↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
94/121

共に歩むもの9*

*********



 特例法案が前文をつけた形でできあがった頃には、時計の針は日を大幅にまたいでいた。


「皆さま、ご協力まことにありがとうございました。おかげさまでよい法案ができました」


 私はクラウス皇帝とネフレタ教授、そしてキアラさんにお礼を申し上げた。

 男性二人はまだお元気そうだったけど、法案を何度も書き直してくれたキアラさんは、頭脳的にも肉体的にも疲れ果てている様子だった。


「いや、これはまだ序の口だよ。私たちには、共同声明の検討と演説の原稿が残っているからね」


 ドライフルーツをほおばりながら、何食わぬ顔でクラウス皇帝はおっしゃった。今夜どちらも仕上げてしまうぞ、ということね。


 まだまだ布団にくるまれない私をよそに、ネフレタ教授とキアラさんが『ではわれわれはこれで失礼致します』という雰囲気で立ち上がったときだった。


「ネフレタ教授、例の話、考えておいてくれたかな」


 クラウス皇帝の一言に、ネフレタ教授の丸まっていた背中が垂直に伸びた。


「あ、あの件とはあれですか、その、つまり、先日のあの」


 学士院の偉い教授とは思えないしどろもどろさに、教え子のキアラさんは不思議そうな顔をした。

 キアラさんが知っているネフレタ教授は、普段こんな受け答えをしない人なんだろう。それはそうかもしれない。ユートレクトも恐れていたほどの人なんだから。


「そう。『世界機構』本部総長の件だよ」


 クラウス皇帝は、ネフレタ教授がうろたえている原因をあっさり公開された。


 ネフレタ教授を『世界機構』の本部総長にという話は、ユートレクトも言っていたし、クラウス皇帝からも聞いていたから驚かなかった。

 もうネフレタ教授にお願いされていたとは思わなかったので、その点ではびっくりしたけど。


 でも、キアラさんはそうはいかなかったらしい。

 切れ長の目を大きく見開いて、クラウス皇帝とネフレタ教授をかわるがわる見ている。


「ですが陛下、あのお話は」

「先日、アクロニム王国から書簡がきてね」


 どう見ても、『世界機構』本部総長の椅子に座るのをいやがっている様子のネフレタ教授に、クラウス皇帝は全然関係なさそうな話題を振ったように見えたのだけど。


 実は私のところにも、アクロニム王国からの書簡が届いていた。その内容は。


「とうとう、アクロニム大百科全集の第六版が完成したらしいんだ。

 今回、初版印刷を記念して、希望する国には全百巻を無料で進呈してくれるらしい。

 しかも、第一巻にはアンリ国王直筆の署名が入るそうだよ」


 クラウス皇帝からの朗報に、キアラさんは顔をほころばせた。ネフレタ教授も、


「おお、いよいよですか。あの全集には私も監修で携わっていますので、楽しみなことこの上ありません。

 アクロニム大百科全集は、発売当初から膨大な情報量を誇っているにも関わらず、わかりやすく、調べたいことが見つけやすい本でして、今回の第六版の特徴は」

「アンリ国王直筆の署名入り初版印刷本、手元に欲しいと思わないかい?」


 ご自分が関わった本について誇らしげに語り始めたところへ、クラウス皇帝が静かに石を投げ入れられた。


 ネフレタ教授の顔色が変わった。キアラさんと比べたら、十倍は喜びに満ちあふれた笑顔になったけど、


「今回アクロニムから貰えるものを、教授に贈呈するよ。あの話を受けてくれたらね」


 クラウス皇帝のお言葉に、南国の楽園から吹雪の荒れ狂う雪山に放り出されたかのようなお顔になった。


「返事は急がないよ。まあ前向きに……いや、前のめりになるくらい考えておいてくれ。

 ピアスカ司法官もご苦労だったね、協力感謝する。

 協力ついでにネフレタ教授を説得してくれ。あなたも恩師が本部総長になってくれたら嬉しいだろう?」

