伯爵令嬢4
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「ところで二人とも、あの店の子たちとはその後どうなっているの?」
キアラさんが機嫌のよさそうな声で言ったのは、ワゴンでやってきたデザートたちをほぼ制覇した後だった。
ちなみに私は、外はさくっと中はとろっと濃厚な『ラフデンフィア』特製チーズケーキを選んだ。
ユートレクトとアンウォーゼル捜査官は、クッキーとチョコレートを肴にまだワインを飲んでいる。
あの店の子たち、ってなにかしら。
普通に考えたら、釣り道具屋さんの息子たちと仲良くしてた、とかそういうことじゃないわよね。
「キアラ、そういう話はやめようじゃないか。陛下もいらっしゃることだし」
アンウォーゼル捜査官は、私とキアラさんを見ながらおろおろしている。今更女好きを隠す必要もないのに。
大丈夫よ、私は元食堂の給仕娘。男の人が大好きないかがわしいお店の話だって、何度も耳にしてるから。
私が大いなる包容力を示そうとすると、
「あら、この人は勝手について来ただけじゃない。聞きたくなければ、聞かないで帰ればいいんだわ」
キアラさんが神経を逆撫ですることを言ってくれた。ええ、いっそ私も帰ってやりたいわ。誰のために来てると思ってるのよ。
「昔のことだ、とうに縁などない」
あくまで冷静なユートレクトの一言に、
「そ、そうだ、私だってあの店にはもう行っていないぞ」
アンウォーゼル捜査官はやや怪しく便乗してから、話をキアラさんに向けた。
「キアラ、おまえこそ『世界機構』で噂になっていたぞ。あのハリスバーグ氏をふったそうじゃないか」
ハリスバーグさんがどなたかは知らないけど、キアラさんが男性にもてるというのはわかる。綺麗だもの、黙ってさえいれば。
きっとハリスバーグさんとやらは、キアラさんと話したことがなかったんだわ。それとも、キアラさんより高貴な方で、私みたいな扱いを受けていないから好意を持てたのかしら。どっちかに違いない。
キアラさんはふふんと鼻で笑うと、ハリスバーグさんが聞いたら立ち直れなくなりそうな、涼やかな声でおっしゃった。
「当たり前だわ。あんな一般市民、いくら頭がよくても異性の対象にもならないわ。容姿も十人並みだし」
久々に耳にした差別的台詞に、私は腹が立つよりも悲しくなってしまった。
私も元は一般市民、おまけに容姿も十人並みだし。
十人並み以下じゃないか、とか言っちゃだめよ。
だからキアラさんは、私にもあんな接し方なんだろうな。
ユートレクトとアンウォーゼル捜査官には悪いけど、こんな考え方の人とは仲良くなれそうにない。二人にとってはいい友達なのかもしれなくても。
キアラさんはコオロギちっくな涼やかましい声で続ける。
「私は兄上のものなのよ。30過ぎてもお互い身を固めていなかったら、結婚しようという約束まで交わしているのよ。だから勝ったも同然なのよ」
「おまえはまだ30ではないだろう」
くだらない約束をしたらしい兄上さまが、約束から逃れようという必死さは見せてないものの、約束の実行は断固拒否する構えの口調で指摘した。
「ええ、でも既に秒読み段階だもの。
ああ三月が楽しみだわ。式場はどこがいいかしら。やっぱりローフェンディア王宮内の聖堂をお借りしようかしら」
キアラさんは切れ長の目を乙女ちっくに潤ませている。ごめん似合わない、と心の中でつっこんだら、
「キアラは三月生まれなんですよ。ですから彼女はまだ29歳なんです」
アンウォーゼル捜査官が教えてくれた。
「もっとも、今言っている約束は、私やハーラルともしているのですがね。
帝国学士院時代、試験の打ち上げで夜中に大騒ぎしたときに交わした、ほんの冗談ですよ。それを真に受けて……仕方のない奴です」
「そうですか」
さすがキアラさん、自分に都合のいいように記憶が勝手に操作されてるわけね。
「んふふふふふふ……楽しみだわ。
ウェディングドレスはどの衣装屋に作らせようかしら。ラプラーナがいいかしら、それともフュールンの方が格式が高いから、伯爵令嬢の私にはこちらの方がいいのかも……ああ兄上、私は結婚しても働きますからそのつもりで」
「口約束は拘束力がないのではないか、上級司法官」
キアラさんの暴走に付き合いきれなくなったのか、ユートレクトはそれだけ言い残すと、伝票を持って席を立った。先に会計を済ませておいてくれるらしい。
「あら兄上ったら、もういらないのかしら。だったら私がいただくわ」
キアラさんは伯爵令嬢にしてはお行儀悪いことに、ユートレクトが残したクッキーをつまむと、ぽいっと自分の口に入れた。
これで、私一人でキアラさんとアンウォーゼル捜査官を王宮に連れて帰るとなったら、私の神経はぷち切れるところだったけど。
キアラさんがユートレクトを手離さず、ずうっと腕にしがみついていたので、兄上さまは仕方なく王宮までついて来てくれることになった。
キアラさんとユートレクトが二個一で歩いてるので、私とアンウォーゼル捜査官はあぶれた者同士、幸せそうな二人の後ろ姿を温かい目で見守りながら歩いていた。
「若いっていいですねー」
「そうですねー」
「キアラはあんなにはしゃいで……いい年してまるで少女のようですねー」
「そうですねー」
