新たな息吹3
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そして今日。
とうとう『世界機構』がユートレクトに自主的な出頭を認める期間の、最終日になってしまった。
アンウォーゼル捜査官が御前会議の場であの通達を読み上げてから、ちょうど七週間経ったことにもなる。
通達には、明日から『世界機構』に彼を強制的に拘束する権利が発生すると書かれていたので、明日以降はいつ彼が『世界機構』に連行されてもおかしくなくなってしまう。
それが気がかりではあるのだけど、クラウス皇帝がユートレクトを安全な場所にかくまってくれているのが、不幸中の幸いだった。
相変わらず『世界機構』は何も言ってこない。
もうそろそろ仕事したらどうなの! とどなりつけてやりたいところだけど、今日はとても大事なイベントがあるので、休暇をもらっている。
大事なイベント……親友のチェーリアの結婚式だ。
あのいまいましい通達のことを、きれいさっぱり解決してから出席したかったのに。
チェーリアの結婚に縁起悪いものを引き寄せてしまいそうですっきりしないけど、今朝もまた、衣装美容担当の侍女レイラに髪を結い上げてもらい、綺麗にお化粧してもらったら、少し晴れやかな気持ちになれた。
このところ、ずっとちらちら降っていた雪も今は止んで、久しぶりに一面の青空が姿を見せている。
チェーリアの将来も、この青空のように明るく広がっていってほしい。
今日はハイヒールを履いているので、結婚式場には馬車で運んでもらうことになった。
通用門へ向かおうと侍女の詰所の前を通ると、マーヤがおひさまの笑顔で見送ってくれた。
あの演説の後、マーヤをはじめ侍従侍女たちは、私の体調をとても気遣ってくれる。
私室の温度はいつもより暖かいし、身につけるもの……寝巻きや部屋着なんかも、着心地がよかったり軽くてゆったりしたものを用意してくれている。
食事も厨房と相談してくれたのだろう。食堂で済ませてしまう昼食以外は、今までよりも健康的なメニューで、見た目も女性好みの盛り付けにしてくれていて、ひそかに毎日の食事が楽しみだった。
病気で臥せったときにも、ここまではしてもらっていなかったのに。
それほど自分が顔面蒼白だったとか、ふらふら歩いていたとかいう自覚はないのだけど、私の体調を心配してくれたのは、クラウス皇帝やマーヤたちだけではなかった。
今思い返すと、演説が終わってから会った人はみんな、内容は覚えていないけど何かしらいたわりの声をかけてくれた。あのとき私は、どれだけひどい顔をしていたんだろう。
改めて自分の至らなさが恥ずかしかったけど、過ぎたことを悔やんでいるだけでは、何も変えられない。
今からチェーリアの結婚式に出席するのだし、明るい気持ちで親友の門出を祝いたい。
気分を立て直すために、何かいいものはないかと考えたら、今日身につけているもののことを思い出した。
今日の衣装は、深緑色のパーティドレスに銀色のボレロの組み合わせだ。
いつも身につけている王家のペンダント以外の装飾品……イヤリングや靴、鞄も銀色で統一されている。
パーティドレスはホルターネックのワンピースで、リボンやフリルはついていない。
シンプルだけど、裾の前より後ろが長い珍しいデザインになっている。
銀色のボレロはふわふわの生地でできていて、ホルターネックでむき出しの腕と肩を寒さから守ってくれている。
生地全体にオーリカルクが染み込ませてあるらしく、光に当たると上品な輝きを見せていた。
こういうとき、センチュリア女子に生まれてきてよかったと思う。オーリカルクを服に使うおしゃれは、センチュリア以外ではできないものね……
少し心が明るくなってきたところで、通用門が見えてきた。
通用門に着くと、既に馬車が待っていた。
今日はよろしくね、と御者と護衛の憲兵たちに声をかけると、ハイヒールの怪しい足取りで客車に乗り込んだ。
チェーリアの結婚式が挙げられるのは、センチュリア唯一の結婚式場『プラークローグ』。
センチュリア女子は小さい頃からみんな、ここでお嫁さんになるの! と夢見ている憧れの場所だ。
