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第九回 【痴態を衆目に晒すことも憚らず】Part2

「ちっとも親友じゃなかったッパ……」

「何の話だ?」

 大和と別れた銀河と遊乃卯の二人は、再び城所邸へと戻っていた。

 時刻はまだ八時過ぎ。玄関先で向かい合う二人。

「あの大和君、本気で殺す目してたもん。あんなの、親友じゃないッパ」

 遊乃卯はちょっとガッカリだった。

 緒方大和という人物が、日常生活に支障を抱えていること歴然だったので、きっと銀河だけが彼にとっての頼りだと、幼馴染だけが頼みの綱だと、親友だけが唯一の心の支えだと、そんな胸の熱くなる友情の美しき造形を期待したのに。

「お前があまりにも浅はかすぎて、論破してやる気すらなくなったぞ」

「クヮ? どういうこと!」

 こちらを小馬鹿にしているような銀河の口ぶりに、遊乃卯は心穏やかではいられない。

「あんなんじゃ全然駄目ッパ! 本当の親友なら、もっと優しくなって、困っているのを助けなくっちゃ!」

「それは俺が常に念頭に置いている最重要課題のはずだが……」

「どこがなの! そりゃ、大和君にも問題はたくさんあると思うけど、それだって、友達なら言ってあげられることがあるはずなの!」

「それは例えば、お前がさっき口走った、対人関係の築き方マニュアルみたいなやつか? あるいは気の持ち方とか、そういった精神論のことか?」

「それでも良いと思うの。確かに、大和君は文句ばっかり言ってて、自分で何も努力してない感じがしたけど……」

「そうだな。お前の言った通り、報われない状況を改善するためには、まずは自分から努力をすることが大事だ。あいつに欠けているのはそれだ。だが……」

 銀河は細い両腕を胸の前で組む。

「それを逐一、本人の前で面と向って言ったところで、果たして効果があると思うか?」

「うっ。そ、それは……」

 指摘され、遊乃卯は俄かに気勢を挫かれる。

「往々にして、病んでいる人間に、そいつの精神的病状をありのまま叩きつければ、更に心の障壁を堅固にし、小さな魂を必死で保守しようとする拒絶の防壁は、より一層、高く分厚くなり、その傷つきやすい心は尚一層、堅い殻にこもってしまう。『お前はこういうところがダメなんだ。だからこうしなきゃいけないんだ』そう言われたところで、素直に受け入れて改善しようとする奴なんて、ほとんどいない。そいつのためを想って言ったのに、言われた方は、『攻撃された』『馬鹿にされた』『傷つけられた』と受け取ってしまい、更に意固地になってしまうのが関の山だ」

「それもそうかも……って、もしかして、それって経験談?」

「…………」

 遊乃卯の問いに、銀河はクイっと首を明後日の方角へと向けた。

「さ、て、と。これから俺は方々、あっちこっちへ行って来なきゃならないのだが……我が娘よ。せっかく未来から来たのに、過去世界観光もさせてやれなくてすまないな。悪いが忙しいんで、お前の相手をしているヒマはないんだ」

「クヮ? ちょちょっと、どこ行くの?」

 遊乃卯は、いそいそと出かけようとする銀河を引きとめんとする。

 そんな遊乃卯の手を振り払うように、銀河は謎めいた言い訳を並べ立てる。

「だから方々だ。俺には他にもやらなきゃならないことが山ほどある。お前一人にすべてを注ぎ込むわけにもいかないのだ。二手三手先を権謀せねばならぬ。伊達に城所家の財産の半分以上を管理し、その運用を任されているわけじゃない。俺に課せられた職務の量を鑑みれば、この身が一つしかないのは、あまりに酷な条件といえる。それぐらい多忙なのだ」

「って、大和君も言ってたけど、学校には行かないッパ?」

「学生の身分など……俺には役不足だ。おっと、未来の娘よ、お前の時代では『役不足』という単語の意味は、既に『力不足と同義』になっていると思われるが、この2015年の日本語文化内では、役不足という言葉は、『その人にあてられた役が不相応に軽い』という意味なんだ。つまり、俺は一介の高校生の身分に納まっているような器ではない……そういうことだ」

