共に歩むもの8*
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男性お二人が戻られるとすぐ、椅子とテーブルを持った侍従たちが入室してきた。
どうしてだろうとほんの少し考えたのだけど、すぐにわかった。
いつの間にか非公式会議に加わっている、ネフレタ教授とキアラさんの席を用意するためだった。
侍従たちが手早く法律家たちの席を設けてくれると、先ほど頼んでいた紅茶のおかわりが運ばれてきた。ちゃんと四人分用意されていた。
外に待機している兵士と侍従、そして厨房の連携力を見た気がした。
しかも、四つの紅茶のうち一つは、ビールジョッキ並みの大きさのグラスに入ったアイスティーだった。
これはもちろん、今もハンカチで額の汗をぬぐっているこの人以外、誰もこんな大容量の冷たいものは飲まないだろう。
「……ああうまい、生き返りますな!
さて女王陛下、小休止のあいだに、恐れながらいささか出過ぎたことをしてまいりました」
ネフレタ教授はとても美味しそうにストレートのアイスティーを飲んだ。
グラスの三分の一ほどのアイスティーが、教授のほてった頬を鎮めてくれたようだった。
「どんなことでしょう」
「侍従長どのにお願いして、陛下の王国軍の将軍に会わせていただきました」
ちなみにクラウス皇帝は、正装の上着をお部屋に置いてこられたらしく、代わりにカーディガンを羽織られていた。
こちらにはネフレタ教授と一緒に戻られたけど、別行動していたのね。
「トゥリンクスですね、お会いくださりありがとうございます」
「はいそうです。以前からニカーガルワの戦いの勇者にお会いしたかったのですよ。お元気そうでなによりでした……いえ、そうではなくてですね。れっきとしたお願いがあって将軍のもとへ参ったのですよ」
「どのようなことだったのでしょう? トゥリンクスは快諾したでしょうか」
トゥリンクスはネフレタ教授……ホルバンの義兄に会ってどう思っただろう。
「はい、突然見知らぬ者から厄介な頼まれごとをされましたのに、快く引き受けてくださり、助かりました。こちらです」
そう言ってネフレタ教授が懐から出したのは、
「病床の老人がのらりくらりと考えていたのでは、間に合わないと思いましてね。途中まででもいいから、もらってきてくださいとお願いしたのですよ」
びっしりと文章のかかれた数枚の紙だった。
一番上の紙の冒頭には、『共同統治に関する特例法(案)』と記されている。
ネフレタ教授はトゥリンクスに頼んで、ホルバンから特例法のたたき台をもらってきてくれたんだ。
「どうもありがとうございます。お手数をおかけしました」
ネフレタ教授にお礼を言うと、
「いえ、こちらこそ女王陛下に許可もいただかず、出すぎた真似を致しまして、申し訳ありません」
愛想のいい顔を曇らせて頭を下げられた。
ホルバンが作ってくれていた特例法案は、明日の朝一番で誰かに取りに行かせることにしていたのだけど、この件にローフェンディアの協力が得られることになった今では、少しでも早く手元にもらって検討した方がよかった。
アレクから先に目を通しなさい、とクラウス皇帝に言われたので、先に内容を確かめてからクラウス皇帝にお渡しすると、ネフレタ教授、キアラさんの順でホルバンが作ってくれた特例法案が読み回された。
「私はこの内容でいいと思うけどね。アレクはどう思う?」
特例法案がキアラさんから私の手元に戻ると、クラウス皇帝がおっしゃった。
「はい、私も内容はこちらでよいと思うのですが、率直に申し上げますと、お恥ずかしいことに、私には皆さまより法律の知識がありません。
今後……将来問題になる可能性がある箇所がございましたら、ぜひご指摘ください」
私が盛り込んだ方がいいと考えていたことは全部書かれていたし、思い付かなかった点も守られるようにしてくれていたから、ホルバンは十分考えて作ってくれたと思う。
だけど、情けなくて悔しいことに、私には決定的に知識が足りなかった。法律のことだけでなく、君主としてすべての面において。
共同統治を執るという、古代以来先例のないことをする時点で、後の世界によくも悪くも影響を残さないではいられないと思う。
だからこそ、悪い影響は考えられる限り少なくしたかった。未来の人たちのために。
そう思うと、クラウス皇帝との交渉中には下げなかった頭が、意識しないうちに下がってしまった。
本当はまだ、頭を下げてはいけなかったのかもしれない。
