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心の行く先5

*********



 言葉が、欲しかった……?


 ユートレクトの台詞を心の中で繰り返した。

 目の前の顔は、今は明らかに笑っていて、それが憎たらしいくらい男前に見えるものだから、また恥ずかしくなってうつむくしかなかった。


 言葉が欲しかったって、理由はなんだかわからないけど、やっぱり私に告白させたかった、ってこと?

 どうして?


「どうして?」


 疑問をそのまま言葉にするしかできなくて、うつむいたままつぶやいた。


「言葉のままだ」


 けど、返ってきたのは謎を解決する言葉ではなくて。

 私は質問を変えることにした。


「じゃあやっぱり、私の気持ち知ってて」


 答えはまた返ってこなかった。

 となりで食器が合わさる音がしたので見てみると、奴が自分が使った食器を重ねていた。


 さっき言ったわよね、私と同じって。

 それは私も、気持ちを聞いてはっきりさせたいと思っていたけど、もしかして奴も……そう思ってたってこと?


 今日の私はとことんあきらめが悪いらしかった。


「私と同じってどういうこと? 私の気持ちを知ってたけど、言葉で聞いて確信したかったってこと?」


 私も自分の使った食器とすり鉢、お重を持って、流し台に向かう人の後を追った。

 けど、返ってきた音は、流し台に水が勢いよく流れる音だけで、また無視。


 どうして答えてくれないの?

 思いを通い合わせた今、何を隠すことがあるの?


 少し悲しくなって、持っている食器たちに目をやると、皮餃子を作っていたときのやり取りを思い出した。


 あのときだけじゃない、これまでだってずっとそうだったけど、今もそうだなんて思いもしなかった。

 でも、もしかしたら。


「ねえ、さっきも聞いたけど、私が来なかったら氷室の中身、本当にどうするつもりだったの?」


 鶏皮宰相は食器は洗えるらしく、黙って私にふきんを持たせると、自分は食器を洗う側に回った。


「私を近いうち家に呼ぶつもりだったの?

 それがたまたま今日『マロ食』で会ったから連れてきて、皮餃子作らせて、ついでに……あんなことも言わせたの?」


 入念な洗い方、すすぎ方を見ると、奴の几帳面な性格が改めてよくわかる。


「何か言ってよ」


 しつこく問いかけながらも、疑念は確信に変わっていった。


 私が言っていることは、奇跡的にも全部当たっていて、それを肯定するのはとてもいやだと思っていること。

 いつも都合が悪くなると話さなくなることが多いけど、今もそうなんだ、きっと。


 だけど、わかっているつもりでも、私の考えを認めてくれる言葉を聞きたいと思うのは、わがままなのかな。


「言ったはずだ、本当にわからないのか」


 その声はすごくうっとうしそうだったけど、女王として、宰相としては聞いたことのない声だった。

 隠していたプレゼントを渡す本人に見つけられて、気恥ずかしくごまかすような声に聞こえた。


「違うときは違うと言う、それ以上聞くな。湯を浴びてくる」

「え?」


 ユートレクトの顔を盗み見すると、さっきまでの笑顔はいつの間にか仏頂面になっていて、私は自分の考えが正しかったことに嬉しくなった。


 けど、最後一言、変なこと言わなかった?

 空耳だといいんだけど、と思っていたら、


「おまえも後から入れ」


 私の回転数が怪しい脳は、とうとう壊れたかしら。

 それとも、耳がおかしくなったのかしら。


 それは、センチュリアの冬は半端なく寒いわよ。

 だから身体の芯から温まるのに、あんたが勝手にお湯を浴びるのはいいと思うわよ。


 でもね、後からって。

 誰に、どこで何をしろって…….?


 私の身体は湯浴みの必要がないくらいまた熱くなった。


「ななな、なに考えてるの!?