「フリッツもまんざらでもないんでしょうか……お、あれは!」
「?」
「奴の腕にキアラの身体、というか、女性の柔かい部分が当たっているようですねー。
どおりでまんざらでもないわけですねー」
「……そうですねー」
アンウォーゼル捜査官のお気楽な口調に思わずつられたけど、あそこまでべったりされると、やきもちとか嫉妬とかいう気すら起きない。
それより。
全く男ってのは、どうしてああいう……まあいいわ、もう好きにすればいいわよ、どいつもこいつも。
「陛下、キアラのことですが」
普通の声に戻ったアンウォーゼル捜査官に、ちょっと意表をつかれて顔を見ると、学友のことを憂いているような、心配そうというか申し訳なさそうな顔をしていた。
「私が申し上げるのもおかしな話かもしれませんが、非礼の数々、どうか許してやってくださいませんか」
「いえそんな、非礼だなんて」
許すも何もアンウォーゼル捜査官が謝ることじゃないと思う。
それにこのままでも、単に私がキアラさんに好意を持たないだけで、私と彼女の仕事に差し障りがなければ、それでいいと思う。
公務でのお付き合いなんて、大体そんなものでしょ?
寂しい考え方だけど、相性の良し悪しもあるから仕方ない。
「あいつはね、平民たちに辛い過去を背負わされているんです」
アンウォーゼル捜査官の声には、苦い思いがこめられているような気がした。
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キアラさんが昔いやなことを経験してる?
どんな、と口の先まで出しかけて慌てて声を飲み込んだ。
他人の過去、しかもその人にとって辛いことを、軽々しく別の人から聞いていいものじゃない。
それに、貴族のご令嬢が平民『たち』に辛い目に遭わされた、という言葉の響きに、なぜかとても胸の悪くなる想像が頭をよぎってしまった。
もし私の想像したことが本当だったらと思うと、ますます聞く気になれなくなった。
「ハリスバーグ氏の話をしたとき思いました。あいつはまだふっきれていないのだと。ですから……」
キアラさんはハリスバーグさんのことを、平民というだけで異性の対象から外してるみたいな言い方をしていた。
もしかしたら、あんな言い方をしたのは、異性……男性の平民『たち』にいやな思いをさせられたのかもしれないと考えると、ますますいやな想像が頭から離れなくなる。
「わかりました。私個人はピアスカ司法官のことを、何も悪いようには思っていません」
私は自分のいやな想像を打ち消すように言った。
キアラさんにはいろいろ楽しくないことを言われたけど、それとキアラさんの過去を思いやる気持ちとは別だと思うから。
今もキアラさんは、年下の私から見ても無邪気に見える明るい笑顔でユートレクトにしがみついている。
その姿はとても微笑ましくて、キアラさんに浴びせられた言葉の数々を忘れて、自然にこちらまで笑顔になってしまうほどだった。
涼しげな切れ長の目は、映している人を心から信頼しているように輝いている。それは間違いなく、恋をしている人の瞳だった。
「ですが、臣下のなかには誤解する者もいるかもしれません。そのようなことがないよう、宮廷の者には申し伝えておきます。
ピアスカ司法官は、司法という繊細なものに携わっておいでです。書物や文献と向かい合ってばかりでは、感情を爆発させたくなることもあって当然だと思います……私はそう思っています」
女王としての言葉を口にのぼらせながら、私の目はあんな輝きを見せたことはあるだろうかと考えた。
「ありがとうございます、陛下」
アンウォーゼル捜査官の声音は、心から私の言葉に感謝しているようだったから、かえって恐縮して、黙って頭を下げた。
キアラさんの過去について、あれ以上何も言わなかったアンウォーゼル捜査官を見直した。
私との婚約話を振りまいただけならまだしも、それほどまでに口の軽い人だったら、とてもじゃないけど信用できない。これから本格的にペトロルチカやらのことでお世話になるのに、と考えていたら、
「妬いておいでですか?」
「は?」
突然話が変わったことに頭がついていけなくて、言葉が継げないでいると、アンウォーゼル捜査官は前を歩く友人たちを指さした。
「大丈夫ですよ、まんざらでもないなんて言いましたがね、この年にもなれば、あの程度のことで動揺はしません。
まあ、嬉しいことは嬉しいですが。もっと若い女性なら、なおさら嬉しいですね」
ふーん、やっぱり嬉しいんだ。
どうせ私がしがみついて腕に胸が当たったって、断崖絶壁がうんたらかんたらとか言われて終わるに決まってるわ。
それはとりあえず置いておくことにして(置いとくわよ、深く考えると虚しくなるから)、私はあらぬ誤解をとくことにした。
「いえ、焼くとか煮るとか揚げるとか、そういったことはありませんけど」
「先日は二人の時間にお邪魔してしまいましたが、ご安心ください、一昨日のことは誰にも言いませんから」
「ですから、ご想像されているようなことは何も」
アンウォーゼル捜査官は、私の言うことには聞く耳を持たず、迷惑な自論を展開し始めた。
「陛下が私と結婚する、という噂が流れていることは、かえって二人の仲には好都合かもしれませんね。
どうです、この機会により一層仲を深めてはいかがでしょう?
