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盤上に咲く幼竜  作者: ぬっく~


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第二十四話 覇王の隣

 ベスト8初戦を三勝で抜けた直後、会場の空気は明らかに変わっていた。


 ざわめきはある。

 だが、先ほどまでのような“覇王をどう止めるか”という一方向の緊張ではない。


 違う。


 天羽しおりが勝つのは前提。

 問題は、その隣だった。


「……まずいな」

「しおりだけじゃない」

「二将も三将も、昨日までと別人じゃないか」

「覇王に鍛えられたってことかよ……」


 準決勝進出を決めた四校の待機列で、そんな声が小さく飛び交っていた。


 坂本も黒田も、それを聞こえないふりで聞いていた。


 以前なら、名前すら上がらなかった。

 相手校の警戒はいつだって一点突破だった。しおりだけを見て、残り二つを刈り取る。それが正解だったし、それで十分だった。


 だが、今は違う。


 先ほどの一戦で、二人は証明してしまったのだ。


 覇王のいる学校は、覇王だけの学校ではないと。


「見られてるな」


 黒田が小さく笑う。


「ようやく、って感じですけどね」


 坂本が答えるが、その声音に余裕はなかった。注目されること自体は悪くない。だが、警戒の質が変われば、それだけ相手の準備も深くなる。


 そして、次の相手はまさにそういう学校だった。


 準決勝の対戦校は、県内でも層の厚さで知られる強豪校だった。

 一将は堅実。

 二将は終盤型。

 三将は徹底した受け将棋。


 派手さはない。だが、どの盤でも大崩れしない。

 三人とも、自分の役割をよく理解している。


 団体戦で、最も面倒な相手だった。


「二将と三将を確実に狩りに来るぞ」


 組み合わせ表を見ながら、坂本が言った。


「ええ」


 しおりは短く頷く。


「一将戦は時間を使って粘るだけ。私を止める必要はない。引き延ばして、その間に二勝する。それが一番自然です」


 あまりに冷静な分析に、黒田が苦笑した。


「自分が“止める必要ない相手”って言い切るの、普通は相当嫌味なんだけどな」


「事実なので」


「そういうとこなんだよ……」


 しおりは返さない。


 その視線はすでに次の盤を見ていた。


 準決勝。

 ここを勝てば、残るは代表決定戦だけ。

 あと二つ。

 あと二勝。


 だが、その“あと二つ”が簡単ではないことを、しおりは誰よりわかっていた。


 勝ち残った四校に弱い学校はない。

 ここから先は、相手もまたチームで殺しに来る。


『準決勝の選手は、対局席へお着きください』


 アナウンスが響く。


 四校十二人が一斉に立ち上がった。


 会場の温度が一段下がる。


 歩く。

 席へ向かう。

 椅子を引く。

 駒箱を置く。


 その何気ない一つ一つが、さっきまでよりずっと重かった。


 しおりの向かいに座ったのは、長身の二年生だった。眼鏡の奥にある目は静かで、感情の起伏がほとんど見えない。派手に来るタイプではない。だが、こういう相手ほど厄介だった。