「いえ、それはその……まあ、はい」


 キアラさんの返答は歯切れ悪かった。怖い師匠が上司にいたら、仕事がやりにくいのかもしれない。だけど、クラウス皇帝は気にされていない様子で続けた。


「教授が本部総長に就任したあかつきには、面倒を見てやってほしい」

「は、はい、かしこまりました」


 キアラさんの視線は、凍りついているネフレタ教授とクラウス皇帝のあいだをおろおろと泳いだ。


 ネフレタ教授は蚊の泣くような声で、考えさせていただきます、と口にすると、ふらふらと危なっかしい足取りで国賓室を出て行った。キアラさんも恩師の後を追いかけた。


 ……アクロニム大百科全集というのは、センチュリアと同じ永世中立国のアクロニム王国が出版している、世界で一番情報量の多い、信頼されている百科事典だった。

 全百巻もある百科事典なんて、紙の名産地で、印刷技術が発達しているアクロニム王国以外では作れないだろう。


 はっきり言って申し訳ないけど、こんな大量の百科全集、普通の人にとっては本棚のこやしにしかならないと思う。

 それでも、大学教授や研究者には大人気らしいので、私も初版印刷版を貰い受けたい旨のお返事を出していた。


 アクロニム王国のアンリ国王は、もう相当なお年なんだけど、温厚でとてもお優しい方だった。

 国王なのに紙作りの名人だというのでも有名な方なんだけど、ネフレタ教授もアンリ国王のファンなのかしら……って、このへん全部覚えなくていいからね。


 アンリ国王のことを思い出したら、以前訪問したときに見た、アクロニム王国のほのぼのした田園風景が頭に浮かんできたけど、今は和んでいる場合じゃなかった。


「さて、もう一つ……いや二つの宿題を片付けようか」


 まだまだお元気そうなクラウス皇帝に、今日は徹夜になる覚悟を決めて頷いた。




「共同声明はこの内容で問題なさそうだね」

「はい、私もそう思います」


 ネフレタ教授とキアラさんが退室してから数分後、新たな夜食が運ばれてきた。


 一口サンドウィッチとクラッカー、白毛牛の串焼きが三本、グリーンサラダに、とても小さなカクテルグラスに入った五種類のゼリーが盛り付けられたプレートを食べながら、私とクラウス皇帝は共同声明の草案に目を通していた。


 私たちがオーリカルクの鉱山見学に行っているとき、両国の大臣と官僚たちの間でも会談が開かれていて、そこでも共同声明のことが話し合われていた。


 会談終了後、ローフェンディアの官僚が超特急で作ったという会談の議事録には、そのとき検討された共同声明の草案まで載っていた。

 というわけで、私はクラウス皇帝にそれを見せてもらいながら話を進めている。


 さすが天下のローフェンディアの官僚さん、仕事が早いわ。ローフェンディアの官僚の大多数は、こういう優秀で誠実な人たちなのよね。

 それだけに、昼間正門前で見た態度の悪かった官僚たちにまた腹が立ってきたけど、今はそのことばかり気にかけている暇はない。


 もともと、センチュリアとローフェンディアにはこれといった問題がないので、よっぽど変なことを要求されない限りもめることはない。

 議事録で、共同声明のことを話し合っている部分を見ても、


『共同声明は、これからも今までどおり仲良くやっていこう! 的な感じでまとめたらいいと思うんですよねー』

『ですよねー。うちと貴国には、特に問題ないですもんねー』

『じゃあこんな感じで草案作っときますかー。陛下も恐らく何もおっしゃらないと思いますねー』

『そうですねーうちの女王陛下も問題ないと思いますー』


 砕いて言いすぎだけど、まあこんな調子でまとまったみたい。


 共同声明を最初から作るとなると、皇太子時代から経験を積まれているクラウス皇帝はともかく、私にとっては大仕事だったから、難題を減らしてくれた両国の大臣官吏たちに、心の中でむせび泣いて感謝した。


