「僕が!?」
長年の相棒に指示を飛ばす。帰ってきたのは予想通りの返事だ。
「今日は俺とこの機体の晴れ舞台だ!」
「それと僕が先頭で撃たれまくることとどう関係あるんですか!?」
子供のような甲高い声が耳に響く。だが、本当に子供っぽいのはどっちだろうか? いや、分かっている。アレクシス自身も分かっているのだ。今日の自分が新しい玩具を買ってもらった小学生のような気分で戦場に出てきている事くらい。だがこの高揚感の前には、他人の目に自分がどう映っているかなど瑣末な問題に過ぎない。
「帰ったら飯でも何でも奢ってやるからさ、頼む、俺に活躍のステージを作ってくれ!」
「ああもう、仕方ないですね!」
強引に押し切られたウィルが一方的に話を切り上げると同時に、アレクシス機の視界の隅で、彼の操る「スーパージャグ」号がずしりと前方に歩を進めたのが見えた。たちまち敵の全火力がスーパージャグに集中し、正面装甲に弾かれた弾がバチバチと火花を上げる。武器は、背中にマウントしたままだ。銃に被弾して弾薬に引火することを恐れての判断だろう。他の機体も陣形を組み直し、スーパージャグの背後に隠れながらパラパラと弾をばら撒き始めたが、それだけで形勢を逆転するには至りそうにない。やはりここは、アレクシスの奇襲が勝負を分ける決め手になりそうだ。
「カウント開始! ”1”!」
S-334スヴェトリャークの機内から声を張り上げる。2秒後にこの機体は一気に加速し、敵の無防備な背中目がけて襲いかかる。操縦桿を握る手のひらが汗で濡れる。
「”2”!」
ディーゼルエンジン、燃料タンク、予備弾倉──ウォーカーの背中には、パイロットにとって撃たれたくない部位が全て集められている。あと1秒で、その柔らかい背面に57mmライフルを突きつけることができる。発射された高初速徹甲弾は薄い背面装甲を容易く貫徹し、エンジンルームに飛び込んだ上でその内部をズタズタに引き裂くだろう。そして被弾の衝撃で剥離した内面装甲やリベットがコクピット内を跳ね回り、薄汚れたウォーカー乗りの盗賊を挽肉に変えるのだ。
「──”3”!」
アレクシスは一度大きく深呼吸した後で操縦桿を強く握り直し、脚部制御用のフットペダルをブーツで思い切り踏み込んだ。
「行くぞ!!」
全高10メートルの巨人は背後の壁を両手で押し込み、反動を利用して走りだす。機械仕掛けとは思えない、ネコ科の肉食獣のようなしなやかさ。これが第3世代。これが未来だ。それを目に焼き付けてやる。
これだけの急制動にも関わらず、メインモニタに映し出される映像は一切ぶれていない。世界がスローモーションで流れていく。中央に表示されたレティクルと、敵の背面とがぴったり重なる。この瞬間を待っていた。狙うは竹槍マフラーの根本、エンジンルームだ。
敵は皆スーパージャグの正面装甲に弾丸を注ぎ込むことに精一杯。銃声とマズルフラッシュにかき消され、アレクシスの気配は完全に消えている。もしこの時点で敵がこちらの気配に気付いたとしても、振り向くより先に3機全ての背中に風穴が開くだろう。チェックメイトだ。あとはトリガーに意志を込めるだけ。
「もらった!」
アレクシスは機内で一人、獲物を襲う猛獣のように荒く息を吐いた。そして操縦桿に備えられたトリガーを人差し指で勢い良く引ききった瞬間に、
アレクシスの世界が暗転した。
「なんだ!?」
視界が闇に包まれる。メインモニタ、機内灯、その他のインジケータやスイッチ類も一斉に光を失った。戦闘機動を取っていた機体はその場で急停止し、アレクシスは反動で側頭部を機内に打ち付けた。
