表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/121

心の行く先3

*****



 言われたことを頭が理解する前に、身体がその言葉に反応した。

 頭から血がどんどん沸騰して、蒸発していくみたいに顔が熱くなった。


 私があんたをどう思っているかだなんて。

 しかも、それを私に言えだなんて。


 ……いいいいい言えるわけないじゃない、そんな恥ずかしいこと!


 あまりにも強大な恥ずかしさと動揺のせいで、殊勝な乙女モードはどこかへ飛んでいってしまった。


 だ、第一、質問したのは私なのに、なんで私が逆に質問されて答えなくちゃなんないのよ。おまけに、先にってなによ、理不尽にも程があるわ。


 そう思って私は反論することにした。


「な、なに言ってるの、私があんたのことどう思ってるかなんて、関係ないじゃない。先に聞いたのは私なんだから、つべこべ言わずに答えてよ」


 私はユートレクトから顔をそむけたけど、まだ視線がこちらに向けられているのを感じて、テーブルに置いた重箱で顔を隠したい衝動にかられた。


 な、何か気のきいた逃げ台詞はないの、さり気なくこの危機を回避できる、淑女的な言葉は……と頭のなかを引っかき回していたら、運よくあるフレーズを見つけたので、言ってみることにした。できるだけ冷静にかつ高貴な感じを漂わせて。


「それとも、私にどう思われてるのか、気になるの?」


 そうよそうよ、と、もう一人の私が心で合いの手を入れる。

 なんだかいい女の台詞みたいでかっこいいわね、と一人で満足していたら、


「おまえが俺をどう思っていようと興味はない」


 相変わらずの冷静すぎる口調が気になって表情を伺うと、こんないい女風の台詞にもまるっきりうろたえる様子もなく、こちらを平然と見下ろしていて、私はまた顔をそむけた。


 興味はない、という言葉が少し胸を刺して。


「だが、他人にものを聞くときは、自分の意見を先に示すのが道理だろうが。

 おまえの意見が示されない限り、俺は何も答えんからそのつもりでいろ」


 浮き足立っていた気持ちが、氷の海に突き落とされたみたいに冷たく凍えてきた。


 俺は間違ったことは言っていない、聞きたければおまえが俺に合わせろ、とでも言っているような口ぶりに、心が固まりそうになって……


 なに言ってるの、せっかく勇気を出して聞いたんじゃない。ここまで来たら、何をどうしたって聞き出すしかない。恥ずかしいけどなんとかしなくちゃ。


 私は腹をくくって顔をあげると、氷の海の番人みたいな臣下を見据えた。


「わ、私はあんたのこと、すごい人だと思ってるわ」

「すごいとは?」


 それが私の表現力のなさを冷笑しているように聞こえて、またくじけかけたけど、今日の私は決意の重さが違う……あくまで私比だけど。


「なんでも知ってて歩く図書館だし、計算もいつも暗算で」


 本当は言いたいんじゃない、聞きたいのに。でも、言わなきゃ教えてくれないなら……


「短期間でセンチュリアの財政を立て直してくれたし、犯罪も減らしてくれたし。

 いつも偉そうにしてるけど、災害のときは誰よりも先に立って被災地に向かうし。一昨年、鉱山で事故があったときだって」

「当然のことをしているまでだ」

「頭がいいだけじゃなくて、剣の腕もすごいんでしょ? トゥリンクス将軍が言ってたわ。あんたが私のそばにいるから、いつも安心だって。リースルさまも言ってたし。だから、その、感謝してるし……尊敬してるの」


