共に歩むもの10*
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昨年の『世界会議』で、東方地域の国々の会議が行われているとき、ペトロルチカの代表(実は影武者だった)が、議論の途中で興奮状態になってしまった。
困った東方地域の方が、当時のローフェンディア皇帝……クラウス皇帝のお父さまに助けを求めた結果、中央地域の元首みんなでペトロルチカの代表(の影武者)の暴走を止めようということになって、東方地域の会議室に乗り込んだ。
そうしたら、たまたま私の後ろに、ペトロルチカの天敵(と言っていいと思う)ミクラーシュ連邦共和国のアイゼルマン大統領がいらしたのよね。
興奮状態でわけのわからない演説をしていたペトロルチカ代表(の影武者)は、何を思ったのか、突然おたけびを挙げながら私の方に……というかアイゼルマン大統領に襲いかかってきた。
そこで私は、アイゼルマン大統領を守るため、そしてこれ以上ペトロルチカ代表(の影武者)が騒ぎを起こさないようにするために、クラウス皇帝のお父上の皇杖を強奪して身代わりの頭を殴打、気絶させた。
その後しばらくして、このペトロルチカ代表の身代わりは命を落としてしまった。
閣僚代表として同行してきていた部下も自殺した。
亡くなった直接の原因は薬物の禁断症状だと聞いたけど、今でも私の心の中で忘れられない出来事になっている。
ペトロルチカの代表が替え玉だったこと、そして亡くなってしまった一連の経緯……私がペトロルチカ代表の替え玉を殴って気絶させたことも含めたすべてを、内密にしておく旨の誓約書が作られた。
中央地域と東方地域の元首たち、そして私も何十枚もの誓約書に署名した。
あのときの私の暴挙が、ミクラーシュだけでなく東方地域全体に知れ渡ったことはショックだった。だけど、それ以上に不安になったのは、
「私がその……無謀なことをしたのはともかく、他のことまで一般の人々に知られてしまっては、東方地域の方々は大丈夫でしょうか。
ペトロルチカの耳にも入ってしまったとしたら、彼らも黙っていないのではないでしょうか」
ペトロルチカのことだから、たとえ替え玉でも国の(じゃなくてただの反社会的過激派組織だけど)代表が私に撲殺されたと思い込んだら、速攻で因縁をつけてきてもおかしくない……ってちょっと待って。
それなら、東方地域の国々より前に、センチュリアにしかけてくるわよね。代表の替え玉ぶん殴ったの私だもの。
クラウス皇帝は、『世界機構』からの通達はフォーハヴァイのマレイ・アス氏が独断で指示して発令させた、と言っていたから、通達はペトロルチカの仕返しではないはず……なんだけど。
先ほどから人生最大に酷使してきた私の頭では、考えがまとまらなくなっているところへ、クラウス皇帝が信じられない展開を披露してくださった。
「そうだね、あなたの言う通りかもしれない。
だが、現実にはミクラーシュやその他の国の国民が、あなたを女戦士だ聖女だと絶賛している声が大きくてね」
「!?」
「東方地域を挙げてあなたの勇気と武勇を讃え、祀りあげている状態らしいよ。
アイゼルマン大統領は国内だけでなく、東方地域全体でも人気のある元首だからね。
それに反比例する形で、ペトロルチカをあからさまに敵対視する人々が激増しているそうだ」
全然予想していなかった事態に、頭が反応できなくて、すぐには考えがまとめられなかったけど、クラウス皇帝は気にされていない様子で話を続けられた。
「ペトロルチカは内陸にある。以前なら武力を盾に国境を越え、センチュリアまでたどり着くことも可能だったかもしれない。
だが、現在はペトロルチカと国境を接するすべての国が、臨戦態勢にあるそうだ。これではおいそれと動けないだろう」
「……そうだったんですか」
ようやく声を絞り出せたものの、これだけ言うのが精一杯だった。
センチュリアが今までペトロルチカに襲われなかった原因が、はっきりしたのはよかったんだけど。
私が女戦士……はまだしも聖女だなんて。
それはないわ東方地域の皆さん。
恐れ多くも、世界最強のローフェンディア皇帝の杖かっさらって、テロリストの頭ぶん殴る聖女なんてどこにいるのよ。
それに、あれだけ厳重に誓約書まで作って内密にしたことが、どうして外に漏れたわけ?