「そういうことって、どういうことなの?」

 銀河は遊乃卯の問い掛けには答えない。

「夜には帰るが、程よく遅くなるだろうから、腹が減ったら冷凍庫の中にあるインスタント食品を温めるように。それじゃ、留守を頼んだ」

「ちょっと、ちょっと」

 しかし、遊乃卯の手は空を掴んだ。

 銀河は華麗に身を翻すと、彼女の後ろに回りこみ、素早く、その明るい髪に触れていた。

「え……?」

 遊乃卯は突然のバックポジションに唖然となって、金縛り状態になる。

 父親である同じ年頃の青年の両手が、自分の髪の毛をすいている。

 遊乃卯は身動きが取れない。心臓が早鐘を打つ。

「おろしたのも悪くないと思うが……俺の娘役なら、やっぱりコレが良いだろう」

 銀河は手ぐしで遊乃卯の髪を操り、二つの束にさいていく。

 どこからかヘアゴムも取り出し、全く抵抗を許さないうちに、あっという間に、彼女の髪を二つに結んでしまった。

「王道はこれ……ツインテール」

「あ……」

 その時、遊乃卯は赤く染まっていたであろう自分の頬が決して銀河には見られなかったことで、何かのお呪いの秘密が無事に守られた時のように安堵した。

「よし。じゃあ、行ってくる」

 銀河の言葉に、遊乃卯はようやく我に返る。

「い、行ってくるって……ユノはどうすれば」

「ああそれと、『憮然』という単語も、『ムッと腹を立てている様子』という意味ではなく、本来は『失望している』『驚き呆れている』という意味だ……が、まぁこれは近年中に辞書が書き換えられるだろうな。とにかく、良い子で待っていろよ」

「わ! ま、待って!」

 だが、遊乃卯の鼻先で堅い扉はピシャリと閉じられた。

 銀河は行ってしまった。耳鳴りのする沈黙を置土産に。

 後には髪を二つに結ばれた小柄で愛らしい少女が、ムッと腹を立てているような、または驚嘆し失望しているような、どちらともとれる憮然とした面持ちで、ポツンと一人取り残されていた。




「ケルル! 何だよ、勝手に!」

 遊乃卯は玄関先で閉ざされた扉を前にしながら、しばし憤然となっていた。

 何て自分勝手で一方的なんだろう。

 未来から自分の娘が来たんだから、もうちょっと驚いたり、不思議に思ったり、関心を示したりしてくれてもいいのに!

「こんなはずじゃなかったッパ……」

 気がつけば誰もいないエントランスで、未来の俗語を混ぜた独り言を呟いている。

 遊乃卯は釈然としないまま、傍らの鏡を覗いた。

 両サイドに結ばれた自分の髪を見る。

 その顔は曇り空のように沈んだ表情だったが、ツインテールという髪型は、彼女のまだ幼さの残り香を有する顔立ちに、確かに似合っていた。

 結った明るい色の髪の先を、片手でもてあそぶ。

(悪くない……かも。仕方ない、あいつが帰ってくるまで、家の中で待ってよう)

 鏡の中には何かを諦めたような、でもそれは決して後味が悪いとも言い切れない、あどけない十代の少女の孤独な表情があった。

 遊乃卯は鏡から離れると、最初は銀河の住まいである方へと続く、向かって左側のドアを開こうとしたが、その先に再び待っているであろう屈曲した家の構造が、自分の父親である彼のひねくれた性格そのものを表しているような気がして、途端に嫌気が差した。

 対して玄関口の向かって右側は、まだ足を踏み入れていない領域であった。

(フン、ユノはこの家の子に違いないんだから、家の中をどこにいっても、文句を言われる筋合いはないッパ)

 玄関の右側、上がり口の先……この家屋の東側部分こそが、来訪者に差し出される本当の進路であるように思われる。

 遊乃卯は少しの緊張を感じながら、そちらの方へと歩を進めた。

 家の東側には、平常な日本の一軒家の、ごく普通の景色が広がっていた。

 壁はねじれていたりせず、冗談のように狭い通路も存在せず、ちゃんと正しい数値で設計された家の作りだった。

 たとえ中に家の人がいたとしても、適当に言い訳して居座ってやる! 何か言われたとしても、未来からやって来たか弱い少女をほっぽってどっかへ出かけてしまうような銀河が悪い! そう遊乃卯は心の中で意志を固めた。

 それは散々自分を蔑ろにした銀河への、ささやかな反抗の印であった。

 だが、正常な家のつくりの住居スペースは静まり返っていて、どうやら誰もいないようであった。

(銀河の両親も、どっかへ出かけたのかな?)

 息子が「多忙だ多忙だ」と言っていたぐらいだから、その親が朝早くから不在であっても何ら不思議なことではない。

「な~んだ、ざんねーん、せっかくご挨拶したかったのにー」

 と、無人の居間で大声を発し、調度された立派なソファーに小柄な体をダイヴさせる遊乃卯。

 彼女ははじめ、少し意地悪になってはしゃいでやろうと意気込んでいたが、家の中があまりに静かで、一人で騒いだところで返ってくるのは虚しい静寂ばかりと知り、なんだかイライラしていた気持ちも鎮火し、他にやることもないので、おもむろに置いてあったリモコンを取ってテレビをつけた。