 耐えることに慣れている。

 負け方を知っている。

 そのうえで、まだ諦めていない。


 しおりは軽く一礼した。


「お願いします」


「お願いします」


 返ってきた声も低く、無駄がない。


 左右では坂本と黒田がそれぞれ席につく。

 どちらの相手も、先ほどまでとは目の色が違っていた。


 もう“しおりを捨てて二枚を取る”だけでは足りない。

 坂本と黒田も、崩しにくい駒になっている。


 ならば、もっと精密に削るしかない。


 審判が告げる。


「始めてください」


 同時に、三つの駒音が重なった。


 序盤は静かだった。


 しおりの盤は相居飛車。

 互いに様子を見るような立ち上がり。

 だが、数手進めばわかる。


 向かいの二年生は、徹底している。


 戦わないわけではない。

 だが、勝とうとして前へ出るのではなく、“壊れないこと”を第一に置いている。


 美しい将棋ではないかもしれない。

 だが団体戦では正しい。


 しおり一人に食い破られても、他で二つ勝てばいいのだから。


 しおりはその意図を感じ取りながら、ゆっくりと駒組みを進めた。


 いつもより少しだけ遅く。

 だが、それは迷っている遅さではない。


 測っている。


 相手がどこまで引くか。

 どこから嫌がるか。

 どこで“負けない形”に自分を閉じ込めるか。


 それを、手の温度で探っていた。


 数分後。


 先に動いたのは相手だった。


 角道を通し、銀を上がり、中央の歩を突き合わせる。仕掛けというより確認に近い一手。応じ方次第で形を変えるつもりなのだろう。


 しおりはその瞬間、ほとんど間を置かずに応じた。


 こと。


 控えめな音。

 だが、その一手で局面の意味が変わる。


 相手の二年生の目が、ほんの少しだけ細くなった。


 ――速い。


 読みが、ではない。

 判断が、だ。


 普通なら迷う分岐だった。

 受けに回れば安全だが主導権は手放す。

 踏み込めば主導権は握れるが、反発も喰らう。


 しおりはそのどちらでもない、第三の地点に着地した。


 安全を保ったまま、

 相手にだけ考えさせる形。


「……いやらしいな」


 相手が初めて口を開いた。


「褒め言葉として受け取ります」


「中一の台詞じゃない」


「よく言われます」


 淡々とした応酬。


 その間にも盤面は少しずつ締まり、見えない縄が相手の陣形へ巻きついていく。


 一方で、左右の二局も激しかった。


 坂本の盤では、序盤から重い捩じり合いになっていた。相手の二将は終盤型らしく、形より読みを優先してくる。危うい筋でも勝てると見れば踏み込んでくるタイプだ。


 対する坂本は、受けに重心を置きつつも、決して引きすぎない。


 しおりに散々叩き込まれた形だった。


 怯えて受けるな。

 受けながら刺せ。

 守るために指すな。

 勝つために受けろ。


 以前なら、相手の圧力に押されていた。

 だが今は、耐えながらも盤面の芯を渡さない。


 黒田の盤はさらに際どかった。


 相手の三将は受け将棋。

 ひたすら崩れない。

 こちらが少しでも焦れれば、逆に差し込まれる。


 黒田は何度も唇を噛みそうになるのを堪えながら、じりじりと歩を伸ばし、手を作っていく。


 急ぐな。

 雑に攻めるな。

 しおりならどう指す。


 その問いが、頭の奥で何度も繰り返されていた。


 盤上の時間が、ゆっくりと過ぎる。


 そして最初に形が傾いたのは、またしてもしおりの一将戦だった。


 一見すれば、まだ互角。

 駒損もない。

 大きく崩れた箇所もない。


 だが、わかる者にはわかる。


 相手の二年生が、もう自由に指せていない。


 受けるたびに陣形が窮屈になる。

 逃げるたびに攻め筋が減る。

 攻め返そうとすると、その瞬間だけ盤面のどこかが薄くなる。


 しおりは、その“薄くなる瞬間”を待っていた。


 そして。


 それは、何気ない銀上がりの直後に訪れた。


 しおりの指先が、すっと駒を摘む。


 ぱちり。


 その一手に、向かいの相手が止まった。


「……そこか」


 小さく漏れた声には、驚きと、わずかな諦めが混じっていた。


 そこは、誰もが見える急所ではない。

 だが、数手先で必ず裂ける継ぎ目だった。


 今はまだ薄いだけ。

 しかし、ここで楔を打たれた瞬間、陣形は“これから崩れるもの”へ変わる。


 相手は長く考えた。


 読み、受け、また読む。

 持ち時間を削り、表情も変えず、ただ盤面だけを見続ける。


 強い。


 しおりはそう思った。


 この場に残るだけのことはある。

 逃げたい場面で逃げず、苦しい局面で投げない。小学生時代に何度も相手をしてきた連中とは、やはり密度が違う。


 だが。


 それでも足りない。


 しおりの将棋は、相手が“強い”ことを前提にさらに先へ行く。


「……受けるしかないか」


 相手がようやく一手を返す。


 しおりはその手を見て、間髪入れずに次を指した。


 さらに相手が止まる。

 また受ける。

 しおりが打ち込む。


 押し合いではなかった。

 一方的な蹂躙でもない。


 それは、静かな処刑だった。