敵の電子攻撃か、或いは味方の流れ弾が制御系に命中したか。幾多の戦場で鍛えられたアレクシスの頭脳がフルスロットルで回転し、突然のブラックアウトからの脱出法を、生きる方法を算出するべくもがき出す。だがその答えは、意外な所からもたらされた。静寂が支配する機内で、コンソールパネルに備えられた小さなブラウン管モニタだけが突然息を吹き返したのだ。慌てて覗き込むと、そこには殺風景なブルースクリーンと、何の可愛げもない白のゴシック体だけが映し出されていた。
「戦闘システムをアップデートしています。完了するまで機体の電源を切らないでください……」
そのメッセージが視界に飛び込んできた瞬間、アレクシスは思い出した。このハイテク電子制御二足歩行メカには、OSのオプション設定に「システムの自動アップデート」なる項目があったことを。数日前の偵察任務中に「システムの自動更新が予約されています」などというメッセージが何度か表示されていたことを。そして、面倒そうだからと適当にそのダイアログを閉じ、整備を委託しているメカニックにもその事を相談していなかったことを。
操縦桿を握るこの手の震えは、今までの戦闘への興奮によるものとは違う。説明書を熟読するなり、ハンガーでの整備に立ち会うなりして、もっと自分の機体について知っておけば。アレクシスの口から、自らの心の叫びが漏れ出た。
「畜生、俺の大馬鹿野郎……!」
それからしばらくの間、アレクシスは止まった機内で自らの行いを懺悔したり、残された仲間たちの身を案じたりしていたが、程なくして棒立ちの機体はそのまま転倒し、アレクシスはヘッドレストにしたたかに後頭部を打ち付けた。彼の世界が再び暗転する。
S-334スヴェトリャークが地に伏せるより、2分ほど前。
アレクシスが身悶えしながら頭を抱えたり、コンソールパネルを殴りつけたりしている間も、ウィルは隊列の先頭で敵弾を一身に受け続けていた。
幸いにも、彼が駆るスーパージャグの機内に弾は飛び込んできておらず、駆動系や電装系も無事のようだが、外界の情報を得るためのカメラは既に1基残らず潰れている。度重なる被弾の衝撃でメインモニタも完全に死に、機内は真っ暗。予備の覗視孔から外界の光が細く差し込んでいる。こんな中でひっきりなしに被弾音が耳をつんざき、尻の感覚が麻痺しそうな振動がシート越しに伝わり続けているのだから、頭がどうにかなりそうだ。まるで掃除用具入れに押し込められて、金属バットを持った不良に外からどつき回されているようだ。
(ああもう、先輩何やってるんだろう……)
アレクシスは3カウントで突撃すると言っていたし、実際3つ数えた後で「行くぞ!」「もらった!」などとアニメの主人公のような掛け声を響かせていたが、どうしたわけかその後に攻撃を仕掛けた様子がない。覗視孔を使えば外の様子が分かるはずだが、この猛攻撃の下ではとても顔を近づける気にはなれなかった。防弾ガラスが嵌っているとはいえ、覗視孔は正面装甲に開いた穴。弱点に他ならない。不用意に覗き込むと、自分の眉間めがけて飛んでくる敵弾をじっくり目に焼き付けてから死ぬ羽目になりそうだ。
「おい! アイツ、何であんな所で固まってるんだ……?」
ウィルの機体を盾にしながら攻撃の機会を伺っていた僚機が、怪訝そうに呟いた。ウィルの目には何も見えないが、どうやらアレクシスの機体に何らかの異変が起きたらしい。
「固まってる……?」
「ああ、あの野郎カッコ付けて飛び出したと思ったら、敵のケツを真ん前にして電池切れみたいに棒立ちになってやがる。もう見ちゃおれん」