ペトロルチカの周りの国だって、全部が国力豊かなわけじゃなかったはずだし、いつまでも臨戦態勢のままなのは財政的にも辛いと思う。
「聖女などと呼ばれることは一切していませんが、そもそも、なぜこのことが広まったのでしょう。
ペトロルチカがおとなしくしていてくれるのは、わが国にとってはありがたいことですが、ペトロルチカの周辺国の中には、臨戦態勢が負担になる国もあるのではないでしょうか」
いくら反ペトロルチカの空気が大きくなったからって、急に軍事力を増やせるわけじゃない。
軍備の弱い国々はいつまで臨戦態勢に耐えられるんだろう。
もし限界がきたとき、今までの仕返しとばかりにペトロルチカが攻撃してきたら……それが恐ろしくてならない。
だけど、私が心配していることなんてお見通しなはずのクラウス皇帝は、先ほどからずっと笑顔を保ち続けている。
「そこは心配ないよ」
「どうしてでしょう」
「軍事力に不安があるペトロルチカの周辺国には、ミクラーシュが支援をしているからさ」
クラウス皇帝のこの一言でわかってしまった。
「まさか、ミクラーシュ自身が、目障りなペトロルチカを封じ込めるために、わざとあのことを漏らしたのですか」
「その通り」
なるほどね。それならペトロルチカ周辺国の心配はしなくてよさそうだけど、
「よろしいのでしょうか」
「何がだい?」
「ミクラーシュは私たち中央地域や、他の東方地域の国々と交わした約束を破ったことになります」
「そうだね」
何食わぬ顔で肯定したクラウス皇帝に、すごくいやな予感がした。
クラウス皇帝は、私のいやな予感注意報なんて知るはずもないけど、厳しい顔をしているはずの私に笑顔を重ねられた。
「東方地域では、こんなものが売られているそうだよ。アイゼルマン大統領と会談したときもらったんだ」
そうおっしゃって、世界最強の国家元首がズボンのポケットから取り出されたものを見て、たっぷり十秒は思考が止まった。
「……クラウス、率直に申し上げることをお許しいただけますか」
「もちろん」
なんとか理性を整えた後の私の申し出を、クラウス皇帝は寛大にも認めてくださった。
「アイゼルマン大統領とお二人で、ペトロルチカを足止めしてくださったことには、お礼を申し上げるげべきなのでしょうが、この……人形を野放しになさるのは、失礼ですが、お二人とも悪趣味が過ぎると思います」
「そうかな、とてもよくできているじゃないか、かわいらしくて。
どこぞの露天商が最初に売り出したらしいが、今ではあちこちの店で作られているそうだ。とても売れているらしいよ」
クラウス皇帝がテーブルの上に置いたのは、手のひらに乗る大きさの女の子の人形だった。
三頭身の丸っこくてかわいらしいフォルム、愛嬌のあるくりくりした緑色の眼に、ぷっくりとした桃色のほっぺ、もちもちした触り心地は、小さい子にも喜ばれそうだ。
そんなかわいい顔なのに、なぜか着ているものは地味な色のスーツ、しかもいかつい棍棒なんかを持っている。
そして、お尻のタグに付けられた札には、あろうことか『中央大陸の戦女神 あれくせーりな』と女の子っぽいかわいらしい文字で書かれてあった。
「私は戦女神などではありません!!」
控えめに言っても、十倍はかわいく美化された自分の姿に、私の精神線はついに焼き切れたのだった。
自分のマスコット的なものを目の当たりにする日が来るなんて、夢にも思っていなかった。
誰に許可もらってこんなもの作ったんだとか、人形の持っている武器がローフェンディア皇帝の皇杖じゃなくて、ただの棍棒になっててよかったとか、私の肖像権主張したら、ミクラーシュの露天商たちから使用料ぶんどれるんじゃないかとか……