でも、将来のセンチュリアのことを考えたら自然と頭を垂れてしまった。こういうところも、私はまだまだ未熟なんだろう。
ネフレタ教授は特例法案を卓の上に置くと、アイスティーを飲まれてから口を開いた。
「主要な事柄はほぼ網羅されていると思います。
まず、共同統治であっても、あらゆる事象に対する最終的な決定権は女王陛下がお持ちになり、君主としての序列も女王陛下が優先されること。
次に、女王陛下がお亡くなりになられた際は、自動的に国王から次の王位継承者に王位が移り、国王の統治権はなくなるということ。また、王位は男系を守るため、女王陛下と国王との子女にではなく、現在の王位継承者に継承されるということ。
そして、今回君主の配偶者に国王としての統治権を与えるのは、女王陛下のご治世に限り、この特例法も女王陛下のご治世でのみ有効であるということ」
「はい」
「三つ目の事項が入っているのは、今回共同統治を執ることになる経緯が、極めて異例のものであるためですね。
今後、このようなことが通例化しないようにするために、女王陛下のご治世の後は、一旦白紙に戻されると」
「ええ、そうです」
「もし後世に、再び共同統治を執るようなことになれば、その際はこの特例法を参考にして、改めてよりよい法を検討し制定するように、ということですね」
「おっしゃる通りです」
ネフレタ教授の確認に頷くと、改めて自分がしようとしていることが恐ろしくなってきた。
この世界で二人以上……複数の君主が一つの国を治めたのは一度しか例がない。
しかも二千年以上昔の、伝説とも歴史とも区別のつかないくらい時代の話だった。
今の東方地域をすべて支配していた国の王が、遠征先で出会った町娘と親しくなり、王妃にしたそうなのだけど、この王妃がたいそう頭のいい人だったので、王妃に女王の称号を与えて二人で大国を治めたらしい。
この国王と女王の統治で、国はとても栄えたらしいけど、二人の死後まもなくこの国は滅んでしまった。
ただ、女王を政治に参加させたから滅びたわけではなく、統治していた領土が大きくなりすぎていて、並の君主ではまとめきれなかったらしい。
その結果、あちこちで反乱が起きて滅んでしまった……と、学校の授業で習った知識しか私にはない。
その頃、私もただの町娘だった。
女王になれるなんて、よっぽど頭も性格もよかったのねー、なんてお気楽に思っていた。
頭がよくなくても、性格がよくなくても女王になってしまった身としては、腹を決めたにも関わらず不安が膨らんでくる。
だめだ、今は特例法のことに集中しなくちゃ。
ここで浮き足立ってきちんとしたものができなかったら、それこそ未来の人たちに申し訳ない。
「少し考えたのですが」
ホルバンが作ってくれたこの特例法案を目にしてから気がついたのだけど、あることを加えた方がいいのではないかと思っていた。それは、
「共同統治をなそうとしている私が、このようなことを言える立場ではないのは、理解しているつもりです。
ですが、後世国王となる子孫に、伝えておきたいことがあるのです。
それは……例えば他国を侵略しようとする人や、自分の私腹を肥やしたいがために国王になろうとする人……つまり、自分のことしか考えられない、国民のことを第一に考えられない人は、共同統治を執るパートナーにしないでほしいと。
素人考えで申し訳ないのですが、特例法のどこかに記すことができたらと思ったのです。
このような考えを法律に記すことは可能でしょうか」
先ほど考えついたことだったから、全然まとめられなくてうまく言えなかったけど、こういうことだった。
法律家の二人は難しい顔をした。
「女王陛下のお気持ちはよくわかります。
今回のことが後世悪用されるようなことは、決してあってはならないことです。
ですが、どのように記しましょうか……」
ネフレタ教授は言葉を濁したけど、その教え子は鋭い視線を私に投げつけた。
「恐れながら、そのようなことに言及している法は、見たことがございません。
なぜなら、女王陛下のおっしゃる、共同統治を執る際の心構えとも言えるものは、失礼ながらあくまで女王陛下個人のお考えであるがゆえに、どうしても抽象的な文言になってしまうからです」
キアラさんはクラウス皇帝の御前であっても、私に遠慮するのはやめたらしかった。
「法律は万人にとって守るべきものです。そこに、人によって異なる見方のできる、曖昧なものを入れたなら混乱を招きます。
『他国を侵略しようとする人』というのは、何を基準に判断なさいますか?