 わ、私はね、かか、帰らなくちゃいけないんだから! ねえ、ちょっと待ちなさいよ!」


 さっさと脱衣場に向かう臣下の背中を追いかけながら、力の限りわめき散らしたけどまた無視されて、目の前で脱衣場の扉が無情に閉められた。

 今日これから自分がどうなるのか、どうなりたいのか、ここは、それを真剣に決めないといけない空間だった。


 少しの間忘れていたけど、あの言葉がまだ生きていたことを意識すると、心のたかぶりが抑えられなくなった。

 自分で自分の身体を抱きしめたまま、脱衣場の前から動けなくなった。

 どれくらい時間が経ったのかもわからなかった。


「ずっとそこにいたのか」


 声がするまで、自分がどこに立っているのか忘れていた。


 脱衣場の扉が開いて、濡れた頭の下にバスローブをまとった姿が視界をかすめると、頭のなかで危険信号が激しく点滅し始めた。

 まともにその姿を見てしまったら、きっと今日は、これ以上自分の頭で何も考えられなくなるような気がした。


 私の理性は、崩れたいという思いを抱えながらもまだ生きていた。

 確かめておかなくちゃいけないことも覚えていた。


 もしかしたら、気の早い女だと笑われるかもしれない。

 でもこれだけは、はっきりさせておかなくちゃ、私は女王だから……こんなこと言ってごめんね。


「わ、私、一応女王なんだよ? そこらへんの町娘に、戻れるなら戻りたいけど、違うんだよ? 今だって、王宮のみんなが心配してるかもしれないし」

「そんなことはわかっている。王宮には既に知らせてある、心配いらん」

「え、知らせてあるって」

「俺が何も考えないで動くと思うのか。おまえがあの食堂で気分が悪くなったから、家で保護したと使いを出してある。明日王宮に戻るときは、しおらしくしていろ」


 低くてよく通る声はいつもに増して耳に心地よくて、このまま何も言わないで、全てを彼に委ねてしまいたくなる衝動を懸命にこらえた。

 いつの間に使いとやり取りをしていたのか、そんなことも気に留まらなかった。

 今は本当に聞かなくちゃいけないことを言うのに必死だった。


「私と何かあったら、その……王配にさせられちゃうかもしれないんだよ?」

「王配か、それは困るな」


 その声は私をいやがるのではなく、王配の地位を嫌っているように思えた。

 そのことには安心したのだけど、それだけでは先に進めなかった。


「だったら、私と……どうなりたいと思ってるの?」


 こんな恥ずかしいこと聞きたくないのに。

 気持ちだけでは飛び立てない自分の立場がいとわしかった。


 男の人は、こんな露骨に結婚を想像させるような質問、嫌いなのはよくわかってる。

 だけど、私のことを誰よりよく知ってるはずのこの人には、はぐらかさないでほしかった、今だけは。


「俺はどうなろうと覚悟はできている。後はおまえ次第だ」


 すぐに返ってきた声は、今の姿にはそぐわないほど理知的で、まるで私がこのことを言い出すのを予見していたかのようだった。



**********



「わ、私次第って……」


 そんな言葉が返ってくるとは思ってもいなかったので、言われたことをなぞることしかできないでいると、ユートレクトは流し台に向かいながら、


「おまえと俺は主君と臣下だ、主君の命令に従うのが臣下だろうが」


 整然としているけど、何かを隠しているような声にとても不安になった。

 私を主君としてしか見ていないような言葉にも寂しくなって、慌てて後を追った。


「そんな……待って。私、そんなつもりで言ったんじゃない。命令するとかそんなのいやだよ。一緒に考えられたらいいなと思って」

「では先に聞こうか。おまえは俺をどう遇したいと考えている」


 さっきも言われた『問いかけの問いかけ』に、私は自分が出している答えが完璧でないこともあって、少し後ろめたく感じながらも、心をいらだたせてしまった。


「また私が先に言うの?」

「では答え合わせをしよう。

 女性の主君が、要職に就く臣下を配偶者にする場合、どのような手段が考えられるか。

 そしてその手段には必ず欠点がある。

 文字制限はなしだ、思う存分挙げてみろ」


 ユートレクトは私のささやなか抵抗を軽くあしらうと、コップに水を注いで一息に飲み干した。


 答え合わせっていうことは、彼も私のことを考えてくれていたのかと思うと嬉しくなったけど、間違ったことを言ってしまったらどうしようと緊張もしてきた。


 だけど、ここで立ち止まってはいられない。

 答え合わせなんだから彼の意見も聞けるはずだし、そもそも、彼がこの話を正面から受け止めてくれたことをまだ完全に信じられないでいた。

 いつも見ている限り、結婚には興味がなさそうだったから、こんな話しても適当にあしらわれるかもしれない、と思っていたから。


 ちゃんと考えていてくれるなら、私もまだまだ考えが足りないかもしれないけど、本心で答えなくちゃ。


 私はこれまでずっと考えていたことを全部吐き出した。


 彼を王配にすることは、たとえどんなに望んでも絶対にありえないこと。

 彼が今のセンチュリアで国政から外れるなんて、考えられないから。


 彼は才覚も人格も国王にふさわしい人だと思うけど、女王と国王の共同統治はセンチュリアでは例がないし、後の世で、悪い男が私の後で女王となる人に好意を装って近づき、共同統治を勧めて、結婚してから国を乗っ取ろうとするかもしれない。