 ただ、気になる点が一つあった。


「クラウス、一つ確認したいことがあるのですが」

「なんだい」

「共同声明には、今後の『世界機構』への対応については記されませんか?」

「ああ、あれは私たちの演説で発表しよう。

 共同声明に明記してしまうと、センチュリアがローフェンディアと連携を図ると取られるからね。

 それではあなたに都合が悪いだろう?」

「ご配慮、恐れ入ります」


 クラウス皇帝は私が案じていたことに、率直に答えてくださった。


 本来、永世中立国はどの国とも力の貸し借りをしない。

 だけど、共同声明で『世界機構』への対応を発表してしまうと、センチュリアとローフェンディアがおおっぴらに手を組んだことになってしまう。

 そうなると、永世中立国としてセンチュリアの立場が悪くなるから、『世界機構』に対する対応はお互いの演説で述べて、


『なんと、偶然にも見解が一致しましたね!』

『それでは協力して、腐っている『世界機構』の上層部を糾弾しようじゃないか!』


 という感じでいこう、ってことよ。


 いや、見えみえなのはわかってるんだけどね。

 表向きだけでも、取り引きはしてないよという体裁にしておかないと、うるさく言ってきそうな国がぼちぼちあるのよ。


 だけど、今回こうして内密に交渉したのは、お互いに自国の勢力を拡大したいとか、野心から協力し合うんじゃない。

 そのことは、他の永世中立国の元首の皆さんには、書簡をお送りして伝えるつもり……じゃなくて、伝える。徹夜してでもお手紙を書いて、明日の朝一で発送してもらう。


 よその国々にどう思われても構わないけど、永世中立国の元首の皆さんにはわかってもらいたかった。

 あの方々なら、私のすることを理解してくださりそうな気がしている。そういう点でも、私はとても恵まれていると思う。


「では、共同声明はこの草案で了承を出そう。後は彼らに任せて、次は私たちの演説の原稿を考えていこうか。

 今日……いや、もう一日過ぎてしまったが、朝までに完成させておいた方がいいだろう」

「そうですね。これが仕上がったら、午前中の首脳会談は雑談に花を咲かせられますものね」

「そういうことさ。明日こそはゆっくり語らおうじゃないか。あなたとフリッツの今後の新婚生活についてね」

「……」


 クラウス皇帝の最後の軽口は聞かなかったことにすると、ここからはしばらくは、無言でそれぞれ自分たちの演説文を考えていくことになった。


 お互い原稿を書き上げると、それぞれの内容に矛盾がないか、言い回しに誤解される部分はないか、その他もろもろのことを注意深く検討した。


 クラウス皇帝からは、キアラさんとは比べものにならないくらい、厳しくて具体的なご指摘をたくさん受けた。

 私もクラウス皇帝の原稿に納得のいかないところは、意図が飲み込めるまで説明してもらい、ときには書き直しもしていただいた。


 双方の原稿ができあがった頃には、どちらの夜食プレートも綺麗になり、時計の短い針は三時に差しかかっていた。


「よく頑張ったねアレク、ご苦労だったね」


 クラウス皇帝が差し出してくださった右手を、私はしっかりと握った。


「いろいろとご指摘くださり、本当にありがとうございました」


 昨年の『世界会議』では、永世中立国の声明の一部を考え、大勢の国家元首の前で読み上げたけど、今回の演説はそれ以上長いものになった。


 自分で一から演説の原稿を考えたのは初めてだったので、クラウス皇帝におかしなところを直してもらわなかったら、とんでもない原稿になっていただろう。


「今回の私たちの演説は、今後『世界機構』だけでなく、第二第三のフォーハヴァイになろうとしている国家にも大きな牽制になるだろう。

 あなたの演説を知ったら、アイゼルマン大統領……いや東方地域の人々も大喜びするだろうな」

「アイゼルマン大統領……?」


 どうして突然、東方地域とアイゼルマンさん……東方地域の最大国家、ミクラーシュ連邦共和国の大統領のお名前が出てきたんだろう。


「アイゼルマン大統領や東方地域の方々が喜ばれるというのは、フォーハヴァイを牽制することで、ペトロルチカの力が弱まるから、ということですか」


 急いで考えをまとめて言葉を継いだのだけど、クラウス皇帝から返ってきたのは、思いもしないことだった。


「それもそうだが、それを演説するのがあなただからだよ」

「私、ですか?」


 クラウス皇帝は大きく頷かれた。


「そんな……演説をするのは私だけではありません。

 なによりあなたがおっしゃるから、世界に大きな影響をもたらすことができるのです」


 私みたいな小国の小娘の言うことなんて、世界の人たちにしてみれば大したことない。

 今回は共同統治のことを言わないといけないから、そこだけはものすごく注目されるだろうけど……それを考えると、今更だけど覚悟を決めたはずなのにまた憂鬱になる。


 まさか、アイゼルマン大統領は共同統治に憧れを持っているとか?

 だから共同統治に踏み切る私を羨ましい……って私が言うのもおかしいけど、それを発表する演説を聞いたら喜ぶってこと?


 いやいや、まさかそんなことあるわけない。

 第一、私だって本当なら、こんな危険なことに踏み切りたくないんだから。

 それに、アイゼルマン大統領だけでなく西方地域の皆さんまで喜ぶことが、共同統治なわけがない。


 一体どういうことだろう……疲れ果てて、とろとろになった頭を悩ませていると、


「実は東方地域である秘密が流出してしまってね」

「どんな秘密でしょう」

「あなたが、ペトロルチカの魔の手からアイゼルマン大統領を救ったことだよ」

「あれがですか!?」


 思わず声が大きくなってしまった。

2019.12.8.ミクラーシュ共和国の大統領の名前が誤っておりましたので訂正致しました。お詫び申し上げます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。