前庭の演説3
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気がつけば、自分の席に着いていた。いつの間に席に戻ったのか、全く記憶がなかった。
演説が終わったとき、前庭にいる人たちがどんな反応を示していたのかも、まるで覚えていなかった。
自分の演説の結果を、目の当たりにするのが怖かった。
だから無意識のうちに、みんなの様子を見ないよう、聞こえないようにしてしまったのだと思う。
自分の意気地のなさが、情けなくて恥ずかしくて仕方なかった。
演台を見やると、クラウス皇帝がいらした。
拍手と歓声の大きさで、みんながどれだけ、世界最強の皇帝陛下が姿を見せるのを待ちわびていたのかがわかった。
クラウス皇帝と演台を交代するとき、きちんとご挨拶したかどうかも覚えていなかった。
失礼のないように振る舞えていたといいのだけど。
「……今回は、私の行幸を快く受け入れてくれたことを、アレクセーリナ女王とセンチュリア国民に心から感謝する」
クラウス皇帝の演説が始まった。
『世界会議』で司会役を務められるのは何度も拝見したけど、演説を聞くのは初めてだった。
高くもなく低くもない、けれどよく通る声は爽やかでいて優しく、聞く人全員に安心感をくれるように思えた。
「私がセンチュリアで眼にした人々の暖かさ、雪に包まれた素晴らしい風景、そしてアレク女王との会談は、非常に印象的で忘れがたいものとなった。
昨日センチュリアに到着したときは、寒い中、かわいらしい園児たちをはじめ、多くの人々の出迎えが、われわれの心と身体を和ませてくれた。
晩餐会では、雪灯りに照らされた幻想的な街並みを臨みながら、白毛牛に舌鼓を打たせてもらった。
白毛牛はとても美味しく、舌で溶けるほどの柔らかさで……アレク女王、ぜひローフェンディアへの輸出を検討して欲しい」
突然、クラウス皇帝が私の方を向かれた。それと同時に、前庭からくすくすと笑い声が漏れた。
この演説の場で、世界最強の皇帝が白毛牛のおねだりをなさるとは、前庭にいる人たちはもちろんだろうけど、私も予想していなかった。
だから、少しとまどってしまったけど、白毛牛を輸出するのは悪くないと思う。
顔じゅうの神経を頬に集中させると、どうにか笑顔を作って頷いた。先ほどの演説で受けた極度の緊張が、まだ全身に残っていた。
クラウス皇帝は、私のぎごちない笑顔にも爽やかに笑ってくださると、また前庭に向き直られた。
「そして今日も、こうして多くの人々のが集まってくれていることを、とても嬉しく思っている。
アレク女王とは、晩餐会を含めて非常に長時間話し合い、意見を交換することができた。とても白熱した、実りある会談となった。
先ほど共同声明で宣言し、女王も言及したように、センチュリアとわが国の関係は非常に良好であり、今後ますます交流を深めていくつもりだ」
クラウス皇帝は一息つかれると、演台に用意されていた水を一口飲まれた。
「……さて、先ほどのアレク女王の演説に、みな未だに驚いているのではないだろうか。私もその一人だ。
だがまずは、アレク女王とわが弟、この国の宰相でもあるフリッツ・ユートレクトとのあいだに結ばれた婚姻関係を、心から祝福をしたい」
前庭に、歓声とどよめきが混じり合った喧騒が広がった。
クラウス皇帝が私の結婚と共同統治をどう考えているのか、本心を測りかねているみんなの心情が表れている気がした。
「今回、アレク女王は、さまざまな事象を勘案し、熟慮の末に、わが弟と共同統治を執ることを決断した。
歴史に新たな道標を刻むであろうこの決断を、ローフェンディアは率先して支持する。
そして、永世中立国であるセンチュリアの立場を脅かさない範囲で、最大限の支援をしていく所存だ」
クラウス皇帝が口を止めた途端、今日一番の歓声と拍手が、不安と心配のどよめきをかき消した。
みんなローフェンディアがセンチュリアを支持し、支援してくれることを心から喜び、歓迎しているように見えた。
改めてクラウス皇帝の影響力の大きさを実感した。
それと同時に、自分の演説に説得力が備わっていなかったことが知れて、ますます情けなくなった。
「しかし、仮に他の国が同様のことをしたとして、私がその国の共同統治を支持するかといえば、そうとは限らない」
違和感を覚えた。
こんな台詞は、昨晩打合せしたときにはなかったはずだった。
クラウス皇帝は何をおっしゃるつもりなんだろう。
「私が今回、センチュリアの共同統治を支持するのは、アレク女王が行うからに他ならない」
足元のストーブで燃える薪が、音を立ててはぜた。
「先ほどのアレク女王の演説を聞いてもわかるように、彼女の実直で優しく、誰に対しても誠実な人柄は、みなも認めるところだろう。
君主に情は必要ないという意見もあるかもしれないが、彼女のように情のある、情のわかる君主でなければ、みなの心を安らかにし、幸福にすることはできないと私は考えている。
そして彼女は、自らが置かれている立場を十二分に理解している。
後世に禍根を残すことなく、人々に恥じることのない、共同統治の治世を築いていくだろう。
彼女はそれができる、強くそしてたおやかな女王だ。
だから私は彼女を支持し、支援するのだ。
わが弟を、一国の国王にしたいがために支持するのではないことを、強く明言しておく」
粉雪がひとひら、手の甲に舞い降りた。
