第2話 好奇心の塊
少女が慌てた様子で部屋を飛び出してからしばらく経った。
一人になった俺はベッドから降り、改めて部屋の中を見回した。磨き上げられた木製家具に、壁へ埋め込まれた淡く光る結晶。窓には透明なガラスがはめ込まれ、その向こうには見慣れない街並みが広がっている。
どう考えても現代日本ではない。
試しにテーブルの上のコップへ意識を向けると、コップがふわりと浮かび上がった。目覚めた直後にもやったが、何度見ても信じられない光景だ。
やはり魔法である。
異世界転生。
人生で一度は妄想した展開が、本当に起きてしまったらしい。
そんなことを考えていると扉が開き、先ほどの少女が木製の盆を抱えて入ってきた。どうやら食事を持ってきてくれたらしい。
机の上へ並べられた料理はどれも美味しそうだった。湯気の立つスープに焼いた肉、柔らかそうなパン。そして横に添えられていた物を見て、俺は思わず目を見開く。
箸だった。
異世界なのに箸である。
一瞬驚いたものの、すぐに納得した。俺にはラノベ知識がある。きっと俺より前に日本人の転生者がいて、この世界へ文化を広めたのだろう。
そう考えれば辻褄は合う。
先輩転生者の存在を確信しながら、俺は箸を手に取った。
「どうかしましたか?」
少女が不思議そうに尋ねてくる。
「いや、なんでもない」
まさか先輩転生者の存在について考察していたとは言えない。
俺は適当に誤魔化し、そのまま食事を始めた。
料理は驚くほど美味しかった。見たことのない食材ばかりなのに味付けは妙に親しみやすく、特にスープは身体に染み渡るような優しい味がする。
異世界飯としては大当たりである。
空腹だったこともあり、俺はあっという間に料理を平らげた。
少女は空になった皿を見て少しだけ微笑む。
「よかったです」
「ごちそうさまでした」
「後ほど、お話を伺う方がいらっしゃいます」
それだけ言い残すと、少女は食器を持って部屋を出て行った。
お話を伺う方。
言い方からして偉い人だろう。
領主か、それとも執事のような人物だろうか。俺は異世界テンプレを思い浮かべながら、その時を待つことにした。
それから十分ほど経った頃だろうか。
扉が軽くノックされる。
「失礼いたします」
部屋へ入ってきたのは先ほどの少女と、初老の男性だった。年齢は五十代くらいだろうか。背筋は真っ直ぐ伸びており、その落ち着いた立ち振る舞いから只者ではないことが伝わってくる。
少女が食器を回収する横で、男性は丁寧に一礼した。
「私はこの館で家令を務めておりますロイドと申します」
家令。
歴史の本や小説で見たことはある。
だが現実で名乗る人間に会ったことはない。
俺は少しだけ緊張しながら頭を下げた。
「ユウです」
本名を名乗るべきか少し悩んだがやめておいた。異世界テンプレでは、最初から全てを話す主人公は大抵ろくな目に遭わないのである。
「お体の具合はいかがでしょう」
「大丈夫です」
「頭痛や吐き気などは」
「ないです」
「それは何よりです」
ロイドは安心したように微笑んだ。
どうやら尋問ではなく、本当に体調確認らしい。少しだけ警戒を緩めたところで、彼は静かに次の質問を口にする。
「最後に覚えていることはございますか」
俺は一瞬だけ考えた。
本当なら答えられる。オーロラを見ていたことも、その後に意識を失ったことも覚えている。
だが、この世界の常識を何一つ知らない状態で情報を渡すのは危険だ。少なくとも俺はそう判断した。
「気が付いたらここでした」
「それ以前は」
「よく覚えてません」
ロイドは特に追及せず、小さく頷いた。
その時だった。
バタン!!
勢いよく扉が開いた。
「あんたが水晶漬けになってた少年ね!?」
元気いっぱいの声が部屋へ響く。
飛び込んできたのは俺と同じくらいの年齢に見える少女だった。長い黒髪に整った顔立ち。大きな瞳は好奇心で輝いている。
文句なしの美少女だった。
ヒロインだ。
絶対にヒロインである。
異世界転生して最初に出会う美少女。これはもうテンプレだ。きっとこの世界を案内してくれたり、学園へ連れて行ってくれたりする重要人物に違いない。
そんな俺の予想を吹き飛ばす勢いで、少女は目の前までやって来た。
「あんた人間よね!?」
「名前は!?」
「何歳!?」
「なんで水晶の中にいたの!?」
「息できた!?」
「お腹空かなかった!?」
質問が止まらない。
俺は完全に圧倒されていた。
異世界転生に浮かれていた俺より、この少女の方がよほどテンションが高い。
昔見たアニメに、やたら好奇心旺盛なヒロインがいた気がする。確か『私、気になります』が口癖だったはずだ。
目の前の少女はそこまで上品ではないが、方向性はかなり近い。
とにかく気になったら突撃せずにはいられないタイプなのだろう。
「お嬢様、まずは落ち着いてください」
ロイドが困ったように言う。
その後ろでは食器を抱えた少女が小さくため息を吐いていた。
「また始まった……」
どうやら日常茶飯事らしい。
「だって気になるじゃない!」
まあ、それはそうだ。
巨大な水晶の中から人間が出てきたなんて話を聞いたら、俺だって見に来るし質問もすると思う。
ただ、俺はその話自体を知らないのだが。
部屋の中が一気に騒がしくなったところで、俺は小さくため息を吐いた。
どうやら静かな時間は終わったらしい。