だけど、私は女王だから王宮で式を挙げることになる。
ユートレクトとの婚姻と共同統治を公表してから、国務省が結婚までの段取りを考えてくれている。
ただし、彼が無事センチュリアに帰ってきて、しかも『世界機構』からの通達のことがすべて解決した、と仮定しての予定だけど。
王族……特に国王が結婚するためには、一般の人でいうところの結婚式や披露宴をするまでに、いくつかの儀式をしないといけない。
しかも今回、ユートレクトには結婚と同時に王位に就いてもらうので、彼には即位のために必要な儀式にも、事前に臨んでもらわなくてはならない。
即位までの儀式を経験した立場から言わせてもらうと(私も一応女王だからそうなのよ!)、結婚のための儀式より、即位までの儀式の方が大変だと思う。
両方の儀式を同時にしていかないといけないのは、さすがに鋼鉄毒針とげ付きの心臓を持つ臣下にも、ちょっとは負担になるんじゃないかと心配している。
国王になってもらうことを、勝手に決めておいてなんだけど。
……彼は本当に国王の地位に就いてくれるのか。
クラウス皇帝やキアラさんに啖呵を切って、特例法まで制定する。演説でも公表したし、取り消すつもりもない。
それでも、共同統治を決めてからずっと、確信が持てているわけではなかった。
あの人のことだから、本当にいやだったら、どんな手段を使っても即位を免れようとするだろうし。
そう考えると、実は冗談抜きでしゃれにならないくらい怖い。
だから……こういう姿勢はよくないのだけど、今は考えないことにしておこうと思う。
馬車に揺られながらいろいろなことを考えていると、式場までさほど時間を感じずに到着した。
馬車とハイヒールにあまり慣れていないので、客車から降りるとき転げ落ちそうになったけど、最高位の淑女の根性でなんとか体勢を立て直した。
そうしてふらふらするハイヒールで、ようやく地面に着地したときだった。
「あ、来た! 次の花嫁さん!」
聞きなじみのある声の方を見れば、見覚えのある顔が揃っていた。
「この前の演説、すごかったねえ! まるで別人みたいだったよ!」
炭鉱女子のカミラは、ここぞとばかりにドレスアップしておしゃれを楽しんでいるみたいだった。個性的な橙色のドレスを、違和感なく着こなしている。
「あんたもやるときはやるのね、驚いたわ。いつもスイーツの話ばかりしていた頃とは、大違いだったわね」
レオナは群青色のセンチュリアの伝統衣装を着ていた。
確かサーシャの結婚式のときもこの衣装で、お祖母さんから伝わっているものだと聞いた記憶があった。
「いつなの、ねえ、結婚式はいつ?」
そのサーシャは、レースとフリルがたくさんついた、ピンクのドレスがよく似合っている。相変わらず二児の母とは思えないかわいらしさだ。
……えっと。
私の結婚式は、
「結婚式はまだ先になりそう」
「先ってどのくらい?」
「うーん、まだ予定が立てられないのよ」
ユートレクトが無事生きて帰ってきて、『世界機構』が通達を取り消してくれるかどうにかして……とにかく彼にかけられた嫌疑がなくならないと、おめでたい式は挙げられないと思っている。
法的には『センチュリア最高貴族選定結晶会議』で全会一致をもらってるから、婚姻関係自体は成り立っているのだけど、国王に即位してもらうためには、いろいろな儀式に臨んでもらわなくてはならない。
それは、ユートレクト本人がセンチュリアに帰ってきてからでないと、できないことだから。
「こらサーシャ、宰相閣下はまだどこかに潜伏していらっしゃるんだから、戻られてからでないと予定が立てられないだろ?」
「そっかー、そうだよね、ごめんねアレク」
カミラがお母さんみたいにサーシャを小突いた。
「王族が婚礼の式挙げるまでって、儀式とか多そうだし、時間かかりそうよね」
「そうなのよ」
レオナの言葉に、私は大きく頷いた。
「結婚式するまでに、どのくらいかかるのー?」
「えーっと……半年から一年くらいかな」
「えええええーーー!?」
サーシャの叫び声が、結婚式場の門前に響き渡った。
「王族ってほんと大変なのねー!
