裏 王太子とリラフィーナ
冒頭のみリラ視点(*以下はシエル視点)
私は国王が語る過去に静かに耳を傾けた。
聞けば聞くほど募るのは、王国と一族の真の友誼という殿下と私の目標を、今私たちが歩みだしたこの道を、なんとしても実現したいという思いだ。
それが国王と母の願いであったというなら尚更。
「君が王太子妃になると聞いて、儂は嬉しかった。あいつの娘である君と家族になれるということはもちろんだが、この婚姻が王国と一族の関係に風穴を開けるきっかけになるようにも思われて。……勝手だと思う。重いものを背負わせてすまないと思う。しかし――」
「陛下、それは私たちも同じ思いです。この婚姻が両者の友誼の象徴となるように、殿下とともに精進して参りたいと思っております」
きっぱりと言い切った私を、国王は驚いたように見つめた。
そして、破顔した。
「ありがとう。……『運命』が彼女で良かったな、シエル」
***
『運命』。
国王が何気なく呟いたその言葉を聞いた瞬間、頭の中で何かの思考回路が繋がった。
俺は、忘却の彼方にあった一つの幼き日の記憶を不意に思い出した。
一人の令嬢――本物の公爵令嬢リラフィーナ――との、一度きりのめぐりあいを。
ある日、俺は王宮内を探検と称して歩きまわっていた時に、俺とそう年の変わらないような子どもたちの一団を見つけた。
こっそりと柱の陰から近づいて様子をうかがってみると、それはデビュタント前の子どもたちと二人の王子たちとの私的な茶会であるらしかった。
王弟の子である俺は王位継承や貴族間の勢力争いのあれやこれやに巻き込まれることを避けるために王子たちとは一線を引いていたから、そういう類のことに声がかかることはない。
別にそのことに文句は何もなく、というより面倒事に巻き込まれないで済むことをありがたく思っていたくらいで、俺はただ静かにその場を離れようとした。
その時だった。
「あなたが、リラの運命なのね」
少女のものと思しき声が、俺の背に投げかけられたのは。
振り向くと、そこにいたのは薄紅色の髪の小さな淑女だった。
ああこの手合か、と俺はその少女を冷静に観察した。
どんなに幼かろうと、俺に――もっと正確に言うなら王族に――近づいてくる者のほとんどは、大なり小なり野心を抱いている。
令嬢たちは、未来の妃の座を狙って。令息たちは、将来の側近の座を狙って。
純粋に友人になれるのではないかと淡い夢を抱くことは、とうに止めた。
そんなことは思うだけ無駄でしかないということは、早いうちに悟った。
王族との縁を求める家族に言い含められているのか、自分の意志でやっているのか、そんなのは知らないしどうでも良い。
ただ、放っておいてほしかった。これ以上、失望させないでほしかった。
そして、少女が使った『運命』という言葉。
王族には『運命の伴侶』がいることについては周知の事実であるから、「自分があなたの運命なのです」というアピールは令嬢たちの常套手段だ。
こちらから見れば騙りそのものに思われても、恋に目の眩んだ娘の中では紛うことなき真実となっていることもままあるから性質が悪い。
こういう時は冷静かつ穏便に対処するに限る。
経験則からそう判断した俺は、少女に淡い微笑みを向けた。
俺には『魅了』があるから、その力も視線に混ぜ込んで。
「リラ嬢……公爵家のリラフィーナ嬢ですか? 貴女のような可愛らしい淑女が私の『運命』であれば嬉しいですね。まだ誰にも分からないことですが」
子どもの一人称が自分の名前になることは珍しくない。
俺はリラという名を脳内で反芻し、そういえば近い名前の子がいたなと思い出す。
王族の素養として、貴族名鑑は読み込んでいる。
他にリラとつく名の子はいないはずだから、彼女で間違いないはずだ。
公爵家の娘であれば尚更、当たり障りなくあしらって、さっさとこの場を離れたい。
御紋が現れなければ誰が『運命』だとも分からないのだから、今ここで子ども同士であれこれ言ったところでどうしようもないことを理解してはくれまいか。
焦れた俺は『魅了』を強めようとリラの瞳をじっと見つめた。
しかし、彼女の目は冷たく澄んでいた。
魅了にかかった者特有のあの濁った色もなければ、恋情の熱にも燃えていない。
ただ目の前の景色を映しているばかりだったのだ。
その瞬間、俺は彼女という人間を誤解していたのだと気付いた。
彼女はよくいる御令嬢とは違う。
どこか浮世離れした厭世的な雰囲気、物事の深淵を悟ったような泰然とした佇まい。
俺とお近づきになりたいなんてこと、彼女は露ほども考えていないだろう。
では、『運命』を騙るのでなければ、あの言葉は何だというのか。
「リラは運命になれないけれど、リラがあなたの運命になるの。女神は愛し子に等しく恩寵を与えたわ。どうか支え合って、国のために尽くしてくださいますように」
それだけ言うと、彼女は去っていった。
何か反応する間さえも与えてはくれなかった。
声をかけようとした時には、その小さな姿は視界のどこにも捉えることが出来なくなっていた。
やがてこの出来事は、なぜ彼女が声をかけてきたのかも分からぬまま、発された言葉の真意も分からぬまま、不可思議な記憶の破片として頭の片隅に追いやられた。
今の今まで顧みられることもなく、他のたくさんの記憶の中に埋もれていた。
そんな些細な記憶が、今この瞬間に蘇ったのはどうしてだろう。
――ああ、そうだったのか……!
俺は突然理解した。
『リラは運命になれないけれど、リラがあなたの運命になるの』
二人のリラ、リラフィーナ。
彼女はその存在を、未来を、理解していたのかもしれない。
未来予知だなんて荒唐無稽なこと、平常の俺ならば鼻で笑ったことだろう。
しかしあの彼女ならやれそうだと、根拠もなく思えてしまった。
それがリラフィーナという人間なのだと。
彼女のことなんかろくに知りもしないくせに。いや、知らないからこそなのか。
リラフィーナ、確かにリラは俺の『運命』だったよ。
君にはどこまで見えていたのだろうな。
俺は亡き人に呼びかけてみる。
別に答えを求めているわけではない。
ただ、込み上げる感情が俺にそう言わせているだけ。