 ここまで言うのが精一杯で言葉を切ると、


「つまりおまえは、俺を容姿端麗、文武両道、天下無双、神が二物以上与えた最強の臣下だと思っていると、そういうことだな」


 人の気も知らないでうぬぼれたことを平気で言うもんだから、思い切り腹が立った。


「なによそれ、そこまでいいように言ってないでしょ! うぬぼれるのもたいがいにしてよね!」

「おまえは臣下としての俺の意見が聞きたいのか」


 一方の自称容姿端麗(以下省略)の臣下はそう言い放つと、私の反応を待つようにこちらを見ている。


 ……今だけじゃなかった。


 さっきからずっと見られている気がする。一度も視線を外されていないような……どうしてだろう。


 けど、今はそんなこと考えてる場合じゃない。なんとかして聞かせてもらわなくちゃ、どうしたら……

 そ、そうだわ、この聞き方ならどうかしら。


「ち、違うのよ、そうじゃなくて。個人的に、ね、見て、私ってどう見えるのかなあと思って。例えばかわいいとか、意外と家庭的とか」


 この切り口はお気に召したのか、それともおかしな奴だと思ったのか、もう考えてる余裕もないけど、ユートレクトは珍しいものでも見るように目を細めた。


「来月ね、チェーリアが結婚するの。それで、私って男の人から見たら、どんな女の子に見えたりするのかなーと思って。単なる好奇心よ、こ・う・き・し・ん!」


 心の中がもはや盛大な泣き笑い大感謝祭になってる私は、かなり不自然だろうけど明るくおどけてみせた。

 だというのに、泣き笑いの諸悪の根源は、私の顔をまじまじと見て一言、


「おまえは、重箱を後生大事に持ってきたかわりに、頭の中身をあの食堂においてきたのか」

「失礼ね、ちゃんと頭におさまってるわよ!」


 いっそ重箱の中身を、頭に詰め替えた方がいいかもしれないけどね!


「女の子という年でもあるまい。それで?」

「へ?」

「ではおまえには俺がどう見えるのだ、男として」


 その言葉と声に余計な神経が向いて、また顔が熱くなった。


 卑怯だ。

 私はこんなに感情を隠せないでいるのに、なんにも知らない涼しげな顔で、声で私を翻弄するのは……


 なんにも知らない……本当に?


 ふとそんな考えがよぎって、あることに思い当たると、私はあまりのことに驚いて立ち上がった。


「ど、どうして、私があんたのことをどう思ってるかなんて、言わなくちゃなんないのよ」


 どうして今までわからなかったんだろう。

 もっと早く気がつけばよかった。

 そうしたら、こんな無様な姿、見せなくて済んだのに。


「もういいわ、あんたに私のことをちょっとでも聞こうと思ったのが間違いだったわ。もう一人で帰る、さようなら!」


 私は玄関に向かって駆け出した。


 ずっと私を見ていた理由がやっとわかった。

 観察してたんだ、私のことを、面白がって。


 私の気持ちを、彼はもう知ってるから。



******



 どうして今まで気づけなかったんだろう。


 考えてみたら、即位してから今までの私の言動で、気づかれてもおかしくなかったのに。


 特に『世界会議』のときなんて、ローフェンディアの皇族服を着た姿を見ただけで、心をときめかせて変な顔してただろうし、ダンスを踊ろうとしたり、手を握られただけでも挙動不審になってた。


 まして、鐘楼の上で強がったこと言ったけど、絶対顔は真っ赤だったに違いないし、その後だって……


 敏感な人じゃなくたって気がついてもおかしくないくらい、私の気持ちは全身に表れていたはずだった。


 思い出すと、恥ずかしいのと情けないのとで、また身体が熱くなってきて、さっきまで頑張って持ち続けていた決意も、跡形もなく消え失せてしまった。

 上着かけに丁寧にかけられたコートに手をかけようとして、


「どこへ行く」


 応接スペースの方から声がした。身体が麻痺したみたいに動かせなくなった。


「帰るなら送っていくが、いいのか」


 その低い声は、いつもにも増して重く胸に響いた。


「先ほどお前が俺に問うたときは、何か意を決していたように見えたが、おまえが本当に聞きたいと思っていることはなんだ。それはもう聞かなくともいい程度のことだったのか。今聞かずに後悔はしないのだな」


 最後の言葉は私のすぐ後ろで聞こえた。いつの間にそばに来たのかわからなかった。


 やっぱり知ってるんだ。

 こんな聞き方するなんて、知ってなかったらできないもの。

 一体何を考えて、こんなひどいことをするのかわからない。


 だけど……もういやだ、こんなの。


 こんなことで、泣きそうになったり怒ったりびくびくしたりして、ばかみたいだ、私。


「……知ってるくせに」


 自分でもいやになるくらい耳障りな声だった。

 ちっともかわいくない、押し殺したつもりでも、怒りを隠しきれない子供じみた声。


「さっきから私のことからかって、本当は知ってるんでしょ? 私が何を聞きたいのかなんて。私があんたのこと、どう思ってるかだって。

 そうやって私をからかって何が楽しいの? もうこんなことしないで。帰る!」


 私が乱暴にコートを取ろうとすると、ユートレクトの手が後ろから伸びてそれを止めた。

 とっさにもう一方の手を伸ばしたけれど、届かなかった。

 両腕を背後からつかまれて、半ば後ろから抱きすくめられているような姿勢になっていた。


「何度も同じことを言わせるな、一人で帰るなと言っているだろうが」


 服越しに背中が彼の胸に触れているのがわかった。

 こんなことくらいで心を波立たせるのも、もういやだ。


「あんたとなんか一緒に歩きたくない。

 どうせ私みたいな単純な人間の考えてることを偉そうに分析して、すべてお見通しって顔で笑ってたんでしょ?