後続機のパイロットが苛立ちを隠そうともしない口調で吐き捨てた。その直後、ウィルは自機の横を巨大な物体が横切っていく気配を感じた。ウィルの背後の安全地帯を抜けて、すぐ後ろの機体が前に踏み出したのだ。
「きっ危険です! 下がって!」
ウィルが慌てて制止するが、もはや止めることはできない。
「うるせえ! 俺様の『ロケット69』号がみんな纏めて片付けてやる!」
もしスーパージャグのカメラアイが生きていたなら、すぐ脇をファイアパターン塗装された戦闘用ウォーカーがすり抜けていくのを見ることができただろう。両肩に大型ロケットランチャーを搭載した重火力の「ロケット69」号をもってすれば、目の前の敵機を纏めてスクラップに変えることは容易い。その背後で固まっているアレクシスの身の安全は保証できないが。
「まっ、待って……!」
相方の身を案じたウィルの嘆願もむなしく、ロケット69はスーパージャグの斜め前に踊りだし、両足を大きく踏ん張って発射体制を取る。
「見てなチビ助! でっけえ花火上げてやる!!」
ロケット69のパイロットがそう息巻いた直後、轟音が坑道の空気を震わせた。
「うわあぁっ!」
空が落ちてきたかのような爆音だった。40トンを超える重量機であるスーパージャグも衝撃にあおられ、たたらを踏む。激しく揺れる機内で、慌てて覗視孔を覗き込む。ウィルははっと息を呑んだ。ロケット69が、爆炎に包まれている。実に下半身だけになった姿で。発射直前のロケットランチャーに被弾、誘爆したのだ。原型を留めているのは脚部だけで、コクピットブロックを含む上半身はバラバラの鉄屑と化して周囲に散乱していた。
「ロケット69がやられた!!」
ウィルの背後に控える最後の僚機が、憔悴しきった声色で叫ぶ。ついに戦局は3対2となり、数的優位を失った形となる。視界の隅で、アレクシスを載せたS-334スヴェトリャークが爆風に煽られてぱたりと倒れる姿が見えた、ような気がした。
燃え盛るロケット69の残骸が、坑道内を不気味に照らし上げる。野盗達はもはや銃を構えることすらせず、勝ち誇ったようにじわりじわりと歩み寄ってくる。その背後にいるアレクシスの機体は壊れた玩具のように倒れたまま、ぴくりとも動かない。止めどなく銃声と弾着音が響いていた先程までと打って変わって、全てが死んだように静かだ。
「くそっ、こんな奴らにここまで押されるなんて……!」
インカムの向こう側から、口惜しげな声が響いてくる。ウィルはといえば、幅50センチもない覗視孔越しの視界だけを頼りに、目の前の状況を打破して生き残るための術を探していた。
(落ち着け……落ち着けよ僕……きっと何かまだ手の打ちようが……)
敵ウォーカーの足音が焦燥感を駆り立てる。しかしどれだけ悩んだところで、勝算はもはやゼロだ。これだけ機体にダメージが蓄積していては、携行している105mm砲が撃発できるかすら怪しいし、立っているのがやっとの状態で格闘を仕掛けるなどもってのほかだ。となると、逃げるか降参する位しか選択肢がないという結論になるが、逃げ切れる保証もなければ、無法者どもが降伏を受け入れてくれるという保証もない。ウィルの頭脳がハングアップを起こしそうになった、まさにその時である。
坑道内に突如として、遠雷のような重低音が響き渡った。その直後、コクピットの天井を硬く細かな何かがコツコツと叩き始める。ゆらり、ゆらりと機体が揺らぐ不気味な感覚。これから起きるであろう事態を予感して、ウィルの全身の毛が逆立った。
(坑道が……崩れる!!)