落ちたのはひとひらだけのはずなのに、ほどけた雫はいくつも手の甲に広がっていた。
「現在、弟はわが国の皇族であり、皇位継承権第二位を持つが、アレク女王と結婚したあかつきには、わが国の皇室典範の定めるところにより、ローフェンディア皇族ではなくなるため、弟の皇位継承権は完全に消滅する。
従って、弟がアレク女王と婚姻関係を結ぶことで、わが国がセンチュリアを併合、もしくはその他の形で支配することは一切ないと、ここに宣言する」
ここからは、私も知っている演説の内容に戻ったようだった。
歓声は先ほどより更に大きくなった。
クラウス皇帝ありがとう! ローフェンディアばんざい! という声も、あちこちから挙がった。
みんなが心配していたことを、当の国家の最高権力者自らが否定したのだから、不安の取り除かれ方はまさに完璧だった。
「そして今後、センチュリアのみならず、わが国を含めた他国に共同統治を考える君主が現れたとき、アレク女王と弟の共同統治が未来の君主たちの模範となるよう、二人には己を厳しく律して、センチュリアの統治に務めてもらいたい。
また、センチュリア国民にも、みなの君主たちを冷静な目で監視してもらいたい。
監視というと、いやらしく聞こえるかもしれないが、君主と国民の間には、互いを敬い、愛する気持ちが何より大切だが、それと同じくらい、互いの行いや振る舞いに対して冷静に善悪を判断することも必要だ。
君主は、君主自身だけで作られるものではない。
その下で統治される国民が賢明で、君主の失政やよからぬ言動を指摘できるからこそ、君主も賢明な統治ができるのだと私は考えている。
アレク女王と弟、センチュリア国民なら、賢明な共同統治を築き、そして永世中立国の民として、世界の模範となる行動ができると確信している」
クラウス皇帝のおっしゃることは、もっともなことだった。
私が国王でいられるのは国民のおかげだと、先ほど気づかされたばかりだった。
みんなもクラウス皇帝にこう言われて、とても誇らしげな顔をしていた。
「センチュリアはわが国にとって、オーリカルクの供給先というだけでなく、共に世界の平和を望む国として、最良の盟友となる国だと考えている。
これからも、対等の立場で共に世界の平和を希求していきたい。
世界の平和を望む心に、人種や国体の違いは全く関係ない。
この世界を愛し、守るためになすべきことは、どのような国家であっても同じはずだ。
わが国とセンチュリアが手を携え協力していくことに、障害となるものはなに一つ存在しない」
前庭が……というよりも王宮全体が、歓声と拍手の熱気に覆われたように感じた。
センチュリアは永世中立国だから、特定の国からこんな風に言われたことは、永世中立国になってからは一度もないはずだった。
友好関係を保っている永世中立国同士でも、お互いを盟友と呼ぶことはない。
縦や横の関係をあえて濃くしないようにして、どの勢力とも距離を置くことで自国の平和を保つのが、永世中立国のあり方だから……本来は。
そのせいもあるだろう。
「聞いたか? うちのことを最良の盟友だってよ!」
「手を携えてってことはつまり、帝国がうちと連携するってことか?」
「すごいな、センチュリアも偉くなったもんだ」
「帝国との共闘ってことだろ? 熱い展開だな!」
なんてはしゃぐ、若い男性たちの声まで聞こえてきた。
こういう捉えかたを聴衆にさせる……つまり、センチュリアが永世中立国であっても、ローフェンディアと協力関係を結ぶのは問題ない、むしろ喜ばしいことだと人々が自然と考えるようになる、クラウス皇帝の演説が巧みなのだと思う。
「そして、アレク女王の演説には、もう一点驚いたことがあった。『世界機構』の傍若無人ぶりだ。
あの演説を聞いて、加勢しなくては男が廃るというものだ。みなもそう思うだろう?」
拍手の嵐が前庭に渦を巻いたかのようだった。
「今日は演説内容を変更して、私も少しばかり『世界機構』の上層部と、その背後にいる勢力について語りたいと思う」
クラウス皇帝が一番訴えたいのは、ここから先の内容のはずだった。
「私の弟であり、この国の宰相でもあるフリッツ・ユートレクトに課された冤罪は、先ほどアレク女王が述べたように、『世界機構』の常務理事、フォーハヴァイ王国出身のカーヤルという人物が、昨年十一月発令した通達に記されたものだ。
これは明らかに根拠のない罪を捏造したものだが、なぜカーヤルは、このようにあからさまな捏造通達を出したのか。それは彼の出身国に関係がある。
彼はフォーハヴァイの前国王マレイ・アス氏と親しく、『世界機構』に勤める以前は、マレイ・アス氏の下でフォーハヴァイ王国の要職に就いていた。
つまり彼は、マレイ・アス氏に重用されていたわけだ」
言葉にならないどよめきが、前庭を揺るがした。
「マレイ・アス氏はカーヤルを『世界機構』に勤めさせる際、一億とも二億とも言われている多額の金を『世界機構』に寄付することで、最初からカーヤルをかなり高い地位に就けさせた。
そして、フォーハヴァイのためになるような活動させてきた。
カーヤルがアレク女王に通達を出したのも、マレイ・アス氏に依頼された可能性が極めて高いと見て間違いない。
では、なぜマレイ・アス氏は、アレク女王にあのような通達を送るよう仕向けたのか」
前庭にいる人々……一般の人たちはもちろん、報道関係者も官吏たちも、息を潜めてクラウス皇帝のお言葉を待っているように見えた。