 楽しいでしょうね、自分が優位に立ってるっていうのは。でもそんなの、悪趣味だよ……最低」


 背後の人の身体が、微かに震えたような気がした。

 けどこのときは、自分の感情を爆発させることしか考えられなかった。


 腕をつかまれていながらも動く範囲で手を動かすと、無理やりコートの裾近くを握りしめて、勢いよくひきずり落とした。ハンガーが鈍い音で壁に当たって床に落ちた。


「それが淑女のすることか。女王の振る舞いとはとても思えん、下品だな」


 冷淡な声がした。

 両腕が汚いものを捨てるかのように、突然振り離された。


 重箱も髪留めも、どうでもよかった。

 コートを抱えると、外へ飛び出した。

 背後で容赦なく扉が閉まる音がして、私は一人になった。


 あの人のことを思い出させる場所にこれ以上留まっていたくなくて、コートに袖を通すと足を踏み出した。

 なのに、右、左、右……と心でかけ声をかけて歩いても、景色は全然変わらなかった。足が震えてほとんど動かせていなかった。


 なに、この私。最低……


 自分で口にした言葉が脳裏によぎった。


 その言葉に自嘲したとき、私はさっき自分がどんな暴言を吐いたかを振り返って、全身から血の気が引いていくのを感じた。


 もしも私がそんな言葉を言われたら、どんな気持ちになるだろう。

 きっと、誰に言われたとしても傷つくし、腹が立つに違いなかった。

 たとえあの人がどんなに強くたって、そんなことは関係ない。

 人として言っていいことと悪いことがあるはずなのに、私は言ってはいけないことを言ってしまった。


 あのとき、ユートレクトは確かに身体を震わせた。

 本当に少しだったけど、私の愚かな言葉に何かを感じたからに違いなかった。


 最低なのは私の方だ。

 いくら酷いことされたからって、好きな人……本当は心から尊敬している人にぶつけていい言葉じゃなかった。


 ここに来てから、何度も我慢していた涙が降りてきて頬を濡らした。


 謝らなくちゃいけない。


 でも、冷たく腕を離され拒絶された記憶が、まだ心の出入口に大きく飾られていて、どうしても振り返ることができなかった。


 こんなみじめな思いは二度としたくなかったのに。

 だから今日、勇気を出して聞かせてもらおうと思ったのに。こんないやな形で終わるなんて。


 恋ってもっと楽しくて素敵なものじゃないの?

 好きな人に会えば、その人といるときが一番輝けたり、その人と一緒にいるときの自分を一番好きになれたり……


 それなのに、私はいつもいやな自分にしか会えなくて、おまけに最初から報われないかもしれない思いで。

 こんな恋なら、もうこのまま……


 足元に橙色の光が広がった。


「何をしている」


 家の中の灯りが洩れて、私と門扉までの石畳を照らしていた。


「人目につく、中に入れ」


 近づいてきた声に手を引かれるまま、私はまた温かな家の中に連れ戻された。

 さっきまで、足が鉛のおもりみたいに動かなかったのに、どうしてここまで歩けたんだろう。


 眼の前にいるのは、なぜかわからないけど、ひどく顔色の悪い私の……臣下で。


 言わなくちゃ、これだけは。


「わ、私、酷いこと、言った」


 泣きじゃくりながら最後の謝罪の言葉を繋ぐ。

 こんなこと話すのは、今日が最後かもしれないから。


「ごめんなさい、最低だなんて言って、本当にごめんなさい、私は」


 これだけは、本当に……本当だから。


「あなたがすき、です……」


 頭を悩ませてきたことは、何も考えていなかった。


 自分がどう思われてるかを知りたくて言ったのじゃなかった。

 こんなこと言ったらどう思われるかなんてことも、まるで考えから消えていた。


 ただ本当の気持ちを伝えたくて。

 最低だなんて思っていないことをわかってほしかっただけだった。


 とんでもないことを言ってしまった、とは思ったけど、不思議なくらい恥ずかしくはなかった。


「同じ示し方では芸がないな」

「え……」

「言葉はおまえに取られたから、俺は行為で示す」


 暖炉の薪がはぜる音が遠くに聞こえた。


 近くに聞こえるのは、互いの息遣いと鼓動だけ。


 感じるのはぬくもりと、どこまでも続く草原を思わせる匂い、目の前に迫る、氷河から融けたばかりの水みたいに澄んだ眼差しと、それから……


 重なり合った唇がほどけて、耳元で囁かれた言葉が二人の心の行く先を示していた。


「今日はこれで終わるつもりはない」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