 逃げ道がないと知りながら、なお歩かなければならない道を、相手は一歩ずつ進まされていた。


 観戦者が息を詰める。


「また一将が……」

「いや、でも相手も粘ってる」

「粘ってるのに、全然楽にならない……」


 そう。

 粘っている。

 だが、楽にならない。


 しおりの将棋はそこが恐ろしい。


 受けても受けても、空気が薄くなる。

 指している本人だけが、少しずつ“終わり”へ近づいていく。


 数手後。


 ついに相手が駒台へ手を置いた。


 長い沈黙ののち、深く頭を下げる。


「……負けました」


 準決勝でも、最初に盤を降りたのはしおりだった。


 会場がまたざわつく。

 だが、先ほどよりも驚きは少ない。


 代わりに広がったのは、もっと嫌な理解だった。


 やはり止まらない。

 やはり崩れない。

 やはり、勝つ。


 しおりは一礼し、静かに立ち上がった。


 そしてすぐに左右の盤へ目を向ける。


 坂本は苦しい。

 だが、まだ持ちこたえている。

 読み合いの深さで押されながらも、形勢を大きく損ねず、じっと相手の過不足を待っていた。


 黒田も同じだった。

 受け将棋相手に焦れず、少しずつ局面を広げている。以前の黒田なら、どこかで無理に踏み込んで自滅していたはずだ。


 なのに今は、耐えている。


 しおりと指し続けた日々が、二人の将棋そのものを変えていた。


 盤面の向こうにある圧に、慣れている。

 不利そうに見える局面でも、まだ終わっていないと知っている。

 目の前の相手が強くても、“もっと強いもの”を知っている。


 だから折れない。


 しおりは何も言わず、二人の対局を見守った。


 坂本の盤で、ついに一つの綻びが生まれる。


 相手が踏み込みすぎた。


 勝ちを急いだのだ。

 一将が落ちた以上、二将で決め切らなければならないという焦りが、その一手に出た。


 坂本の目が変わる。


 逃さない。


 受けていたはずの駒が、反転して牙になる。

 金が寄る。

 飛車が走る。

 それまで息を潜めていた攻め筋が、一気に盤上へ姿を現す。


「……っ!」


 相手が顔を上げた時には、もう遅かった。


 坂本は深く、正確に読んでいた。

 しおりとの対局で、何度も何度も“甘さを刺される恐怖”を教え込まれてきた男の読みだった。


 数分後。

 相手が静かに投了する。


 坂本が勝った。


 これで二勝。


 団体戦としては、ここで勝負あり。


 だが、黒田の将棋はまだ続いていた。


 普通ならそこで緩む。

 チームの勝敗が決した以上、どこかで力が抜ける。


 だが黒田は抜かなかった。


 最後まで指す。

 最後まで勝ちに行く。


 その姿勢を見て、しおりはほんの少しだけ目を細めた。


 数分後、黒田の盤もようやく決着する。


 最後は僅差。

 本当に、一手違えばひっくり返っていたかもしれない細い勝ちだった。


 それでも、勝ちだ。


 三勝。


 準決勝もまた、彼らはすべて取り切った。


 礼を終え、三人が待機列へ戻る途中。

 周囲の視線はもう、恐れを隠そうともしなかった。


 覇王がいる。

 それだけではない。


 その隣にいる二人まで、

 もう簡単には倒れない。


「……代表決定戦だな」


 坂本が小さく言う。


「はい」


 しおりの返答は短い。


「次が最後です」


「最後、ねえ」


 黒田が息を吐いた。


「ここまで来ると、その一言が一番重いな」


 しおりは立ち止まり、代表決定戦の席が用意されている中央の一角を見た。


 まだ空いている。

 だが、まもなくもう一方の準決勝も終わる。


 最後の相手が決まる。


 県代表を懸けた、最後の一戦。


 そこで待つのがどんな学校であろうと、もう関係ない。


 しおりの目には、次の盤しか映っていなかった。


「行きましょう」


「まだ始まってないぞ」


「気持ちの話です」


 しおりはそう言って、ほんのわずかに笑った。


 その笑みは穏やかだった。


 だが、その奥で燃えているものは穏やかではない。


 覇王は止まらない。

 そして、その覇王の隣に立つ二人もまた、もう昨日までの駒ではなかった。


 地区代表決定戦。


 最後の相手が、すぐそこまで来ていた。

### あとがき


ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。


少しでも「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけましたら、**お気に入り登録**や**評価**をしていただけると、とても励みになります。


また、作品への**感想やコメント**も大歓迎です。

「ここが好きだった」「このキャラが気になる」など、どんな一言でもいただけると嬉しいです。


いただいた反応を励みに、これからも楽しんでいただける物語を書いていきたいと思います。


それでは、次のお話でもお会いできれば嬉しいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


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