あんな演説もしなくちゃいけないし、難しいことも決めないといけないし。
ほんとアレクすごいわー!
私だったら、クラウス皇帝の前でわざと倒れちゃうくらいしかできなーい!」
「あんた、本当にわざと倒れて、クラウス皇帝に抱きかかえてもらいながら、握手とかサインとかおねだりしそうで怖いよ」
カミラのつっこみに、サーシャがクラウス皇帝の腕の中で嬉しそうにしている姿が頭に浮かんできて、少しげんなりした。
「にしても、クラウス皇帝はとても凛々しくて素敵でいらしたわね。
あんな方と首脳会談したって、まさか二人きりじゃないわよね。大臣とか秘書官とか一緒よね?」
レオナが目をきらきらさせて聞いてきたので、
「ううん、ほとんど二人だったよ」
こう答えてしまってから後悔した。
二人きりなんてどういうこと!? 羨ましいわ! とか言われたら、更にげんなりしてしまう。
そんな楽しい気分には、これっぽっちもならなかったし。
非公式会談では、ネフレタ教授やキアラさんにも加わってもらったし、首脳会談も、最後には副大臣や報道官と打合せしたから、そこまで言った方がいいかな……と考えていると、
「二人って……」
「あ、でも、途中他の人とも一緒に話し合ったりもしたし、実はそんなに二人きりでもなかったよ」
レオナが暗い声を絞り出したので、慌てて終始二人きりではなかったことを強調したのだけど、
「アレク」
「は、はい」
「あんた、本当に変わった、というか成長したわね」
レオナがそう言うと、カミラとサーシャが台詞を足した。
「そうだよ! 天下のローフェンディア皇帝とサシで会談とか、すごいじゃないか!
それに、昔ならあんな演説、絶対できてないよ!」
「野次だって華麗にスルーしてたしねー。
昔のアレクなら、野次飛ばした奴、どつき倒して回ってたよー。ほんと我慢強くなったねー!」
やっぱり、私の耳に入ってきたことは、幻聴でもなんでもなかった。わかってはいたことだけど、また気持ちが沈んだ。
「そうそう、あれすごく腹立ったねえ!
私の近くで野次ってた奴らなんて、睨みつけたら急にしゅんとしやがってね。言いたいことあるなら、最後まで言えっての。ほんと、男の肝っ玉ない奴ほど情けないもんはないよ!」
「ああいうこと言う奴らは、自分が言われる立場に置かれたときのこと、全然考えられないのよ。程度の低さが知れるわ。センチュリアの恥ね」
「人の話は静かに聞きましょうとか、自分がされていやなことは人にしてはいけませんって、ママに教わらなかったのかしらねー?