つっこみたいことはいろいろあったけど、そこまでクラウス皇帝に申し上げる気力が残っていなかった。そんなことよりも、とても重大なことがある。
私が絶叫の後、茫然自失しているあいだ、クラウス皇帝がやんわりとした言葉で……というと聞こえがいいけど、はっきり言うと、ものすごーく回りくどい言い方で説明してくださったことをまとめると、こうなる。
「……つまり、アイゼルマン大統領がペトロルチカの勢力を削ぐために、私のあの行動の部分だけを暴露したいと、ひそかにあなたに持ちかけられたと」
「そう」
「それであなたは快く了承されたと」
「まあ、結果的にそういうことになるかな」
「アイゼルマン大統領は、噂を拡散させるよう諜報部隊に指示を出しながら、表向きにはこのことを暴露したのはペトロルチカだと主張された」
「それはそうだよ、自分が暴露しましたとは絶対に言えないだろう?」
「……ミクラーシュ以外の東方地域の国々は、初めは何も知らなかったものの、アイゼルマン大統領の意図することを読み取って、気づいていないふりをしながらアイゼルマン大統領のペトロルチカ封じに乗ることにして……今に至ると。こういうことですか」
「ご名答」
私の(自分で言うのすごくいやね)人形の頭を指で撫でながら、クラウス皇帝はお気楽におっしゃったけど。
「クラウス、まことに申し上げにくいですが、これはあのとき密約を結んだ国々への、背信行為ではありませんか?」
ペトロルチカが周辺国に睨まれていることで、センチュリアが攻撃されないのはとてもありがたい。
だけど、多くの国々と交わした約束を、二国だけの交渉で破ってしまうのはどうなんだろう。
アイゼルマン大統領の意図に気づいた東方地域の国々はともかく、中央地域の国々はどう思うだろう。
だから、はっきりと申し上げた。
先刻……昨日から言いたいことを言わせてきてもらったし、もう怖いものはほとんどない。
一つ、まだはっきりお約束いただけていないことが残っているけど……
私の人形の頭を撫でていたクラウス皇帝(この言い方、クラウス皇帝には悪いけど本当にいや)が、その指を止めた。すうっと目を細めると、人形から本物の私へ視線を移した。
「アレク」
「はい」
怖くない怖くない、だって本当のことだもの……と自分に言い聞かせながらも、今までとは明らかに様子の違うクラウス皇帝の急所を蹴ってしまったのかと思うと、また手に汗がにじんできた。
「それぞれの地域で、不動の勢力を持つ国家同士の密約のおかげで、全世界の平和が守られるんだ。あなたたちにとやかく言われる筋合いはない」
そう言い切られたクラウス皇帝の瞳には、一切の迷いも後ろめたさもなかった。
「無論、この件を口外したらセンチュリアがどうなるか、わかるだろうね?」
私は今まで……今でも、本当の意味で国家元首のあり方をわかっていないのかもしれない。
自分の国民を守る……そのためにはあらゆるものを利用する。嘘も裏切りもためらわない。
きっと大国になればなるほどそうなんだろう。
守らなくてはいけない人が増えるから。
クラウス皇帝もアイゼルマン大統領も、ペトロルチカという危険分子を一刻も早くこの地上から消滅させたいからこそ、私の行為を暴露することに決めた。
その思惑は見事に成功して、東方地域の人々は急速に打倒ペトロルチカへ傾いている。
とても残念で、すごく不甲斐ないけど、今の私ではクラウス皇帝のお言葉に逆らえなかった。
クラウス皇帝とアイゼルマン大統領の密約のおかげで、センチュリアの安全が守られているのは事実だったから。
「アレク、世界は腹黒いものだよ」
だけど、忘れてはいけないものがあると思う。
「そのようですね」
嘘をついてはいけないと昔から母に教えられてきた。
国家間の交渉に感情を入れてはいけないけど、嘘をつかれるのだったら、どんな交渉ごとも破られるのが前提になってしまう。