先程起きた大爆発はロケット69の上半身を粉砕するだけに留まらず、地下坑道の構造そのものにも修復不可能なほどの損傷を与えていたのだ。たちまち大地が嵐の海のように鳴動し始め、振動に耐えかねたスーパージャグの脚部が金属質の悲鳴を上げる。
「生存者を連れて脱出しましょう! トーチヘッドの救助を頼みます!」
眼前まで迫っていた敵機も、生き埋めの危機の前に脱兎のごとく離脱を開始した。ウィルはボロボロの機体が転倒しないよう必死にバランスを取りながらアレクシス機のもとに辿り着き、首元のドラッグハンドルを掴んで走りだした。大音響とともに天井のコンクリートが崩落し、つい先程アレクシス機が倒れていた場所に落下する。もうもうと上がる土煙。ウィルは小さな身体を野ウサギのように震わせつつ、ただ生きて空の下に出られることだけを願って操縦桿を握りしめていた。
それから、どうやって地上に帰ってきたのかはよく覚えていない。気が付くとそこは荒野の真ん中。地上に出て最初にやったことといえば、満月の下でコクピットハッチを全開放し、ともに脱出したもう1機のウォーカーの乗員とともに外の空気を胸いっぱい吸い込むことだった。そして、その空気を思い切り吐き出す──つまり、溜息だ。
「はぁ……今回の任務、いくらの赤字になるんだろ……」
まだ機内で絶賛失神中であろう相方の心配より先に胸をよぎったのは金のことだ。全身弾痕だらけで月面のような風合いになってしまったスーパージャグの装甲板と、坑道内を引きずられ続けた結果、すりおろし途中の生姜のように背中がまっ平らになったS-334スヴェトリャークを交互に見やり、ウィルは頭を抱えた。この2機の修理代だけでも相当な痛手になりそうだ。当分、高い肉は食えそうにない。自走不可能になった機体を回収する車両や、重傷を負ったトーチヘッドの乗員のための救急チームもじきに到着するはずだが、当然これらのサービスもタダではない。生き残ったメンバーの給料から天引きである。おまけにたかが調査任務、たかが野盗3機にこの有り様となれば、始末書と減給の2ヒットコンボは免れないだろう。アレクシスと2人で1チームの契約になっていたことを、この時ばかりは心から呪った。
文明の光から隔絶された大荒原で望む星空は、嫌になるほど美しかった。こんな気分でさえなければ、さらにこの数倍は綺麗に見えたに違いない。硬いシートに腰掛けて夜風に吹かれつつ、ウィルはただぼんやりと自分の行く末について思いを巡らせていた。
ウォーカー名鑑 #2
ドービンス・アーセナル M95ウォーキング・フォートレス改 "スーパージャグ"
防御力に重きを置いて設計された重量級第2世代ウォーカー。陣地防衛や敵拠点の攻略といった苛烈な戦闘を想定し、ローラシア正規軍の要請によって開発された。
鋳造装甲を多用した、丸みを帯びたフォルムが外見上の特徴。最大200ミリの重装甲をまとった機体を、船舶から流用したディーゼル機関で強引に駆動させる。防弾性を高めるために頭部を廃しており、メインカメラは胸部に埋め込む形で搭載されている。
本機にあてがわれたエンジンは機体重量に対してアンダーパワー気味で、常に過負荷が掛かっている状態だったため頻繁なエンジン交換が必要だった。加えて、機体フレームが持つペイロードの大半を装甲の重量に食われてしまっており、前衛を努める機体にも関わらず自衛火器すら満足に搭載できない点には不満の声が多かった。こうした問題から、本機はローラシア軍において制式化から半年と経たずに第一線を退き、生産された機体の大半が払い下げ品として売却されてしまった。
欠陥機の烙印を押され、正規戦の世界から早々と姿を消してしまった本機だが、ほとんど実戦に参加しないまま退役したため新古品が中古ウォーカー市場で大量に流通しており、傭兵や民兵の世界では重装甲ウォーカーの定番として高い人気を誇る。欠点を補う改造を施されながら今なお多くの機体が運用されており、ウィルの搭乗する「スーパージャグ」もその1機。エンジンパワーの不足という問題を解決するため中量級ウォーカー用のエンジンを2基搭載する改造が施され、重量級ウォーカーらしいパワフルな機体に仕上がっている。
全高: 10.2m
全備重量: 約45.3トン
発動機: クリーヴランド660型水冷V型12気筒ディーゼルx2
最高速度: 25km/h
装甲: 鋳造装甲、最大200mm
固定武装: グレンジャーM6 12.7mm多目的機銃x2(胸部)
M38 7.62mm対人機銃x4(両手甲に2丁ずつ格納)
発煙弾投射器x2(両肩)
携行武装: 峰和鋼機 25式105mm榴弾砲x1
乗員: 1〜2名