私との噂が流布していれば、二人が一緒にいても疑われることは少ないはず……おお、われながら名案です、そういうことでしたら、私はいつでもひと肌脱ぎますよ!」
「やめてください、これ以上妙な噂を広めるのは!」
私が声を高くすると、アンウォーゼル捜査官は楽しそうに笑い、前の二人は怪訝そうな顔でこちらを振り返った。
そういうこと、ってどういうことよ。お願いだから余計な心配事を増やさないでほしい。
こうして私たちは王宮までの道を楽しく(私は楽しくなかったけど)帰ったのだった。
無事キアラさんとアンウォーゼル捜査官を部屋に送り届けると、私は湯を浴び、肌を整えたりしてから、ベッドの中でようやく落ち着くことができた。
自分の気持ちを、誰にも隠すことなく示せるキアラさんを羨ましいと思った。
贅沢な悩みなのかもしれない。私は既に思いを通わせてもらっている。
でも、昔からの友人で、冗談にしても結婚の約束までした人に、かつてと変わらない好意を示されたら、悪い気はしないと思う。
おまけにキアラさんは美人だしスタイルもいいし、女性として十分すぎるくらい魅力的だし。
性格はちょっと……だけど、昔から仲良くしているならアンウォーゼル捜査官と同じで、どうして平民のことを目の敵にするのかだって知ってるはず。
辛い過去に遭う前のキアラさんを知っていれば、今の言動だっていやだと思わないだろうし。
女として触れることすら難しいうえに、表立って好意を見せられない私なんかよりキアラさんの方が……
私は頭を振った。なんでもすぐよくない方に考えるのは私の悪い癖だけど、癖はそう簡単に治せるものじゃないと改めて思う。特に悪い癖は。
こんなことを考えてしまったのは、先刻彼と別れたとき、二人きりだったのに何も……なかったからに違いなかった。
なくて当たり前なのに。
私が答えを出すまで、きっと彼は何もしない。
一昨日は、思いを通わせたばかりで、お互いに自制できなかっただけなんだから。
そして今、自分の気持ちを持て余しているのは私だけ。
みっともない、こんなの。
何事もなかった顔をしていなくちゃいけないのに。
一昨日のことを思い出すのはやめよう。平静じゃいられなくなるし、眠れなくなる。眠れなかったら明日の執務にも差障りが出てしまう。
昨日だって一日中頭の中が支配されてた。
思い出すだけで気持ちがたかぶってどうしようもなくて、頭から追い出そうとしても居座って私の心をかき乱した。おかげで今朝も寝不足だった。
いつまでも幸せな思いに浸ってばかりはいられない。
何か色めいたこととは逆の、面白いことでも考えたら気が紛れるかしらと思ったところへ、今日会った重臣たちの顔が浮かんできてくれた。
そういえば新年会のときは、今日の顔からは想像できないほど、みんなしらっこい顔をしてたわね。あの後起きたことにかき消されてすっかり忘れてたけど。
……あ、思い出したら、今頃になって笑えてきた。
カルガートとかベイリアル、ホルバンの今日見た真面目くさった顔と、新年会のときのみんなのしらっこい顔とがかわるがわる頭に浮かんできて、私はベッドのなかで一人大笑いしながら、とりあえずこの日は無事眠りにつくことができた。