「アロ~~……」

 同じ家系の人間とはいえ、余所様の家のソファーで勝手にごろごろする少女。

 藤色の作業着のようなつなぎ服に、二つに縛った髪型はとても魅惑的だったが、つまらなそうに横になっている様は、なんともだらしがない。

 遊乃卯はテレビのリモコンを片手に持ち、チャンネルを次々に変えていく。

「うぅ……おもしろくないッパ」

 通販。通販。見たことも聞いたこともない有名人のスキャンダル。通販。大根役者たちが演じる安いテレビドラマ。通販。不要に恐怖心を煽ろうとする災害対策。そして通販。

 彼女の気に入る番組はやっていなかった。

「おかしいの……この時代に作られたアニメは、すんごいおもしろかったのに……」

 閉ざされた環境の中で育った遊乃卯にとって、過去の名作として人々に愛され続けてきたアニメ作品の数々は、何よりもの娯楽であった。

 彼女にとって、それら二十一世紀初頭のアニメ作群は、どれも思い入れのある大切なものばかりであった。

 実際にその時代に到達した暁には、生で放映されているものを観てみたい! そう思っていたのに……

「やってないの……どうしてだろ?」

 どうやら城所家は専用チャンネルに加入していなかったのであろう。

 いくらチャンネルを切り替えても、遊乃卯が望むアニメ作品にはめぐり合うことができなかった。

 そんな風にして、午前中からずっと各局の番組をころころと変えながら、遊乃卯は暇を潰していた。

 特に興味をそそられるものは見当たらなかった。

(ずーっと、アニメを流してれば良いのに……)

 ソファーの上で憂鬱な表情をしながら、遊乃卯は窓の外を眺めた。

 この位置から、庭にある大きな一本の木が見える。

 何の木だろう?

 まだ蕾は開いていない。もう少し暖かくなったら、あの木にも花が咲くのだろうか……

 遊乃卯は満開の花というものを、写真や映像の中でしか目にしたことがない。

 もし、あの蕾が開いて花が咲くのなら、見てみたい。

 どんな美しい花を、あの木は咲かすのだろうか。

 そんなことをぼんやり考えていると、意識が睡魔の誘惑に侵されていく。

 まだ、薄い日輪は空高くにあるというのに……。

(あぁ……疲れが襲ってきたんだ。一晩中、旅をしていたから)

 タイムトラベルを可能とする時空トンネルが遂に開通した。

 防護スーツを厳重に装着し、改良型絶対安全カプセルに搭乗した。

 激しい振動と空間の捻じれに晒されながら、三十年もの時を逆行した。

 意識を取り戻した時、そこは元いた場所と似て非なる雪景色の中だった。

 遊乃卯が育った施設は当時、城所重工が極秘に管理している研究所の一つだと聞かされていた。

 信州は長野県の山奥にあるその研究施設は、日曜夜のためほぼ無人で、遊乃卯は誰にも見咎められずに外へ出ることができた。

 地図はすべて渡されていたが、夜闇に包まれた森の中は大層歩きづらく、降りしきる冷たい雪に衰弱させられた身は、すぐさまの救助を希求してしまった。

 結局、車道を走ってきたタクシーを過去の映像作品で知った見様見真似の挙動でつかまえ、鼻持ちならない壮年の運転手との問答の末、長野・東京間を深夜料金で走らせるという愚行を冒してしまった。

 しかも、運転手に数枚の万札を手渡してタクシーから降りた後で、うっかりこの家ではなく、城所重工の本社を目的地として誤って伝えてしまっていたことに気が付き、どうせ近くだろうと踏んで、今度はそこから埋立地の住宅街へと徒歩で向かってしまった。

 ようやく辿り着くべき処へ辿り着いた時には、とっくに日付は変わり、夜も明けていて、長旅で疲弊しきった身を、それでも必死に奮い立たせて、遊乃卯は所持していた家の鍵を用いて扉を開き、屈折した廊下を歩き、無駄に昇降させられる階段を踏破し、のうのうと眠りこけていた銀河を叩き起こして、寝起きの若き父親に食って掛かった。

(なのに……どうして? ユノ、間違ったことなんて何もしてないのに、なんで……)

 銀河は……自分の父親は、聞かされていた人物像とはかけ離れた青年だった。

 救いなど必要ないと言われた。

 救うなら、彼の親友を救えと、意味不明のことを言われた。

 銀河の親友、緒方大和。

 その大和を目にして、遊乃卯は得も言えぬ不安を覚えた。

 あれは一体なんだったんだろう。

(大和……君か。………………あれ?)

 眠りの境界線へ半歩を踏み出している朦朧とした頭で、遊乃卯は思考を、言葉を、もう一度並べ替えてみる。

 自分が銀河へと向けて発した罵言。

 他人の気持ちが理解できず、平気で他人を傷つけて顧みない。

 常に自分のことしか頭になくて、外見も中身も良いところなど一つもない。

 根暗で陰険で、人付き合いも苦手。

 少しのことですぐに傷ついちゃうくらい意志薄弱。

 そのくせ自尊心だけはやたら高く、いつも他人より勝ってないと気がすまない。

 とはいえ努力を怠っているから学力も乏しく、見識も浅い。

 こんな有り様だから、女の子にも縁がないし、恋人もできなければ結婚も絶望的。

(こ、これって……銀河っていうよりも、大和君のイメージ? どういう……こと?)

 もう一歩深く踏み込んで思索しようとしたところ、遊乃卯のステップは睡魔の魔術で方向を曲げられてしまった。

 眠りが訪れて、小さな少女の思考回路は停止をしてしまった。



80年代のSF傑作小説でも『憮然』が腹を立てているの意味で使われてるんだから、そろそろ誤用とはいえなくなるだろう!

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