 それを考えると、共同統治も難しいと思っていること。


 結婚しないままの、いわゆる愛人関係でいるのは、やっぱり私の気がすすまなかった。

 私以前の女王たちは愛人を複数持っていたけど、私は一人と結ばれればそれで幸せだし、彼を噂話の種にされるのもいやだと思っていること。


 最後に、これはありえないけど私が退位して……と言いかけたところで、


「やはりそれも考えたか。女の考えそうなことだ、それは外せ、二度と考えるな」


 口を挟まれたので、私はそれ以上言わずに済んだ。


 やっぱり思っていたとおりだった。

 女王の私と共に歩いてくれると誓った人が、私に退位の選択肢を授けるはずがなかった。


「おまえから配偶者は王配にすると聞いたのは、去年だったか」

「うん」

「おまえにしては、頭が回ると思ったものだ」


 流し台の蛇口から僅かに水がゆっくり押し出されて、小さな滴になって落ちていくのが見えた。


「だが俺を王配にする気はないのだな」

「うん」

「国王にするつもりもなければ、愛人にするつもりもないのだな」

「うん……ごめん」


 核心の部分だけを抜き出した問いかけに答えるうちに、私は自分の考えていたことが、とても中途半端なものだったことに気がついた。


 王配にも国王にも、愛人にもしないなら、他に一体どんな関係があるの?

 偉そうに私とどうなりたいのなんて聞いたけど、私の方こそ、本当は彼とどうなりたいと思ってるの?


 そんなことを考えてしまうと、彼に対する自分の思いや覚悟がとても浅いもののように思えてきて、情けなく心がすすり泣き出した。


「覚えているか、ローフェンディアでおまえの覚悟を聞いた。あのときおまえは、覚悟はあると言ったな」


 忘れもしない。

 『世界会議』のとき、ローフェンディア王宮の彼の寝室で、同じベッドで休んだときのことだった。


『互いのことを知らなくては、長い道程共には歩けない。

 俺はその覚悟でおまえと共にある。

 おまえには俺と同じ覚悟はあるのか』


 そう問われて、私はもちろんあると答えた。

 だけどそれは、あくまで主君としての答えで、女性としての気持ちには蓋をしたままの答えだった。


 それがこんな形であだになって返ってくるなんて、思いもしなかった。

 私の気持ちが通じるなんて、あのときは夢にも思っていなかったから……なんて考えは言い訳にしかならない。


 責めるでもなく怒るでもない彼の声が、かえって私の心に深く突き刺さって余計に心を震わせた。


 私は黙って頷くしかなかった。

 今の結論からじゃ、気持ちを疑われても仕方がないと思いながら。


 意外なことにユートレクトの反応は冷たくなかった。

 もう一度蛇口をひねって水を出すと、コップを近づける。


「おまえの覚悟をどうこう言うつもりはない。俺がおまえの立場でも、あのときなら同じように考えるだろう。

 だが、今はどうだ?

 俺はあまり変わらんが、おまえの環境は今日で大きく変わったはずだ」


 勢いづいて出た水がコップから溢れて、私の顔に少し跳ねた。


 変わったのは、今日私の思いが通じて、二人の関係が近づいたこと。

 その状態で、もう一度落ち着いて考えてみろってことなの?

 女王としてだけでなく、女性としても一番納得できる方法を。


 彼があまり変わらない、と言っているのは……うぬぼれかもしれないけど、それほど前から私のことを考えてくれていたの?


 そのことに思いが至ると、自分の思いがますます薄っぺらいものに思えて、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「急いで結論を出す必要はない。俺の考えもおまえと同じだ、どれを選んでも欠点はついて回る」


 勢いよくはねた水流に、眼の前に差し出されたコップも手も濡れていた。

 こんな真剣な話をしているときなのに、その手がなまめかしく見えてしまう自分が信じられなかった。


「主君として、自分と国民に恥ずかしくない答えを自分で選べ。

 もし俺がこれを選べと言ったら、おまえは無条件でそれを飲むだろう。それでは俺が主君になってしまう。

 主君はおまえだ、俺ではない」


 私のことなんて、本当にお見通しなんだ。


 一緒に考えたいなんて言いながら、心の底では彼の意見を待っていた。


 もし彼が王配になると口にしたら、きっと私は何も考えずに従ってしまう。

 それじゃだめなんだ。

 私を主君として、女性として認めてくれたこの人に、恥ずかしくない道を選びたい。


 さっきから頭の裏で考えていたけど、今はまだ、どの道がいいのか見えなくてとても不安だった。

 でも、そばにいてくれたらきっと見つけられる……見つけてみせる。


「おまえがどの道を選ぼうと、それを支え守るのが俺の務め……俺の覚悟だ」


 受け取ったコップは冷たいのに、上から重ねられた手はとても温かかった。

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