外交はそういうことも計算に入れてしないといけないのも、わかっている……わかっているつもりだった。
でも、『世界会議』のとき団結できた、中央大陸の国家元首の皆さんのお顔を思い出すと、どうしても納得できなかった。あの方々も嘘や裏切りで世界を渡ってきているのだとしても。
「今回のことで、わが国のような中立の存在は必要だと、改めて思いました」
だって、私は女戦士でも聖女でもない。人形として祀られるのもいやだった。
「私と交渉した時点で、既に中立ではないよ」
クラウス皇帝は私の一番痛いところを的確に突いた。
表情は全く変わっておられないけど、私の発言に内心とてもお怒りなんだろう。
守ってやっている相手が、そのやり方が気に入らないとわめいているのだから。
だからって、このまま引き下がりたくはない。
「今のセンチュリアを守るためなら、どの国とも交渉や協力をする用意はあります。
どんな世界でも、一人だけで生きていくのは不可能ですから」
「それを世の人々は詭弁と言うだろうね」
その通りだった。
私だって今回は嘘をつく。
クラウス皇帝としっかり交渉しているのに、共同声明ではそれを公表しないで、茶番めいた演出をするのだから。
それでも。
「私の申し上げることが詭弁なら、あなたのおっしゃる世界の腹黒さは、ご自分たちの国民を守ることを盾にして他国を欺き、裏切ることへの免罪符です。
たとえそれで他国の安全を保証できたとしても。
どちらも、国民を守るために採った策という意味では、大差なく汚れています」
クラウス皇帝と正面から視線がぶつかった。
今まで出会ってきたどんな人よりも……先代のローフェンディア皇帝陛下やユートレクトよりも怖かった。苛烈で人の心を一突きで焼き尽くしてしまいそうな視線だった。
私の言っていることは綺麗ごとで理想でしかないし、世界の支配者の多くは腹黒い……その通りだった。
だけど、理想がなかったら、何を目指して国と国民を守っていけばいいの?
クラウス皇帝なら、私の言いたいことをわかってくださると信じたかった。
無限に感じた沈黙の末、先に声を出されたのはクラウス皇帝だった。
「私は自分の主張を変えるつもりはない。
世界には腹黒い奴等が数多くいる。
こちらも狡猾でなければ、わが臣民を守れない」
冷厳な声色は確かに世界最強の皇帝のものだった。けれど、
「だが、理想とする世界が、思いが示されていなければ、この世は偽りとかけひきだけの、殺伐とした暗く冷たいものになってしまうだろう」
毅然と紡がれた言葉には、ご自分の臣民だけでなく、この世界を、そこに住まう人々を愛する思いがにじみ出ていた。
クラウス皇帝が立ち上がられたのに合わせて、私も椅子から腰を浮かせた。
長かった非公式会談が終わろうとしている。
「腹黒いのは……汚れるのは、我々為政者だけでいい。
国民には笑って幸福に暮らしてほしい。
そのためになら、私はこれからも腹黒くあり続けるし、あなたが言ったことも決して忘れない」
苛烈な視線の先にいたクラウス皇帝の笑顔は、とても深くて穏やかだった。
周りから何を言われても、どんな手段を使ってでも、ご自分の臣民を守り抜く覚悟を決めている人の顔に思えた。
「明日の演説で潰してやろう。マレイ・アスと『世界機構』の上層部を。
私たちの国のためだけでなく、世界の真の公正と平和のために。
そして、わが弟を私たちの手に取り戻す」
「……はい」
再び差し出されたクラウス皇帝の右手は、私と同じように湿っていたけど、とても力強くて暖かかった。
2019.12.8.ミクラーシュ共和国の大統領の名前が誤っておりましたので訂正致しました。お詫び申し上げます。