非常に極端な例えを出しますが、頭の中で空想するだけでもいけないのか。それとも、実際に軍隊を動かさなければ、工作活動などをさせるのは容認されるのか。
そこまで言及しなければ、かえって悪用されるおそれがありますし、たとえ言及したとしても、女王陛下が意図されたものとは異なる解釈がされる場合もあります。悪人は何事も自分の都合のいいように変えるものです。
ですから、貴国の法務大臣もこの点はあえて記さなかったのだと思います」
そんなこともわからないでよく女王やっていられるわね、という響きを感じたのは、被害妄想じゃないだろう。キアラさんが言っているのは当然のことだと思う。
特例法案の主要な点三つは、どう読んでもそのままにしか解釈できないけど、『こんな人は国王にしてはいけない』は、こうして考えると、文章に表すのは難しいことだと痛感した。
キアラさんだって、どんな人を国王にしてはいけないか……私の言いたいことは感覚としてわかっていると思う。それでも、法律の番人としては、曖昧なことを法に記すのは認められないのだろう。
だけど、君主としては、この考えを国民のみんなに、世界に伝えておきたかった。
他国への野心を持つなんて、永世中立国の君主なら絶対してはいけないことだし、自分の私腹を肥やそうとする人、そしてなにより、国民のことを第一に考えられない人には、国王になってほしくない。
もしかしたら、また私みたいに女王が即位して、好きになった男性と共同統治したいと言い出すかもしれない。
その男性がものすごい野心家なのに、女王が恋は盲目状態で気がつかなかったらどうなるか。
女王の重臣たちも男性の野心に気づいているのに、女王が怖くて言えなかったらどうなるか。
センチュリアは今までのセンチュリアではなくなってしまう。
そんなとき、特例法に私の考えが書かれていたら、それを目にした人たちが女王を諌めてくれるかもしれない。
国民たちも『そんな男を国王にするな!』と声を挙げてくれるかもしれない。
可能性は低いかもしれないけど、こんなことだってありえる。だから、どうにかならないかと思ったのだけど……
法律に盛り込めないなら、どうしたらいいんだろう。明日の演説のとき口頭で言うしかないのかな。
暗い気持ちが胸を埋めようとしたときだった。
「前文に入れるのはどうかな。前文なら本文の秩序を乱すことはないだろう? それでいて、ある程度の法的拘束力も発揮できる。
アレクの意思を入れるのにちょうどいい部分だと思うが」
クラウス皇帝のご提案に、ネフレタ教授とキアラさんは軽く目を見開かれた。
「だめかい?」
「いえ、そういうわけではないのですが」
「先例がないと?」
とまどう様子のネフレタ教授とキアラさんに、クラウス皇帝は追い討ちをかけるようにおっしゃった。
「卿らが法律家として、法律界の常識に沿うものを作ろうとしてくれているのはよくわかるし、感謝している。
しかし、今回のセンチュリアの共同統治は、有史以来初と言ってもいいものだ。
それだけどの国家も危険を感じて今まで採ってこなかったのだし、現にアレクもこうして懸念を持っている。
先例など、作らなければいつまでたってもできないよ」
クラウス皇帝の理性的で穏やかな瞳の中に、火花が散ったような気がした。
その直後、その火花が音になったかのような声が弾けた。
「基準? そんなものアレクが基準に決まっているじゃないか。ここはセンチュリア、アレクの国だよ。
法で裁けない、縛れないものに基準をつけ、国民を守るのが、われわれ君主に課された最も重要な責務の一つだ」
そう、センチュリアは国王を頂点としている君主制の国家だ。国王……私の命令一つであらゆることが決まっていく。
だからこそ、頂点にいる私がしっかりしていなくてはならない。
国民が幸せでいられる『基準』を見極められる目を、いつも持ち続けていなくてはいけないと思っている。
「だからこそアレクは、荒削りではあっても、自分の思うことを残したいと考えたんだ。
明日の演説で口にするだけでは弱いんだよ。
今の国民には伝えられても、将来の国民にまで残せない。それではだめなんだ。
センチュリアが……この世界がある限り、アレクの意思はずっと、皆の心に留めてもらうよう手を尽くさなくてはならない。それは今回アレクの武器を強化する私の役目でもあるんだよ」
クラウス皇帝が私の考えを汲んでくださり、支持してくれたことがとても心強かった。
「この特例法は今後、センチュリアだけでなく、世界中の君主制国家にとっても基準になる。無論ローフェンディアにとってもだ。
もしも、他国で共同統治をするようなことになれば、この特例法が参考にされるのは間違いないだろう。
私も後世に、おのれのことしか考えない、戦争屋や守銭奴が帝位を戴くようなことがあれば、霊廟で浮かばれないしね。それでも、だめかな?」
言葉遣いも話し方もとても優しいのに、なんとも言えない圧力というか、相手に有無を言わせない威厳を感じた。
先代のローフェンディア皇帝……クラウス皇帝とユートレクトのお父さまがまとっていた空気と同じだった。
キアラさんは青ざめた顔でクラウス皇帝に頭を下げたけど、ネフレタ教授は違った。
伏せ気味だった顔を上げると、苦笑いの皺を頬に刻んだ。
「基準は女王陛下だと言い切られましたね」
「何か間違っているかい?」
「いえ、微塵も。おっしゃる通りでございます」
クラウス皇帝は晴れやかな笑顔を浮かべた。
「ではアレク、前文の文面を一緒に考えよう。
教授とピアスカ司法官は、特例法案の細部の検討を頼む」
私はクラウス皇帝に対する尊敬の念を深めたと同時に、やっぱりこの人を敵にしてはいけないという思いを、改めて心に刻んだのだった。
*2021.6.4 一部訂正(追加)しました。