子どもたちにも言っておいたもん。あんな人たちみたいになっちゃだめよ、って」
みんなが言うこともその通りだと思う。
だけど、ああいうことを言った人たちにとっては、
「その人たちにとっては、あれが本心なんだよ。だから」
言われるような君主である私が悪いし、言われて心を弱くしている私が悪いんだよ……
そう続けようとしてやめた。気弱なところを見せたら、みんなに余計な心配をかけてしまう。
何をどう言おうか、考えをめぐらせようとしたときだった。
「なに言ってるの! あんなこと、ほとんどのセンチュリア人は、これっぽっちも思ってないわ!」
「そうだよ! 私の近くにはああいうこと言ってる人、一人もいなかったよ?」
「みんなアレク女王ばんざい! って言いながらばんざいしてたよ、見えただろ?」
……知らない。
そんなこと、私は見てない、聞こえてもいない。
目の前が真っ暗になった。身体から血の気が引いていくのがわかった。
「アレク、あんた……」
レオナが私の顔を覗き込んだ。
「もしかして、緊張しすぎて前庭見えてなかったー?」
「でも、野次は聞こえてたんだよね? だったら」
サーシャとカミラの不思議そうな声に、
「だったら、アレクにとって、いいことだけが聞こえてなくて、見えてもなかったんじゃない?」
レオナが思いもよらないことを口にした。
「そんなことありえるの!?」
「この感じだと、そうかもしれないわ」
「うーん、確かにアレクは昔から心配症だったからね。それが強くなりすぎちまったのかねえ……ってアレク、あんた顔真っ青だよ、大丈夫!?」
あのときのことが、そんな変な風に記憶が抜けているだなんて。
サーシャじゃないけど、そんなことありえるの……?
「何か思い当たることない?」
レオナの問いかけにも、思い当たることが全然なくて答えられないでいると、
「いい? あの日のこと教えてあげる。本当のことだから信じてよ?」
細くて綺麗な指に両肩が力強くつかまれた。レオナの指だった。
「あんたの演説を聞いて、たしかに余計なこと言ってた人は何人もいた。
でも、前庭にいた人間全員からしたら、本当に少数よ。
しかも、カミラが睨みつけたらしゅんとするくらいの、小心者ばっかり。
私、カミラと一緒にあんたの演説聞いてたから。これ、間違いないから」
レオナの真剣な声の後をカミラが続けた。
「そう、クラウス皇帝が演説したとき、あんたの結婚を祝うっておっしゃっただろ?
あのときにだって、姫さまばんざい! って声が、ほんとたくさん挙がったんだからね。
ひょっとして、これも聞こえてなかった?」
カミラが言ってくれたことも、私の記憶には全くなかった。
「見てよほら、こんな感じでさ……姫さま、おめでとー!」
「これからも応援してるよー!」
「宰相閣下とお幸せにー!」
「姫さまばんざーい!」
「宰相閣下ばんざーい!」
「センチュリアばんざーい!」
みんなはその時の様子を再現するのに、ばんざいしながら声を挙げてくれた。
「どう、何か思い出した?」
レオナの問いかけとカミラとサーシャの心配そうな表情に申し訳なくなって、硬くこわばった辛い記憶の扉をこじ開けた。
……クラウス皇帝が私の結婚についてお話されたとき。
粉雪がひとひら、手の甲に降りてきた。
手に落ちた粉雪は、ひとひらだけだったはずなのに、いつの間にか、雫がいくつも手の甲についていて。
それがとても不思議だった。どうして……
そう思い至った途端、あのときの光景が脳裏によみがえった。
クラウス皇帝を讃える声は、確かに聞こえていた。
それと同じくらい……もしかしたらそれ以上に、私の結婚を祝福する声を挙げてくれた前庭のみんな。
『姫さまおめでとう!』
『これからも応援してるよ!』
『宰相閣下とお幸せに!』
『姫さまばんざい! 宰相閣下ばんざい!』
『センチュリアばんざい!』
聞こえていた。見えていた。
みんなの歓声、頬を赤く染めて、嬉しそうにしてくれていた笑顔。
聞こえていた。見えていた。
だけど、それがだんだんぼやけて見えなくなって、気がついたら、雫がたくさん落ちている手の甲を見つめていた。
あの雫は私の……みんなへの感謝のしるしだった。
それに気づいた途端、欠けていた記憶が、堰を切ったように頭の中へなだれ込んできた。
記憶がなくなった……というより、自分から頭の中に留めないようにしてきたのは、私が演説を終えてから、クラウス皇帝の演説が始まるまでの記憶だけではなかった。
私はあの演説から今までずっと、自分に向けてもらった暖かな思いすべてに蓋をして、見ないように聞こえないようにしていた。




